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第九十七話 ワイツの餞別

「えっ!? 僕だけ何の恩賞もなくて、永久国外追放なんですか? 次、ニブ・ヒムルダに入国したら軍を差し向けて討伐するって、そんなぁ……」


「ああ。明日から手配書も作る。理解したなら、一刻も早く私のくにから出て行ってくれ」


 事情を知る者なら予想できたと思うが、エレフェルドとの戦争は一瞬で片がついた。早期に事態を収拾したいという思いは、兵士全員が持っていたようだ。

 新たに加わったひいらぎの騎士たち、民兵、雇い直したメイガンの仲間もよく力を尽くしてくれた。おかげで私が自然災害に見せかけ、極大魔法を放ったのも最低限の回数で済んだ。



 戦闘と雑務が小庸状態となった今、私とカイザは都郊外の森丘で人目を避け、生き残った傭兵たちに餞別を贈っている。

 悲願を果たしたメイガンは、手下を率いる必要がなくなったと言い、一味の解散を決めた。彼らには、私から今後の選択肢を提供する。この国に留まりたいのなら職と住処を与えよう。そうでない者には資金と、旅支度の手助けを。


 ただ、彼……テティスだけは別だ。


「あははは! 冗談ですよね、ワイツ国王陛下……閣下だっけ? まあいいや。ねえ、なんで僕だけこの扱いなんですか。おかしいなあ、あはははは!!」


「何が冗談なものか。悪いとは言わない、テティス。私は金輪際君の顔を見たくないのだ。この場で殺さないだけ情けをかけたと思ってくれ。そのまま国を出て、二度と戻るな……頼むから」


 ええーと口を尖らせ、少年は不平の声を漏らす。立派に成長した姿を見て欲しかったともほざいた。そのような様子も不快に映り、カイザは目も合わさない。

 誠に不本意だが、私たちの勝利も幸福もテティスの存在があってこそ実現したもの。しかし、彼は功労者であると同時に、まごうことなき遠征最大の汚点だ。


 狂気と悪徳をうわばみの如く呑んだ彼は、元々執着していた肉欲のたかが外れ、出会う者すべてを性玩具と認識し殺意向ける。会話中も、テティスの濁った緑瞳は、私のどの部位を貫けば快感を得られるか探っていた。


「まあ、僕はこれから強くなってヤりたいことがいっぱいあるし、"あの子"も探さないといけない。忙しくなるから……お二人にはもう会えないかもね」


「ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいですわ」


「そうだな。私も、君の迅速なる破滅を祈っている」


「なんだよもう! ちょっとは寂しがってくださいよ!」


 担いだ槍を揺らし、地団駄を踏むテティス。この幼さで確固とした悪心を構築した以上、これから血の海、屍の山を創造し、かの不死者を追うのだろう。

 生かす利点は全くない。今のうちに殺しておく方が世界のためだ。けれど……少年少女を再会させてやりたいと願う私もいる。


「しかし、わからないな……"魔女"を追ったところで瞬殺されることなどわかりきっている。万に一つも愛されることはない。それでも君は行くのか? とうにあの狂女くるいめは"不死の王"しか眼中にないというのに」


「そんなことありませんよ、ワイツ国王様。いつだって、誰にだって希望はある。生きることは楽しい……僕はそう信じているんです!!」


 年相応の純真さで、テティスは穏やかな日差しへ躍り出る。街道をはしゃいで走り、楽しそうに弾んで振り向いた。

 美しい快晴の日。まだ脅威を知らない人界に彼の影がかかる。色濃く刻まれていく。


「思い出してみてくださいよ。魔女さんはいつも"王様"を欲しがっていたけど、その人のことを"好き"とか"愛してる"なんて言ったことありますか? ……実はないんです。あの二人、まだそういう仲じゃないんですよ! だったら、僕にも望みはありますよね?」


 それじゃ! と大きく手を振って別れの合図とする。無垢かつ純粋なけだものは解き放たれ、広い大地へと飛翔した。



「待っててね、世界にある億千の心たち!! 今からみんな突き壊して、深くあいしてあげるから!!」



 黙れ、と振り上げられる拳はもうない。

 もはや誰も、彼から幸福を取り上げることなどできやしない。





 少年が丘を駆け……その暗緑髪が完全に消えたことを何度も確認した後、私は付近の大木を見上げ、声をかけた。


「……そちらからはどうだ? 彼は行ったか?」


「ああ。間違いねえ、今度こそ行きやがった」


 音もなく、葉や枝を散らすことなく、メイガンは降下する。完全に退去したとの太鼓判を受け、私たちは胸を撫で下ろした。大袈裟かとは思うが、あの大聖堂にひょっこり現れたテティスのことだ。警戒は怠らない。


