プロローグ 天国と地獄
どうぞ。
俺は普段通り、大学の細長い廊下の端の隅。大の大人が二人でいるには少々狭苦しく感じる所で友人と駄弁っていた。
「――そ〜いえば君、進路どうするの?」
「いや。どうって、なぁ……」
友人からの話の脈絡を考えない突然の質問に困惑してしまう。結果、
「あれかな、就職かな? ま、その性格じゃあ無理だと思うけど」
「あれれェ? 無理なんていつ誰が決めたぁ?」
と戯言にしかならない会話をしつつ、回答を先延ばしていく。別に意見を言わないつもりではない。
実を言うと友人の言う通り、就職なんて自分の性にあわないと考えていた。やはり、客観的にもとなるとどうにもこうにも覆しようがない。改めて一連の流れを思うとあまりにも清々しいものである。
というわけで、しばし思考をめぐらせ腹をくくった。それでは、幼時から決めかねている夢をこの親友に打ち明け申す。
「おほん。皆の衆、よく聞き給え! 我輩のかねてよりの野望を申すでな……」
実際には一人である衆が数人をかわるがわる演じ分け、擬似的衆人環視をつくりだす。傍から見たら一丁前に不審者だ。そんな様を横目に見ながら、すぅーっと深く息をして気を整える。
「――我、即重版級の超人気小説家になる」
陽が傾くにつれ、妙に冷え冷えとして静まりかえる廊下。そこに響く、俺なりに魂を込め格好つけて出したはっきりとした声。間が怖くなってくるくらいの、若干の時間差のあと、
「……え、本気? いや、冗談? 本気ならやっぱ君は面白い男だよ。大言壮語ってやつだね!」
親友くんが口を開く。それに嫌悪感を抱いた俺は、思いを伝えるために重なるようにズバッと言う。
「お前なぁ、大言壮語って。その言葉の使い方、違うからなァ! 正しくは、実力不相応な大口叩くことを指すんだ。あしからず…… 心配するな。俺には不安など微塵もない。 我が天武の文才をもってすれば……って、き・い・て・る・か!!!」
………
……
…
鮮明だった意識がぷつりと切れる。
ああ。さっきまでの少し騒々しい絡みが無くなった。これは、五感全てが作用していないらしい。それなのに、どこか心地良さを感じる。
心に直接訴えかけてくる心地良さ。まっさらなキャンバスのような、汚れのない澄み切った心地。やけに気だるけな昼食後の授業中のゆっくりと時が流れていく感覚。悠久の時にでも呑み込まれてしまったかのような。
ンん!? これは、この状況は……
とある可能性が脳裏を掠める。
――さては俺、倒れたか? まさか、急死?
身を覆う恐怖から逃れようとするが為す術もない。とりあえず周囲の状況を把握するために全神経を集中させ、よく耳を澄ます。
当然、耳を澄ましたとて何も聞こえやしない。しなかったが、鼓膜やらが微弱な音粒が飛び交い、網膜やらが光子が舞うのを感じ取っている。少しずつではあるが、感覚が戻り始めているらしい。
ここはきっと病室か何かだ。肌に温もりを感じる。全身が何かに優しく包み込まれている感触。これは多分、毛布だろう。
既に倒れた前提で、感傷的になった俺はふと昔の思い出たちを探る。
幼い頃、家族皆でピクニックに出かけてはよく昼寝していた丘陵での風景が浮かぶ。
――あれは、たしか春だったろうか
と、次の瞬間、微かな明るさを覚えていた瞼の裏が不自然に暗がっていく。未だ状況を全く把握できてないため躊躇いはあったが、恐る恐る目を開いた。途端に聞き覚えのない声が騒々しく喚く。
「…………ぉ? ぉぉ!? ……うぉぉおおお! ゆ、勇者様がお目覚めになった……あの“伝説の勇者”様がお目覚めになったぞ!」
へぇあ!? なんだお前。
というのも失礼なものか。ベット? から起き上がった俺の眼前には、驚嘆の色を隠しきれていない叔父様が居られた。中二心を擽る純黒のローブに身を纏っている。物凄くテカテカしている。素材が材質が気になって仕方がない。
叔父様はまだ何か喋っているようだが、ここは一旦無視。状況把握こそが最優先事項である。
今居る此処はというと……さっきまで駄弁ってた薄暗がりで肌寒い大学の廊下などでは毛頭なく、本物の大理石が使われていると思しき独特の光沢を放つ部屋。床、壁、等々何から何まで至る所が煌めいている。まるでRPG世界の宮殿や王宮のような煌びやかで、曠然たる部屋。
その中に俺と叔父様、あとはベットしか入っていない部屋。ホテルで言うと、某帝〇ホテル並といったところだろうか。実際に行ったことはないけど。
と、なんだかんだで自分の置かれている状況をざっと確認し終え、やっと思考が追いついた。
だから、質問を。
「一体、何なんです? 此処は何処ですか?」
叔父様は、何やら言いにくそうに床へ目線を落としながら、ぽつり呟いた。
「……ええ、そうですね。どのように御説明したら良いやら。それでは端的に申し上げさせて頂きます。貴方様は“伝説の勇者”として此処、“平和主義国ダイアス”に貴方様の元いた世界から我等によって【召喚】されたので御座います」
はぁあぁあああああああぁぁあああああああああああああああああああああぁ!?!?
