◆最低の行為
遠ざかる結城の背を見送りながら、思う。このまま終わらせていいのだろうか。今を逃したら、もう二度と修復は不可能だろう。元々一期一会で終わらせるつもりだった関係だったとしても、かなり後味が悪い。
そう悩んでいる間に、刻一刻と彼女との物理的な距離は離れるばかり。私は何も答えが見つからないままに駆け出し、勢いのままに結城の腕を掴んでいた。強引に引き止められた彼女は、当然のごとく不快感を目一杯に詰め込んだ瞳で睨みつけてきた。もう言い訳でもなんでもいいから取り繕うべきだったのだが、何も言葉は出なかった。それが更に彼女の怒りの炎に油を注ぐこととなった。
掴んでいた手は乱暴に振りほどかれ、その手で私は右肩を突き飛ばされた。完治しているとはいえ大怪我を負った場所を容赦なく攻撃され、硬直した私の身体は熱く焼け付くアスファルトの上へと転がった。転んだ際、反射的に火傷の痕をかばうように体を捻って一番最初に肘を路面へとぶつけた。長袖のシャツを着ていて肌に汚れこそつかなかったものの、路面に転がった小石が服越しに腕を傷付けた。
鈍い痛みに顔をしかめながら、転ばせた張本人を見上げる。結城の表情には罪悪感など欠片も存在しておらず、蔑むように嘲笑さえ浮かんでいた。そして侮蔑を込めて「お似合いの姿ね」と言い放った。しばし、その状態のまま私達はぴりぴりとした視線を交わしていた。
すぐ側を走る海岸線の道路を自動車が通り過ぎて行く。ひやりと背筋が冷たくなった。服の汚れを払うこともせず、腕の怪我を気にしながら立ち上がり正面から彼女を見据える。私自身が意固地になっているとわかっていたが、もう引き下がる事は出来なくなっていた。この事態を引き起こしたのは、私の身勝手な対応だという事はわかってはいても感情が言うことを聞かなくなっていた。
私は彼女の精神的な傷を抉り、彼女は私の肉体的な傷跡を狙った。お互いに薄汚いこと極まりなかった。言葉もなく、汗が滲み出し始めるまで睨み合いは続いた。そんな中、先に口を開いたのは私だった。
「結城、あんた本当は恐れてるんじゃないの? いつ妹に呪い殺されるんじゃないかってね」
煽るためにあえて彼女のことを結城と呼んだ。死者を冒涜する最低な行為だと理解しながら、そんな言葉を紡ぐ。それを受けた彼女は、即座に罵声を返すでもなく動揺したように視線を落ち着きなく泳がせた。私は追い打つように口を開く。
「らっこが自殺するまで、あの子の苦悩に微塵も気付かなかったお前が今更のように姉気取りか」
面識さえない結城桜子との関係を匂わせるように、愛称で呼んだ。そしてそれは結城の冷静さを奪い取った。全くの部外者から放たれた最低な非難を受けた彼女の平手が、私の頬を強かに打ち据えた。口の中に血の味が広がる。彼女がしたように侮蔑を込めた視線で見下す。怒りによる興奮で息を荒くした彼女は、私に掴みかかってきた。
「お前に……お前に何がわかる!」
更に煽るように「さぁ、わかんないね」と肩を竦めながら皮肉を込めて嗤う。再度の平手が私を襲う。
「だったら、わかったような口聞くんじゃねーよ!」
半ば金切り声となった怒声とともに、掴みかかっていた彼女の手によって突き放された。よろよろとバランスを取るように装いながら、彼女から距離を取るように数歩下がる。
「図星だから、そんなに取り乱してるんじゃないのか」
歯が軋む音が聞こえてきそうなほどに強く歯噛みし、充血した目で私を射抜こうと睨み据える。その鋭い視線にさらされながら、もう自分でも何をしているのかわからなくなっていた。引込みがつかなくなった私は、挑むように彼女を睨み返す。
長引く睨み合いの末に結城の口元はわなわなと震え、目尻には涙が滲みだす。程なく彼女の頬を、つっと涙が流れ落ちた。その痛々しい姿を見ていられず私は目を伏せ、その涙を目で追った。落ちた涙は熱く焼けたアスファルトの路面に触れると、間を置かずに蒸発してしまった。後を追うようにぽつぽつと落ちる涙も焼け付くアスファルトの前に消え去ってしまった。まるでその涙が嘘だとでも宣告されているかのようだった。
かすれた声で結城は言葉を紡いだ。
「……言われなくてもな、わかってるんだよ。やっと一緒の学校に通えるようになったって、毎日のようにベッタリと付いて回るあの子にうんざりしてアタシは突き放した。それから在来組であるアタシからの後ろ盾をなくしたあの子は、急速に校内での立場を失い孤立していった。それでもアタシは手を差し伸べようとはしなかった。らっこが自殺に踏み切る数カ月前に見た助けてくれと縋るような瞳は、今でも夢に見るんだよ。あのとききちんと声をかけてあげていれば助けてあげられたはずなのに、アタシはそれを気のせいだと気付かないふりをしたんだ。あの子が自殺にまで追い込まれたのは何もかもアタシのせいなんだよ……」
そう言った切り、彼女は押し黙ってしまった。意気消沈する彼女を前に、私は罪悪感しかなかった。




