幻想と冒険と青春 ~異世界転移貧乏貴族のテンション増し増しで、転移直後編~
とある世界。大陸の三分の一を有する国、帝国の、帝都と呼ばれる大都市の、光の当たらない貧民窟の、何処にでもある集合住宅の一室。
何もない。
継ぎ接ぎだらけの、ボロの服。
ぐぅの音も、でないくらいに、何もない。
隣の部屋の、物音は、子供が聴いちゃ、ダメなヤツ。
ギシアンと言えばわかるだろうか、…分からないならわからないままで結構です。
この部屋、この家にはまったくもって何もない。
…そう、我がアーナキト家には何もない。
帝国貴族、爵位は男爵。慣例的所領はショグ地方。順列は十二階級の第六位、建国から仕える家柄でありながら、何も持っていない。
いや、正確には持っていたが、なくなった…のだろう。
それは、夜毎よごと聞かされ続けた昔話。
帝都にあったそこそこの屋敷と猫の額程だが豊かな領地、数十人の従者、初代皇帝から授けられた品々、名ばかりで実を伴わない役職、それらはもうない。何もないのだ。
ボロ集合住宅の一室。母親の咳き込む声で目を覚ました時、
(あ、コレ詰んだんじゃね?)
と、思ってしまった。
まぁ、たった七歳がそんな風に思ったら、色々とヤバい。
世間って常識や社会通念みたいなモノも分からないのに、そう判断せざる得ない状況がヤバい。
あと色んな意味でもヤバい。
そんな客観的に判断できる幼児児童は、いねぇっていう意味で。
これはそう、ヤヴァイ。
ヤヴァイ・ナニモモッテナーイ・アーナキトに改名してもいいんじゃないだろうか?と、そんなトチ狂った思考を待つぐらいにヤヴァイ。
あ、コレ異世界に転生してるわー、なんてトチ狂ってる思考なんだから、もう手遅れかもしれないが。
これはいわゆる、一時流行りまくったアレで間違いないだろうが、もっと他になかったのだろうか?
例えば、悪徳領主の息子で云々、例えば兄弟が多い辺境僻地の豪族の末っ子で云々、例えば豪商の息子で云々…、貧乏貴族で云々、あ、いや貴族だけれども貧乏だけれども…、突き抜けて貧乏過ぎね?
そもそも領地がないって、どうよ?
宮中貴族[官職についている領地をもたない貴族]とかでもないし。まぁ、お金なさすぎて官職買うどころか、明日の飯の心配するレベルなんすけど。
ハハハ…笑えん。
ヘヘ…マジ笑えん。
あと、唐突に前兆もなにもなく記憶が戻るとかもどうかと思うよ?
母の咳き込む、
目が覚める、
前世思い出したわイマココ。
いやいや、高熱だすとか、死の淵をさ迷うとか、好敵手やら主人公位置の相手に戦闘でやられるとか、他になかったのでしょうか?
テンプレートって解りますか?
テンプレ展開って大事と思うんスよ。
拍子抜け感が溢れてるよ、今ナウで。
赤ちゃんだって生まれてオギャーと泣くんだよ、異世界転生はなら、もっとこう…何かあったと思うよ…、いや思いつかないけどさ。
あぁ、もうよそう。考えても仕方ないことだし、痛いもの苦しいもの嫌だ。
あとこれは一体誰への文句かわからないし、何だか段々と悲しくなってきた。
悲しみに暮れても、問題は山積みのまま。
内政チート?
異世界旅行?
スローライフ?
ハァ?なに言ってんだオマエ?
ヘイヨーグッススッス並みに、なに言ってんだオマエ?
内省な逆ギレ独りツッコミも終わったことだし、大事でもないけど二回同じコトを言ったし、よぉし現状を把握しよう、そうしよう。
今、持っている知識内で確認するぞ。…畜生。
此処はどこ?
ココは、帝都のスラム街にある安い集合住宅の一部屋。
二部屋あるけど片方は家族五人が押し合いへし合って寝る部屋だよ。
キッチン付きトイレなし!共同トイレならあるけどな。
勿論、風呂なんてものはない!
あと、三階建ての一階角部屋。
とりあえず色々狭い!狭すぎる。
手狭とかいうレベルではない以上!
広いとこに引っ越せ?そんな金はない!つまりは貧乏。
私は誰?
東條徹平、日本人、男、三十八歳…だったはず。
現在は、クルス・アーナキト・ショグ、男子、七歳。
アーナキトが家名で、ショグが爵位名ね。
でも、まだ受爵してないからカッコ仮ってやつですね、仮免許ですね仮免ですよ。もしもこの世界では、領主さまやるのに免許証がいるならな!
で、違う世界の前世の記憶があるという絶対に人に言えない秘密を、今ナウで保持しましたよ何か?うっわー、ないわー。ひくわー。
前世持ち、しかも違う世界のって痛々過ぎて人に言えないし、言ったら“悪魔付き”とか言われて火炙りされそう。
まぁあくまで予想ですけど。…あくまだけに。
無双?
ハーレム?
なにそれ美味しいの?
ここが違う世界って自分では理解してるつもりだけど、ただの狂った思い込みかもしれんしな。
七歳児がこの状況に耐えられなくて作り出した妄想という可能性も微レ存。
もしかしたら狂っているとも感じてる、七歳にして。いや、どんな精神状態よ。
いかん、前向きに捉えよう。
考え方がオットナーですな、…いや中身三十八入れ物七歳だけど。
東條徹平としての記憶とクルス・アーナキトとしての記憶が混在していて、その境界線は曖昧模糊としているんだな、コレが。
このなんともいえない頭の中が、本当に東條徹平という人物が本当に存在していたのか不安になる要素だったりするのだ。
一応、二人の記憶はどちらも思い出そうとすれば思い出せるけれど、深く思い出そうとすると頭痛がしたり、唐突に虚脱感に襲われ動けなくなる。
…どうやら【思い出す】という名のスキルを手に入れたよ…、多分手に入れたんだよ。
東條徹平でありクルス・アーナキトでもあると仮定しよう、そうしよう。「私」は誰かを考えてSAN値減少からの発狂なんてルートはいらねぇんですよ。
あぁ、それとアーナキト家の長男なんで、爵位やらなんやらの相続権はある…筈。
あるよね?
