第九十六話 ワイツの贈呈
期日までに要人たちへの洗脳と根回しを終え、反乱軍に城を明け渡した私たちだが、民から歓声を持って迎えられはしなかった。曲がりなりにも無血開城を成し遂げたわりに、戦いの終結を祝う声はない。
反乱の功労者であるランディとエトワーレも開門時に姿すら見せていない。城内に設えた会議場にも、民の代表者のみが出席を申し出た。
すれ違うどの顔も余裕なく、露骨に混乱して走り、金策あるいは防衛の案を騒ぎ立てる。状況に変動があったようだ。
「お願いです、"白雷"ランディ殿に"橙星"エトワーレ殿。このとおりです! 支払いはあとで必ず致しますので、もう一度だけ私たちと共闘願います!!」
「とは言ってもなー。いっしょに戦うのは革命が成功するまでだって、最初に契約したろ? 悪いけど後払いじゃ動けねえし……」
「傭兵団"柊の枝"のお二人はニブ・ヒムルダの英雄です! どうか我々に助力を!!」
「……おい、聞いたかランディ? みんな俺たちのことを"英雄"だって言ってる。ギラスのおっさんが予想したとおりだな」
「くだらねえ。おだてりゃ協力にありつけるってか? 冗談じゃねえ……ここから先は追加料金だ。再雇用の金額も絶対にまけねえぞ。それにしても"白雷"ってなんだよ。変な二つ名がついちまったな、そういう文化でもあんのか?」
「さあ? ……でもさ、思ってたのよりずっと早かったな」
雑踏から抜けると、人々に囲まれて拝み倒され、困り果てた表情の若者たちがいた。
降伏会議という名の貴族を使った人形劇はライナスに任せ、メイガンを護衛に残し、私とカイザは将星たちとの接触を求めた。王家の身柄を引き取る話し合いをしたかったのだ。
国だの新体制だのどうでもいい。追放との裁決が出れば迷いなく去るつもりであった。王族を連れ、カイザとともに新天地を目指そう。拠点を見繕って宝玉の研磨に籠るのだ。
そのような場を想像するにつれ、"あたたかい我が家"という言葉が記憶から浮き上がった。過去に老戦士がこぼした本心……今の私が求めるものと合致する。
「あ……ワイツ団長! 城での交渉ありがとうな。すっごく助かったぜ! おかげで予想よかずっと楽に王権を倒せた」
「ああ。本当によくやってくれた。そこには感謝してる……前に縛り上げたりして悪かったな。団長が異民族から国民を守ってくれてたってのも裏がとれた。交渉の成果も含め、もう誰もあんたを敵だと思ってねえよ。命を獲ることもない」
「そうか。殺されないというのは有り難いが……何かあったのか? 皆、顔色が優れないようだが」
私に対する怒りが露と消えているのは真っ先に感じていた。帰還した当初に浴びた、灰髪を睨む視線もない。目が合えば失礼を詫びる民までいるほどだ。
若者らは私たちの安全を保障したのちに、問題が発生したと呟いて、集団の中から一人を招いた。
人ごみが散って痩身の老人が顔を見せる。枯葉色の髪は近隣諸国には珍しいが、どこか既視感あった。人生における晩秋の渋さを燻し出す彼は、煙管を咥えたまま、私たちに笑いかける。
「あなたは……"冒険者"様ではありませんか? あの集落で私の武装を修繕してくれた……」
「……いよう。また会ったな、美麗な紳士淑女のお二人さん。あんときの任務は達成できたと聞いたが……まあ、喜べる状況とは言い難いな」
思いがけない再会にカイザはすぐさま礼を言い、私もその後に続いた。老人は間違いなく過去に遭遇した冒険者だ。遠征道中の村にてメイガンの手で引き合わされ、無償に等しい対価で補給を施してくれた。
今もまた有意義な情報を提供するという。ただし、それはこの国にとって酷な事実。
「エレフェルドが講和を破った。じき、ニブ・ヒムルダに攻めてくるぜ」
先の戦いで将を殺され、敗北した隣国は秘めやかな戦意を抱いていた。証拠を見せると言い、老人は"魔光夜の銀詠"を発現する。光幕に揺らめくのは文字ではなく図画。冒険者のみに伝わる"魔照片"の秘術だ。
魔法の特質上……映される光景は真実のみ。提示された記憶の断片は、確かに軍備を整える敵国の様子を捉えていた。
これが動揺の原因か。近隣から追撃が来ないと予想して反逆を始めるも王城の壁は厚く、新体制が揃う間もなく、隣国は早すぎる再起を遂げた。
民らによる政権はあまりに未熟。信頼できる将も乏しい。頼みの綱、傭兵団"柊の枝"も民衆の覚悟の無さに呆れ果てていた。