何故!? どうして!? 何がどうなって!?
“何故、俺が召喚されたのか”
その疑問により生じた、何処に吐き出せばいいのか分からない怒りやら心のもやつきやらをフルで解決策の模索に回していく。友人のコーヒー飲んだからか? 悪戯しててシャー芯折っちゃったからか? いや違う。そんなわけない。というか、友人って誰のことだ?
……あれ、名前が出てこない。
さっきまで確実に一緒だったのに。
さっきまでずっと一緒だったのに。
今までに感じたことの無い、破裂しそうな程けたたましい心臓の鼓動。不整脈にでもなったかのような血管のうねり。伴って激しい目眩にも襲われる。
「精神と身体は呼応する」ということを、俺はこの時初めて大きな事象として明確に認識し、己が身をもって味わうこととなった。
そして一生物として、一人間としての目標を夢を、芯を失った気がしてならなかった。
俺の心の方位磁針は狂いだし、北を失くした。
失意に暮れる俺をよそに叔父様は、その歳で!? と驚ろくべき速さで、多分、そこらの二十歳そこそこの新入社員より迅速に、報告・連絡・相談のいわゆる「ほう・れん・そう」を終わらせ、仲間のローブ達を引き連れてやって来た。
召喚といえば大人数でやるものと思っていたが、そうでもないらしい。五、六人の叔父様方が目の前に現れたのだ。少数精鋭なのだろうか。まあ、そんな問は一旦保留にしておいて、騒ぎもある程度収まってまともに話せるようになったことなので、
「先程の続きになりますが、俺は何故召喚されたのですか? それと、どのように召喚は行われたのですか?」
と的を射た質問を投げかける。叔父様は丁寧な口調でこう続けた。
「我等に対してそこまで堅苦しくお話しになられずとも良いのですよ。貴方様の疑問で御座いますが、何方も殆ど同一ですので、一気に説明致します。先ず、何故貴方様を召喚したかですが、」
…………
………
……
…
ここから、退屈な説明が長々と続いた。
途方もなく長い、鼻提灯をバスケットボール大に膨らませられる程長い話だった。
気が狂ってしまいそうな、戦前戦後の映画でも観ているかのような気分になった。
映画好きには酷い言い方、主張かもしれないが、この表現が妥当だろうと少なくとも俺は思っている。
と、これではきりがないのでこの辺で切り替えるが、話を要約するとこうだ。
まず、俺が召喚された訳について。
元々この国ダイアスは、大陸をぐるっと一周囲うほどの膨大な国土を誇る国だったという。なんでも、領土は全て争いによってではなく、話し合いや交渉によって拡大されたらしい。
正直、この話を最初に聞いた時、何を考えているんだ! どうかしてんのかこの国は! と思ったが言えるはずもなく心に留めておいた。想像にはなるが、交渉役のギブアンドテイクの提示や使用がさぞかし上手かったのだろう。
初代国王ダイアス・ヨーゼフとその守護龍である古龍アスガドルは初遭遇時、互いに平和を胸に突き進んできたことに意気投合。契りを交わし、建国に至ったという。国王がそうなら仕方ないか、と腑に落ちた。
その後、平和の名のもとに忠実に、軍隊はおろか戦力を国家としてろくに保持していなかったため、闇や魔の類いに対抗できなかった。
その結果、隣国に攻め入られたり、大陸北部・地獄の門から百年に一度襲来すると言い伝えられている災厄“魔物夜行”に国土の七割程も呑み込まれたり、負の要素が度重なった。それに比例して、国民の心も日を追うごとに闇に蝕まれていった。
遂には、ヨーゼフの息子・バージェスも闇に心を蝕まれ、平和主義を破棄し、同志達と共に武装に向けた運動をダイアス全土に広げていった。
後に、第一次武装運動と呼ばれるこの運動は切望するものが多く、幾許もなく一国家に値する程の巨大勢力となっていた。それでも、ヨーゼフを含め、護衛など周囲の者は当然、国力が弱まる中でも戦闘をまともにしようとしなかった。
