第二十八章
独りになったキキは、繁華街を当てもなく歩いていた。脳裏に繰り返し浮かぶのは自身の今までの人生のことで、ほとんどが祖父のことだった。祖父に読んでもらった擦り切れた絵本や、祖父に教わって作った最初の小さなロボット、それから黙々と作業をする祖父の背中。それらすべてが、実は本当のことではなかったかもしれない、と思うと背筋が凍る思いだった。思わず自分の身体を抱くように腕を回してから、アンドロイドのくせに、と自嘲気味の自分が笑った。祖父は自分に嘘をついていた。自分が本当にアンドロイドなら、自分はこの姿から成長するわけがないのに、キキにははっきりとした子供時代の記憶があった。祖父はなぜ、そんなことをしたのだろうか。ふと銃弾に当たった右腕を見ると、右腕には小さな傷がついていた。そこに血は滲んでおらず、ただただ無情なまでに銀色の金属がほんの少しむき出しになっていた。
キキが独り繁華街を歩いていると、ある店が目に入った。ギラつく大小様々な看板を出している繁華街の店のなかでも、一際目立つ大きな看板を出している。小さな店の入り口に不釣り合いなほど大きな看板は丸い電球で囲まれていて、看板には『酔いどれバーサ・バニー』という言葉が発光していた。『酔いどれバーサ・バニー』の文字は一部がチカチカと電気不足だとばかりに光っていて、時たま入り口からスカートの裾を限界まで短くした女性や、ボロボロのシャツに珍しそうなジーンズを履いた男性など、思い思いに着飾った人が入っていく。入り口には一人の屈強な男性が立っていて、男性の横には男性と同じくらい大きな機械が置いてあった。機械は人が入れる構造になっていて、男性のすぐ横に画面がついている。『酔いどれバーサ・バニー』に入る人々は、一旦その男性の前で止まると数分機械の中に入り込んで棒立ちしてから、機械を出て店へと入っていった。人が入る度にその機械の画面は緑色に点灯した。キキが更に店に近づいてみると、入り口には別の看板があり、ほとんど殴り書きに近いペンキの文字に、お世辞にも上手いとは言えないロボットの絵に合わせて『アンドロイドお断り』と書いてあった。キキにはそれですぐに合点がいった。あの大きな機械は、人間とアンドロイドを区別するためのものなのだ。
キキはそれに気づくと、引き寄せられるように『酔いどれバーサ・バニー』に近づいた。男の視界に入ったところで、割れたサングラスをかけ、今にもはちきれそうなボロボロのシャツを着たその男が「ここは子供の来るような場所じゃない」と似つかわしい低い声で唸った。キキは男を見上げると、「年齢制限があるの?」と聞く。キキは熱に浮かされたようで、頭はぼんやりとしていて、その男が怖いとも、脅威だとも思わなかった。
「少なくとも、アンドロイドと子供は入れられない」
「その機械に興味があるだけ。機械工だから」
男の返答に少し我に返ったキキは、なんとかまともな答えを出そうとした。男は片眉を上げ、「子供の機械工に何ができるっていうんだ」と頑なだった。キキはそれでも食い下がった。
「不具合はないの? その機械を見せてくれるなら、何でもタダで直してあげられるよ」
キキの言葉に、男は嘲笑した。キキはその時点で既に苛立ち始めていたが、とにかく機械を使ってみたかった。機械をざっと見て、先程緑色に点灯した画面が時折揺らめくようにチラつくのを見る。キキはそれを顎で指してみせると、「その画面、放っておいたらそのうち点かなくなるよ」と言った。それは本当のことだった。男は眉根を寄せ、ちらりと画面の方を見た。「数日前からああなんだ。ここの機械工は皆、口を揃えてこの機械の修繕に法外なディスクを要求してくる」と男が態度を少し緩め、困ったような声を滲ませたところで、キキは追い打ちをかけるように「当然だと思う」と付け加えた。
