第九十五話 ワイツの帰宅
城壁内部に入る方法だが、正直いくらでも考えられる。単純に破壊して押し通るなり、洗礼受けた信者よろしく、滑空して飛び越えることも可能だ。
膨大な魔力は魔法として発現せずとも、持つだけで比類なき武器となる。
けれど目立つ方法は好ましくない。衆人環視の中でそのような術を使えば、その後の面倒事は避けられなくなる。目撃者全員を滅ぼしても無意味だ。喧騒は諸国に伝播し、甚大な被害も世に広まって、懐疑の視線を引き付けるだろう。
私には大それた野望も世界を支配する意欲もない。私自身の思いを遂げる、憩いの場所と時があればいい。
老魔術師はこのような意思を汲み取って、反乱軍の代表に対し"転移の魔法"で壁を越えると説明した。
直属の兵士は弁明のために置いておく。私たちは反乱軍を鎮圧すべく派遣されたわけではない。籠城に必要な物資を略奪するよう、王家から命令されたわけではない。民衆からそのような追及を受ける前に、部下たちは声を張り上げ、私の潔白を論じ立てていた。
話し合いの場には例の港町出身の兵士も加わる。証言をさせるために連れてきた港町の長……大聖堂から助け出した彼の父親も、参考人として立候補した。
「さて、準備が整ったぞ。あちらにはこの四人で赴く。その方らも、わしらの安否を案じず、成すべきを成すとよい」
「なあ、魔術師のじいさんよお。"転移"ってのは難しい魔法で、少人数しか送れねえってのはわかるが……なんでそいつを連れて行くんだ?」
開かれた転移の門を前にして、若き将らは怪訝そうに尋ねた。布陣の外れにて術式の輝きが満ちる。彼らは光と真正面に対峙し、不快気にメイガンを見つめていた。
「あ? なんだよ、文句つけてんじゃねえ……てめえらには関係ねえことだ」
「ワイツ団長、あんた騙されてるぜ! こいつみたいな人斬りを連れてくなんてダメだ!!」
「俺もこればっかりはエトワーレと同感だ。考え直した方がいいんじゃないか? こいつも他の傭兵といっしょに国外へ追っ払うべきだ」
「だが、こう見えてメイガンは義理堅い性格をしている。契約が終わっても、私の護衛を名乗り出てくれたのだ。彼が供として来てくれることは、私にとって大変心強い」
傭兵団同士での衝突は若者らのなかで色褪せず、悪感情を露わにメイガンの同行を反対し、私の変心を勧める。
彼の率いる手下たちの悪行は傭兵間でも広まっているらしい。しかし、誰を連れて行こうと"交渉"の結果は変わらない。それにこの行いも彼らに支払う報酬なのだ。
「そっちの……カイザとか言ったか? あんただってそう思うだろ!? こんな奴に護衛なんて務まるわけねえ。それに、あんたも無理に行くことはないんだぜ? いくら腕が経つとはいえ、女の身で危険に挑むなんて」
「大丈夫ですわ。私たちは必ずや王家を説き伏せ、争いを集結させてみせます。だから、お二人も信じて待っていてくださいまし。三日後、吉報を届けに参りますわ」
言い募る彼らに笑いかけ、カイザは生まれ持った気品で迷いを断たせる。彼女の前では二人も年相応の青年に戻らざるを得ない。真摯な藤色の瞳と見つめ合えば、気恥ずかしさに反対の文言も喉を越えられなくなる。
若者らが黙ったところで、護衛役の二人から順に門を潜る。私も静かに歩を進めた。
こうやって決死の交渉に挑むよう見せかけるが、私たちに死ぬ気は毛頭ない。やるべきことは各々決まっている。私も早く王家の面々を集め、真の"曹灰の貴石"を暴き……
「待ってくれ!」
切羽詰まった声が背を叩く。視線をやれば黄赤の髪を震わすエトワーレと、彼を落ち着かせるべく、前に出たランディの姿がある。
「よせよ、エトワーレ。戦士の別れだ……本当は未練なんかあっちゃならねえ」
「っ……でもよう、もし……ワイツ団長が帰らなかったら聞けなくなる。だから……教えてくれよ」
「なんだ? 言いたいことがあるなら、手短に頼む」
「ギラスのおっさんはどうしたんだ? なんでいっしょにいないんだ!? 魔術師のじいさんのつてで、あんたたちに同行していったんじゃなかったのかよ!」
言葉を受けて、前にいたライナスの肩が跳ねる。その伏せられた表情は二人に見せるべきものでない。
