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第九十八話 ワイツの暗夜

 王城の私室に戻ってすぐ、老魔術師ライナスが暗布はためかせ駆け寄った。暗褐色に身をうずめ、ろくに肌を晒さない彼だが、私は達成感あふれる表情を看破する。この様子だと言いつけておいた用事がうまくいったようだ。


 新たに設えた"至宝の間"へ赴く。何も言わずともライナスはその後を静々と従い、長丁場になった術行使の苦労を語り出した。



「大変お待たせした! 治癒は長時間に及んだが、内外ともに修復は完了しておるぞ。陛下が『願い』を用いて蘇生させた弟君も、晴れて御家族と同じ宝物庫に安置できよう」



 "神の力"を継承した者が一度だけ使える万象成就の『願い』。不死や、際限なき魔力の譲渡を実現する、"世界の魂"との接続権。それを私は……弟の復活のために使った。

 そもそもが不可能な事象。どのように叶えられるか誰にも予測できなかったが……まさか、皮膚の下殆どを蛆で喰い尽くされた肉体に、弟の魂が舞い戻るとは思いもしなかった。



 まったく、蛆を吐かせるのは手間だったわい、と老人はぼやく。これは私に非があるので素直に反省する。旅の途中、図らずも弟を惨殺してしまったばかりに手を煩わせてしまった。


 この事態は"魔女"にも原因がある。私の暴虐行為に触発された彼女は、弟の死体を使って蛆入り肉人形をこしらえた。

 そのせいで彼が復活して早々、蟲どもが噴き出るわ、内臓が流失するわと……修復作業は混沌を極めたという。


「なんにせよ、無事ならばよかった。すぐに運んでくれ。とうに彼を飾る場所は空けてある」


「では、そのように致しましょうぞ……」


「待ってくれ、ライナス殿」


 別件で言うことがあったのを思い出した。去りかけた老爺は、緩慢に恭順の姿勢をとる。

 覇気なく、どのような命令にも諾々と従う様子……旅が終わってから常にこうだ。非常に高かった魔法への意欲も失いつつある。いつ引退を申し出てもおかしくない。


 それでは困る。彼は秘密を知る者、至高なる魔技の伝承者。これからも私の庭から逃すわけにいかない。過剰な魔力を可視化させるために、どうしても彼が必要だ。


 ゆえに私は、ある提案をする。



「新たに弟子をとる気はないか? いにしえより伝わる叡智を、あなたの代で絶やすのは、あまりに惜しい」


「は……弟子、とな………?」


「ああ。魔法を学びたいという者は集めてある。皆、意欲的で優秀な若者たちだ。後進にあなたの理論を伝え、古来からの魔術をすえまで引き継がせてほしい」


 ライナスもこれには即答せず、思案を開始した。私の思惑の半分は言葉通りだが、もう半分は彼の今後を憂いてのことだ。

 新たな出会い、交流があれば気力を取り戻すかもしれない。"友"を亡くした傷を癒せるのではないかと……



 都に戻るまで熱望していた、かの"老戦士"との再会……遂に叶わなかった。弟を含む遠征の負傷者を運んだ別隊は、私たちが到着したときには行方も知れなかったが、その消息はのちに判明した。


 部隊は盗賊の襲撃を受けていたのだ。弟を乗せた貴人用の馬車が目を引いたのか、狼藉者は武器を手に皆を包囲した。

 戦闘経験を積んだ兵たちとは言え、傷病者過多な一隊が賊を振り切るのは難しい。あわや全滅かという時に……一人の老兵が賊たちに斬って掛かった。そのまま囲みを破ったという。

 記憶は霧散し、両の心は去ったが、戦闘の術は身体に刻まれていた。



 皆は生じた隙に駆けるしかなかった。加勢に戻る余裕などない。呼びかけたとして合流もできない。もとより言葉も通じず、手引かれるまま歩いていた男だ。


 部隊は至近の集落で保護を受け……現在に至る。

 "彼"の行方はようとして知れない。



「ワイツ王が望まれるのならば……その案、慎んでお受けしよう。しかし、陛下や……無駄じゃよ。これより後、誰に会おうとわしのうろが埋まることはない。違うな、満たされてはいけないのじゃ……背負った業のみが、あの者とわしを結びつける」


