第九十三話 ワイツの訣別
斜光が絶え、聖女が消え……迎えるのは仄かな青のひととき。明度が去っていく世界のなか、少年の髪色だけが淡く光り輝く。
いまだ目に慣れない黄金の髪と、中性的な風貌を持つ"不死の王"は、私たちを見て親しげに泣き笑い、言葉をかける。対面時に思った、底冷えするような王者の威圧と支配欲の残滓もない。
私は"彼"へ……そうか、と普段通りに返事をした。次いで、そうだったなと小さく笑って言い添える。この事項はすでに本人から聞いていた。わかっていたはずだった。
彼女は"男物の服"だって着るのだ。
泣き止まぬテティスによって支えられ、ゆっくりと床に横たえられる宝珠の身体。ずっと太古から想い、求めてきた男の……その極上の血肉を纏って、不死者"魔女"は優美に嗤う。
「あなたは……魔女様」
「そちらの身体においでか、魔女殿。まったく……真二つになった時は肝が冷えたわい」
「うふふっ。やっぱり驚かせちゃったわね。おじいちゃん、さっきは腕拾ってくれてありがと」
魂が違えばここまで印象が変わるのかと感心をおぼえる。姿形、性別すら以前と違うが、屈託無い笑顔は魔女そのもの。やや低調に響く声となったが違和感なく会話できる。
そして……横を向いた先にも"彼女"はあった。白鎌を受けて胴を断たれた以前の肉体だ。少年の手によって着衣は直され、腰はあるべき場所に置かれている。金眼を閉じた少女の姿は、出会った日と同じく健やかで、幸せに眠っているかのように尊い。
思えば、あの肉体は最初から死んでいた。魔女が宿るというのはそういうことだ。
ならば目の前にいる"彼"は、もう……
「おい……テティス。これは、おまえがやったのか?」
「……んっ、く……ふえぇ……ご、ごめんなさいメイガンさん。僕は……」
「泣いてねえでさっさと答えろよ! おまえが"不死の王"とやらを縊り殺したのか!?」
怒声を向けられて竦んだのか、テティスは上擦った声で返事をした。ぼろぼろと大粒の涙を零し、嗚咽で声を詰まらせる様子は情けないとしか表せない。
けれども……少年が叫んだのは肯定の言葉だ。実行犯は彼しかいない。その証拠に、こちらを見上げて笑う王者の死体は、首元を絞殺の痕跡で飾っている。
「ついて来ちゃってごめんなさい……でも、僕……本当に知らなかったんです! "不死者"なのは聞いてたけど、魔女さんがどういう存在なのか、実はよくわかってなかった……ただ、ここで倒れてるのを見て、とっても悲しくなって……」
「だからといって、なぜ"王"を殺したんだ……? 急に来て状況も理解できなかったろうに。気が動転していたからというのも無理がある……」
「っ……だって!! "同じにしなきゃ"って思ったんです! 悔しいけど……二人が並んで倒れてるところ、すごくお似合いだった。でも全部が同じじゃなかった! ずっと殺したいって言ってたのに、魔女さんだけが死んで、この人だけ息があるのはおかしい……せめて、お揃いにしてあげたかったんです」
気がつけば彼に覆いかぶさって首を絞めていた。王が死ねば、真の意味で二人はいっしょだと言える。皆が命を捨てて戦う背景もテティスの破滅的な思考に拍車をかけた。
そして、彼の息が絶えた頃……変化は起こった。
動かぬはずの身体。開かぬはずの瞳に光が灯った。懐かしい笑顔が咲いて、頬に手が添えられ、優しく囁かれたのは自分の名前……
言い表せぬ感動がテティスの心を打ちのめした。世界で彼女にしかできない奇跡だ。再会の喜びは胸に深く刻まれ、今も滾々と涙が湧く。
死によって目覚める。それでこそ"不死者"だ。
思いがけない結末だったのは魔女も同じだ。早すぎる再会に際し、少年と見つめ合って大いに笑い……泣いた。
会うべき相手と行き違い、この視点ではまともに彼の姿を見ることも叶わないが、それでも伝わるものはある。
「……結局、王様には会えなかったけど、あの人の心は感じられたわ。魔力垂れ流しで、意思ない傀儡にされたと思ったら、"こんな魔法"を体内に仕込んでたなんて」
「では、やはり聖女を屠ったのは、"不死の王"の魔法なのじゃな。彼は魔女殿が自分の身体に入ることも見越して、力を残しておいたのか」