投げかけられた質問は確かに私に尋ねるべきものだ。ただ想定していたような、こちらを責める響きはなかった。
「その言い方……彼は、まだ戻って来ていないというのか? ギラスは遠征の途中で傷を負い、戦えぬ兵らとともに都へ向かわせていた。とうに君たちと合流したものと思っていたが……」
「……いい。引き留めて悪かったな、ワイツ団長」
行ってくれ、とランディは厳かに告げた。私は頷いて去る。もう振り返らない。
"彼"は偉大な戦士だった。勇敢に吠え、豪炎を躍らせ……降灰の如くに散った。
そして、世界に"ふたつの星"と……"私"を遺した。
数か月ぶりに帰宅した王宮は異臭が充満していた。最後に訪れた時と違って酒宴での演奏も聞こえない。踏みしめる床も磨かれず艶を失っている。
王城が包囲されてあまり間もないが、城内は相当に混乱していたらしい。遠征に横槍を入れた大貴族と私の弟も、信者が再度脅しつけたのもあるが、各地で暴動の炎が起こるのにも慌て、不死者"聖女"による洗礼の力を欲したのかもしれない。
「なんだ。思ったより散らかってんな、おまえの家」
「急に連れて来たからな。準備がないのは悪かった。詫びにとは言わないが、期日まで存分にくつろいでくれ。確か……私は、君たちへの報酬を倍額すると約束していたな」
剣を肩に担ぎ、メイガンは回廊にある調度品を物色する。いつもなら探さずとも視界に入る召使いも、早期に投降したのか誰一人見かけなかった。狼藉者を咎める衛兵もない。
術の行使に都合よしと見て、私は"魔光夜の銀詠"を発現する。開示した光の幕は金色。不死者に並ぶ魔力量を惜しみなくライナスに丸投げし、予定していた二つの術式を描かせる。
一つは王城を覆いきるほどの"防音"の魔法。これで、王宮での叫喚は外部に届かない。もう一つは、別ヶ所で開いた転移の門の発現……
「メイガンさーん!! やった! また会えましたね……っ、ぐふぇ!!」
「うっせ、こっちくんな! テティスてめえ、くっついてんじゃねえよ! 離れろやこのちくしょう!!」
「ぶへ! ……ぐっ、え。あは、ははは!! あははは……そんな照れなくっても!」
新たに空間を越えてきたのはメイガン手勢の傭兵たち。下っ端のテティスがいち早く駆け抜け、兄貴分に縋りついて数時間ぶりの再会を喜んでいる。
傭兵は民衆の反乱に関わりなし。いても民らを害すだけと判断され、国外退去を言い渡されていた。けれど私はまだ彼らに用がある。彼らあってこその勝利だ。奮戦には報いなければならない。なので、指定の場所にて待機させていた。
私は彼らに労いの笑みを見せ、最後の指令を出す。
「皆の働きにはいくら感謝しても尽きない。だからこそ、こちらに招かせてもらった。君たちの戦いの対価は"この城にあるものすべて"だ。何でも自由にして構わない、財も好きなだけ持って行け。言わば現地調達だな」
高々と拳を上げ、鬨の声よろしく歓声が鳴る。何事かと引きこもっていた貴族の重鎮も顔を出し……そちら目指して荒くれたちは走った。目当ては彼の装身具であったり、愛する妻子であったりと様々だ。
扉が蹴り開かれ、中から震える子女が引きずり出される。静寂の蔓延った王宮にて、点々と蹂躙の叫びが生じていく。
考えなしの略奪を開始する傭兵に、なるべく建物を汚すなと声掛けしつつ、ライナスは自室に歩いていく。カイザも逃げ惑う連中のなかに知り合いがいたのか、所用ができたと言って剣を抜き、疾走していった。
多少の人死にが出ても、内部で諍いがあったと言い訳するつもりであった。開城後は適当な貴族の精神を支配して、政権の引き継ぎをさせる予定だ。
「どうした、メイガン。君は行かないのか? 貴族らの抵抗が心配なら、もっと魔力を与えようか?」
「舐め腐ったこと言ってんじゃねえ。だいたい、今更財宝なんか欲しかねぇよ。前にてめえを斬り取った分だけありゃいい」
今も持ってるぜ、と懐から取り出してみせる。手のひらに転がった小ぶりの紅玉……私の血肉で創り上げた"魔力の塊体"だ。夜の聖堂にてメイガンと打ち合い、彼がその剣で抉り、削り取った肉片に魔力を宿らせ、与えていた。