ありますよね?
あるでしょ?
もうなにもないんだから、せめてそれぐらいは、あってくださいお願いしやがります。
家族構成は?
一年前に父、死没。母は存命。姉が一人に妹一人弟が一人。計五人。
経済的な現状は?
さっきも言ったけど、“The貧乏”って感じ。
住むところはある!って感じ。
…ギリギリな感じ。
父がかろうじて残した遺産があるけど、切り詰めた生活してるよ。
なぜかわからないけど、すげぇ節約生活ですよ。
でも子が四人もいるから、育ち盛りが四人もいるから、目減りしてる気がするよ。目減りですんでるかどうか判らないけどな。
そのせいか母が最近、娼婦紛いな事を始めたよ。
紛いだよ、春は売ってないよ…、多分おそらく。
薄暗い店で客に酌するだけなんだけど、それだけで済むわけないよね。触られるらしいよ怖いね大人って。
どこを?とか訊かないでね、子供だから分からないよ。
全然マッタク絶対に、分からないよ!
あと、母は病気がちになったよ、深夜労働とまさぐられるせいだろうね!
ストレスが病気の原因ってのは、異世界でも同じなんだね。
そんな母をみていて思うことがあったのか、姉も稼ぎに出始めたっすわー。
十二歳の姉は昼に日雇いの仕事を取りに色んな場所に顔を出してるみたいっすわー。でも、あんまり仕事を貰えてないみたいっすわー。
帰ってきてから弟たち(我も含む)の面倒をみてるよ偉いよ、マジ偉いよ。
妹と弟は三歳と二歳なので、特になし!…予想以上に手が掛かる以上!
ハイ結論。つまるところ金はない!なので、母と姉が忙しそう。
貧乏暇なしとは、まさにこの状況。
忙しいなら、人雇え?
それが無理なら奴隷?ハア?こっちが奴隷になりそうだワイ!
しかし、どうしてこうなった?
それなー、それだわー。
重要な事柄だわー。
原因を知れば現状打破のきっかけになるかもしれないね。
解決法の初歩だね。初歩中の初歩だね。
でも、母は出かけてるよ。
だから、姉に聞いてみるよ、何かわかるかもしれないしね。
「あねうえ」
「…ん?…クルス何?」
下の二人をあやしながら、姉のアダはこちらを振り返った。
「お聞きしたいことがあるのですが」
「…、今、手がはなせないから、てみじかに」
「あ、はい」
んー、なに聞きゃいいんだ?
ヤバ、なんも考えてなかったわ。
アダの目線が段々と冷たくなっていく気がする。
質問は何でもいいんだ、“なんで朝食がパンのみなん?”…、いかん、喧嘩調子に言いそうだ。
“このような状況は一体誰のせい?”、“どうしてこうなった?”いや、これじゃマズい。
あ、そうだ。
「父上は真面目な人柄だったのでしょうか?」
「…えぇ」
突然の質問にアダは、少し顔を伏せた。
「ギャンブル好きとか酒におぼれてたとかは?」
アダは首を振る。
「とーさまは、マジメでやさしい人だった…」
「そう…ですか」
クルスの記憶の中にある朧気な父の姿は確かに浮ついたところはなかった。
「クルス、…どうしたの?」
「いえ、我がアーナキト家は貴族ですよね?」
「誇り高きね」
家中に埃はたまってるけどな。
「そう、ですね。では、何故領地がないのでしょうか?」
「…売りはらったから」
「売った?」
「そう…、じじさまの代にせいへんに、まき込まれたのよ」
「政変?」
「その時におめいをきせられ、しゃくい返上をまぬがれるために、方々にねまわしをしたの。お金がひつようだった、…らしい」
貴族の根回し、つまり賄賂。
おぅけー、おけぇー。
前世も今世も為政者はお金が大好きって訳ですか…。
なるほど好きって感情に嘘はつけないからな!
格言風にいっても、ダメだ。俗物だわー、銭ゲバだわー。って感想しかない。
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
「…クルス、そこにある手拭きをとって」
ア、ハイ。と言われるままに手拭きを渡した。
「この子たちと遊んで。…晩ごはんの準備をする」
この名探偵(自称)が推測するに、だ。
根回しの結果、爵位は遺った。しかし、金がなくなった。
いや、爵位って名誉的なもんに拘ってもしかたなくない?
土地がなけりゃ意味ないじゃん。
人生という名の戦場では、物理的価値がすべてだよ爺様よ!金しかり、土地しかり。物理的資産は、強いよ!
…あーもしかして、慣習的領有権とか狙ってたのか?
慣習的領有権とは?
説明しよう!先祖代々住んでたから、その土地はウチの一族のモンです!と言いながら、その土地由来の称号で証明するというコト。
つまり例えると「すんまへんけど、その土地は昔からワイら一族の土地ですねん。王さんも認めてますねん。アンタらのモンやと思ってるかもしれんけど、違いますんや。なので、出てってくれんか?」って、コト。
土地を売り払っても、数代のちに領有権を主張して所領奪還を狙っていたのだろう。と、今は亡き大人たちの気持ちを汲んで、…想像してみたよ。
感覚的にはヤクザな考え方にしか思えないよ、もはやチンピラを超えて893だよ。
本当に心の底から思ったから二回言ったよ。
言われてる側からしたら、「申し訳ないとは思っている。が、死んでくれ!」としか聞こえない気がするよ。
というか、前世でも慣習的領有権を主張して云々の類でうまくいった話をとんと聞かない。むしろ状況が悪化した話しか、聞いたことない。
よしんば、領有権の主張が認められてもだよ、金で解決!なthe貴族みたいなことも出来ないじゃない!なぜなら、金がナッシングだからだ!
