◆共鏡の融和
さめざめと泣く結城を前に立ち尽くす。かける言葉が何もない。気まずさから真綿で首を絞められるように息苦しさが増していく。蝉の鳴き声が響き渡る日差しの下、時間の感覚が薄れていく。暑さで思考がぼんやりと霞がかかり始めた頃、ゆっくりとした動作で結城は胸のポケットから折りたたみ式の手鏡を取り出す。
彼女は空いている手の甲で顔を汚す涙を拭い去り、正方形の手鏡を開いて俯くようにして覗き込む。その段に至った時、彼女は静かにアルカイックスマイルを浮かべていた。先程までの涙などまるでなかったかのように、そこには悲しみなど一切存在していないように見えた。悟ったような笑みを貼り付けた彼女は、手鏡に映る自分に向かてそっと口を開く。
「大丈夫、お姉ちゃんは何も悪くないよ。私は死んでないし、ずっとお姉ちゃんと一緒に生きていくんだから泣かないで」
自己弁護する彼女の口調や一人称は、わざとらしいくらいに変わっていた。
「うん、ごめん。アタシは、らっこのお姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃいけないのにね」
そうして声をかけることさえ憚れるような一人芝居が始まった。結城は自分の言葉に相槌を打ちながらふたつの口調と一人称を使い分けてひとりで会話を続けている。冷やりと何かが背筋を這うような不気味さがそこには在った。おぞましさから私の身体は硬直し、その場から身動きすらとれなかった。
しばらくの間、目の前で繰り広げられる一人芝居をたっぷりと見せ付けられることとなった。ようやくその一人芝居が終わりを迎えたのか、結城は手にしていた手鏡をぱたりと閉じた。
俯き加減だった顔が上げられる。再び視線を交わすこととなった彼女は、口論をしていたときの彼女とは別人のようだった。手鏡に向けられていた例のアルカイックスマイルを浮かべている。そんな彼女の優しげな眼差しが私を捉える。私は思わず、ずさりと音を立てて後退りした。
空いた距離を、すっと浮遊感のある歩みで詰め寄られる。息が届きそうな距離にまで近付いた彼女の手が私の頬に添えられる。平手を放った先刻の結城のような苛烈な攻撃性は感じられず、何をされるのか予想もつかず身構えることすら出来ない。「痛かったでしょう」と彼女は、自分で張り飛ばした私の頬を労るように撫でる。
最早、私の脳は何が起こっているのか理解することが出来なくなっていた。ただただ目の前の彼女にされるがままになっていた。頬を撫でる手が私を離れる。目の前には今も不気味なほどに微笑み続ける結城がいる。距離を取ろうにも、じっと私を見据える彼女の瞳がそれを許さない。
私の様子を愛でるように観察していた彼女が、徐ろに口を開いた。
「貴女には感謝してるんだよ。お姉ちゃんをあんな風に追い詰めてくれたから、やっと私も表に出てこれたよ。そうじゃなかったら、いつまでたってもお姉ちゃんは変わってくれそうもなかったもの。無駄に責任感感じちゃってるみたいだから、私の事を守るつもりでいつまでも檻の中に閉じ込めておく気だったんだろうしね」
一旦言葉を切って、彼女は自分のこめかみをとんとんと指先で叩きながら「今は、ここに引きこもっちゃってるけどね」と口にした。混乱していた私は一人語りを続ける彼女へと向かって、ようやく「何の冗談だ」とたった一言だけ投げつける。言葉を受け取った彼女は、益々笑みを深めた。
「自殺したのってさ、本当に私だったと思う? 一卵性双生児の私たちを見分けられる人なんて、私たち以外に誰もいないのに、どうやって証明したんだろうね」
現実的ではないことを言い続ける彼女を長い時間相手にしていたことで、困惑していた私の思考はやっと冷めた。なぜ急にこんな意味不明なことを言い出したのだろう? そんな考えばかりが脳裏を埋め尽くし、くだらない芝居に付き合うのがなんだかバカバカしくなってしまった。
「証明する必要がなかったんだろ」
雑な解答で彼女の語りを断ち切った。ぞんざいな応答をされた彼女は、残念だなとばかりに肩をすくめて見せた。
「正解だよ。私たち自身でもよくわからなくなってるからね。定期的に入れ替わってたし、ふたりでいる理由もなくなってきたから片方の身体を捨てたのさ。周囲の人間がどう思ってるかは知らないけど、どっちが死んだなんて私たちにとっては重要じゃなかったしね」
呆れて返す言葉が見つからなかった。あくまでも彼女はこの芝居を続けるらしい。
「例のカードも自作か?」
「そうだよ。私とねこのお遊びの延長で作ったものだったんだけど、他にも現世での器を捨てたい人がいるんじゃないかって広めたんだよね」
確かカードには「現世の軛から解き放たれて」云々などという一文があったような覚えがあった。本当にあれを彼女が作ったにしろ、でっち上げた創作話にしろ、バカバカしいことには変わりなかった。もしかしたら私自身一切の面識がない結城桜子も、彼女の双子の妹でも何でもない赤の他人なのかもしれないとさえ思えた。
もう彼女自身に関しては何を話してもまともな回答は得られないだろうと判断した私は、最後に一つだけ質問をした。それに対する彼女の答えは「否」だった。自己保身のために虚言の塊と化した結城を見送り、私は待ち合わせ場所である灯台へと足を向けた。
おそらく約束の時間を迎えたとき、彼女は何くわぬ顔で再び私の前に現れるだろう。なんとなく、そんな気がした。