創り方なら"魔女"のを見て知った。それに世界と接続して得た魔力は、意図的に抑えねば身から溢れ出して止まない。
メイガンが手に持つのは、私があの戦いで流した血の一部。総計、不死者一人分に値するほどの魔力を贈った。それらは彼の偉業の証として故郷の聖泉に捧げられる。
「しかし、あの時は悪かったな。真剣に戦わねば失礼だと思い、本気でいかせてもらった。斬りつけた左目と腹部が元に戻ってよかったな」
「お互い様だぜ。俺だって、てめえの手足斬り飛ばしたし……けどよ、最初から殺す気がないってことはわかってたんだな。あん時の決闘だって、"その力"使えば簡単に済むことなのによ」
「そうか? 君にだって"例の水"があるではないか。本当に私を殺して力を奪うこともできたはずだ」
「買い被んな、ワイツ……仮にもてめえは、俺が聖泉とみなした存在だ。あの深青を失わせられっかよ」
互いを害したくないという抑止の心は持てど、戦わねば進めぬことも理解していた。だからこそ血を流し、動けなくなるまで身を削り合うしかなかった。
おかげでライナスには治癒を受ける間中、こっぴどく絞られたが……これが最善の形だ。私たちは結末に満足して笑う。
悲願が達成され、帰郷も許されたメイガンはこの場ですることもなく、手持ち無沙汰に佇むしかない。
「そうだな……ここの厨房はどこだ? 暇つぶしに好きなもん作ってやらあ。何食いてえ?」
「何でもいい」
「具体的に言え!! そういうのが一番むかつくんだよ!!」
拷問してでも好きな料理名を吐かせるというメイガンの手を避け、彼をうまく厨房に誘導したのち、私は城上部に向かった。王族が身を守るため閉じこもる場所はあちらしかない。
溜め込んだ美酒や嗜好品は非常食足り得る。すべての供給が断たれても、彼らだけはしばらく生き残るだろう。
行く手を塞ぐ壁や扉を、不可視の"魔力の放出"だけで蹴散らし、普段通りに歩いて上階を目指す。
また一指も動かさず、積み上げられた家具類を消し飛ばしたとき、前方に見知った藤色が翻るのを認めた。
「あら、ワイツ団長……申し訳ありません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
「いや……急に訪れた私に非がある。許可なく来て尋ねるのも悪いが、彼らはいったい……?」
「気に病まないでくださいまし。喜んで紹介いたしますわ。こちらは私の"前世"での元婚約者とご友人の皆様です」
夜会で知人を引き合わせるように、カイザは優雅に微笑んで、壁に磔られた五人の男たちを指し示した。彼らにも返礼を促すためか、窘める言葉とともに細身の剣が突き立てられる。
「さあ、ご挨拶なさって。こちらは私の大切な御仁にございます」
「ぐぎゃああああ!! ご、ごめんなじゃい……ぶぎっ! ……ゆ、赦して。裏切った……ことはあっ、謝る! だからああ!!」
「違ううう! 俺はぁ、っ! 悪くない!! こいつが"おまえを味わえ"って……!! やれって、言ったんだ……」
「そうか。君たちには"以前の"カイザが世話になったようだな。これは私からの礼だ」
嬲るつもりは彼女になくとも、失禁号泣し、勝手に自白を喚く男たち。彼らこそカイザを凌辱して壊した張本人であるらしい。皆、剣や槍やらで身体を串刺され、彼女とまともに成り立たぬ会話を続けている。
カイザと心身ともに"深い"関わりがあると知っては、私も穏やかではいられない。礼と称し、近場の男から下腹部を削いでおく。魔力を込め、威力増した斬撃は切れ味よく、性器を含んだ肉塊を床に落とした。
「ひっ! ひぎいいいぃい!! やめてやめて許して……おお、おまえを襲って悪かった!」
「謝る……なんでもする。だから……やめ、復讐なんて……」
「先ほどから何をおっしゃっていますの? 私は皆様に恨みなど持っておりませんわ。あくまでこれは"答え合わせ"なのです。なので、そちらの方の反応は間違いですわ。男でなくなったからといって、騒ぐようなことではありません」
「っひ……?」
「"おまえの家は付く側を間違えた"と言っておられたではありませんか。間違いを犯した前世の私が罰されるのは当然の結果ですわ。だから、今の私が手にした正解をご覧に入れましょう」