やっぱ金ないとダメじゃね?
あれ?やっぱり詰んでる?これ、詰んだ感ない?
…、はぁぁっいぃっ、圧倒的手詰まり感、ドぉぉン!!
今、精一杯出来ること、それは、現実逃避。
“どんどんドン、ドドンどドン、ハぁァー、どん詰まりドンツマリ!ハイハイ!”
異世界で前世の記憶を駆使してやったことは、作詞作曲と芸人さんがネタとネタの合間にやるブリッジ作りでした。
ちなみに曲名は“どん詰まり音頭”ですよ、チクショウ。
ハハハ…、笑えない、笑えないよ。
ファミリー仲良く絶命エンドしか見えてこないよ、この家の末路。
アカルイミライかもん。カモンかもん。
もう自棄なのかテンションがたけぇぞオイ。
いやいや落ち着け、クぅるイト、クールイット、ビーケアフーだビーケアフる…。ん?テイケー、テイクケアか?
日本語でおけ。いや、よくわからん。
何故か、気分高揚しとるよ。いや、これただ単に精神不安定なだけじゃね?
ヒットエンドラン~。鬱&躁!
まぁ、アゲアゲテンション高いって現時点での自己分析は、出来てんだから、とりあえず一度落ち着こうズ。
もう一度、落ち着いて考えて整理してみようズ。
そもそも、貴族とは?
富豪?金持ち?土地持ち?太鼓持ち?
所領を持っていて、国(王様もしくは皇帝)からその地域の自治を認められた富豪。うぇーい、どれもないぜぇ。
ある一定以上の金銭での資産を持ち、国(王様もしくは皇帝)が定めた爵位を持ち合わせている一族。うぇーい、カネがないぜぇ。
考え事してたら、腹が減ってきた。うぇーい、でも何もないぜぇ。
…とりあえず、腹が減った。
しかし金がない。
この家、そもそも日銭も怪しい。たまに夕食がパンのみ時あるからな。
駄目だ、堂々巡りな思考になってきた。
キぁャッシュフロぉー!
必殺技っぽく叫んでも金がない。
降ってもこない。
ないから、栄養失調やら姉は児童労働やら父親死亡やら先細り路線まっしぐら。
んで、稼ごうにも七歳で稼げる方法を知らないし、思いつかん。
コンチクショウ、振り出しに戻るじゃねぇか。
この世でも“前の世”でも金がないと、どうにもならないらしい。
…前の世?
そうだ、前世の知識を使って無双すれば!
きたれ!前世の記憶!
ふるわせろハート!
思い出せ!
もえつきるほどヒート!
いくぜ!金の成る木へ至る道!
…と、思っていた時期もありました、…ほんの二、三秒前までは…。
…わい、無職やったわ。
前世の記憶を辿って、思い知る。
せやった、…わい、自宅警備員やったわ。
インターネットを日々徘徊していただけやったわ。なんで、そこはテンプレート通りなんや?
なんでなん?
なんなん?
電脳空間で実生活では役にも立たん知識を得ては、喜んどっただけやったわー。
ズンドコズンドコぉー、とか言ってる動画観て喜んどったわー。
こっちで使えそうにない、無駄な豆知識はばっかりあるわー。
しかも質悪くウッスラとしか覚えてない気がするわー。
使えねーな、前世の俺…。
こういうときは、「この世も前世も詰んでるやないかぁーい」、とか言ってワイングラスを掲げていっちゃう?
いやいや、なんか使える知識はないのか?いや、きっとあるはず!
“無駄なモノ”なんてない!
人間然り、知識然り!
蘇れ!
電脳の海の知識たち!
そ、そ、そ、そういや、そうだ。こういう転生モノのテンプレなら魔法を使って成り上がれるはずだ!
SO・RE・DA、よし!
…?あれ?
そもそもこの世には、魔法ってあるん?と、自問に自答がかえってこない。
クルスの知識だけでは判断ができん、ちくせう。
分からないことがあるなら、他人に聞こう。
優しい誰かに聞こう。
出来れば見識ある大人に聞こう、そうしよう。
「ははうえ」
仕事から帰ってきた母親に笑顔で尋ねる。
「なぁに、クルス。こんなに遅くまで起きてちゃダぁメ」
母親からは少し酒の臭いがした。
「魔法というものは、この世にありますか?」
「あるわよ、あるに決まってるじゃない」
…き、キター!
テンプレ通り、ありがとうございます神様!会ったことないけど。
今世という名の人生は、摘みゲーじゃなかった!
キタコレ!待ってました、異世界モノのテンプレ展開!
ちょっと…かなり…大分疑ってたけど、ごめんよ世界!ごめんよ運命!
ここから始まるぜ!
幼児期からの訓練で、異世界無双!
スキル開眼で、チート!いや、チーレム!
俺TUEEE!の始まりキターよ!
「まず、旦那様と私が出会ったのは、奇跡っていう魔法ね」
…、ん?
「それにアダ、ラミラ、ダミアン、クルス、あなた達が産まれてきてくれたことが魔法のよう」
頬が少し痩けているが、幸せそうに笑う母。それ以上は何も聞けなくなった。
何故だろう、泣きそうだ。
涙腺が、ダメだっ、限界だ。
「寂しかったのね、ごめんね。お母さん、もうちょっとだけ頑張るから」
優しく包むように抱きしめられる。安心する匂いがした。
涙腺は崩壊した。
魔法的なモノは、ない。
この世の中には、そんなもんない。あったとしても、今はないことにしよう。
もし、あるのだとしたら、この香りだろう。母の香りは魔法なのだ。
きっとそうだ。
「クルスは今日は甘えん坊さんね。ふふふ、久しぶりに一緒に寝ましょうね」
寝床に潜り込みながら、泣いた。
あかん、これあかんヤツ。
目が覚めるなり、絶望感がマッハである。
例えるなら、人生上向きになった気がした瞬間に、慈愛の女神が極上の微笑みで天地反転してきたみたいな…、一体何を言ってるのか解らないだろうが、実際に味わったことなんだぜ。
…ぁぁ、神様なんていなかったんや。ハハハ、女神はいたがな!