 特にメイガンの物見は徹底しており、元手下の出立を油断なく見届けていた。先に出発して故郷の方向を教えたくないとはこぼしていたが……ここまで潔癖だと滑稽に映る。

 私の、少し歩こうかという申し出にも背後を気にしつつ頷いた。足を向けるのもテティスの道程とは異なる方向だ。



 道中、三人で他愛のない話をする。


 王城においても、私たちは暇あれば集まって語り合っていた。彼の手料理を絶賛していた理由……"あるがまま"を受け入れる自然神信仰ゆえに、この国では料理にも最低限の味付けしかしないと打ち明けた日には、一晩寝ずに料理法を書き残してくれたのを思い出す。



 進むごとに別れが近づく。


 残ってくれと傭兵団"柊の枝"に告げたように、私たちは彼もこの地に留まって欲しかった。

 決して叶わないと知っているから声にも出さない。秘境の一滴を手の内に収めること、偉大なる水流を止めることは、誰にも許されないのだ。



 惜しかりし別離までのひととき。歩幅は短く、言葉も数を減らした果てに……ここでいい、とメイガンは立ち止まった。


「これでいい。聖女討伐の旅も、この結果も……ここじゃ予想外のことばっか起こったが、俺にしては上等な結末だ。俺は……まさか故郷に帰れる日が来るなんて思ってなかったんだ。正直、今も実感湧かねえ」


「でもメイガンさん。あなたの戦いは勇敢としか表せませんわ。成し遂げたこと、わたくしたちを勝利に導いたことは事実なのです。あなたの偉業を疑う方がおりましたらお連れください。いつでも真実を証言いたします」


「そうとも。あかしならすでに持っているだろう? この身からできた"魔力の塊体"……神の力の一部だが、好きに使ってくれ。私の寿命が尽きるまで効力は続く。なに、すぐに死ぬつもりはないから安心してくれ」


「ワイツ……カイザ……!」


 気持ちの重さに濃紺の短髪は俯く。胸の張り裂ける思いに喘ぐ。ともに死線を潜り抜り、得難き勝利を得、生還したという事実は心に深いつながりを生んだ。

 信じられぬなら伝えよう。女神が発する言葉より、洗礼の力より……真意を通じ合わせる方法を、私たちは知っている。



 カイザと私は、それぞれ左右からメイガンの体に腕を回した。身を寄せ、三人で抱擁をする。触れてみてわかるこの熱だけが私たちの真実だ。


 驚き、固まった彼は……ややあってから強く抱き返してきた。



「本当は連れて行きてえよ! おまえらを持って帰りたい。このまま向こうまで歩いて、聖泉を見せられたらどんなにいいことか……!! 何に捧げるわけでもねえ。おまえらが俺の戦果なんだ。せめて、故郷で絶対に語り継がせる。この出会いを"永遠"にする……誓ってもいい」


「私たちにも口があることを忘れたか? 記憶を残しておきたいと思っているのはこちらも同じだ。これから故郷で永遠に讃えられるように、我が国においても君の存在は伝説となる」


「この命ある限り、私もあなたの伝承を語り続けましょう。これから何人もの"メイガン"が旅立ち、戦功を挙げたとしても……私が本当の勇士と讃えるのはあなただけです」


「"おまえだけのメイガン"か……それも、悪くねえな」



 やがて腕を解き、私たちは改めて向かい合う。天を向いた尖髪は爽やかな春の風にそよいでいた。秘泉の民ゆかりの紫眼とも見納めだ。

 私は別れの刹那に……彼への、もう一つの餞別を取り出す。


「では、これを君に」


「んだよ……」


「遠征途中で立ち寄った村に老齢の冒険者マルハナがいただろう? これは、あの時彼が撮った"魔照片リーフ"だ。都で再会した時にもらった。非常に高い技術で色が置かれている」


 彼は片手で受け取り……内容を見てからは声もなく顔を隠し、私たちに背を向けた。


 老冒険者が物資調達の対価として求めた、"魔照片リーフ"の発現許可。被写体は私とカイザ。冬祭りでの姿のまま、紙片に留めてある。

 私たちが持っているよりメイガンに贈った方が有意義だ。少しは彼の望む"永遠"の足しになるだろう。


「今生の別れとは言わない。好きな時に訪ねて来てくれ、メイガン。この地が"君たち"の休息の湖となれば嬉しい。これはその証拠だ……とは言っても、私の瞳は、濡らさなければ泉と同じ色に見えないのだったか」



「……いや、見えるぜ。懐かしい……聖泉の青が」



 心なしか震えた声で、小刻みに猫背を揺らし、答える。そうして前に踏み出す彼を、私たちは微笑んで送り出し……



「また来てくれ!」


 たまらなくなって叫んだ。彼の顔が見たい。歩き去る前に、もう一度だけ振り向いてほしい。年甲斐もない児戯じみた我儘だ。


 けれど止められない。逸る心のまま呼び掛ける。



「いつでも厨房で雇ってやる!!」


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!」



 メイガンは怒鳴った。勢いつけてこちらを見、しまったと慌てて顔を擦る。私たちはひとしきり笑い、喚いた後……またな、と彼は言った。


 聖なる一滴は朗らかに流れ行く。

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