「……ライナス殿。いい加減に諦めた方がいい。"ギラス"は、もうどこにもいないのだ」



「否!! ここにいる……この胸三寸に息づいておる!!」



 気落ちした状態でも十分に聡い彼は、私の配慮も察していた。最早どのような思いを懸けても、老爺には響かない。

 激してのたうつ呪具の合間に、灰がちらつくのを幻視した。老魔術師は完全に心を閉ざし、こじ開ける手段をも燃やして、亡き友に義理を立てる。


「案じずとも、わしは王城から去るつもりはないぞ。"灰髪王"……いや、"わしだけの神"よ。あなたさまの崇高なる御心のまま、命果てるまでお仕えしよう」


「身の内にある彼の残滓、その記憶すべてを魔法に変えるつもりか? ……そこまで頑なでは、私から言うことはない。せめて魔力が必要なら与えよう。何者にも脅かされぬ地位も贈ろう……それであなたが安らぐのなら」


 もういい、と頷いて下がらせる。望めばいくらでもさちを得られるだろうに、ライナスはそれら祝福にも背を向けている。

 あるいは憂愁こそ彼らなりの友情か。当人がこの在り方を求める以上、仄暗い安寧を壊すことはできない。



 弔いに身を捧げ……"私だけの司祭"は、暗い色を纏って生きる。





 場所は決めてあるが、どのように飾ろう。どうやって愛でよう。

 条件付きの門を越えてゆく。"至宝の間"への足取りは次第に軽く、引き換えに景色の彩度は削がれていった。


 王城の深淵に雑光はいらない。私だけの宝玉たちは冥暗でこそ光輝く。

 私は最後の扉を開け放った。内でひしめく"星"の威光を身一つに浴びる。最敬礼のち、思いのまま讃辞を述べた。



「御機嫌よう。御機嫌よう、我らが尊き玉璧。"曹灰の貴石"の現人神よ。今宵も美しい夜で御座います。万物は膝元で憩い、慈愛の感謝を謡っております。世の煩瑣より解き放たれた貴方がたは、もう仮初を纏わずとも良いのです。どうぞ、私めに真の御姿をお示しください。よろしければお声を聞かせ願いたく……」


「がああああああああ!!」


「いやあああ!! もうやめてえええ!! いやああ! ひぐっ、わあああああ!!」


「えぐっ……うぇ……も、ゆるして。ワ、イツ……ぐえ」


 灯火が先導して陳列台を照らす。移送するときを除き、衣服という名の包み紙は必要ない。ニブ・ヒムルダ王家の面々は、裸体を銀の鎖であしらって、生まれの順に吊るしてある。

 すぐ上の兄と妹の間だけ不自然に空いていたが、弟を飾れば満たされるだろう。


 帰宅してすぐ全員の研磨に取り掛かったが、やはりただの剣で削るのでは艶を出せない。私はまだ素人なのだ。美しく仕上げようにも技量と知識が足りない。

 けれど時間はある。いくらでもやり直せる。多大な魔力を投じて創った空間では、あらゆる属性の魔法と、即効の治癒を揃えていた。



 私は加工中のおばを眺めた。合図を出せば下僕が飛んでくる。彼らは魔力で使役した貴族の死体。私が不在の間、至宝たちの世話をするよう申し付けてある。生前と違って非常に有能だ。