現状、彼らだけでは戦略、外交面でも太刀打ちできない。国土と人民はフェルド諸国の騒乱に飲み込まれ、跡形もなく搾取されるだろう。
こんなはずじゃなかった……との声が周囲から漏れる。民にとっては平穏だけが願いだった。王家を倒せば叶うと信じていたが、それは重圧を代わりに背負うことに他ならない。
彷徨う心は英雄を求める。その視線は眩しい若者二人組、ランディとエトワーレに集まり……
「そうだ!! ワイツ団長、あんた王様にならねえ?」
「は、っ……?」
完全に他所事と認識していたゆえ、思考が止まる。
突然の王位への指名。ランディは相方の考えに硬直し、カイザは言葉を失った。私も似たような心境で立ち尽くす。彼らのそばではどうも調子が狂う。
「ふ、くく……ははっ!! おまっ……! 話のわかる王族を代表に立てて、窮地を凌ぐ気か!? あるいは現体制から一代限りの王を出し、徐々に主権を移動させる……それもひとつの手だが、そんな突拍子もねえ頼み方あるかよ!」
「でも適任じゃねえか! ワイツ団長は王族だけど俺たちと戦ってくれた。戦闘の指揮も取れるし、外交の場にも明るい! この人は俺たちにないものを兼ね備えてる。新しい体制にだってなくてはならない存在だ! そうだろみんな!?」
呵々大笑する老冒険者、額に青筋立つ片割れへ……二つ名の由来である橙色の頭髪が各方向に振られる。エトワーレの無意識に人を惹きつけ、導く気性は私を担ぐことにおいても発揮された。民衆は熱い眼差しをこちらに向ける。
王位を継がせる。王として祭り上げるとは聞こえがいい。しかし、その裏にある暗い意味を、若き彼はまだ自覚していない。
「なんだよおまえら!! 馬鹿か! 無責任にも程があるだろ。こんなの犠牲になれって頼み込むようなものじゃねえか!!」
同調しかけた周囲を見回し、ランディは怒鳴った。筋の通らぬ事情に対して、敵味方問わず憤る……そんな潔い性根は民に責任を問い、私に警告を発する。
「王なんてほざくが……つまるところ、ただの生贄だ。指導者としての特権より重責のほうが遥かに多い。もし次の戦いで負けでもしたら、みんな団長ひとりに責任おっかぶせて殺すつもりなんだろ!?」
「えっ……ちょっと待てよランディ! 違うんだ、そんなつもりで言ったんじゃない!」
私の助力を求める発言だろうが、一度広まった考えは弱い民らの心を浮き彫りにする。彼らは迷っているのだ。自分の代わりに戦ってくれる者、死んでくれる者を探している。
犠牲を申し出るような者がいれば心底感謝し、ありとあらゆる権限を与え、断頭台に首が並ぶまで従順に仕えるだろう……
「いや。その案が最適だ。敵の矢面に立つ役割……私が請け負おう。ニブ・ヒムルダ王家、第四王子のワイツが軍を率いると言えば、エレフェルドの怒りもこの身ひとつに集約する。敗北を期しても、民衆が犠牲になることはない」
堂々と言い切ると群衆は静まり返った。驚きの後に人々が見せたのは安堵、私の存在を希望の光明と同一視する。目指すべき"星"が必要なら導こう。求めたように輝きを示そう。それで私の思いのままに動くといい。
求められた役目には覚えがある。随分と前、ライナスが口走った風習にて語られていた。
その時が来るまで人々から祭られ、崇められる"森の司祭"。
有事の際に殺されるとしても構わない。私はただ大樹の根元で安息に過ごしたいのだ。終末の時まで、私だけの"星"を愛でて生きよう。民が私の聖域に触れぬ限り、好きなだけ豊穣も与える。
死なねば剥がれぬ"大いなる力"も身体に宿している。気まぐれに生かされることもあれば逆もまた然り。逃げも隠れもしない。いつか"あの少女"が、この力を必要とする日まで、私は待とう。
「おい!! あんたはそれでいいってのか!? 本当なら民が分担して背負うもんだろうが! 蜂起したばっかだからって関係ねえ。団長も付き合わされる義理なんてないはずだ」
「前にも言ったろう? ……私には罪がある。王家の横暴を止められなかった咎だ。許されるならば、どのような役目でも負おう。それがたとえ茨の冠だろうと……喜んで戴く所存だ」
「でも、おかしいだろ! 自己犠牲じみた選択は腑に落ちねえ。これじゃ革命の意味が……」
民らに筋を通させるべきと、至近にて訴えるランディ。忠告してくれるのはわかるが、心が決まった以上は不要だ。
さりげなく、しかし重みを込めて彼の肩を叩き……聞いてくれ、と低く耳元で告げる。