「そうとも、カイザ。おまえは正しい。この旅路で多くのことを学び、真理を培った。その"答え"をあますことなく見てもらうといい。ライナス殿から教わったばかりだが、ここに治癒の術式を刻んでおこう。これで彼らは最終題まで息が続くはずだ」
「感謝致します、団長」
これはカイザにしか出せない解答だ。部外者の私は長居すべきではない。そうは思うも、答えを得る時間だけが膨大で、論じ終わるまで彼らの人生が保たないのでは味気ない。
その身体を回答用紙にして、是が非でも受け止めてもらいたい。彼女の言葉と、その瞬速の剣を……
「あと……もう私を"団長"と呼ぶな。仮にも私たちは伴侶であるのだ。その呼称は"違う"のではないか?」
「はいっ!! はい……ワイツ様!」
感極まった彼女の声は、醜い叫びの中でもよく響いた。
こちらを見送る顔も、今まで見た中で一番美しい。
待望の瞬間を前にし、やはり気が引き締まるのか……私は後宮へ踏み込む足、身なりに気をやりつつ、一歩一歩を世界に刻みつけるように進んでいく。
本来なら不用のはずの解錠行為でさえ、自身の手でひとつずつ押し開けていった。
段幕に遮られ、光も差さぬ王城の深窓は彼女の髪色を思い出させる。ひどく懐かしい。
不死者"魔女"……あの少女と出会ったことで今の私たちがある。彼女が同情を寄せた心は、すべて同じ闇へと染まっていった。
魔女は最期に、私の幸せについて関心を寄せていた。その心のままに生きて、幸せに笑っていてほしいと……今なら胸を張って言える。
私は幸福だ。これからも、ずっと……満ち足りた日々を歩んでいける。
「……っひ! 誰だ!? 無礼ではないかっ、ここにいるのをどなたと心得る!! ニブ・ヒムルダが王家、"曹灰の貴石"の一族であるぞ! ひかえっ、控えろ!!」
「ご機嫌麗しゅう……兄上。いえ、皇太子殿下。陛下はそちらにおいででしょうか?」
信じられるのはもはや血族だけと、そう結論づけるまでに彼らは追い詰められていた。同じ灰色の髪を持つ人々が寄り集まり、ひたすらに外部を貶し、自身の正当性ばかり喚いている。
長子の自覚からか、ひとり剣を握り威嚇する一番目の兄。私が意に介せず迫れば、あっけなく皆の後ろに逃げ去った。
やがて状況を飲み、私の容姿を食い入るように凝視したのち……あちこちから生じた呼び掛けに、私の主人からの声が混じった。
「ワ、ワイツ……!!」
「きゃあああ、狗っ! 嫌っ! 嫌、いやあああ! 来ないでよ、穢らわしい!!」
「ご安心を。私はこの反乱とは無関係です。ご命令どおりに、私は女神の使徒を討伐いたしました。教主である不死者"聖女"ごと討ち果たしました。さらに、彼女の宿した無尽蔵の魔力すら、この身に有しております」
けたたましく叫ぶ私の妹や震える王妃らに、狼藉を働く意思はないと、跪いて証明する。
見慣れた服従の行為に気が緩んだのか、堂々と立ち上がるのは私の父……ニブ・ヒムルダの国王であった。
「ご、苦労だった……貴様は、今も余の狗であるな!? よもや、よもや……我ら王家"曹灰の貴石"を害そうなど、思っていまいな……?」
「ええ……陛下」
ついに歓喜を抑えきれず微笑み、私は立ち上がって"美しい宝玉"たちに手を伸ばす。
主の意に反する動作と、これまで見たこともない表情に戦慄し、彼らは……国王すら恐怖に竦み上がって叫ぶ。
「来るなあっ!! ま、まさか貴様……まだ母親のことを恨んで……?」
「いいえ。どのようなことがあろうと、私は卑しい狗に変わりありません。陛下も間違いなく私の飼い主。これからも何なりとご命令に従いましょう……ただ、それは証を見せてからにしていただきたい。どうか、私が長年心より欲した、"曹灰の貴石"のご提示を」
「そっ、それならば目の前にある! この灰髪が目に入らぬかあっ!!」
「違います。真の輝きは、その血肉の下に……」
どこかの国では、贈り物を受け取る際に、その包みを派手に破り取ることで喜びを表現するという。この場合において包装とは彼らの皮膚、中身の宝は"曹灰の貴石"の輝きと言ったところか。
作法の正しさに自信は持てないが、私は概ねそのとおりにした。