 若い娘の亡骸は、私が望んだとおりに水槽を傾けた。水につければ貴石が析出するのではと試していたものだ。液体が濁ってきたようなので換えておく。


 下僕から記録を受け取っても、真の"曹灰の貴石"が現れた報告はない。

 だが、構わない。私は焦らずに次の加工法を指示する。


「……狂っている……貴様はっ! ……いったいどこまで愚かしいのだ……! こんな……ち、恥辱を余たちに与え……ひっ!?」


「陛下」


 本命からの玉音を聞いて、心が弾む。すぐさま馳せ参じた。

 宝飾で括られた私の父……その宙を掻いた足先に額ずく。血族の筆頭たる彼には、誰よりも慎重に刃を当て、慈しむよう削っていた。


「お恥ずかしながら、私は正しい手法を知らないのです。より美しい"曹灰の貴石"、その光を得るにはどうすればよいか……御存知でしたらお聞かせ願いたい」


「来るなあ!! 寄るでない……! き、さまは何が目的なのだあああ!? ……い、嫌だっ拷問は!! ごめんなさいごべんなさい息子よ。い、いとしい我が子よ!」


「またそのような戯れを……お忘れなのですか? 私は卑しい狗。忌避されるべき鬼子、塵芥にも劣る畜生なのです。陛下がそう仰ったのではないですか。ならば、それは万象に通じる事実」


 より深く顔を伏せる。宝玉たちに何度問えどまともな返答がない。"おまえは狂っている"、"曹灰の貴石などただの虚示"、"なんでも言うことを聞くからもうやめて"など……


やはり、私に教え聞かせるのも穢らわしいというところか。


「お望みなら世界を蹂躙します。ありとあらゆる財や美姫も、陛下に捧げます。逆らう者は嬲り殺して差し上げましょう……私は永遠に貴方の狗です。どうぞ何なりとご命令を」



「ならば余を殺せ!! 殺してくれ!! ううう、ああああああ! 殺せえええ! 解放してくれええええ!!」



「確かに承りました。ですが、それは……真の"曹灰の貴石"を提示した後で」


 私が滅びるまで時間はある。試していない磨き方も数多く、急変した彼らの態度も、秘技を話す兆しと成り得よう。


 充実する人生。いつまでも"かぞく"とともに在れる現況には、ただただ感謝しかない。

喜びは自然と体にあふれ、自由な振る舞いで顕れる。



 私は震える"美しい宝玉たち"に、心からの笑みを映した。





「……ワイツ様、やはりこちらにおいででしたか」


 しっかりと意味のある言葉が"至宝の間"を貫く。私にも理解できるということは、同じ言語を扱う証左。この空間に足を踏み入れられる生者はわずかしかいない。

 そのうちの一人は私の妃……カイザは目が合うと微笑み、淑やかに礼をした。


「感謝する。弟を運んできてくれたのだな」


「ええ、あなた。でも、わたくしが持参したのは、弟君だけではありませんの」


 欠けていた兄弟の列が満たされるのを見、充足した心持ちで彼女を迎える。この賢い妻は、珍しくも自身の願いを告げたいという。


「こちらに置いて頂きたい方がおります。私や、あなたにとっても貴重なお人ですわ。どうか愛でてくださいまし。それに……宝玉の加工法を探るにしても、他石との違いを明らかにしたほうがよろしいかと」


「気が利く申し出だが……あくまでここは"至宝の間"。設備のすべては"貴石"たちのためにある。おまえが推薦するとはいえ、他者をここに置くのは……」


 渋る私の手を引き、死した小間使いが背負う木箱まで導く。旅を経たカイザは大胆かつ更に美しくなった。

 楽しさを纏い、声に喜びを含ませて箱を開けてみせる。中にある贈り物は死体……



 いや、かろうじてだが……まだ生きている。下僕の補充というわけではないようだ。

 この場で使役するにしても、手足が欠けていては活用も難しい。木箱の中の人肉は、体の張り出たところを削がれ、楕円形にまとめられていた。


 胸部が抉られていると知れば、これが女性の肉体であることがわかる。半壊した顔、砕かれた腰骨は生まれ持った性をも潰し、隠していた。

 見れば見るほど息があるのが不思議な惨状。カイザは微笑んで答えず、私の気づきを待っている。


 奇形に慣れた頃、懐かしい痕跡が目に入った。

 そして上部にぶれ続ける眼球と、心成しに残った頭髪の色は群青……



「……ネリーか、久しいな。元気そうで何よりだ」



 ひどく変貌しているも、幼少からの付き合いがあるためか、確信をもって本人といえる。

 彼女は私の幼馴染のネリーだ。顎はないが間違いない。


「覚えていらっしゃいますか? 旅の過程に森を通過した折、私はネリーさんと"お話"をする機会がありました。その時に私は彼女を解体しましたけれど……魔女様は面白がって手を加えられたのです。あの冒険者マルハナ様が見つけて、都まで届けてくださいました」