そのため、侵攻してきたバージェス陣営に呆気なく敗北を喫し、ヨーゼフ陣営は大陸南部の王都周辺のごく狭い土地に追い込まれ、今に至るという訳だ。
そして、この状況を打破するために俺を召喚したとのこと。
要約してこの長さだ。しっかり要約してこのザマだ。話を聞いている時、どれだけ長かったか。“ご想像にお任せします”だよ。
話を戻して召喚の方法だが、ヨーゼフとアスガルドが裁決した対平和主義基本法に基づき、極力大きな戦闘をせず、偉大な功績を残せる者を確実に召喚すべく、“言の波”の適性がある者を選出し、それから召喚するという形をとった。らしい。
“言の波”とは、国独自のエネルギー的なものだそうで、武力行使をさせないため、話し合いによって解決をさせるため、ヨーゼフが元来あった魔力を返還して使われるようになった。
端的に言うと、言葉が重要な要素になっており、より良い国するために国王が必須と考えた日本の“語彙力”に相当するものとされている。
安易に戦闘利用させないために、魔法的効果はその者が言葉に対する深い思いや知識など持たないと真に発揮されない仕様だ。
でも、それはあくまで基本の話。
皆人が騒ぎ立てていた、“伝説の勇者”となると話は変わる。その称号によって言の波に大幅な上方修正がかかり、異世界チート系ノベルの主人公を彷彿とさせる程の威力を発揮する。
+α潜在値として語彙力があると、その力は増大していく。だから、語彙力のありそうな俺を召喚した。といった感じで情報量が半端なかった。
っと、危うく聞き忘れたままで終わるところだった。これは聞いておかないと落ち着かない。
「どうして俺が語彙力ありそうな人間だと思ったんですか?」
文才を認められたかぁ。困ったなぁ。などと思いながら瞳孔を最大限くあっと開き、園児のようなくりくりとした目で早く早くオーラを出す。おじさんは、
「これもまた説明するのもいみじく思えますが…… 貴方様は先程『その言葉の使い方、違う』などと仰っており、他人にわざわざ指摘なさるということは、語彙力のある御方だろう。と、それが我等の見解で御座います」
と、あっさり答えた。
あ、はい。そういうことね。
いいけどさ。別にいいけどさ。
文才が認められた訳じゃないのね。
でも、わざわざとまで言わなくて良くないか?
そんなことはさておいて、理由これっぽっち? 内容極薄だったぞ。こちとら超人気小説家になる未来があるってのに。あったってのに。語彙力あるというのは認めよう。でも、理由がな。
だとしても、
――と、いうことは……俺、“伝説の勇者”!?
「なっちゃった……のか?」
独り言みたくぼそっと言って構って貰おうとする。こういうのあるよね。漫画とかアニメであるよね。一度でいいから、実際にやってみたかったんだよね。すると、おじさんが答える。
「そうですぞ……何、どうした。なんと! では、この御方は――」
「んふふ♪ 何かあった?」
テンション急上昇中の俺は弾み過ぎて女子っぽくなった喋り方で聞いた。
ン、ンンン……ゴホン。
おじさんのわざとらしい演技の入った咳払いが広々空間のしんとした部屋に響き渡る。
ぼふぼふ……
その背後から見知らぬ女がもふもふのブーツを履き、靴音を立てながら廊下に敷かれた真紅の絨毯の上を歩いて此方に向かってくる。
女と言ったが背丈、顔つき、全身カジュアルコーデで決め込んでいるのをよくよく見ると随分若いな。女子高校生か? 三、四つ近く歳が離れているかも。胸は控えめかなどと色々考えていた。……じゃなくて、今はおじさんの話だ。
「……貴方様は“伝説の勇者”を獲得なされず、此方の方が“伝説の勇者”となられました」
「え? 何ィィィィィィィィィィィイイ!?」
――俺の描いた未来予想図とは違う異世界生活が、この女との因縁がここから始まる。
P.S
でも急死じゃないよな、これ。転生じゃないもんな。転移だもんな。ならまだセーフ? by良正
初投稿小説です。初心者の拙い文章ではございますが、どうか読んでやってください。