◆良心の呵責
遡ること4ヶ月前、年度が明けて久しぶりに訪れた学校で私は周囲の目線を無駄に寄せ集めていた。春休前までは背中の中程くらいにまで伸ばしていた髪をバッサリと切り落としていたからかもしれない。
私はそのことについて聞かれるたびに、指先で短くなった髪をいじりながら曖昧に笑って「似合わないかな?」と返答していた。そう言ってしまえば大抵は、「そんなことないよ」とか「似合ってるよ」といった当り障りのない言葉が返ってきた。本当の理由を口にする気はなく、そこにまで踏み込ませる気もなかった。
それでもやたらと踏み込んでくる人間は皆無ではなく、無神経にも有りもしない噂をバラ撒く輩も存在した。虚偽の噂に対して私は無視を決め込んでいたのだが、相手はそれが気に入らなかったらしい。執拗に私へと絡み、「お前の為を思って」とか「俺が心配してやってるのに」などと一方的な主張を押し付けてきた。
正直、髪を切るのにお前の許可が必要なのかと苛立っていた。余りにも煩わしかったので「貴方には関係ない」と拒絶するように言い放ち、立ち去ろうとしたら背後から思い切り右肩を掴まれた。今思い返してみてもあの対応は失敗だった。
完治していない火傷の痕を鷲掴みにされた私は、余りの激痛に声にならない呻きを上げて無様にも倒れ込むこととなってしまった。肩を鷲掴んだ当人はというと、倒れこんだ私を放置して逃げ出していった。歯を食いしばって滲む涙を堪えながら、痛みから逃れようと浅い呼吸を何度も何度も繰り返した。
現場に居合わせたクラスメイトたちは遠巻きに私を見ているだけで、何もしてくれようとはしなかった。涙で滲む景色の中には薄ら笑いを浮かべている者も居たような気さえする。激痛で周囲を観察している余裕などなかったので、今ではあれは被害妄想が見せた幻覚だったのだと私の中で折り合いを付けている。
そんな非情な教室へ、日誌を職員室へと届けに行っていた宮野月詩が戻ってきた。そして彼女は私の置かれた異常な事態にすぐさま対応すべく、こちらへと駆け寄って助け起こしてくれた。私は彼女の肩を借りて身体を引きずるようにして、どうにか保健室へと行くことが出来た。
養護教諭に傷の具合を診てもらうことになったけれど、肩に巻いていた包帯は赤く染みが広がっていた。余りにも酷い状態だったので、養護教諭の車に乗せられ病院へと運ばれることになった。
青峰ヶ丘病院に到着した時、そこには母の姿があった。ここへ来る前に予め連絡を入れられていたらしい。私は養護教諭から母へと引き渡され、診察を受けた。鷲掴みされたことで治りかけていた皮膚は引き攣り、歪な痕が残ってしまうかもしれないと担当した医者に宣告された。
落胆はなかった。火傷を負って、髪を短く切り落としたときに痕が残ってしまうんじゃないかと思っていたので今更なことだった。ただ母には散々心配をかけてしまい申し訳なかった。
翌日、母には学校を休めばと言われたが、逃げているような気がして意地で登校した。当然ながら教室はお通夜ムードだった。私は腫れ物に触るように扱われた。予想していた事だが、発端となった例の男子からの謝罪はなかった。
学校で完全に浮いてしまった私へと話しかけるのは宮野月詩だけになっていた。もう話しかけてくる人間など居ないと思っていただけに、救われた気がした。それからは彼女とふたりで過ごすことが多くなっていったが、どうにも落ち着かなかった。彼女を巻き込んでいるような気がして後ろめたかったのだ。
実際、陰で彼女に対する辛辣な言葉が飛び交っているのを耳にしたことがあった。良心の呵責に苛まれた私はそれから逃れるように何故関わるのかと彼女に問いかけたことがある。彼女は哀しげに笑って「自己満足だよ」と答えた後にもう一言、「あたし、なっちゃんを利用してるんだよ」と付け足していた。
私は「好きなだけ利用するといいよ」と言葉を返して以降、そのことに関して考えるのはやめた。
やめていたはずだった。
でも、昨日の一件でそれをはっきりと思い出した。このままではいけないのだろう、そんな気がするのだ。踏み込むなら今を置いて他にないのだろう。
それなのに私は、不摂生がたたってお腹を下すという失態を演じていた。どうにか腹痛が落ち着きを見せてきたので、私は臭いのきつい腹薬を鼻を摘んで水で流し込んだ。
それからは随分と調子を取り戻したものの、飲み込んだ腹薬の臭いが鼻に付いて仕方なかった。臭いを誤魔化すのも兼ねて失った水分を補うように、コップになみなみと注いだ水道水を呷った。
たぷんとするお腹を擦りながら部屋へと戻る。朝、月詩からのメッセージを目にしたきり放置していたスマホをチェックすると、1件受信していた。
それは月詩からで、「明日、泊まりに行ってもいい?」というものだった。これはまたとないチャンスかもしれないと、すぐに「今日でも明日でも問題ないよ」とメッセージを送り返した。すると程なくして画面に、「じゃあ、今日行くね」との文字が浮かんだ。




