◆疑惑の彼女
気まずい雰囲気のまま午前中を過ごした私は、約束の時間までかなりの余裕を持って祖父母の家を抜け出した。
その足で灯台にまで来たが、当然のようにまだ結城の姿はない。
いっそ晴桜まで直接出向こうかと思い立ち、海岸線を進む。
その途上で、例の集団自殺者たちの乗った乗用車が発見された雑木林へと続く山道が目に入った。
山道の入口にはプラスチック製の水差しがあり、そこには少しばかり萎れた花が生けられていた。
その側へと歩み寄り、水差しの前にしゃがみ込み両手を合わせて黙祷を捧げた。
充分な祈りを捧げ、立ち上がり踵を返す。
山道へと踏み込むようなことはせず、晴桜へと向けて再び歩き出そうとした。
すると山道の方から、じゃりっと小石を踏みしだくような音に注意を惹かれた。
思わずはっとそちらへ視線を向けると、山道の方からこれから顔を合わせるはずの結城が姿を現した。
私の姿を認めたらしい結城は、まだ遠目だったのではっきりとはわからなかったが驚いているように見えた。
落ち着いて話せる距離にまで来ると動揺を押し隠すように「まだ、約束の時間には早いんじゃないかねー」と開口一番にそう言った。
お互いの立ち位置を探るように「そういうねここそ」と最も無難な返答で応じる。
沈黙、ふたりして予想外の事態に距離感を掴み損ねてしまっていた。
図書館で見つけた例の『結城桜子』という名が頭をちらついて悩む。
半ば地雷のようなものであるため、扱いが難しい。
不用意に下手打つ必要もないと、その名を知っていることについては伏せたままでいる事にした。
「ここで立ち話するのは気が引けるし、移動しないか?」
水差の方へとちらりと視線をやりながら、ここで話し続けるのは不謹慎だと暗に訴えかけるようにそう切り出した。
私の意図するところに気付いた結城はいつもの様に茶化すような返答ではなく、固い表情で頷きながら応じた。
ふたりしてあてもなく海岸線を歩く。
空気は重く、どちらも口を開くことはない。
その沈黙を破るように先に口を開いたのは結城だった。
「ひとつ聞いてもいいかな」
「なに?」
「どこまで知ってる?」
すぐには口を開けなかった。
とぼけるのなら「なにを?」とでも即座に返すべきだったが、完全にタイミングを逸してしまった。
それだけでもう、彼女はある程度察してしまっていた。
「ありえないとは思うけど唯理に聞いたの?」
彼女の口から出た耳慣れない名に、それが誰の事なのか一瞬わからなかったが反射的に嫌々をするように首をふっていた。
「でしょうね。でなきゃあんな無神経なこと出来ないものね」
彼女の言葉は『結城桜子』が血縁であるにせよないにせよ親しい人物であることを物語っていた。
更に彼女は言葉を重ねる。
「あの子、私の顔も覚えてなかったんでしょうしね」
彼女の言葉を受けて、初めて顔を合わせた時の状況を思い返す。
あのとき天野は、結城に話しかけられるまでずっと私の方から視線を外さずにいた。
まるで誰かに話しかけられるのを待つかのようにそうしていた。
「多分、私がお見舞いに行ったことすら覚えてないんじゃないかなー」
ぼやくようにそう言った彼女は、私の反応を窺うように視線を投げかけてきた。
会話の展開の仕方から、何となく彼女自身のことから天野の事についてへと話題の中心をそらそうとしているように感じた。
それを示すように言葉尻もいつもの間延びした茶化すようなものへと変わっていた。
しかし、今はそれに乗っかるしかないだろう。
「覚えてないって、なんでまた」
「ありゃ? ツッキーは何も知らないのかい?」
「あいつとは付き合いが短いって言っただろ」
「あー、そういえばそうだったねー」
「それで?」
「お、気になるのかい?」
「そりゃあ、そこまで意味深なこと言われたら気にならない方が変だろ」
「だよねー」
どうにか彼女はいつもの調子を取り戻していた。
彼女が言わんとしている事は何となくわかっていた。
おそらく月詩が聞いたと思われる天野が記憶喪失だという噂話の事だろう。
焦らすようにして彼女は勿体ぶって話し始めた。
その内容は私が当たりを付けた通りの内容だった。
得るもののない話を聞き終えて、この話題はもう終わりだと思っていたら結城は更に言葉を繋げた。
「で、もうひとつあるんだなー」
「もうひとつ?」
予想外の事に、私は思わずオウム返しをしていた。
「天野が知りたがっていた亡霊の噂話覚えてるかね?」
彼女は自身の関わりの深い話であることを微塵も感じさせずに言った。
まるで元々関わりなどなかったかのように振舞っている。
それに違和感を覚えつつ、彼女の話に耳を傾ける。
「その噂話の最初の犠牲者はさ、イリーだったんだよ」
どういうことなのかと首を傾げる。
そんな私を見た結城は、満足気に口角を上げた。
その彼女の様子を見て、『結城桜子』という人物は本当に彼女と関わりがあったのか疑わしくなった。
本当は何も関わりがないにもかかわらず、そう振舞っているだけなんじゃないだろうか。
今の彼女を見ていると、どうしてもそう思えて仕方がなかった。