あのう、せめて定番のヤツとかなかったでしょうかね?ステータスオープンとか、鑑定とかのド定番。
いやまぁ魔道具とかで自分の状態が数値化出来るとか、誰の基準なんだよとツッコミはしたくなるし、“鑑定”とかで相手や道具の由来やら状態を知れるってどこのアカシックレコードに接続してんだよ、と文句を羅列してもしかたないので、以下略。
結論は、チートスキルとかないの?んなもんねぇよ!
あぁ、ないのよね、刹那的に現実逃避したけど、ないんだよね。
んなもん“ない”でファイナルアンサーで、本当にありがとうございます…。
をぉい、どうすんだよ。詰むじゃん、詰みじゃ困るんだけど!と、脳内でクルス・アーナキトの記憶が唸る。
んなこと言われてもなぁ…そ、そうだ!テンプレなら、冒険者組合なるものがあるはずだ!と、東條徹平の記憶が反論した。
せせせ、せや。ギルドや!
しかしイッタイゼンタイこれは、誰に聞けばええんや?
よし姉だ。
オネエチャンだ。
ちょいちょい働きに出ている姉に聞こうそうしよう。
寝床から這いだして、草臥れたベッドにかけられた服を着る。
母は仕事に出かけたのだろう、もういなかった。
姉のアダを見ると、忙しなく掃除をしながら下二人の弟妹にまとわりつかれている。声をかければ掃除を手伝わされることだろう。
いや、きょうだいの面倒をみないといけないかもしれない。
ウググ、ソレハ面倒クサイ。
…、あ、そうだ。隣人の爺さんにでも聞いてみるか。
昼間。薄暗い廊下を進んむ。
「ジオルグさんジオルグさん」
ドアをノック。
隣人ジオグルは、六十も過ぎた老人で父の死後、何かとアーナキト家を気にかけてくれる男だ。
「ちょっと待っとくれ」
出てきたのは、肩まである白髪を束ね、背筋が伸びたガタイのいい男。
スラムの住人だというのに小綺麗な格好。小金持ちは泥棒に入られますよと忠告したくなるとか何とか考えていると、朗らかに笑いかけられた。
ふむ、大型の熊って嗤うとこんな感じになるのかもしれん。
「よくきたな、アーナキトのボン」
「こんにちは、ジオルグさん」
「入るか?」
「はい、お言葉に甘えて。お邪魔します」
部屋の中もやはり小綺麗にしてあった。
アーナキト家と間取りは同じ二部屋だが、独り暮らしということもあるのか余裕がある。
貧民窟のボロ集合住宅には珍しく家具の数々が揃い、なんと壁にはなんと四冊の本が飾ってある。
クルスの記憶では、本は希少な物だ。
寝室の方から衣擦れの音がした。
えー、なんだ独り暮らしじゃないんかーい。
「アーナキトのボンも礼儀作法というモンを覚えたか。これからはボンとは言えんな」
クルスの様子を見ながら、ジオルグは感慨深げ言った。
「ジオグルさん、お聞きしたいことがあるのですが」
「何だ?煙草の吸い方か?それとも女の買い方か?どちらもまだクルスには早いと思うぞ」
あぁ、察し。
買ったのね娼婦を。そうでした、キノウハ昼間カラ、オ楽シミデシタネ。
お金ってあるところにはあるんだなぁ。
「いえ、どちらもちがいます」
クルスの返答を聞きながら、ジオルグは椅子にどっぷり座った。
「あ、えーっと、このせか…、この街には“冒険者”組合なるものはありますか?」
「なに、ギルドだって?」
「冒険者です」
「…何をする職業だ?」
「魔物を倒したり、薬草採取したり、商隊護衛をしたり…」
「あー、要するに何でも屋か?」
「そ、そうです、ね。何でも屋です。ないですか?」
「ないな」
素っ気ないジオルグ爺の返答にクルスは片膝の力が抜けた気がした。
「ははは、そりゃそうだろ。魔物を狩るなら狩人組合か傭兵組合、薬草採取なら薬士組合か錬金術師組合、商隊護衛なら傭兵組合か商人組合。組合ってのは専門技術をつかう奴らが集まるとこだからな」
「そうですか…」
テンプレって、やっぱ大事やと思うんですよ。
遠い眼差しになるって、きっとこういう感覚なんだろうなぁ。
「そもそも組合っては、その組合にいる誰かと師弟関係のある奴しか入れんしな」
「ん?そうなんですか?」
「組合ってのは、専門知識を持って仕事をする専門集団だ。その道のプロって奴だな。専門家っては、その技術の独占する奴らってことだ。だから弟子をとる、技術が外に漏れないように、自分の技術を後生に伝えるために。だから技術ってのは、本来門外不出。組合の利益確保が大義名分、実際は“よそモンは入れたくない”からだ。まぁ大抵の後継は、自分の倅か親戚筋だからな。ギルド内で氏族が出来んだよ」
「へぇー」
あれ?ここでも詰んでね…?自分の体重を足で支えていられる自信がなくなったきた。
やばい、泣きそうだ。転生して2日連続で泣きそうだ。
遊園地の巨大迷路で、右手理論を途中から始めちゃいました、ぐらいに泣きそうだ。
「まぁ、そういうモンになれないことはないがな」
「ん?…どういうことですか?」
「傭兵と薬士だけは、組合の師弟関係でない紹介でも入れる。というか、年中依頼がだされてるよ、オススメはしないがな」
「え?」
「傭兵は偵察要員という名の肉壁要員、薬士は薬草摘みっていう名の草むしりだがな。やるか?」
「あー、遠慮しておきます」
期待した、正直ちょっと期待しそうになった。
はぁ…、どうすっかなマジで。
食料の質と量をあげるために金の工面はせんといかんしなー。
いや、草むしりはやってもいいか。肉体労働かぁ、七歳でできっかなぁ。と、自分の手をまじまじとみた。
「そうか。用事は終わりか?」
「いえ、あ、もう二つ」
「なんだ?」
「魔法使いの組合はありますか?」
「ない」
ないんかーい!即答かぁい!