「そう! そうなのよ!! ……あははっ、あの人どこまで先を見てるのかしらね! 考えてることがわけわからなくて嫌になっちゃうわ……せっかくの肉体も、術使ったら崩壊するようにできてるし……」
期限つきの滞在と聞き、皆はどよめいて魔女に寄った。これもまた王が仕掛けた、"玉体を悪用する者"への対策か。握っている力もなくなったのか、魔女は顕現させた杖も手放す。
王の力で構成されたという呪具は彼女が接触を絶った直後に素っ気なく霧散した。その潔さ……"もう用は済んだ"と言わんばかりだ。
「……でも不思議ね。あたし、ワイツたちのことすぐ死んじゃうものだと思ってた。弱いし、脆いし、暇つぶしに殺そうとも考えてたわ」
「現にさっきも俺たちを殺すつもりだったろ! てめえはいちいち攻撃が雑なんだよ!! 術の巻き添えにこっちまで滅ぼそうとしやがって」
「別に気にしなくたっていいじゃない。あなたたちは今も生き残ってるし……もう殺そうなんて思ってないから。あたしね、みんなが進んでく先を見たくなったの……なんでなのか説明できなかったけど、今になってようやくわかったわ」
薄暗がりの聖堂を、魔女の切ない声が通り抜ける。皆で囲む貴人の肉体は、もう身動きもできないのか、破壊された天井を仰ぐ姿勢で止まった。
彼女は視線だけで親しみの気持ちを伝えていく。蒼穹色の魔眼は、まずライナスの揺れ動く帯布を追った。
「あたしね……王様に振り向いてほしかった。"あたし"っていう存在を認めてほしかったの。世界にはたくさんの人がいて、あたしを褒めてくれたり、命乞いをしたりするけど……あたしは王様からの言葉じゃないと満足できなかった」
老魔術師は同意するよう黙って頷き、負傷した体の代わりに呪具を遣わして、彼女の頭を撫でた。
戦闘の影響で嵩を減らした暗布は、老体を覆いきることはできない。露わとなった色彩なき身だが……今の恰好の方がいいと、魔女はくすぐったそうに笑って言った。
「不死者になったのも王様を追いかけるためだったわ。一番最初に永遠となったあの人は、たった一人で世界を歩かないといけない。彼との記憶を独り占めにして、淋しさを癒してあげられるのは、同じ不死を叶えたあたしだけって思ってた……」
でも、すぐに邪魔が入ったの。魔女は唇を尖らせて不平を呟く。
永遠という道を行くのは彼ら二人だけではなかった。彼女の他にも"聖女"をはじめ……現在、不死者は七人を数える。
「言っとくが、"俺たち"も止まる気はねえ。永遠はてめえらだけの専売じゃねえんだぞ、不死者。何度蘇ろうと、目覚めた世界には"メイガン"がいるぜ……聖泉は不滅だ。清らかな水流が絶えることはない」
喰らいつかんばかりの眼光で、メイガンは滅びゆく魔女を眺める。彼ら一族は人の身でありながら、永遠の道のりへ名乗りを上げた。
同じ道行きの旅人は魔女の障害物ともいえる。無謀な挑戦者の登場にも彼女は侮ることなく好戦の笑みを向けた。メイガンも先駆者へ敬意を抱きつつ、打倒のために牙を研ぐ。
「あとは、あの人が何をしたら喜ぶのか、幸せを感じるのか……知りたかった。同じ視点に立って、同じ魔法で破壊の景色を創ればわかるかもしれない。だからこそ王様の使う魔法も覚えたし……今みたいな"不死の在り方"を選んだわ」
「魔女様……! その"答え"は、私も……」
「ええ。そうよ、カイザ。あなたと同じよ。あたしはあの人になりたかったの。でも……わかるでしょう? それは、"こういうこと"じゃない。こんなのじゃ意味がないの……!」
思い人の抜け殻に宿り、王の瞳で世を見ても満たされなかった。欲しいのは忘れ衣ではなく、彼自身なのだ。
私にはわかる。求めても得られぬのは悲しく、淋しい。だからこそ追い続けなければならなかった。
これからも、ずっと。
「ねえ。もうわかったでしょう? あなたたち昔のあたしに似ているの。今みたいな不死者になった理由を、みんなは少しずつ持っていたの。だから懐かしくって、ほっとけなくて……死んでほしくなかったの」
「それで……あの時、私を殺さなかったのだな。だが今も同じ気持ちといえるか? 君が望むのなら、肉体の存続を叶える手段だってここにある。これは私よりも君が持っていた方が相応しい。導いてくれた礼として、君には受け取る権利が……」
