十三話 魔法使いの弟子
「お疲れ様です。今日から三重の魔法の練習に戻ります。また大きな風車から離れたところからの練習になります。では、始めてください」
「はい」
姫様の魔法で風車がビュンと勢いよく回った。
「先生……」
「どうですか? 三重の魔法が発動した感想は?」
「凄い、威力が全然違います」
「どうですか? 魔法の秘密を覗いた気分は?」
「これなら空を飛ぶことも可能だと思います」
「まだまだ先は長いですけど、ゴールが微かに見えてきましたよね」
「はい、がんばります」
「じゃあ、お祝いに今日はお休みにしましょう」
「わーい、先生も一緒にミルクトーストを食べに行きましょう!」
「そうですね、ミルクトーストを戴きましょうか」
「昼食後にお呼びしますね」
「はい、待ってます」
「シオン様、姫さまがお呼びです」
「はい」
僕は玄関ホールに向かいそこで待っていた。
「先生、遅くなりました。さあ、行きましょう」
「姫さま、ミルクトーストは珍しいのでしょうか?」
「ええ、初めて食べました。あれ、先生は大通りのお店に行ったことがあるのですか? ああ、もしかしてロクスフィートでは既にお店があるのですね。やはり中心に近い国に憧れます。シャロフィートは流行の服やお菓子が入るのが遅いですから」と、ちょっと姫さまはテンションが上っていた。
「姫さま、その腕の中にいるのは何ですか?」
「分からないのですか?」
「いや、シャルルに見えますが」
「そうです、シャルルです」
「今からお菓子を食べに行くのですよね」
「はい」
「お店にミャウを連れていても構わないのですか?」
「構わないですよ」
ショックだ! 食べ物のお店にネコを連れて行くなんて、このときの僕はちょっとしたカルチャーショックを受けた。
「どうしたのですか?」
「いや別に。今日はシャルルはおとなしいですね」
「はい、少し毛を刈りました。そうしたら抱っこさせてくれるんですよ。嬉しくて連れてきちゃいました」
「また、私と会った時みたいに追いかけっこしますよ」
「大丈夫です。シャルルはお利口ですから」
「? 姫さま、なにげに風魔法でシャルルを扇いでませんか?」
「はい、シャルルが喜んでくれるんです」
「はい、はい。魔法を活用してくれて嬉しいです」
「グァッ」
「えっ、どうした?」
「うっ」
「姫さまを守れ! ぎゃー」
護衛騎士が続けざまに三人倒れた。なんで? 倒れた騎士の首にやった手の隙間から吹き矢が見えた。
「吹き矢だ気を付けろ!」
騎士は残り三人、ひとりは吹き矢男と対峙し、二人は後方から来た三人の兵士崩れの剣を持った男たちと対峙していた。私は姫さまの腕を取り、
「姫さま、そこの店に逃げ込む」と、叫びながら周囲にランダムに風を舞わせていた。
店の直前で顔が醜く焼け爛れた男に阻まれた。
「やっと会えたな、魔法使い」
「何しに来た! 貴様の国は引いたぞ!」
「貴様のせいで俺はお払い箱さ、しかし捨てる神あれば拾う神あり。そこの王族の女を殺せば俺はもう一度やり直せる。だから死んでもらう」
「させない! 今度は見逃さない!」
ラグ酒の炎を放った。しかし奴の左手の盾に防がれた。その好きに回り込み、奴以外の人を巻き込まないように奴の足元に雷撃を飛ばした。
バシッ、と音と共に奴は吹き飛んだ。
「キャー」
後ろを振り返ると血飛沫が吹き上がるのが見えた。不味い、姫さまに駆けより、騎士も戻り姫さまに斬り付けた男に斬り掛かっていた。
「姫さま、何処を切られた? 大丈夫か? 立てるか?」
「先生、シャルルが、シャルルが死んじゃう」
シャルルは死んでいた。その体は辛うじて胴体が繋がっているような状態だった。
「奇声を上げて向かってきた男にシャルルが飛びかかって」と、ファーラが説明してくれた。
姫さまに怪我は見えなかった。姫さまは大丈夫そうだ。しかしシャルルの遺体を抱いて泣き叫んでる姫さまに、声もかけられず俺はその場に立ち竦んだ。我に返って電撃で倒した男を探したが逃げられてしまった。
三日後、宰相から発表あった。内容は王国に害意を持つ一団に姫様が襲われたと。襲撃した者は五人全て死亡、内訳は首謀者ひとりと金で雇われた四人の計五人、他に共犯や協力者はいない。事件は終了したと。
嘘っぱちだった、顔が焼け爛れた男はいつの間にいなくなっていた。スペイフィート王国には一切触れられていない。シャーリーズ姫様を慮ってか王国は有耶無耶にすることに決めたようだ。
午後、姫様が私の部屋を訪れ、
「先生、シャルルの敵を討たせてください」と、言ってきた。午前中にシャルルの弔いをしたときから感じていたので驚かなかった。
「どうやって敵討ちするつもりですか?」
「炎の魔法を教えてください」
「私が宰相に断った話を聞いているよね」
「はい、それでもお願いします。私はシャルルや守ってくれた騎士の敵を討たなきゃいけないのです」
「姫さまは私の弟子になる覚悟がありますか?」
「? 私は先生の弟子ではなかったのですか?」