もうちょい期待させてくれてもええじゃろがい。
「あるわけないだろう、いや、多分あるんだろうが…魔法使いどもは秘密主義者が多いしな」
なんだ魔法って概念はこの世界でも排他的な通念なのか?
でも、言い方としてはあるっぽい言い方だけど、ん?あれ、結局判断がつかねぇじゃん。
「ボンは、まだまだボンだな。今度は魔法使いになりたいのか?この間は、“勇者”だったのにな」
ははは、とジオルグは笑われた。
クルスって、前衛になりたかったの?マジ無理だわー、と東條徹平でも思う。
「えっと、あの。最後に」
「なんだね?」
壁に飾られた本を指差す。
「あれは何の本ですか?」
希少価値がある本、この世界の情報が記載されてるかもしれない。
情報は金になる、前の世の大企業の経営者も言ってた…気がする。
「あぁ、わからん」
「…わからんのですか?」
「字が読めないからな」
「何故持ってるんですか?」
「お前の親父さんから格安で譲り受けた。まぁ、飾ってると雰囲気でるし、女が来たときに資産家と思うだろう」
父の金策一つだったのだろう。あと、爺よ歳考えろ。ウラヤマ…ゴホンけしからん。と、思いながら寝室の方をちら見してしまう。
いかん、金だ。
今はカネの臭いのするモンに集中せねば。
去れ性欲、来たれ金欲。
わいは銭ゲバや、守銭奴で銭ゲバや。
そう思い込めば、サルでもプロゴルファーになれるんだから、七歳児が銭ゲバになれないはずがない。
「手にとっても?」
「構わんが、読めるのか?」
「あー、どうでしょう」
ジオルグ爺は、飾られた一冊を手渡してくれる。滑らかな革で装丁された本で、よく手に馴染む様だった。
七歳には大きく感じる本の頁をめくる。
~私の愛する妻について。出逢い、そして愛し方~
んー。
“ナナチュ”でも判るくらいに嫌な予感がするのは、何故だろうか。
地雷な一頁目、題名頁、巻頭に書かれた、この一文。
躊躇してても仕方ない、読もう。
…、出来るだけ平静を装いながら冷静に読み飛ばしながら。
そして、この本を読み進めて解ったことは二つ。
どうやらクルスはこの世界の、この国の言葉は読めるらしいということ。
それとこの本には欲している情報はなさそうということ。金稼ぎになりそうな情報はなかった。
愚痴を言わしてもらえるならば…、転生とはいえ親の馴れ初め、母親の実家まで追いかけた挿話やら、口説き文句やら、どんな贈り物をしたされたとか…性的趣向やら性感帯やらは知りたくなかった。
こんなモン遺すなよ!ぼけ親父が!
あかん、今日はママンの顔が恥ずかしくて直視出来んぞ。
「なんて書いてあるんだ?」
「…、えー、あーっと、父の日記です」
ジオルグは覗き込みながら尋ねてきた。
どうやら前々から内容が気になっていたのだろう。
うん、日記ですよ、嘘は言っていないから、大丈夫。嘘は良くないからね。
「日記?」
ここは迫真の演技たるザ・真顔で切り抜けるんや!
「えぇ、ここ数年の、印象深かった事柄を書き記したものですね」
父の中で印象深かった事柄だ、母とのエロいコト。
うん、よし、嘘は言っていない。
「はぁ、貴族出のする事はわからんな。じゃぁこっちはなんて書いてある?」
よかったぁ、根掘り葉掘り訊かれたらどうしようかと思ったわ。
焦ったわー。ザ・真顔って技能があるなら、間違いなく育ったわー。オットナーやわー。
と、思いながら差し出された少し粗い革の表紙をめくった。
~業務日記 エストラ・チャゴ~
「ジオルグさん…エストラ・チャゴって知ってますか?」
「知ってるもなにも数多の英雄の一人じゃねぇか」
“数多の英雄”。その単語を聞いた途端にクルスの記憶が活性化する。
「そ…、そうでしたね」
エストラ・チャゴ。“英雄たちの商人”、”調達屋”、“銭の悪魔”、“守銭奴”、英雄のらしく幾つかの二つ名を持ち、数多の英雄の冒険譚の端々に名が上がる人物。
ちなみに活性化したクルスの記憶では、“勇者”、“硝子剣”の二つ名を持つ英雄が浮かぶ。
クルスは子供らしくその人物を傾倒しているようだ。
「なんて書いてあるんだ?」
ジオルグが中身に興味があるのか、せっついてきた。
仕方ないので、ざっと読んでいく。
「あー、英雄たちに何を売ったか、いつ支払ってもらったかとか書いてありますね」
「なに?そりゃホントか?」
「えぇ、例えば…“豪腕”ビハーラには、幾つかの魔導具を売ったと書いてあります、それに支払いが滞ってるとも。…催促に行ったら、全裸で土下座されたと。あー、これは完全に愚痴ですね。“そういうのは、いいから金払えと拒否したら舌打ちされた、なので奴隷商に売るぞと笑顔で言ったらマジな土下座された”だそうです」
見上げるとジオルグの顔が若干ひきつっていた気がしたが、子供なので解らない事にした。
まぁ、“数多の英雄”って酒場で吟遊詩人が歌い、戯曲も書かれ舞台上演もされているので、大体美化された逸話が多い。
子供の頃からそれに慣れ親しんだのなら、この反応は理解できなくもない。
ちなみにこのビハーラってのは、“炎髪の豪腕”と言われた英雄の一人で、武双車輪という名の傭兵団の一員。名の通り赤髪、その得物は鉄製の手甲。
クルスの中にある記憶はこんなものだろうか。…あと灼眼じゃなくてよかった。
実際、伝説の事柄や人物なんて、こんなもんなのかなと思いながら本を閉じる。
父がこんな本を何故持っていたかは解らないが、まぁこの調子なら残りの二冊も期待できないだろう。
くそう、金にならんぞ!なる気がしないぞ!
