第五話 王都ガルディア
三連休の流れで……
今、俺とアスは全速力で追跡してくる、ヘドロのようにねちっこくへばりついてくる人々から逃げている。こう聞くと、何やら怪しげに感じられる文である。追うのも追われているのも、双方ともが奇奇怪怪といった文である。でも、そう感じられているのなら、その大きな誤解を解くところから始めねばならない。
――時は今から少し遡り、朝食時のとある会話から始まる。
「――突然の報告になってすまないのだが、今日行う予定だった授業は全て休みにしようと思う。良いか、良正?」
俺の家庭科と体術の授業を担っているシェイルベルが、自分でも言っていた通り突然、藪から棒に話題を団欒に放り込んできた。しかも、さらっと重大なことを言いやがった。
今日の授業が休みだって? それも全て? 冗談じゃない。
どの授業においても今日まで五、六日を費やして、やっと最終試験まで漕ぎ着けたと言うのに。あと少しだと言うのに。
「はぁぁ…… そりゃないぜシェイルベル、考え直してくれよぉ」
「すまない、良正。『良いか?』と聞いている体で話したが、これは既に俺、ミスリル、フェルナンドの間で決定事項となっている。それに、これは俺たちが我儘で、休みたくて言っているのではない。それくらい、お前にだって分かるだろう。お前のためを思って、三人で話し合って決めたことだ」
「……俺の、ため? 甚だしいにも程があるだろ。何言ってくれてんだよ先生方。俺はどこも悪かねえ。ほら、この通り肌はうるうる透き通ってるし、ご覧の通りの話口調。頭の方もおかしくねぇ。身体の節々も痛むわけじゃねぇ。な、大丈夫だろ、な?」
俺はどうにか三人を説得して、全て休みという最悪の現状をなきものにしてもらおうと醜く足掻いた。
「君は、自分の状況が分かってないようですねぇ、よしまさ。ほら、私の鏡で見てみるといいですねぇ。今渡しますねぇ」
と、俺はミスリルが自室から移動させた手鏡を受け取る。俺がそこに見たものは、そこに映った実像は、想像上の完璧な状態とまるで異なるものだった。いや、正反対だったが適切だろうか。
うるうる透き通ってるはずの肌は、光を失ったようにくすんでみ、髪はかさつきぼさぼさ、顔はげっそり痩せこけていた。
そして、双眸は暗闇をそっくりそのまま映したような、色彩を全て濾し出したようだった。
「――っ!」
俺はなにも口に出せず、ただ絶句した。
本当なら「こんなはずはないんだ」だとか「もう少し時間をくれ」だとか、なにかしらの言葉を発して誤魔化そうとしたり、自分自身を見つめ直そうとしたりするはずだ。
でも、俺はそれができなかった。
心の中ですら、しようと思えなかった。
そう思う余裕すら、隙すら、この現実は与えてくれなかった。
研ぎ澄まされた真の刃を突きつけてくるばかりだった。
俺は、その場で生まれて初めて泣き崩れたのだった。
そんなことで、何故追いかけられることに繋がるんだ?
と、そう思っていることだろう。ここまで大分長めだったが、実はまだ続きがある。すまないが、もう少しだけ付き合ってもらおう。
「あ〜あ〜、情けない情けない。人前で男が、しかも、私より年上の大学生が泣き崩れるなんて。あ〜あ〜、情けない情けない」
「そ、そんな言い方しなくてもいいだろ! まあ、人前で泣き崩れたことは事実なわけだけど……」
先程、確かに俺は人前で泣き崩れた。でも、泣き崩れたって言ったって、なにも大声出して泣き喚いた訳でもないし、奇行に走った訳でもない。そこまで言わなくてもいいじゃないか。
「はいはい、機嫌直して〜。この件に関してもう茶化すような言い方はしないから〜。意地悪なことしないから〜、ね?」
「もういいよ、わかったよ。けど、ここで俺が機嫌直したところで何があるってんだよ。なんもないだろ。な・ん・も」
アスに機嫌直してなんて言われるから、ちょっと意識してみたけど、何が待ち受けているのか分からないので、挑発的な口調で続けた。少しでも聞き出せるように会話を続けた。
「なんもあるよ。なんも、あるよ……」
不味いことをしてしまったらしい。あんなに明るくて、笑顔を絶やさないやつなのに。さっきまでの朗らかで太陽のような笑顔が、朧月のような表情になっていた。落ち着きはらった、どこか落ち込んだ表情。靉靆とした、そんな印象。
「なんもあるってなんだよ。そんな面白いの使われちゃ、そう落ち込んでもいられないな。自然と機嫌なんか直るってもんだ!」
「そ、そうかな? なら、いいんだけど、ね……」
ああ、そんな顔しないでくれ。俺が励まされる側だったはずのに。なんだよ、なんなんだよ。接しづらいじゃないか。