「……認めよう。これには驚かされた。あの冒険者とは森近くの集落で対面していたな、彼女も私たちの仲間だと思って連れて来たのか。本当に、彼には世話になってばかりだ……」


 意思疎通を図る機能は失われ、ごぼごぼと呼吸する肉塊となったネリー。今の彼女は、魔女の忘れ形見とも言えた。

 おぞましいと思うばかりだった不死者の手芸品も、今となればすべてが懐かしい。見下ろす肉体には彼女の所業が刻まれ、出会いが幻でないことを証明していた。


「おまえの申し出だが、快く受けよう。ネリーもこちらで飾る。そのための術と展示台も特別なものを設えよう。短いながらも、彼女はともに旅をした仲間だ」


「ありがとうございます、陛下」


 カイザは幸せそうに礼を述べた。歓喜を分かち合うためネリーと顔を寄せ合う。二人が触れ合う様子は仲睦まじく、心を通わせた親友同士のように感じた。



「そういえば、森の野営地にてあなたは私に語っておられましたね。ここにいる王家や、特権階級の皆様を栄光の座から下ろして、お身体を磨かれる光景が見たいと、ずっと願っていたとか……」



 正気の有無は定かではない。しかし、ネリーは確かに生きて、場の事実を捉えていた。

 なだらかとなった肉塊が上下に揺れ動く。息遣いも激しさを増した。それはまるで、嬉し気に笑うしぐさと似ている。


「よかったですね、ネリーさん。夢が叶いましたね!」






 ニブ・ヒムルダの夜は更けていく。


 出立前夜の日と同じく、自室で月明かりを浴びて過ごす。王として与えられた居住区にはいまだ慣れない。質素を好む指導者だと感心する民もいたが、私のような狗に華美な調度を与えても無意味なだけだ。


 灯火なき部屋でも、カイザは迷うことなく私の隣に訪れた。その手には相変わらず水差しがある。私の渇きもなぜだか察知したようで、笑いながら杯を差し出した。



 今宵もどこかで酒盛りだろうか。威勢いい若者たちの祭りは続く。

 国に迎え入れられたランディとエトワーレ……"ひいらぎの騎士"たちの人気は凄まじく、彼らの一挙一動は憧れとして民草の胸に刻まれた。


 都に灯った祝賀の火は、まだしばらく絶えそうにない。私が持つ杯にも天からの光粒、都の街明かりが反射し、踊る。



 城壁は壊した。


 だからこそ、この部屋から城下が望める。



 荒れ果てた都の再建築。新たな臣下の住居を建てる資材として使うよう勧めた。案が流布すれば、民らは私の寛容さに感謝し、温情ある王として名を称えた。

 あの壁は、地位階級を視覚的に表す圧政の象徴。昏い歴史を粉砕する行いと絶賛されたがどうでもいい。


 身分の線引きなど意味はない。民も、私も、この国も……真なる"曹灰の貴石"の下では皆等しく畜生だ。



「これからどうなさいますか? ワイツ様」


「このままでいい。私たちは確実に、目指す輝きへと近づいている」


 どんなに遠く離れていても、あの夜を生きた者たちなら知っている。今も、同じ暗がりに身を浸し、漂う色彩に"彼女"を見る。

 星よりも近く、光より遥かに量で勝る。信仰心や親愛でもない。本当の意味で、地平を隙間なく繋げる存在の名は……



 "闇"……それは少女の形をして私たちの側にある。教えられてからはいつでも感じられる。

 耳元で愛らしい声を幻聴した。在りし日そのままの調べは私たちへの問いかけ。応じて……そっと思いを呟く。



「ああ、私は幸福だ。これ以上ないほどに」



 私たちは同じ夜風に髪を靡かせ前向く。今の現象は自然神の御業ではなく、私の魔法だ。

 思いを懸けるように、人々の心臓へやいばを突きつけるように……この力は広く世に浸透する。視野を防ぐ壁はもうない。

 


 世界は私の暗夜で満ちる。

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