「姫さまは私の生徒です。姫さまは私から教えられた知識をどのように使っても構いません。姫さまが教師になって魔法を教えることも何も問題ありません。しかし弟子になるなら師匠の言葉を違えることは許されません。師匠が弟子に魔法を人に教えるな、見せるなと命じたら、国王陛下や女王陛下、将来の伴侶、誰であれ教えても見せてもいけません。それが生徒と弟子の違いです。姫さまが弟子になると誓うのであれば姫さまには炎の魔法を教えます」
「弟子になります」
「ふふ、そこは弟子にしてくださいと言うものですよ」
「はい、弟子にしてください」
「はい、今から姫さまは私の弟子です」
「では一緒に来てください」
「先生、食堂に何があるのですか?」
「何もありませんよ、今日の夕食をリクエストするのです」
「?」
「料理長、今日は揚げ物が食べたい、できますか?」
「良いですよ。山鳥の良い物がありますのでそれにします」
「料理しているところを見させてください」
「構いませんよ」
「六時に参ります。それまで料理を作り始めるのを待ってください」
「はい?」
「姫さま、練習をしましょう」
「はい」
「今日は少し毛色の違う魔法を練習します」
姫様を調理場の隅にある井戸の前に連れて行き、桶に水を汲んだ。
「姫さま、この水に手を入れてください」
「シオンさん、姫さまに水を使った練習は止めて頂きたいのですが」と、ファーラさんが五月蝿い。
「今日は代わりはないので我慢してもらいます。さあ、手を入れて」
「もう出していいよ、姫さま」
私が桶に手を入れ、すぐに出して、
「もう一度手を入れて」
「はい、あ、暖かい」
「これは水魔法の応用です。分かりますか?」
「はい、分かります。多分できると思います」
姫さまは新たに水を汲むとそこに手を入れ、少しの間悩んだような顔をしていた。ぱっと顔が明るくなり、
「先生、手を入れてみてください」
私が手を入れると、その水は十分暖かなお湯になっていた。
「お上手です。では先に進めましょう。桶の水を入れ替えて、桶の上に手をかざして水を温めてください。今までと違い水に触れないで発動させるため難しいと思いますが、風魔法と同様の感覚で行ってください」
「はい」
姫さまは手を桶に近づけたり離したりしながら難しい顔をしていた。ある一点で手を止め少しの間じっとして、
「先生できました」
「どれどれ」と言いながら水に手を入れると十分暖かくなっていた。
「上手くできましたね。今日はここ迄にしましょう。今から料理を見に行きますね。ファーラさんは姫さまのご家族の皆様へ食事の遅れる旨をお伝え下さい。では行きましょう」
「なぜ、ファーラを遠ざけるのですか?」
「今から話すことはなるべく秘密にしたいのです。侍女やメイドさんが魔法の話を細切れに聞くのは仕方がないですが一から十まで聞かれたくは無いのですよ」
「もしかして、お料理を見るのも魔法のお勉強なのですか?」
「はい、そうですよ」
「はあ……」
「料理長、揚げ物を始めてください」
料理長はパン粉を付けた鶏肉を揚げ始めた。しばらくして料理が終わると、
「料理長、すまないが料理人を全て調理場から下げてください。姫さま付きの侍女も同じです」
調理場から人が居なくなると油の入った鍋の火力を上げ、大きな布巾を水で濡らしゆるく絞った。
「姫さま、揚げ物の油が菜種油なのはご存知でしたか?」
「……」
「別に恥ずかしいことじゃありません。多分姫さま付きの侍女も皆知らないと思いますから。先日の菜種油のランプの実験を思い出してください。菜種油に火は着きましたか?」
「点きませんでした」
「なぜ菜種油ランプに火が点くのか覚えてますか?」
「はい、心に菜種油が染みて熱せられると煙になりそこに火が付きます」
「正解です。菜種油その物を温めるとどうなると思いますか?」
「?」
「まあ、見ていてください。ほら鍋の菜種油から煙が上がってきましたよ」
僕は串を取り出し先端に火を点けた。
「姫さま良く見ていてください。この火の点いた串を投げ入れます」
火の点いた串を鍋に投げ入れた。鍋の油は爆発するかの勢いで燃え上がった。
「キャッ」
すかさず濡れた布巾で鍋を覆い炎を消し止めた。
「姫さま、どうですか、菜種油の煙が大量に燃え盛るのを見て?」
「凄いです。これが炎の魔法の正体なんですね」
「そうです。この炎が魔法の正体です。魔法は手品みたいなものですと言いましたよね」
「はい、実感しています」
「では、姫さまも夕食に戻ってください。私もこのお肉を頂きます」
「はい」
日にちが変わって少し過ぎた頃、遠くでカツン、カツンと微かに警備の兵士の歩く音が聞こえてくる。当番の侍女は欠伸を噛み殺しながら扉の方に目をやる。物騒なことが続いたので扉の外には二人の兵士が立ち番をしている。反対の内側の扉も固く閉じられ中で姫様が就寝している。
そんな王宮の奥まった一室のベランダの窓からコツンと小さな音がした。
その音に呼応して扉の内側からカシャンと微かな解錠する音が響いた。
扉が音もなく開けられ、
「姫さま、ちゃんと起きてますね」
「はい大丈夫です」
「では行きます。負ぶさってください」
「はい」
ベランダに出てきた姫さまを背負い、ハンググライダーは音もなく飛び立った。