「画面のチラつきなら、ハードウェアとソフトウェアの問題のどちらかになる。でも、さっき見ていた様子ではソフトウェアはしっかり機能しているみたいだから、悪いのは恐らくハードウェア。だとしたら、その画面からケーブルを辿って、どこかでケーブルに損傷がないか確認する必要がある。すると、この機械を一部バラさないといけない。それだけで大工事だ。ケーブルに損傷がないとすれば、今度は心臓部のコントロールパネルの異常を疑うけど、この機械のコントロールパネルがどこにあるか、普通の人には分からない」
キキはすらすらとそう述べると、男は寄せていた眉根をさらに寄せて眉間の皺を深くすると、「それで、お嬢ちゃんにはそれが分かるってのか」と詰め寄るような声を出した。キキは軽く頷いて、「三十分くれたらどうにかするよ」と請け合った。事実、キキには既にその機械の構造が手に取るように分かっていた。街のレミントンが行った、構造解析のように。男は大きなため息をつきながら突っ張っていた肩を下ろすと、「三十分だ。自由に見ていい」と言った。キキは早速ショルダーバッグを背負い直すと、機械の後ろに回ってコントロールパネルのあるべき場所をいじり始めた。コントロールパネルは地面に近いところにあったので、キキは腹這いになって作業をした。男はずっとそれを見ていたが、キキの手早い作業を見て少し信用したのか、「この機械が壊れたら、バーサに何を言われるか分からない」と愚痴をこぼした。キキは早速機械のパネルを一部外しながら、続けてコントロールパネルを保護しているケースを取り外しにかかる。キキはふと、作業をしながら男を見ずに声をかけた。
「どうしてアンドロイドを店に入れたがらないの?」
「嫌がる客もいるんだよ。子供には分からないかもしれないが、こういう店は男女が出会うためにあるんだ。最近、ここいらではアンドロイドを人間の支配から解放して、自我を持たせる厄介な連中がいる。そういうアンドロイドがたまに店に訪れようとする」
男はそこで言葉を切ると、「まったく面倒な話だよ」と心底迷惑そうに言った。
「アンドロイドは人間じゃない。人間とアンドロイドが同じように共に生きていくなんて、できるわけがない。出会った異性がアンドロイドだと知ったら、誰だって受け入れられないさ」
キキはそこでふと手を止めた。また脳内がぐるぐると思考を始めそうになって、キキは頭を振って作業に戻る。それからキキが口を利くことはなく、すべての作業は十五分ほどで終わった。キキが立ち上がって画面を見ると、画面のチラつきはしっかり収まっていた。男は驚いて、隣に立っていたキキの頭をぽんぽんと叩いた。
「やるじゃないか。先程はすまなかった」
「構わないよ。でも、代わりにこれを使ってみていいかな」
キキの言葉に、男は「好きにしてくれていい」と機嫌の良い声を出す。キキはショルダーバッグを持ったまま、しばらく機械の中を観察して躊躇した。これで本当に自分がアンドロイドだと示されてしまったら、自分はどうすればよいのだろう。それでも、これははっきりさせなくてはいけない問題だ、とキキの一部がキキを突き動かしていた。キキは深呼吸をするとその機械の中に踏み込み、機械は中に入ったキキを上から下までスキャンした。ドクトルの持っていた機械とは違い、分析には少し時間がかかったが、すぐに機械はビーッという耳障りな音を出した。機械の外で、男の「なんてこった」という焦った声が聞こえた。
「お前、アンドロイドなのか」
男の声が大きかったせいで、キキが機械から出ると、『酔いどれバーサ・バニー』から野次馬が出てくるところだった。野次馬は『酔いどれバーサ・バニー』の前に集まると、次々にキキに言葉を浴びせた。
「あれがアンドロイドなのか?」
「子供じゃない。子供のアンドロイドなんて聞いたことがある?」
「出て行けよ!」
「ここはアンドロイドのいる場所じゃないんだよ!」
キキは大勢の人間に浴びせられる言葉にすぐに混乱すると男を見たが、男はもう友好的な顔ではなかった。キキにできるのは、今すぐこの場所から逃げ出すことだけだ。キキはショルダーバッグを硬く握って踵を返すと、そのままどんんどんスピードを上げて繁華街を駆け抜けた。アンドロイドは人間じゃない。先程の男の言葉が、耳鳴りのように響いていた。




