第十三話 はじまり
長らく(?)お待たせしました! 今回は……
遂に、とうとう、俺はここまで辿り着いた。
この最終局面まで持ち込み、三人衆の大将フェルナンドまで漕ぎ着けた。これに勝てば、俺は全勝してアスの教師になれる、そう思っていた。
しかし、そんな俺の考えの片方は儚くも一瞬にして崩壊した。第三戦の相手であったフェルナンド・セルバドス、この男の発言によって。
――絶対しないよ、試合
この一言が俺の全勝して教師に、という考えを破壊した。否定した。そして、幻想だったと思い知らされた。やることなすこと全てに対してやる気の失せた俺は、魂が抜けて屍のようにただ窓際で佇んだ。
「あー、ありゃダメだな。な、元凶さんよ」
「えっ!? シェイルベル、これって俺が悪いのか? 良正、すまなかった!」
「もう無駄だよ〜、ぐっちゃんはもう、ここにはいないと思った方がいいよ〜」
「そ、そうだね……よしまさは一旦そっとしといてあげよう」
「――っはっ……」
気がついたら、そこはもう誰もいない朝だった。
暗闇に染っていた空は、段々とその光を取り戻していた。
まだ少し食事の匂いのしていた長部屋は、何も感じぬ空虚なものとなっていた。
「っんん。あーあ、俺は何をしてんだか……」
ぼそっとひとり呟いた。
誰もいない空部屋の中で、ため息混じりに呟いた。
無表情な己の顔が薄ら映った硝子窓に向かって呟いた。
「ってか、それより誰も俺のことが心配じゃねぇのかよ! 朝から言うことじゃないかもだけど腐ってやいないか、あの構成員ども!!」
「ねぇ、その腐ってる構成員って……私のこと、かな?」
ここは誰もいない空部屋。
だから、俺に対しての返答など決してあるはずないのに。絶対あるはずないのに。何やら後ろから聞き覚えのある声がする。
この声は……
「……アス!? お前、なんでこんなとこにいんだよ。なにしてんの? まだ明方も明方、時間にすると、たぶん午前五時半すぎだぜ」
「い、いや〜。あの〜、心配になってね……。ぐっちゃん、あの感じでどうしてるのかな〜とか。ひょっとしたらまだ立ち直れてないのかな〜とかって」
なんと。アスは俺のことを心配して来てくれたらしい。教師思いのいい生徒だ。
ああ、持つべきものは可愛い可愛い女子生徒だな。
一体誰だよ、「持つべきものは友」なんて言ったの。
あーあー、つまらない人だ。きっと女子生徒を受け持つことなく人生を過ごしてきたのだろう。哀れなり、実に哀れなり。哀れでない俺は、少し目元を潤ませながら生徒に対して答えた。
「そのことなんだが、あれからずっと一晩中何も考えられなかった。それくらい立ち直るのは大変だった。けど、アスのおかげでしっかり前を向き直せた、ありがとな。心配かけてしまってすまなかった。というわけで、フェルナンドのところに行きたいんだけど……」
「ええっ!? なんで!? なんで前を向き直したらそうなるの、ぐっちゃん!?」
俺の答えが想定していたものと違ったらしく、アスは驚きふためいている。用意していた返答ができなくて、どこか残念そうでもある。
その様子を見ると、違っていたというよりも乖離していたの方が適当かもしれない。
「なんだよ……ダメなのか? 前向いた結果、フェルナンドと会おうって言うのは……ダメなことなのか? ただ会うだけだぞ……」
拗ね気味でぶつぶつ言ってみる。
さぁ、これにアスはどうする? まず食いついてくるか?