誰だよ、情報が金になるとか言った奴!
ゲイツか?ジョブスか?バフェットか?
もう見る気もしなかったが、ジオルグが残りの二冊を手に持って微笑んでいる。
ここまできたら、どうやら残りも目を通さないといけないようだ。
面倒が過ぎる。と、思いながらもため息を押し殺す。
手渡されたのは、黒塗りの革装丁だった…のだろうが、かなり古い物のようでかなり草臥れてしまっていた。
卑しく笑うジオルグに思わず溜息をつく。
「ジオグルさん、父の蔵書だったものに…、言いたくはないんですが、あまり期待されない方がいいと思います」
「そんなこと言うなよ、頼むよタイトルだけでもいいから」
「タイトルだけですよ」
「あぁ、頼む」
~アーナキト家の年代記~
著者名は記されていない。
頁をめくり解ったのは、様々な質の紙と皮で綴られた歴史書ということだった。どうやら歴代のアーナキト家の人間が書き記した代物だ。
「なんて書いてある?」
「家の歴史書ですね」
「なんだ、それ?」
「アーナキト家が興ってから、どうやら父までの歴代当主のことが書かれてるんです」
「そりゃ、大事なもんじゃないか!」
「そ、う、ですね」
ジオルグ爺の声に驚く。
「えーっと、もしお金の工面が出来たら、買い戻しにきてもいいでしょうか?」
「あぁ、それは構わんよ。そういう約束だしな」
「約束?」
「あぁ、お前さんの父親さんがな、アーナキト家が必ず買い戻すから、保管しておいてくれってな」
「そうですか父が」
まぁ、日記やら家系図的な歴史書が外に流失して変な噂が流れたら、名誉を重んじる貴族だからこその爵位返上、お家断絶。
いや、お家断絶は世界と時代が違うか。
でもまぁ再興なんて絶望的だろう。逆に考えれば、それだけ金に困っていたということか。
…これ不味ない?
外部にこっちの情報源が保存されてるの不味ない?
間違いなく拙いだろがぁ!
独りツッコミ乙でぇす…はぁ、ますます状況が悪くなってきた気がする。
頭いてぇい。
いや、違うな。
状況がつまびらかになったら、もっとヤベー状況だったのが分かったョ!
コメカミがイテぇい。
生活向上の為の収入確保プラス、ジオルグから本を買い戻す為の資金が必要。なんなら、他にもアーナキト家の遺産を別のところに売っぱらっている可能性あり。
心が折れそうです!
乾いた音をたてて折れそうだよ!
バキバキ折れそうだ。ポキポキ折れていきそうだよ!
よぉし!こんな時は明るく前向きに、明日のことを考えよう。
…、明日もご飯食べれると良いなぁ。
ダメだ全然ポジティブになれないよ。
明日の飯の心配しないといけない生活環境だったわ!
状況を調べて把握すればするほどネガティブになるじゃねーか。
明日のご飯も、いや、今日のご飯もままならないとは、辛いなぁ。
あれ?
生きるって、こんなに難易度高かったですかね?
ここでいきなり浮上する説が一つ。
前世って意外とヌルゲーだったんじゃね説!
いやいや、ヌルゲーじゃねぇよ、学校とかで色々あって大体、人間不信になるよ。
…、なってたよ人間不信。
ヒッキーは伊達じゃないよ。お外怖いよ、怖いのは饅頭じゃねーよ。外だよ。人間だよ。ニンゲンコワイ。
そういや、なんで前世はおわったんだッけ?
定番だと、あれだよな。アレだよ、アレ。
神様の手違いでぇ。とか、クラスごと転移召喚、巻き込まれて異世界みたいな感じだけど、まぁ転移はしてねぇ。どっちかって言うと憑依系?だけど。
あーっと、憑依系と転生だと、…トラックにひかレた?のが定番カ…。
幼児児童ヲ助けようとシたんカもシれんって、どコの霊界探偵ダよ!
いやいや、誰カに刺サれタんだっけ?
何カのオんライんゲーむヲしテたか?
ジ殺?
寿ミョウ?
アレ?
サイ後ノ、トトと時っテ、何…だッケ。
イ今マ、ナ何ヲカ考えテ、テてタたっケけケケぇ?
ゼゼ、ゼン、ンせセ、せ?
アァ…頭、イタ…いナ。
「おい!」
ジオルグの声に我に返ると、背中は汗で濡れているし、身体が異常に怠い。
現実逃避が飛躍し過ぎて、前世を思い出しすぎたのだろう。
「大丈夫か?」
「えぇ、少し感極まっただけです」
何とか嘘をつく。
「…、そうか。もう帰るか?」
心配そうにジオルグが顔を覗き込んでくる。
「いえ、大丈夫です」
額の汗を拭って四冊目の本を受け取った。
最後の本は、四頁だけの小冊子。
紙ではなく安物の羊皮紙に書かれたのだろう、それは、劣化して本としての長方形は既にない。表紙はなく端は丸く削れ、最後の一頁は日焼けで文字が殆ど消えている。
一頁には、表題はなく作者名もない。
はっきり言おう、読めん。
いやところどころは読めるちゃぁ読めるんだけど、よくワカラン単語と記号と幾何学模様が出てくる。
例えば、ファヌエル・バルカルセ。
コレは人の名前だろうな、多分。あと、腕と遠見という言葉が、各頁で印象的に使われている気がする、するだけかもしれんがな!
