二話 絹の手掛かり
サイトフィート王国の最南端の港町に滞在している。予想外に早く赤い鉱石の調査を終え、残った休暇を南国で過ごそうとやって来た。気分はバケーションだ。
サイトフィート王国で驚いたのは米が主食だったことだ。内陸の荒野付近はパンが食べられているのに海沿いの南部は普通に米食だった。亜熱帯気候で雨が多いと主食は米になるんだなあと思いながら、もうお米から離れられない体になっている。食べ方は普通に炊いたパサパサな長粒米の上に汁たっぷりな肉や魚をかけて食べている。屋台ではお粥も売っている。あまり名所もなく、飯以外は特にする事もないので埠頭でクルコと云う濁酒を飲んでぼんやりしている。気分はリゾートだ。
十日程過ぎたある日、いつも通りぼんやり座ってると少し上等な船が到着し、身なりの良い男女が下船して僕の横を通り過ぎた。その時、突風が女性のハンカチを吹き飛ばした。目の前に落ちたので拾い女性に渡すと礼を言われ去っていった。
ぼんやりと男女の後ろ姿を見ていると、ふと何か大事なものを見落とした気分になった。それから埠頭でも帰り道でも宿で食事を取っている時もずっと考え続けている。自分が何を見て、何を見落としたかを。
寝る前に顔を洗おうと手ぬぐいを手に取った瞬間に思いだした。あのハンカチの感触を。やっと大事なものが分かった、僕は絹を見つけたんだ。
僕は、グレンフィートの元王子で今はロクスフィート王国の筆頭侯爵の家に厄介になっている。その僕が見たことがないからこの世界(大陸)には絹が無いものと考えていた。僕は絹を見つけたことで喜びがじわじわと込みあがってくる。
別に僕が絹のドレスを着たいわけじゃない。僕は元の世界でハンググライダーをやっていた。大きな三角形のカイトの下にぶら下がって空を飛ぶスカイスポーツだ。スカイスポーツ繋がりでパラシュートの知識もある。確か初期のパラシュートは絹でも作られていた。絹が入手できれば僕のハンググライダーも軽量化できるしパラグライダーも作成できる。
パラグライダーはハンググライダーよりはるかに安全で簡単なスカイスポーツだ。パラグライダーが作成できれば風魔法の習得だけで空を飛ぶことが容易に実現できる。
この時この旅の目的が絹の入手に変わった。だけど絹を大量に購入する資金なんて無い。この国じゃ僕の身分の証明もできないし保証してくれる人もいない。差し当たり絹の生産国か扱っている商会を見つけそれから考えよう。
絹探しは難航した。サイトフィート王国の最南端の町では、どこの商会を当たっても絹など知らない見た事もない、ヒントさえもなかった。
あの身なりの良い男女も全く見つからなかった。たぶん下船した後すぐにこの街を離れたのだろう。この街での調査をあきらめてサイトフィート王国の王都に向かいそこで調査することにした。
王都、ここでも同じだ。いや、もっと悪い。ここは身分の上下が厳しくどこの商会も相手にしてくれない。昔の貴族貴族した服装なら何とかなったかもしれないが、今は調査の為にワンランクいやツーランクぐらい服装のレベルを落としているから、どこの商会もけんもほろろの対応で情報が全くつかめない。僕は早々に諦めて地方都市の商会に当たることにした。幾つかの地方都市を回ったがどこも絹の情報がつかめず、隣国のシャロフィート王国にまで来てしまった。
シャロフィート王都の雰囲気は親しみやすい感じがしてる。幾つかの商会を回ると絹の話は伺えないが一通り話を聞いてくれる。そんな最中にその少女と出会った。
大通りを歩いていると「ミャウを捕まえて!」と大声を上げながらこちらに少女が駆けてくる。何かと思ってそちらを見れば薄茶のモコモコが足元に向かってきたので思わず抱き上げた。そのタヌキ顔の猫の顔をぼんやり見ながらここではラグドール(薄茶のモコモコした猫種)がデフォルトなのかと思っていた。
少女が猫を受け取るため僕の前に進んできた。しかし猫も受け取らず大きな目を真ん丸くして僕を見つめて来るではないか。思わず後ずさると僕の袖口をギュッと掴んで「あ、あ、ありがとう。礼をしますから城まで来てください」と縋り付くような目で言われた。
周りを見回すと侍女らしき女性が、
「姫様が礼をすると仰っているので城まで来ては頂けませんか」と言い。彼女が僕から猫を受け取った。
「はい、喜んで伺わせていただきます」僕は絹の事を尋ねる良いチャンスと思い快く承諾した。
少女は安心した顔で僕の袖口から手を放し、
「私は第三王女のジョセフィーヌ・シャロフィートです。あなたはミャウの扱いが上手ですね。ミャウを知っていらしたのですか?」
思わず、
「はい、以前飼っていました」と言ってしまった。
「えっ、どこで手に入れたのですか?」
不味いと思った。この世界で初めて猫を見たのに、そしてこの少女の言いようは普通入手できない感じがしている。
「ええと、タヌキの子供ですよね」と誤魔化した。誤魔化しきれるか?
