◆駅前の待人
冷めた晩御飯をちまちまと口に押し込んでいったが、妙に盛られた赤身の刺身は半分以上残してしまった。見た感じまだ平気そうだしとラップをかけて再び冷蔵庫へと戻した。
使った食器類を片付け、ソファに投げ出していた鞄を手に取り、2階の自室へと移った。
長いこと下着姿でいたので、シャワーを浴びた身体の火照りはすっかり抜けていた。衣装棚から着古した大きめのTシャツを引っ張り出し、袖を通した。明日に備えて早めに寝ることにする。
その前にスマホを充電しようとして、リビングに忘れてきたことに気付いた。とてとてと階段を降りていると、リビングから着信音が響いてきた。こんな時間に連絡してくるのは誰だろうかと首を捻りながら、スマホを手に取り通知を確認する。
真っ暗なリビングで発光するちいさな画面には【 】と空のメッセージを受信していた。メッセージを打ち損ねたのかな?
あまり気にするようなことでもなかったので気にせず画面から目を離し自室へと戻った。着信音を切って充電器に繋げると、私はタオルケットに包まった。
なかなか眠りにつけないまま、ベッドの上に転がっていると玄関先から音が聞こえた。母が帰宅したらしい。どうしようかと迷ったが、そのまま部屋にいることにした。
思いの外疲れていたのか、それから程なくして私は眠りに落ちていた。
翌朝、目覚めると地味にふくらはぎが張っていた。見れば少しむくんでいるようだった。重い頭と気怠い身体に鞭を打ち、洗面所へと向かう。鏡に映る私の顔は、日に焼けて赤らんで見えた。
ショボショボとする目をすっきりさせるため、ぱしゃぱしゃと冷水を浴びせかける。バスタオルで顔を拭き、改めて鏡を見ると頭のてっぺん辺りに寝癖がついていた。
洗面台に置きっぱなしのヘアブラシで無理やり撫でつけるもののあまり効果はなかった。少し湿らせてからもう一度同じことを繰り返し、どうにか寝癖は直った。
口を大きく開け、欠伸をしながらリビングへ向かった。掛け時計を見ると、7時を回ったばかりだった。
台所で賞味期限が迫っている食パンをカビる前にと袋から一枚取り出し、冷蔵庫の中にあったマーマレードを多めに塗りつけて二つ折りにし、パクリとくわえた。
もごもごと口いっぱいにしながら、行儀悪く冷蔵庫の前で咀嚼し、マーマレードを片付けた。喉に詰まりそうになり、蛇口を捻ってカップに水道水を注ぎ、無理やり飲み下した。それを朝食として済ませ、着替えるために部屋へと戻った。
一応名目上ではデートということになっているため、昨日のような格好では行けないだろう。衣装棚を物色し、適当に組み合わせられそうなものを数点ベッドの上に放り出した。最終的にベージュのショートパンツと、火傷の痕が隠れる程度の丈の白いシャツを合わせることにした。
靴はどうしようかと考え、ふくらはぎが張っているので踵の高い靴はきついと除外した。何があったかと天井を見上げて記憶を探ると、そういえば冬の終わりに買ったがあまり履く機会がなかったネイビーのハイカットスニーカーを思い出した。
今日のコーディネートは決まったので、諸々の準備を始める。
待ち合わせは青峰の駅前に10時、あと2時間以上残っている。ひとまず歯磨きを済ませてから、再度髪を整え直した。寝間着として使ったくたびれたTシャツを洗濯機へと放り込み、部屋へ戻って選んだ服に袖を通した。早々に準備が整ってしまい、無駄に時間が余ってしまった。
鞄はどうしようかと考えたが、財布とスマホがあれば充分かと思い、手ぶらで行くことにした。あと1時間もすれば約束の時間なので、それまでリビングでテレビでも見ながら時間を潰す。
テレビでは相変わらず新型インフルエンザについてのニュースをやっていた。どうやら一部の病院が大量にワクチンを専有しているらしく、出回っていない地域も少なくないらしい。私が定期診断に行っている青峰ヶ丘病院にはワクチンはあるのだろうか?
そんな疑問を抱いたときには、約束の時間はすぐそこにまで迫っていた。
慌てて充電しっぱなしだったスマホを回収し、家を出た。
外は昨日に負けず劣らずの猛暑だった。自転車にまたがり、ペダルを踏む。
駅までのたった5分の道のりで、じわりと額に汗が滲む。
手ぶらで来たのは失敗だったかと思ったが、今さら家に戻っていたら遅刻してしまう。
急いでいるときに限って、何度となく赤信号に引っかかった。
まずいと思い、無意識にペダルを踏み込む足の力が強くなる。
遅刻ギリギリでたどり着き、自転車をがらがらの駐輪場へと滑り込ませた。
月詩の姿を探して駅前を見回す。
するとクスノキの木陰に佇むひとりの少女の姿が目に付いた。
そちらへと駆け寄ると、甘めのガーリィコーデに身を包んだ月詩が満面の笑みを浮かべて手を振ってきた。
「わるい、遅れた」
彼女は含みのある微笑を浮かべたまま左手首を返し、わざとらしく腕時計で時間を確認して見せた。
「3、2、1、はい。今、丁度約束の時間になったよ」
そう言って彼女はわずかに腰をかがめると、首を傾けて口元に左手の真っ直ぐに立てた人差し指を当てて上目遣いをした。
そして「なっちゃん、ぴったり時間通りだね」と囁いた。




