◇騙り部ボク
これで全部終わったのだと、私は感じた。だからもう、彼女の思考をトレースする必要もないだろう。そう判断し、脳内に創りだした彼女を模倣した人格から自分の人格へと切り替えた。
夏休み前からずっとアスタのことを理解しようと考えに考えた結果、ボクなりに導き出したのがこの方法だった。知りうる限りの彼女の全てを撚り集めて創りだした偽りの彼女、それはもういらない。だって本当の彼女とこうして間近で話すことが出来るようになったんだからな。
アスタはようやく昔のように「唯理」と哀しげにボクの名を呼び、そっと背を撫でてくれた。彼女の手はとても暖かく、触れているだけで気持ちが落ち着いた。
「随分と久しぶりだな、そう呼んでくれるのは」
ボクは顔を伏せたままで言った。表情のないボクの顔を見せてしまえば、彼女の気持ちを損なってしまうような気がしたのだ。アスタはボクに対して何も言葉を返すことなく、ぎゅっと抱きしめてくれた。長いこと彼女はボクを抱きしめていた。
その手に込められた力が緩められ、彼女は身体をボクから離す際に「ごめんな」と囁いた。ボクはアスタに謝って欲しくて今日まで立ち回ってきたわけじゃなかった。謝られるくらいなら、いっそ嫌われて罵倒される方がマシだった。
ボクから離れたアスタは、本来の目的を思い出したようにサイズの合わない大きなTシャツに袖を通していた。表情が上手くつくれないというのは不便極まりなかった。元々、話術も得意としていないため思っていることをきっちりと伝える事も出来ず、もどかしさが胸を締め付ける。今は、その半端な言葉すら上手く紡ぐことも出来なくなってしまっている。直感的に何かを伝える手段で残されているのはジェスチャーくらいのものだった。
ボクは俯くことで、悲しみや不満があることを露骨にアスタへと訴えかけた。彼女は着替えを終えて、改めてボクの方へと目を向ける。お人好しなアスタは目論見通りに、ボクの方へと近付き、割れ物でも扱うかのように優しく声をかけてきた。
何でこうも彼女は、人の事ばかり気にするのだろう。正直な話、ボクはアスタと違って火事に巻き込まれた実感などなかった。二階の部屋で春休みの宿題を片付けていたら、意識が遠のき、いつの間にか気を失っていたのだ。そして次に目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
身動きも取れずフェイスマスクを付けられ、十数日間ずっとベッドに寝たきりを強いられた。酸素吸入による一酸化炭素の洗い出しが終わったものの、一酸化炭素中毒による後遺症がボクの体を蝕んでいた。ようやく退院することになったボクを迎えに来たのは、両親ではなく静森に住む祖母だった。
祖母はボクのお見舞いに度々来ては、何故か両親が来れないことを詫びていた。その理由は何となく察していたものの、ボクはあえて何も言わなかった。そうして迎えに来た祖母と一緒に向かった家でボクを待っていたのは、両親の遺影だった。
ボクは、ただただ呆然と仏壇の前に立ち尽くしていた。そんなボクの姿を後ろで見ていた祖母は、両手で顔を覆ってへたり込んだ。嗚咽混じりの声で、言い訳でもするように何度も何度もボクへと謝っていた。
何故祖母がボクに謝る必要があるのか、意味がわからなかった。ボクは凍りついた表情のまま泣くことも出来ず、夢でも見ているような気分だった。ただ、祖母の話の中に出てきたボクを燃え盛る家から助け出してくれた近所の女の子というのがどうしても気になった。思い当たる人物は、ひとりしかいなかった。
どうしても彼女のことが気になったボクは、祖母にその子に御礼をしたいと申し出た。すると祖母は困ったように眉を歪めて口を噤んだ。どうにか祖母から聞き出した話から、ボクも顔を合わせるべきではないかもしれないと感じた。それでも、ボクは彼女に会うべきだと思った。
幸か不幸か静森の祖母の家へと移り住むこととなり、それに際してボクは青峰第二に転校することになっていた。知らぬ間に祖母がそのように手配していたのだ。転校することになった青峰第二は母の母校だった。晴桜には寮があるので転校する必要はなかったので、断ることもできた。しかし、娘である母に先立たれて心身ともに弱った祖母をひとりにすることもできなかった。祖父に先立たれても気丈にも独りで生活を続けていた祖母にとって、母はそれだけ大きな存在だったらしい。祖母は母を失ったことで、ぽきりと心が折れてしまったかのように涙脆くなっていた。今しばらくはその祖母の傍に居ようと決めたが、転校を受け入れる代わりにボクは交換条件を出した。まだ療養中ということにして、転校日時に数日の猶予を設けてもらった。
そうしてボクは自由に動く時間を得た。早速、得た時間を使ってボクは今の彼女のことを知るために青峰ヶ丘病院へと向かった。当然のことながら彼女は、ボクよりも数日早く退院していた。アスタはボクと違って一般病棟に入院していただろう。だったら、と彼女と同室だった人を探した。ボクは通りかかった看護師さんにアスタのフルネームを言って病室を尋ねた。その看護師さんは、アスタのことをたまたま知っていたらしく、「302号室の日生さんなら少し前に退院したわよ」と教えてくれた。