「いえ、少し似ていますが全然違います。ミャウの方が全然可愛いです」と誤魔化されてくれた。
「それは、失礼いたしました。私は、名をシオンと申します。ロクスフィート王国の王立学院で教師助手を勤め。今はこちらの国で休暇を過ごさせていただいています」
姫様が妙にくっ付いてくるので何か話を振らなくてはと思い。「ミャウは珍しいのですか?」と聞くと。
「ええ、大変珍しい動物です。二十年前に私の母が偶然十二匹のミャウを見つけました。今いる全てのミャウはその時の子孫です」
「それはすごい、今は何匹くらいいるのですか?」
「王宮にいるのは三十匹程です。他には我が国の有力諸侯等、隣国の王宮にもいます」
色々と質問したいが王宮に着いたのでこの話はここまでとなった。
その後、王宮の一室に通された僕はお茶を飲みながらぼんやりと待ってる。
まだ、待っている。
お茶のお代わりがでてきた。
まだ、待ってる。
まだ、待ってる。
お茶のお代わりとお茶菓子まででてきた。
二時間ほど待たされてから姫さまが見えた。あんまり待たされたので嫌味を用意していたがぞろぞろと入って来た面子を見て嫌味を飲み込んだ。
昔の教育係の爺に似た壮年の男、いかにも軍人ですと言うガタイのいい男、目つきの鋭い美人のおばさま、それに兵士が何人もついているではないか。僕は何を遣らかしたのか頭の中ですごい勢いで考えている。
姫さまがミャウを捕まえる手伝いをしたことや、壮年の男が宰相でガタイのいい男が近衛隊長、美人のおばさまが学院長と紹介するのを聞き、宰相が姫さまの手伝いを感謝し褒美を取らせる事を、小難しく長々と話すのを眺めながらこれからの展開が読めずに戦々恐々としてた。
一通り話が終わりちょっとした沈黙が過ぎると、おもむろに姫さまがニコニコしながら話し出した。
「シオンさん、私十日ほど前にあなたとお会いしてるんです……」
沈黙に耐えられず、
「十日前でしたら、まだ隣国の地方都市に居たと思います」とまだこの国に足を踏み入れてないことをアピールすると。
「ええ、隣国のサワール(地方都市の名前)の近くでお見掛けしたのです。馬車が故障したので街道脇の広場の隅に停めていました。日が落ちて少し過ぎた頃に馬車から外を眺めていると、空から大きな黒っぽい鳥が音もなく降り立ちました。よく見ると鳥ではなく翼だけの物の下に人が掴まっているのです。もう、お分かりですね。その時私はあなたと目が合いました」
周りを見渡してから誤魔化せないと思い(旅日程を調べたら一発で襤褸が出る)「けっこう暗かったと思いますがよく見えましたね」とあきらめて返事をすると。
「否定しないんですね」とニコニコしながら聞いてくる。
姫さま以外は本当かという顔をしながら見つめてる。
「あなたは空を飛べる。そうなのか?」学院長が問いかけてくる。
「はい」簡潔に返してあげる。
「空飛ぶ魔法をご存じなのですね。どうか私に空飛ぶ魔法を教えてください。どうしても知りたいのです。お礼なら何でもします」と姫さまが懇願してくる。
「難しいですよ。とても難しいのです」
「でも、やってみたら、できるかもしれないですよね」
「姫さま、どのくらい風魔法が使えますか?」
「私が知りたいのは風魔法ではなく空飛ぶ魔法です。意地悪しないで教えてください」
「姫さま、空飛ぶ魔法はありません。ただの風魔法の応用です。ですから風魔法がどのくらい使えるか知りたいのです」
姫さまの顔がゆがんだと思うと目から涙がぼろぼろと零れ、うつむくと嗚咽が聞こえてくるではないか。
僕は驚愕し助けが欲しくて周りを見渡し姫さまの斜め後ろに立つミャウを受け取った侍女に目を留めた。
「姫さま、シオン様に訳をお話なされた方が良いと存じます」と侍女が助け舟を出してくれた。
「私は魔法が使えないのです。王族の中、私だけが魔法が全く使えないのです。何か一つ魔法が使えれば、空飛ぶ魔法が使えれば……」姫さまは顔を伏せたまま答えてくれた。