「どういうことです団長?」
「ワイツ王子。あなたさまは何を言っておられるのじゃ……?」
「そうよ、ワイツ……"その力"はあなたのものよ。今のあたしには必要ないわ」
周囲からの注目がこちらに集まった。魔女を引き留めるため、とっさに口にした事実だが、今の発言と皆の表情からして真実は全員に把握された。
不死者"聖女"が持っていた、世界の支援を受ける権利……いわゆる"神の力"は私に譲渡されていた。散りゆく間際、彼女の粒子が私に降り注がれ……その瞬間に宿ったのだ。
再び力を引き剥がすには、聖女と同じく私も死ななくてはならない。だが、魔女のためなら構わないとも思った。本命は別にあるが、"美しい光"を見られたのだから……悔いはない。
『願い』を告げる権利を渡せば彼女の助けになれる。授かった大恩を返すには、この場でそれしか思いつかなかった。
しかし、当人は拒絶する。
「それはあなたが勝ち残った証拠よ。『願い』も、世界が持ってる無限の魔力も、ワイツが好きに使いなさい。そして、その心のままちゃんと最後まで生きて。あたしね……あなたが幸せになったところを見たいと思ってるのよ。ほんの……ほんのちょっとだけどね」
彼女は毅然と言い切った。私から力を奪わず、素直に去ることを選んだのだ。
了承の意を誓うと満足したように笑う。じゃあ、もうここでの用事は無くなったわね……と、名残惜しそうに話した。
彼女との訣別の時が迫る。すでに魂が飛びかけているのか、瞼は閉じかかり、澄んだ蒼い魔眼は光を失って……
「魔女さん!!」
静寂を破ってテティスは叫んだ。
親しかった少女をわずかでも引き戻さんと、手を強く握って声張る。
「約束する! 僕、これから君を探すよ。絶対に強くなって、いつか君のこと殺しに行くから!! 大好きだよ……魔女さん。愛してる! ……だから、また僕の手で死んで」
「ええ、楽しみにしているわ! ありがとう……テティス。あたしのすてきな墓守さん……あたし、あなたのこと忘れないわ。ずっとずっと覚えててあげる……!」
過去は繰り返す。"魔女"と出会い、"女神の使徒"との戦いを経たテティスは、かつての彼女と同じ結論に達した。
千年前、ある少女が"王"を刺し殺した日から、二人の輪廻は始まった。テティスは当時の彼女と同じ立場で、同じ誓いを心に刻む。
殺意を告げられ、これ以上ないほど強く求められて……魔女は嬉しそうに微笑んだ。きっと、あの時の"王"もそう思っていたのだと、私はささやかに祈っている。
「そろそろ時間ね……あたし、もう行かなきゃ……」
「魔女、君はこれからどこへ行くんだ?」
「あははっ! そんなの決まってるじゃない。わざわざ聞くなんて野暮よ。早くしないと追いつけない……王様の魂が、まだ近くにあるかもしれないんだから!」
夜の帳が下りる。魔女の演題は終わった。
残された器たちを大地に送り、観客の足元を照らすのはあたたかな炎……老魔術師が発現した"ギラス"の魔法だ。彼の豪炎は怒りの感情が強いが、今は灯火のように明るく揺らめき、見る者を心から温めるようだった。
私は光源から目を外し、広間を眺めて少し歩いた。
闇は濃く、深く聖堂を満たすが、武器を見失うほどではなかった。私は床に置いていた剣を掴み、柄の血糊を外套で拭う。
「……じきに兵たちも戻ってきましょう。ワイツ団長、どうかお先にライナス様の治癒を受けてください。帰郷の支度はお休みになったあとで……」
「いや……まだ私にはやることがある」
そうだろう? と彼方へ呼びかける。
返事よりも先に刃が煌めいた。同じ暗闇で身を包み……剣に、威圧に殺意を含ませる異郷の戦士、"メイガン"。
聖泉の狩人として完成した彼は、故郷に持ち帰る贄を求めて……この私に剣を向ける。
「話が早くて助かったぜ。不死者"聖女"は痕跡ごと消えやがった。残ったのは、おまえだけなんだよ……ワイツ。俺は、おまえの血肉を聖泉に捧げる」
「ああ、喜んで応じよう。私は君との雇用契約を反故にする気はない……これは"報酬"だ。遠慮はいらない。好きなだけ斬り、持って行くといい」
"神の力"を得たと知られた時から、このような運命は見えていた。