「わ、わかったよぅ……そこまで言うなら連れてくよ。そうすればぐっちゃんのしたいことはできる、そうなんだよね?」
ヒット! 物分りがいい子は嫌いじゃないぞ。
よし、これで計画第一段階は完了。第二段階に移行。
「ああ、連れて行ってくれさえすれば。わがまま聞いてくれてありがとな、アス! じゃあ、早速行こうか。フェルナンドの元へ」
「ゆ・く・ぞ〜、フェルナンド〜の部・屋・へ〜♪ その部屋は〜、三階の〜階段登った右っ側〜♪」
アスは俺にただフェルナンドの居場所を教え、連れて行ってくれればいい。大人しく連れて行ってくれれば。そう伝えたのに、彼女は何故だか上機嫌で、道順についての変な歌までオプションに付け加えている。この領域は俺にはまだついていけないや。
「しーっ。アス、今はまだ朝早いんだ。俺たちは起きているが、みんな寝ているだろうから静かに、な!」
俺は諭すような口調で柔らかく言い聞かせた。
アスは理解してくれたのか、その後はちゃんと声量を抑えた。
だけど、歌うのは止めないらしい。小声でも止めない。
もう変わりようがなさそうだから止めるの諦めるわ。
「………あっという間に……はい…とうちゃ〜く………」
そうこうしているうちに、俺とアスは部屋の前に辿り着いた。せいぜい一、二分しか歩いてないけど。
それにしても先程からアスのテンションというか、覇気というか、そういう類のものが感じられない。
普段と比べると気味が悪い。気持ち悪い。モヤモヤする。
我慢できず、本来の目的と全く関係ないのに、思わず問うてしまった。
「もー、さっきからどうしちまったんだよ。そんな感じでいられると、こっちまでなんだか辛くなってきちまうだろ。どうにかできないのか? まあ、別に話したくない理由があるならいいんだけど……」
面倒臭い女子風の持っていき方で聞いた。アスは、
「え〜、だってさ〜。な、なんて…いうかさ………」
トーンをガクッと落としながらアスは言う。場に漂っていた砕けた雰囲気は一転し、神妙なものとなった。アスは俯き、静止する。少し間が空いたかと思えば、真剣な顔つきになって話し出した。
「……声落とすと元気でないっていうか、そういう気分になれないっていうか……。私らしさがなくなっちゃうって、削がれちゃうって感じがするんだよね。自分をなくした感じ、っていうのかな。ぐっちゃん……私、って、なんなのかな……どうすれば、どうしてればいいのかな………」
アスは顔をひきつらせながら、暗がらせながら言葉を紡ぐ。
俺に自分の、自分自身のことを隠さず伝えてくれた。
伝えなくてもいいことなのに伝えてくれた。
――声を抑えてしまうと“らしさ”が出ない。
ほんの些細なことかもしれないけれど。
どうでもいい、なんて言われることかもしれないけれど。
彼女にとっては自己の存在を考えるに値することなのだ。
アイデンティティとも言われる、同一性に関わること。
『自分は自分であって、他とは違う』
そんな当たり前のようで当たり前でないことについてのこと。
それだけ重要な、人の芯に触れるようなことなのだ。
それを、出会ってまだ十日前後の俺に伝えてくれたんだ。
教師である俺に対して、生徒である彼女が。
顔を歪ませながら、涙をその瞳に浮かべながら。
ここで俺が言わないでどうする。
「――俺だって、もう二十二だけど、未だにわかんないよ。
自分が何者か、どうすればいいか。それってそんなに重要かな。何者だって、どうもできなくたっていいじゃないか。そこに自分が自分でいられるなら」
「っ……ぁ……っ………」
「俺はアスがどんなでも、どうもできなくてもいいんだ。そんなことは関係ない。ただ、アスがアスでいてくれるなら。俺の隣にいてくれるなら。それだけでいいんだ。それだけで嬉しいんだ」
彼女はその場にくずおれ、絨毯の上に両膝をついた。俺はそれを受け止め、ぎゅっと抱き寄せる。そして、大丈夫だ大丈夫だ、と言い聞かせる。髪を優しくポンポンしながら落ち着かせる。アスの気が済むまで、いつまででも。
こうして、俺は教師としての初仕事? を全うすることができたのだった。でも、何か大切なことを忘れているような……。
その後も俺たちはしばらくその場にいた。自分について、互いに赤裸々に話した。
しかし、俺たちはその時、考えもしなかった。もう皆が起き出す時間になっているということを。
「………んっ? なんだ、このドア。今日はやに重たいな。まあいいが、なぁっ!!」
突如、漢のハキハキとした声とともに、アスの横のにあるドアが勢いよく開かれる。バァン! と、大きな音を立てながら。ドガッ! と、痛々しい音を立てながらアスに衝突して壁まで飛ばした。
「アスーーーーーーーッ!!!!」
「ア、アスーーーーーーーッ!?!?」
「――ぶべらっ、ぶふぉあっ!!」
俺が忘れていた大切なこと。
フェルナンドと話をすること。
フェルナンドがまだ起きていないこと。
このドアが外開きであるということ。
それに注意せずドア前に座っていたこと。
あらら、これは大変な一日の始まりだな。
俺の教師生活はまだ、始まったばかり。
これからどうなることやら……
ごちゃごちゃして、ますかね……