「姫さま、ここに有能な魔法の教師がいます。魔法の家庭教師を雇いませんか? 風水土火魔法の習得で報酬はミャウの子供をいただきたい? もちろん姫さまとここにいらっしゃる皆さまが教育結果に納得できる事が条件で構いません」
「姫さま、大空を飛んだつもりで私から魔法を習いましょう」と強く勧めた。
姫さまが顔を上げ周りを見渡し。そして侍女の顔を見上げ。
侍女が優しくうなずいた。
それを見た僕は宰相と学院長を見て「よろしいですね?」と問いかけた。
宰相と学院長は顔を見合わせた後、学院長が口を開いた。
「もし差し支えなかったらここで簡単な魔法を披露してもらえないか?」
「はい、では披露させていただきます」
私は両手を手のひらを上にして前に出して、右手に緑の炎を灯し、左手にオレンジの炎を灯した。(因みにこの魔法は炎色反応を利用し蝋燭の炎に銅の緑、オレンジのカルシウムで色付けした)
姫さまは目を丸くし。宰相と近衛隊長は「おおお」と声を上げ。学院長は「どうやって」と声を上げ立ち竦んだ。
「この魔法は秘密でじゃありませんから説明しても構いません。がここで説明しても面白くありません。姫さまへの授業で説明しますので、お知りになりたい方は姫さまの授業をご覧ください」
「報酬は先ほどの通りですが。宿代と食事代ぐらい持っていただきたいのですが」
「その必要はありません。お部屋は離宮に設えます。もちろんお食事もこちらでご用意いたします」と侍女が告げた。
宰相たちが戻り、姫さまも侍女に促され戻り、僕のもとには先ほどと違う侍女と用人が、
「宿はどちらでしょうか? こちらで清算と荷物の引き取りを行います。授業のスケジュールはどのようにしますか?」
「宿は〇〇です。授業は短期間で集中的に行います。授業時間は集中力を保つために午前二時間と午後二時間にします。できるなら明日から開始したい」
「分かりました調整いたします。では、今日はこれでお部屋に案内いたします」
長い一日が終わった。
家庭教師1日目、
目を覚まし洗顔を済まし庭を眺めているとメイドが姫さま付きの侍女がお見えですと伝えてきた。
「どのようなご用件でしょう?」
昨夜、就寝直前に大事なことに気付き朝一番に打ち合わせをお願いしたのだ。
「今日、授業を行う部屋の事なんです。風が全く入らない部屋にして欲しい。用意できますか」
「どの部屋も隙間風等ございません」
「いや、ええと、この部屋どう思います? 風通しが良いと思いませんか?」
「はあ、……」
「この国は他の国より暑く、王宮は風通し良く造られていますね。しかし、今日の授業で蝋燭を使いたいのです。蝋燭の炎が、風で揺れては困るのです。どこか完全に締め切れる部屋は、ありませんか?」
「仰ることは分かりました。しかし、普通に入れる部屋でその様な造りの部屋はございません」
「地下室は、無いのでしょうか?」
「姫様を、地下室にお連れするなどできるわけがありません」
「そうですよね。地下室と言ったら牢屋ですもんね。……そうだ、ワイン貯蔵庫在りますよね。そこ使えないか確認してください」
「ワイン貯蔵庫ですか、確認し朝食後にご報告します」
今、再び感動している。朝ごはんが『お粥』だった。たぶん貝で出汁を取った粥に魚の身をほぐして入れている最強の一品だ。宿屋の食事もうまかったが王宮の食事は別格だ。元の世界の屋台と高級レストラン以上の違いがあるに違いない。今思えば、隣国のサイトフィート王国でお高い店に一度も入らなかった事が悔やまれる。お茶を飲みぼけっとしていると、メイドさんが呼びに来たので身だしなみを整え、本宮のワイン貯蔵庫に向かった。
貯蔵庫には、姫様と宰相が鎮座しているではないか。
「遅くなりました。今日から魔法の授業を行うシオンと申します。家名はありません、唯の平民です。ロクスフィート王国で学院の教師助手をしています。今は、四か月の休暇中です。それから、魔法の勉強について注意事項があります。魔法の習得は、大変疲れます。また間違った覚え方をすると、その後の習得に大変手間取ります。魔法の自習は、私が許可を出すまで禁止です。よろしいですね」
