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第十章

 キキの祖父は極めて自由人だった。普段はアンドロイドの修理工として働き、空いた時間は大抵何かを製作するのに当てていた。キキが物心ついたときから、他の家の子供たちのように、寝る時間や起きる時間を指定されたことはなかったし、決まった時間に食事をしなくてはいけない、というようなこともなかった。もちろん、キキの祖父はキキが学校に行かなくなってもなんとも言わなかった。機械工になりたい、と決めたキキが祖父に様々なことを教わる過程でも、祖父はキキの失敗やミスもすべて笑顔で受け止めていた。祖父はキキとは違って人当たりが良く、どんな客とも良好な関係を築くことができた。

 そんな祖父が、キキに唯一言い含めていることがあった。それは『この街から出てはいけない』というルールだ。小さな頃、祖父はキキを寝かしつけるために自作の話を披露した。それは、この街から出ようとした小さな少女が、巨人や怪物に追いかけ回される話だった。キキが大きくなって、この世界に少なくとも巨人は存在しないと分かったとき、祖父は眉を潜めて「それでも」、と言った。


「それでも街の外には危険がいっぱいだ。私はこの目で見てきたから分かるんだよ。危険、というのも、溶接機を扱うときに付きまとうような危険じゃない。命の危険だ」


 祖父は真剣な顔でキキにそう語った。確かに祖父も、キキが知っている限りではこの街から出ようとはしなかった。

 それでも一度、キキは街の外に出ようとしたことがある。いつも遊んでいたゲームセンターの筐体が一つ壊れてしまい、その内部を観察したところ、故障があることが分かった。『ビッグ・ハリーの道具箱』を訪ねたが、必要な部品は揃っておらず、入荷までには最低でも一週間かかるという。「ただ、隣の街にはあるかもしれない」とビッグ・ハリーは付け加えた。キキはそう聞くなり、早足で家に戻ると、祖父に事の顛末を説明した。


 祖父は珍しく激昂した。


「あんなに言い含めていたのに、何も覚えていないのか?」


 隣の街を訪ねたいというキキに、祖父はスパナを振り回しそうな勢いで怒った。キキはそれを怖い、と思うより先に、単純に驚いた。祖父が怒ったことなど、ただの一度もなかったからだ。それでキキは、『この街の外に出ると恐ろしいことがある』という話を頭から信じるようになった。あの温厚な祖父が激昂するほどなのだ。巨人や怪物はいないにしても、きっと何かがあるに違いない。


 その話をすべてしたわけではなかったが、キキはかいつまんで祖父が自分が街から出ることを禁じていることを、その場の面々に話した。ドクトルはその話を聞くと目を丸くして、「嘘八百じゃないか」と普段の調子を取り戻して大袈裟に驚いてみせた。


「現に、私は都市からここへ来たけどね。見ての通り五体満足、健康体だよ。確かに街の外に巨大鼠とか、バンディットとかがいないわけじゃないけれど、メインロードを走っている限りは安全なものだよ」

「でも、おじいちゃんの言いつけは守りたい」


 キキはドクトルの話に耳を貸すこともなく、頑なに言った。するとドクトルはランバートを指さして、「君はこれが壊れたままでいいってのかい」と言う。キキはランバートを見ると、心底困ってしまった。ランバートは祖父が遺してくれた最後のプレゼントだ。もはやキキにとって、ランバートは祖父の化身でもあった。だが、その祖父はキキを案じて、キキに街から出ないように言い含めている。しかしその祖父は、もうこの世にいない。キキは助けを求めるようにキャシーを見たが、「これはキキが決断するしかありません」と言われてしまった。アンジーを見ても、アンジーは眉をハの字に曲げて何も言わない。キキはため息をついた。


「考えている暇はあまりないよ。旧世紀のパーツってのは、それだけで貴重だから、流通するが早いか大抵誰かの手に渡ってしまう。だから、パーツを探しに行くのは早ければ早いほどいい」