深淵へ至る回廊。魔導循環。この二つに至っては最早手遅れの中二病的な感じで、その前後の文章がまったく頭に入ってこない。
「タイトルも作者名もないですね」
こんなゴミくずを売りつけるとは、父も余程金に困ったか、もしくはとんでもない詐欺師で守銭奴だったか…。
ふむ、もしそうなら尊敬に値するぞ。
なるほど、文盲なコ金持ちに適当な文章を書いた本を売りつければ、もしかしたら一山当てれるのではないだろうか。
アコギな商売はあかんか?あかんのだろうな、ちくせう。
貴族たるもの誇り高くあれ。
クルスの記憶が強く主張する。
「そうか…」
ジオルグは残念そうに本を見つめていた。
詐欺だけど、適当に単語並べただけの本を売るのはいけるかもしれん、ただ紙と筆的なものが必要だな、まぁ詐欺だけど、多分犯罪だけど。
東條徹平の記憶が守銭奴になれと囁く。
「この本は、家族が取りに来たら渡してくれって頼まれててな」
ジオルグ爺の言葉に思考が途切れる。
いや、いらねーッスわー。
ペラペラでボロボロなんだけど、あと読めんもん渡されても困るんッス。
あ、分かった。
ジオルグ爺、見窄らしいこの本を棄てるに棄てれずにコッチに擦り付ける気だな。いや、元々アナーキト家の物か。
まぁー、貰ってもいいかなぁ。と、思ったけれど、なんとなく嫌な予感がするから、止めとこう。
「いや、それでは父が金銭を貰った意味がありません。本四冊、きっちりと金銭で買い戻しますから、それまで保管をお願いします」
名演技。そうだったに違いない。
まるで子供の様にお願いすると、ジオルグは何故か複雑そうな顔をして、「わかった」と頷いた。
これフラグたたなかった?それとも盛大に地雷を踏んだ?踏み散らかした?
もしかしたらこのままやと、本の回収難しくなるヤーツか!?あかん、それはアカンで。
「また本読みにきても良いですか?」
やべぇと思って、無邪気を装い訊いてみる。
「あぁ、構わないぞ」
ジオルグはそう言ってからまるで思い出したように、
「そうだ、明日は夕方まででかけるから留守番を頼みたい出来るか?」
と、思案げな装いだった。
「えーっと、明日ですか?」
「そうだ。なんだ、用事か?」
「いえ、あ、はい。弟妹の面倒を…」
嘘ですけど。
「ずっとじゃないだろ」
「そうですね」
ジオルグ爺さんの眼が真っ直ぐこちらを見ている。
あれ?
この爺さんこんなに強面だったけなぁ?
唇の片端がピクピクしてっけど、舌なめずり的な何かに見える感じるのは気のせいですよね?
アナタもしかして悪人ルートな人ですか?
そうですか、そうでしたか。そういう人でしたか。
そう言えば、母に仕事紹介したのジオルグじゃなかったけ?
あれ?
ヤバない?
コイツ、ヤバい奴やない?
「わかりました」
「あと、ボンよ」
「なんですか?」
「文字読めるんなら、書けるよな?」
「えー、恐らくですが」
「おう、そうか。明日な」
なんでだろう、嫌な予感が止まらないョ。この展開あかん奴。
ジオルグ爺よ、眼がまったく笑ったないよ。
眼の奥ってのが物理的にあるのなら、そこに悪魔がみえるよ。
断っても何かしら言われるかもしれないという予感があるせいか震えが止まらなくなったきたよ。
きょうだいたちと母に今生の別れを言わないといけない、…かもしれない。
ヤクい、マズい、ヤバい。ヤバァァーイ!
と、sweetな言い方をしても三段活用的な言い方をしても状況は変わらない。
気も晴れない。現実逃避すら、ままならない。
父の後を追って一家全員で…もしくは、ワイだけお先に失礼的な、そんな展開にならないようにしなければ。
「お邪魔しました」
と、扉を閉めると盛大なため息をついた。
ジオルグの部屋から、薄笑いが聞こえてきそうだ。「…い、金に…るになる…もしれ…」部屋の中から不穏な台詞聞こえてきた気がしたが、気がしただけだと思い込む。
明日なんか来なければいいのに。
扉からそっと離れて、我が家への扉を見ると、見知らぬ初老の男が一人。
何ですか?今日はお爺さんとのふれあい強化日なんですか?違いますか?
えぇ動揺してますよ。しまくリングですよ。
これはつまり、弱り目に祟り目ですよ。
メンタルがそろそろ限界ですよ。
こういう展開は本当にいらないですよ。
San値が直葬ですよ!
動揺しながら、どうするか判断を迫られていることは解る。
ジオルグの家に戻るかこのまま家に突貫、ぉぁ、知らないふりをして家の前を素通りの三択に立ち尽くして悩む。
もう究極やない?
七歳にして、人生の究極の選択に迫られてない?
前門に見知らぬ爺、後門におそらく悪人ジオルグ爺。誰か助けてー。
いやいや、ジオルグは悪人(仮)でも目の前の爺さんは、いい人かもしれん。ない?え、どっち?
まさかの状況!次回に続く!…いたら、いいなぁ。と、挙動不審な七歳児に気がつかない大人なんていない。
「どうかされましたかな?」
ですよねー。
聞きますョねー。
アナタは大人で、目の前の子供がキョドってますもんねー。どうかしたかは、尋ねますよねー。
イイヒト属性ですか?