「ほら、行くぞ。王宮出て街に行くんだろ?」
そう、俺たちは召喚されてから一度も出ていないこの王宮を出て、王都ガルディアの中心である王宮から出て、街へ行こうと約束していたのだった。それは、アスが俺に癒しと安らぎを与えるところだから、と提案してきたものだった。
「良正さん、朝食のときのあのことで医師に診てもらったところ、軽度のストレス障害とのことだったそうだ。知らず知らずのうちに蓄積していたらしい」
そんなことを誰からか聞いて、アスから提案してきたものだった。それなのに、それなのに。
「――さあ、着いたぞ! と言っても、ほんの少し歩いただけだから、そこまで思うものはないか……」
俺たちはガルディアの街へ歩いて向かった。それは、俺たちが街へ出たことが無く、空間系の言霊を行使できないからだった。あの三人に頼んだって、
「俺は空間系の、特に転移させる類の言霊など使えん。他を当たってくれ」
だの、
「私は二人がお望みの言霊を使えますよぉ。でも、ここに行きたい! ……という所を決めてもらわないことには始まりません。でも、二人はどこも行ったことは無いんですよねぇ? それでは、無理ですねぇ」
だの、
「お、街へ出るのか? あそこはいい所だぞ! でも、言霊で楽して行こうなんてナンセンスだ! 自分の足で行くんだ! そして、その道中をも楽しむ。というか、道中で走れば訓練になるんじゃ? よし、自分の足で、歩きではなく走って行くんだ! ははっ、大したことない。さあ、行けー!」
だの言われるんだから、たまったもんじゃない。
こういう時の空間転移って術者や行使者がその場所を分かってれば、それさえクリアすればいいんじゃないのか? ミスリルのやつ、誤魔化しやがったな?
そんなことは今はどうでも良い。彼女を、アスを気にかけてやらなければ。
「にしても、ここは人が多いなー。大変な混み具合だ…… なあ、どこから行こうか? って、あれ? アス? アスカ?」
「ねえ、ぐっちゃん! こっちにすっごく大きい豚がいるよ! 美味しそうだね〜。あっちには洋服屋さんがある。店先には鮮やかな空色のワンピースが! あ、あっちはアクセサリー! あっちには靴屋さん! あっちは、あっちは、あっちは………」
「お、おう。とりあえず、お前が興奮気味なのはわかったけど、一緒に行かないとはぐれるぞ。ほら、こっち戻ってこい」
やっぱりアスはアスだった。俺の気のせいだったのかな。
「は〜い! 今行く〜! にっひひひ」
俺とアスは、この雲一つない蒼天の下、街での買い物を存分に楽しんだ。二人して大はしゃぎしたりなんかしながら楽しんだ。俺のこの休みを、アスが最高の思い出にしてくれた。多分、この人生で最高の一日になった。
今後、こんなことがずっと続いていくと考えると、この世界に来てアスと出会って。こんなの現実じゃまず有り得ない話だけど、異世界召喚や異世界転移なんて普通じゃ有り得ないけど、こうなって良かったと感じられる。
こうなったから今がある、そう思える一日だった。
ここまで説明してやっと頭に繋がる。
俺たちはガルディアの街から王宮へ帰ろうとしたその時、初めて遭遇したんだ。これまで話の中の存在だったものに。
――“魔”というものに、それに蝕まれた人達に。
奴等は、俺とアスの気配を感じ取ってか、どの脇道を通ろうが店の裏道を通ろうが執拗に追いかけてくる。まるで発情期のオスがメスを見つけたかのように。
「――くっ……おい、アス、アス! 大丈夫か?」
「え、う、うん。何とかね。それよりどうする、こいつら?」
「とりあえず、さっきの大通りからは結構離れたから被害が出ることは心配しなくていい。さあ、ぶちかまして殺るッ!」
これは街のみんなを守るためだ。
今、俺たちが殺らなくて誰がやるんだ? 誰ができるんだ?
ここで俺たちが殺るしかない。
そんな責任を背にひしひしと感じながら、俺たちは広間に出る瞬間を狙うことにした。
さあ来い、闇は俺たちが滅殺する。
「――行くぞ、三、二、一……今だっ! アス、蹴散らせーッ!」
「おうよ! 私がここ五日近く何もしてなかったなんて思うな!
行くぞ〜! 初、詠、唱〜!! ――唯我独尊!!!」
「ううっ……何が起きたんだ?」
俺はあまりの衝撃と眩さに目を閉じた。次に俺が一つ瞬きを終え、目を開けると、そこには金色に輝く夕映えの空とそれに負けず劣らず光り輝くアスがいた。
「おっらぁ〜! かかってこいや〜! に〜ひっひっひ!」
敵を、魔に蝕まれた人達をばったばったとなぎ倒していた。そして、なぎ倒された人達は、元の人間の姿に戻っていた。
――自己強化の唯我独尊以外にも詠唱していた?