 ドクトルは畳み掛けるように言い、キキは自分のブーツを見つめたまま、しばらく何も言わなかった。


「ランバートを助けましょうよ」


 沈黙を破ったのは驚くべきことにアンジーで、アンジーはか細い声でキキに言った。


「お祖父様なら、ランバートが壊れたら迷わずに直すと思うわ。街に出るにしても、男の人と行ったほうが安全よ。この機会を逃しては次なんてないと思うの。ランバートがずっと壊れたまま、というのは、お祖父様のいない今、キキも辛いでしょう」


 そもそもドクトル自体が怪しい存在ではあったが、キキはキャシーの一件でドクトルを少し信用していた。キキはアンジーの顔を見ると、「そうかもしれない」と小さく呟いてから、ドクトルを見た。


「都市に行くよ」

「そうこなくっちゃ」


 ドクトルはキキの返答を聞くなり、トランクから様々な物を取り出してランバートのためのスペースをを確保し始める。それよりもキキが驚いたのは、アンジーが続けた言葉だった。


「キキ、わたしも連れて行ってくれないかしら」

「どうしてまた」

「…お母さんとうまく行ってないの」


 アンジーは言いにくそうに説明する。「もう二度と家に帰ってこなくていいって、言われてしまったの」とアンジーは泣き出しそうになりながら言った。それで先程、行く宛もなく道に呆然と立っていたのだ。学校をサボったことで既に悪くなっていた関係が、キキのためを思って家から盗み出したトウモロコシで余計に酷くなったということらしい。キキは額に手を当てた。


「どうしてトウモロコシを盗んだの」

「あなたが心配だったからよ」


 アンジーは胸の前で組んだ両手をもぞもぞと動かした。キキは長いため息をついて、「何度も聞くけど、それはあなたの決断なのね?」と念を押す。アンジーはその言葉には幾分か強く頷くと、ドクトルは話を聞いていたのか、後ろを振り向くと「どうせ帰ってくるんだから、そんなに深刻に考えることはないさ」と例の独特の笑い方をした。まったく緊張感がない、とキキが思っていると、ドクトルはトランクの中身を整理しながら今度はこちらを見ずに言った。


「それから、そこのアンドロイドのお嬢さん」

「何かご用でしょうか」


 キャシーは突然矢面に立たされたにも関わらず、まったく驚かずに安定した合成音声で答えた。ドクトルはなおも振り向かずに、トランクの中身を引っ掻き回しながら言う。


「わたしも機械工の端くれでね。機械が手ひどく扱われていることには心が痛むんだ。見たところ君は旧式のアンドロイドだから、プログラムもシンプルだ。君を持ち主のいない初期状態に戻すことは簡単なのさ」


 キキはびっくりしてドクトルを見る。


「キャシーをどうする気なの?」

「乱暴な持ち主から解放してやろうって話だよ。さあ、持ち主がいない今がチャンスだね」


 ドクトルはそう言うと、いつの間にかトランクから取り出していた小型の電子端末の端子を一瞬のうちにキャシーの首の裏に差し込んだ。ドクトルが電子端末をすかさず操作すると、キャシーが一瞬目を見開いて、体幹以外のすべてが脱力したかのように少しだらりとすると、すぐに顔を上げ、戸惑ったように辺りを見回す。ドクトルは電子端末をキャシーから抜くと、「さあ、これで君は自由の身だ」と大きく笑った。


「どういうこと」

「持ち主に関するデータを削除したんだよ。その他のデータはいじっていないから、記憶などもそのままだ。ただし、キャシーがここに留まる理由はもうひとつもないってことだね」


 ドクトルは満足げに笑うと、キキとアンジー、それからキャシーをそれぞれ見て、


「まるで旧世紀のロールプレイングゲームのようじゃないか! さあ諸君、いざ都市へ向かおう!」


 と高らかに宣言した。

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