「では、授業を始めましょう」
「もう少し灯りを増やして下さい」
メイドさんが空いている場所に灯りを次々と置いて行った。
「それぐらいで結構です。風が困るだけで明るい方が良いでしょう」
「姫さま、質問です。風とはなんでしょう?」
「……木々を揺らしたり、涼しくしたり、砂を巻き上げたりするもの?」
「では、ここに風はありますか?」
「ありません」
メイドから団扇を受け取り。姫さまを扇いだ。
*団扇と呼ぶが孔雀の羽根を束ねたものを想像してほしい
「今のはどう思いますか?」
「風は一瞬吹いてすぐに消えました」
「そうですか。少し違う実験をします」
「用意して」とメイドさんに指示した。
大きなたらいをテーブルの上に置き。水を八分目まで注ぎ。銀製のコップも用意した。
「このコップの中に何が入っていますか?」と空のコップを指した。
少し不安そうな顔で「何も入っていません」と答えてくれた。
そのコップを伏せて水の中に沈めた。
「コップを倒したらどうなりますか?」
「泡が出ます。ぶくっと」
「そうです。泡が出ます。この泡はどこから来たのでしょうか?」
「初めから入っていました」
「先ほど姫さまは何も入っていないと仰いましたね」
「……変えます。泡が入っています」
「そう膨れないで下さい。では、もう一度聞きます。うちわで扇いだ風は消えてしまったと思いますか? それとも泡のように留まってそこにあると思いますか?」
「そこに留まっていると思います」
「私もそう思います。つまり風魔法は風を作り出す魔法じゃないんです。そこに在る、止まっている風を動かす魔法です。なんとなくでも分かりますか?」
「はい、解りました」
たらいを片付け、蝋燭を用意した。
「止まっている風を動かす練習を始めます。まず、私が行います。よく見てください」
私はカボチャ位の大きさの止まっている風を持って、その止まっている風ををゆっくりと蝋燭の炎に当てた。止まっている風が当たると炎は揺らめいた。
「姫さま、やってみましょう。蝋燭の前に立ってカボチャを持っている感覚で手を広げて下さい。私が外から手を重ねます。そして止まっている風を掴みます。姫さまはその感覚を感じてください」
私は姫さまの手に手を重ね風を掴んだ。そのまま動かし炎を揺らした。
「姫さま、風を掴んだ感じが分かりましたか?」
「はい、なんとなく」
「そうです。皆なんとなく解るものです。その、なんとなくが大事なんです。姫さま、一人で行ってみてください」
何回か試してみたが上手くいかない様だ。
「姫さま、もう一度私と行いましょう」
姫さまの後ろに立ち手を重ね風を掴み炎を揺す。その後、姫さまに一人で試してもらう。四回ほど繰り返したら姫さま一人で炎が揺れた。
姫さまが凄い勢いで振り返り「今揺れました」と大声を上げた。
「はい、見てました。確かに動きましたね。もう少し繰り返してみましょう」
初めは三回に一回の成功が10分もすると全て成功するまでになった。
「姫さま、おめでとうございます。今日から姫さまは魔法使いですよ」
ニコニコしていた姫さまが急に顔をくしゃくしゃにして泣き始めてしまった。
侍女があやしている横で、
「片付け始めてください。午前の授業のこれで終わりです」と告げる。
泣き止むのを待っている間に宰相に話しかけた。
「宰相、いかがですか?」
「不思議な教え方だな。ロクスフィート王国では一般的なのか?」
「いいえ、私のオリジナルです。それから報酬の話をさせて下さい。魔法の授業でなくミャウを捕まえた件で」
「かまわない、昼食を取りながら話そう」
姫さまが泣き止んで侍女と二人でこちらを見ていたので、
「そろそろ上に上がりましょう」と促しワイン貯蔵庫を後にした。