俺の思考は、ぐるぐると回り出した。
――詠唱してはいなくて、アスに何かしらの力がある?
そんなことはない。あるはずがない。俺はアスのステータスを見ている。闇に対抗しうる力、アスの力。
俺の思考は、低回しながらも一つの解を導き出した。
――そうだ! アスには“光”がある! そして、あの特殊能力がある! 多分自然に使ってるんだろうけど……
光とは、アスの光属性ステータス。彼女には全属性の耐性がある。
それが何を意味するか。全属性の適性があるということだ。耐性は、自らがその属性について見出さなければつかない、そういう原理だ。
それと、あの特殊能力とは猪突猛進のことだ。あの説明になってない説明から言葉を借りると「馬鹿や無謀のこと。故に、何者かに対して立ち向かい、偉業をなす」らしく、とするのであれば、まさに今のこの状況で真価を発揮すると思う。
ストレングスだのエンハンスだの強化の類のなにかしらの効果があるのだろう。でも、単にそれだけだと勇者と重複して強化の積みになる。そんな訳はない。強化の強化、効果強化とかになるのだろう。
「よし、アス! そのまま全員蹴散らして治してやれ!」
「お〜! ってそれはいいけど、ぐっちゃんは何もしないの?」
鋭く尖った言葉が、ぐさっと心に深く刺さり抉る。いくら無意識にしてもきついよ…… わかったよ。こうなりゃこれしかない! 二次元作品でよく出てくる、二人以上であるときの秘奥義、最後の切り札。
「アス、これを一緒に詠唱するぞっ! いいな?」
俺はすぐさま以心伝心を詠唱し、アイデアをアスに届ける。
「本当にこれでいいんだね! 始めるよ?」
「ああ、よろしく頼むぜ、アス!」
二人以上が集まって行う詠唱と言えば…… そう、合体技、合技である。これで、一気にケリを付ける。
「「天地神明!!」」
ドゴォン! と、激しい衝撃と閃光に、街の大通りの方も騒然とする。
天地神明。
それは天と地、そして神々を表す言葉。
アスの持っている光の適性、俺もアスも持っている天と地の適性を同時行使できる技。今出せる中で、最強最高の技。効果が絶大な分、消費する言の波も多くて出力するのも大変だ。空っぽになるまで使ったので、身体がほとんど動かない。これは不味いな。さっきの衝撃と光で街人たちが嗅ぎつけてくるはずだ。はやく、はやく逃げないと
…………
………
…
気がついたら、俺はアスの背中に担がれていた。なんだか気恥づかしい。男が女に、しかも年下に担がれているなんて。てか、さっきから後方がどたばたとうるさいな。なんなんだよ!
「はぁあぁああああ!? 何じゃありゃぁあぁああああ!?」
苛立ちから我慢できずに首を回して後方を見ると、そこには、物凄い速さで追いかけてくる大量の街人たちの姿があった。みんな何やら叫んでいる。これが真の最初へと繋がる。
「「「「「伝説の勇者様〜! 待ってくださ〜い!!」」」」」
なるほど。大体どんな状況か検討がついた。
さっき俺が行動不能状態になってから起きるまでの間、俺に付いていてくれたか回復してくれたかでアスは時間を取られていた。その内に騒ぎを嗅ぎつけた街人たちが押し寄せ、そのため急ぎ担いで逃げ始めた。
とまあ、こんなところだろう。これをアスに伝えようにも、この中じゃ良く聞こえやしないだろう。そこで、便利な以心伝心を詠唱して伝えた。
――あ、ちゃんと起きたんだ! 良かったよ。でさ、送ってくれた通りの状況なわけ…… ね、どうしようか?
――どうしようったってな。今、俺は言の波があまりないし…… ってあれ? 全回復してる? どうして?
――私が与えたんだよ! どうだい! すごいだろ! もう感動ものだろ!
――ああ、教師になる身としては、俺がやりたかったと思うのだけれど。まあ、ありがとな! この万全の状況なら、俺にいい策がある。アス、お前はこの後、少し加速してあいつらとの間隔を開けるんだ。そこで俺が…………
――お〜け〜! じゃあ、さっそく行くよ〜!
アスが俺の指示通り加速を始める。そして、一定間隔を開けた時点で、俺が詠唱を始める。最後の仕上げに、身体能力に強化をかけたアスが地面を大きく蹴飛ばし、ふわりと空へ上がる。
ここで、俺の詠唱が完了する。
「行けぇーーッ! 瞬間移動!!」
「「「「「あれ、勇者様は何処かへ行かれてしまった?」」」」」
ブォン……
微かな音だけを残して俺達は街から消失した。
休みっていいな。でも、アスの「表情」はなんだったのか?