「……要は、勝てばいいのだろう?」
「ちっ……何考えてんだよ、あんたは……」
引き下がった白金の髪に笑みかければ黙った。不安を流そうとの思いからだが、ランディに対して効果は薄いようだ。それでも傾聴の気が生じたと思い、私は民衆に向け即位の条件を提示する。
見返りなしで傀儡の王となるつもりはない。とある"誰か"のように、私は聖人ではないのだ。
第一の条件として王族の保護を呼びかけた。多くの恨みを集めた彼らだが、私にとってはかけがえのない"宝玉"なのだ。害を加えず、せめて余生を全うするまで生存の許可を乞えば、渋々ながらも受け入れられた。
「もう一つの条件だが……これは私個人の願いからなるものだ。私を導いてくれた恩人、ギラスの悲願を叶えてやりたい」
「おっさんの……? あんた、まさか……」
「そうだ。彼は"あたたかな家"を欲しがっていた。あの時の私には権限などなかったが、今は伏してでも頼みたいほどだ……ニブ・ヒムルダの民にも問おう! 私は若き将星、ランディとエトワーレに騎士の位を授けたい。彼ら傭兵たちを、我が国の正規軍に加えることはできないか?」
返答は快哉で為された。空を割るが如く、天に拳が突き立てられる。猛りの歓声とともに暗雲が分かたれ、私たちの足元に陽光が照る。それはまるで世界がこの願いを讃えるような荘厳さだ。
ちなみにこれは偶然ではなく、私が魔力で雲を散らせ、演出している。
神々しい光景に、民衆はより歓喜に沸き立つ。
酷なる冬は終わりだ。これより初春を運んだ風が吹く。
「いいのか!? そんな……余所者の俺たちを受け入れてくれるのか?」
「ああ。見ての通り、この国に君たちを拒む声はない。では、返事を聞かせてくれ」
「そんなの決まってるだろ! 願ってもねえ申し出だ、もちろん俺たちは……」
「待て! 落ち着けよエトワーレ。こういうのってさ、ちゃんと作法があるんだろ? だったら真面目にやった方がいい。そうだろ……ニブ・ヒムルダの灰髪王? あんたの選択は気に食わねえが、覚悟だけは買ってやる。次の戦いで理不尽に死なせたりしない」
この誓いを正式なものとして民衆に見せたいとランディは進言する。私も同じ気持ちだ。
彼らを手元に置き続ける限り、民の私への印象は固定される。表層だけを信じさせれば、誰もそれ以上は深入りしない。
膝をつき、拝跪の姿勢を取るよう言えば、二人は粛々と従った。あえて指示出さずとも、皆は静まり……この輝かしい一幕を見つめていた。
私は福音を朗じて、新たな臣下を迎え入れる。
「自然神"緑の王"の統べる大地は、何者をも拒みはしない。どのような種も芽吹き、花開く。ともに繁栄しよう……傭兵団"柊の枝"よ。どうかこの地にて葉を広げ、久遠の緑で垣根を成し、国と民たちを守護してほしい」
最後に若者らの頭上へ手をかざす。誓いは交わされた。
「私の森へようこそ」
途端、鳴るのは都中に響き渡るほどの喝采。立ち会う者たちへ静々と目線を投げれば、王として名を唱えられる。
「ああ、偉大なる緑の王!!」
「天地よ、彼らを受け入れよ! この日に祝福を!」
諸手を上げて勇ましい光景を讃える民たち。冒険者の老人もまた、この機を逃さず光に刻みつけた。一報も明日には世界に広まるだろう。
だが、彼らは知り得ない。どれほど歓声を浴び、支持を得ようと本質は変わらない。
私は"曹灰の貴石"にとって忌み子にして卑しい狗。以前は宝の番犬としての任務を負っていたが、新たに羊追いの役割が追加された。
手掛けねばならぬ事項が山ほどある。明日からはまた隣国と戦争を始めよう。
ニブ・ヒムルダに勝利をもたらさねば、私は死をもって贖うことになるが……すでに結果は見えている。
まずは目下の若き騎士たちに言葉を贈らねばならない。正規の手法で二人を迎えたかったのだが……実のところ、この儀礼だけでは不完全だ。
「……すまないな。本来なら誓いの証として、王家の御印が入った品を贈呈するべきなのだが、急なことゆえ手持ちがない」
「いいって。それに……宝剣だったらもう持ってる」
相方と目配せし合い、エトワーレは装備から一振りの短剣を取り出した。王家の印章が彫られたそれは……以前、敵将の斬首にと私が投げ渡したものだ。
「まあ、そういうことにしといてくれや」
「君は……本当に運がいい」
捧げ持った宝剣は刻印に沿って煌めく。
光を握りこむように、私は力強く手を重ねた。