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こうしてボクは今に至る  作者: 朱本来未
【5】『教室は逃げ出した』
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◇周知の事実

「何のことだ?」ととぼけてみるものの、彼女はそれを信じる気はないようだった。


「アスタは勘違いしている。いや、アスタだけじゃないが」


「お前が記憶喪失だってことか」


そう答えると、天野は表情こそ変わらないものの、一瞬だけ言葉に詰まった。彼女自身が記憶喪失を装っていることを気付かれていないとでも思っていたのだろう。


「なんだ、わかってるんじゃないか。なのに今でも私のことを他人扱いか? クラスメイトになったというのにアスタは私と話をしようともしなかったじゃないか。目すら合わそうとしてくれない。顔見知りだと思われたくなかったみたいだから私も話しかけないようにしてた。ショッピングモールで宮野と一緒に居るところに出くわしたときも、知人であることを知られないようにすぐに立ち去ったりな。だから、夏休みに入って級友の目を気にする必要がなくなる状況をつくるまで待ったんだ」


彼女の種明かしの言葉を聞くにつれて、苛立ちが増していった。


「もう二度と関わりたくないと思ったからな、都合がいいと思ったんだよ。お前の顔見たくもなかったからな。夏休み前に話しかけられたときは、変に避けるのも不自然だと思ったから手を貸すことにしただけだ。お前が記憶喪失でも何でもないってわかった以上、もう私のことは放っておいてくれないか。今以上に嫌いにはなりたくないんだよ」


「だが、礼くらい──」


私は天野の発言を遮るように睨みつけた。


「お前の茶番に付き合うのも今日限りだ、二度と話しかけるなよ」


恫喝するように吐き捨て、踵を返す。そのまま立ち去ろうとする私の背に「嫌だね」と短い拒否の言葉がぶつけられた。


それに反応して足を止めてしまいそうになったが、私はそのまま歩みを進める。天野の遅い足では、足早に歩む私にすら追いつけないだろう。それを自覚しているのか、追い縋る足音は聞こえない。


代わりに天野の歪な大声が響き渡る。


「だったら、理由くらい言え、愚か者!」


天野と出会ってから初めて聞く彼女の大声に驚き、思わず足を止めた。


「目が覚めたら大事なものは全部なくなってたんだ。親も、家も、通っていたはずの学校での身分もな。転校した先でアスタの姿を見つけたときは、夢だと思ったよ。なのに、本当に夢にされてしまうとは思わなかった。なんでそこまで私を避ける。私がアスタに何をしたって言うんだ」


振り向き、少し離れた場所に立つ天野の姿を見据える。台詞は少なからず感情が載せられてはいるが、やはり彼女の表情に変化はない。そのアンバランスさに、不審感を隠しきれず眉根を寄せた。


「これは私の心の問題なんだ。天野自身に問題があるわけじゃないんだよ」


言われた天野は、そんな事など知ったことかとばかりに無言のまま立ち尽くしている私へと近付いてくる。彼女を置き去りにこの場を立ち去ることは簡単な事だったが、それをしなかった。


「お前の立場には同情してる。でもな、無理なんだよ。到底、お前を受け入れることなんて出来そうもないんだ」


「その理由を言えと言ってる」


私は口を真一文字に引き結び、言うことを渋った。理由を口にしたくはなかった。言ってしまえばもう彼女に対する負の感情が抑えられなくなってしまいそうだったからだ。それなのに天野は、言えとしつこく食い下がってくる。


「頼む、頼むからもう私に関わらないでくれ……」


彼女の両肩に手を添えて、そっと押し退けた。抵抗されるかとも思ったが、彼女はすんなり距離をとってくれた。そうして俯いてなるべく彼女の顔を見ないように努めた。


周囲の雑木林から聴こえる蝉の鳴き声が、嫌に耳に付く。気まずい沈黙が続く。それを打ち破るように、天野は全く話の流れと関係のないことを口走った。


「なんで樹が鳴いているの?」


それは病院帰りの坂道で彼女がしてきた質問であり、この夏彼女と関わるきっかけとなった始まりの一言だった。なぜ今そんなことを言っているのか意味がわからなかった。


「今更、何のなぞなぞだよ」


考えることをせず、反射的にそう答えた。天野は黙したままそれには応じず、じっと私の解答を待った。きちんと答えるまで諦める気はないのだろう。


先程の質問は、おそらく何かの比喩なのだろう。なぜそんな周りくどいことをするのかわからないが、自分で気付けということなのかもしれない。


かつて日本に来た蝉が生息していない地域に住む人々の中にそういう質問をした人たちがいたらしい。蝉のことを知る人からしたら妙なことこの上ない質問だろう。それを今の状況と照らし合わせて考える。


樹は、天野が記憶喪失だということなのだろう。蝉は、天野が記憶喪失を装っているということだろうか? でも、それだとそぐわない。本来であれば逆なのだ。世間的には、蝉のほうが知れ渡っているはずなのだ。なのに天野が記憶喪失だということの方が周知の事実として知れ渡っている。


今の質問だと天野が記憶喪失を装っていることの方が事実として知れ渡っていなければおかしいのだ。比喩の対象そのものが間違っているのだろうか? 天野に関して他に何があるのかと考え込むものの、何も思い当たるものは見つからなかった。


ずっと答えも出ぬまま考え込んでいた私に向かって天野は言った。


「アスタはひとのことばかりだな」


はっと俯いていた顔を上げて、天野の顔を見た。彼女は目を逸らさずにじっと私の瞳を見つめ返した。それで気付いてしまった。天野が転校してきてからずっと隠しにしていた事実が、既に彼女に知られているのだと。

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