でも、信じないッスよ。
信じてたまるか。
良い人で近寄ってくるのは、始めだけなのも知ってるからー。
こういう人って大体あとで黒幕だったりするからー。
「だでだだ、大丈夫です」
「そうですか。もし、ここの住民の方とお知り合いでしょうか?」
動揺して吃ったぁ、けど、紳士的に返された。
あと、マジで家に用事ある人だったわ。うっわー、どうすっかなぁ。お前とは関わりたくない!という雰囲気を出してみたりしたいが、七歳児に果たして出せるのか疑問だ。
観るとこの世界でいうところの礼服、腰には護身用だろう剣を帯びている。
ハッ!まさか、生き別れた父親か?!
駄目だぁ、パニックでもう現実逃避すら上手に出来なくなってきた。
はぁ、多分あれでしょ、母の商売上の“何か”か“客”なのでしょうよ名推理メイスイリっすわ。
あぁ、人生って無理ゲーだわー。
分析して推測しても解決方法が分からなかったら意味ないよねぇ。
諦め癖がついてきたのかなぁ、熱血テニスプレイヤーみたいに檄を飛ばしてくれる人いませんか?
いませんね、いませんよね、何故なら、この年季の入った廊下にはクルスとこの紳士しかいないからね。
知ってた!
「もし?やはり、どこか悪いのですか?」
「いいえ、大丈夫ですよえぇ大丈夫ですとも」
よぉぉし、腹をくくろう。
「我が家に何か御用でしょうか?」
「えぇ、そうですね。あなたは、この家の使用人ですか?」
紳士は侮蔑に似た視線を向けてくる。
どうせ見窄らしく見えてるでしょうよ、でも心は錦ですよ、と萎みそうな心を無理やり膨らませた。
なに言われようとも、どう思われようとも、平常心を保てる余裕と金銭が欲しいッスわー。
母についている、若しくは、つこうとしている虫には、上流階級なんだぜ!貧乏だけどな!お前は成金中流階級なんだろ?そんなヤツは、ビビらしていこう作戦だ!うむ、纏まらん。
「あぁ、このナリデスモンネ。名乗らぬご無礼をお許し下さい。帝国貴族アーナキト家の末子、クルス・アーナキト・ショグと申します、まぁ、ショグはまだ受爵してませんから、自称ですけどね」
と、簡易的な式礼をする。
勿論、貴族式の礼である。
子供とはいえ三歳からやらされていれば、厭でも覚えるものだ。
がが、頑張れば、ここ、これぐらいは出来るんだからね!と、ツンデレな虚勢を心中だけで張っておこう。
「これは失礼いたしました。私はゼレフ男爵に仕えるギュスターヴと申します」
紳士は右脚を後方へ引きながら御辞儀した。
え?どこの執事さんですか?
そんなお辞儀、漫画かアニメでしか観たことないんですけど。
ん?ゼレフ男爵って、セイエン家だっけ?確か母の実家じゃね?
「あなた様はアニエス・セイエン様のご子息でいらっしゃいますか?」
いやいや、変わり身が怖いよギュスターヴさん。
完璧な御辞儀の姿勢での変わり身は、すごい圧迫感と圧力を感じるよ!
「アニエス・セイエン・アーナキトは、確かに我が母であります」
「それで、アニエス様は?」
この爺さん、圧がヤバい。
「今は…」
あー、隣人の勧めで、売春ギリギリな酒のお酌する簡単なお仕事に行っていますとか言え…ないよなぁ。
「出かけて…ますよ」
嘘は言ってない。
「そうですか…」
「母上に何か御用でしょうか?」
負けるなクルス!既に気負けしてる気がするけど、気にしなぁぁい。負けてなぁぁいって、思い込む。…思い込みたい。
「あぁ、お探ししていたのです、何年も。それで、あなた様の父君は?」
「一年前に他界しました」
「そ、…そうですか。ご苦労をされたのですね?」
はぁ苦労?状況的には泥水を啜って生き延びてるって感じですけどぉ?シティサバイバルって言葉知ってますかぁ?なんだ?同情か?同情するなら、金をくれよ!クレクレ厨って言われてもいい、金が貰えるなら!
という感情を顔には一切ださず、少し微かに口を緩めた。
「いえ、…ご心配ありがとうございます。当家にてお待ちいただきたいのは山々なのですが、部屋に招き入れると、服が汚れるだけでしょう」
なので、帰れー。と心中で叫ぶ。
だかしかし、幸薄な感じに見えたことだろう。美少年なら効果マシマシ。ま、クルスの容姿がどれ程のもんかわからんから、何とも言えんがな。
「お労しい」
ギュスターヴは、懐からハンカチを取り出すと目許に添える。
「アニエス様の教育が行き届いておられる。他のご姉弟も礼節を理解されているのでしょうね」
いいえ、それは無理ってモンです。姉のアダとクルスは、家庭教師をつけてもらえたが、下の二人はそうではないですじゃ。挨拶くらいは出来ると思いますが、貴族式の簡易式礼とか儀式礼とかできませんぜ!旦那!
と、ギュスターヴに何か言わねば変な誤解を招く、と思っていると、我が家の扉が開いた。
「…クルス、ご飯…、…、誰?」
半身だけ扉から出たアダが、ギュスターヴに気がついて強張った。
「アダ姉さま、ははうえを呼んできて構いませんか?」
「なんで…?」
「ふるいお知り合いだそうです。ゼレフだんしゃく家のじゅうしゃのギュスターヴさんです」
アダは肯くと母の仕事場へと走っていく。
「ギュスターヴさん、もうしばらくおまちくださいね」
走っていくアダに目線を外してギュスターヴに笑いかけた。
これは母の実家に援助してもらえるんじゃね?ワンチャンあるよな?なくても今だけはあると思っていたい!おねげぇしますだ、半年分の飯代でいいんでだしてくれよ男爵家!…、あ、ウチも男爵家か…。
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