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第九十一話 魔女の視野

 異なる信念を抱いて、彼らは立つ。心が発生した場所もそれぞれ遠く。違う色した狂気を纏い、極彩の道を拓いてきた。

 修羅、酷悪の限りを尽くしてきたが……原始に求めたものは、皆同じ。




 聖女が振り向いた時にはもう遅く、駆け寄ったとしても実りはない。救うと誓った永遠の魂は指をすり抜けて消えていく。

 白の少女は交互に二人の呼び名を叫び、傷に触れて治癒の光を注ぐも、応答が来ることはなかった。鈴の鳴るような声は悲痛に割れ、ただ虚空に消えていくのみ。


 そのような光景を眺めつつ……ライナスは自身の胸に手をやった。離したそれは朱に濡れている。気づいたカイザが慌てて負傷の有無を問い質したが、老魔術師に傷はない。

 懐中に抱いていた紅玉、"魔力の塊体"がもとの血肉に戻ったのだ。


 高魔力保持者の凝固させた力が解ける。それが意味するもの、すなわち――――



 "魔女"は去った。


 別離の衝撃は場に立つ全員を打ちのめしたが……ともに旅した者たちは、彼女の選択に納得ができた。

 "あたしは王様を殺さないといけないの"。そう言った可憐な幼顔を今でも思い出せる。そのために彼女は来た。そして完遂した。別れを惜しむことはない。とうに決まっていた道なのだ。


「……いいえ! いいえ! 私の救世は、まだ終わっていません!!」


 それでも聖女は大罪人の改心を諦めなかった。

 少年少女の亡骸から顔を上げ、喜びに噎んで叫ぶ。



「"王様"は生きておられます!!」



「なっ……」


「そんな……! 仕損じたというのか……ああ、魔女殿」


 "不死の王"の急所を貫いた氷刃は跡形もない。凶器と同様に穿たれた穴も消えていた。瀕死の状態だろうと、彼は反応を見せなかったが、胸が上下し息を繋いでいることはわかる。

 魔女が連れ去ったと思いきや、王はまだ聖地に取り残されていた。


「本当によかった! あなただけでも救ってみせます。いつか王様に正しい心が芽吹けば、魔女様もきっと……」


「聖女……残念だが、その願いは叶わない。千年をかけても変わらなかった二人だ。これからも同じ心を保ち、何度でも復活して世を侵略するだろう」


「そんなことはありません! 私は必ず彼らを救います! 不死の皆様が心を入れ替えてくれれば、世界は太平になる……誰も苦しまず、幸福に生きていける世になります」



「ごちゃごちゃうっせえんだよ聖女! 御託も説法もくそくらえだ!! てめえの統べる世界なんかくだらねえ! 全人類が平等で太平だったら、"俺たち"は誰を殺せばいいんだ!?」


 今も呪われし清泉は血を求めている。源流の飢えを感じ取ったように、メイガンは怒り吼える。

 力量差の優越はどうあっても変わらないものの……聖女は怒声を受けて、あからさまに震えた。教えに対し、これほどの否定と憤怒を向けられるのは初めてのことだ。



「"そいつ"を手元に置いとく限り、あのアマは何回でもここに来るぜ。次からはもう話なんか一切聞かねえ。ただひたすら殺しにかかる。周りの信者も巻き添えだ。"洗礼"とやらが広まることはねえ。てめえがなれるのは女神じゃなく、ただの贄なんだよ!!」


「あ、なたは……ご自分が何を仰っているのか、お分かりにならないの? 魔女様はもういません。防御を破る術があるからって、私を殺せるわけがありませんわ! ねえ、どうかお願いします。殺気を抑えてください! 女神わたしは、皆様も救いたいのです!!」


「わかっている……わかって、いるんだ聖女。私たちに勝ち目はない。けれど、私は諦められない。そちらに剣を向けるのを止められない……私たちの目指す"星"は、あなたのしかばねの向こうにあるのだ」


 自軍の不死者なくしても四者は退かず、殺意は最高潮に盛えて聖女に向けられる。

 最初はたじろぎ、戸惑うばかりだった彼女も、研ぎ澄まされた心に背を向けることはできなかった。彼らは敬虔な信徒と同じく、真剣に道を求めている。


 導くのは教主の勤め。最高神を名乗る聖女には、迷える者らに道途を示す義務がある。

 それがたとえ、自身の骨肉にて構成された旅路であっても……



「……いいでしょう。私を削ることで皆様が幸福になれるのならば、いくらでもこの身を捧げますわ。どうか、これまでの不作法をお許しください。遅ればせながら、皆様のお相手を務めさせていただきます」


 聖堂をかぐわしい風が吹き抜け、少年少女の残骸を中央から移動した。聖女は不意打ちで破かれた服も体組織も残らず直し、"絶対防御"を通してでなく、生身の自身を見せつける。



「私は"不死者エターニア"。この世で五番目に永遠となった魂です。"聖女"、あるいは"修道女"と呼ばれております」



 この場においてまで女神に信奉を持たない、拒絶し血祭りにあげると言うのなら、聖女がすべきことはただ一つ。

 装いを新たに……彼女は神具を携えて、黙礼し語る。


「今から奇跡をお見せしましょう。四肢が断たれ、臓物が消失し、首が飛ばされたのちでも甦る奇跡を。私への信仰が芽生えるまで、ずっと……でも、本当は嫌。死闘に至らずとも、皆様が救われる道はあったはずです!」


 永遠に生き、世界を滅ぼし余る不死者であるが……彼女の慈愛は本物だった。

 殺戮者らのために落涙し、叫ぶのは改心への最終通告。


「教えてください! 私は、いったいどうすれば皆様を救えるのですか? 誰も傷つかず、幸せを与えるには、どうすれば……?」



「さあな。神にでも祈ればどうだ?」



 無尽の優愛を斬り捨て、ワイツは剣を手に踏み込む。

 さながら当然の行為であるかのように、自然に……四者は女神を引き裂きに走った。





 決して穢せぬ純白の骨床だが……滲む黄昏、夜の到来を防ぐことはできない。外界と同様に、聖なる伽藍洞にも朱色が躍る。夕焼けを映し取ったような光幕は、ライナスの発現した"魔光夜の銀詠"であった。



 攻撃の要となるワイツとメイガンに宛てるのは治癒、防壁をはじめ、剣が乾けば足元の"水"を撒き上げる魔法も講じた。元来なら一個部隊で行う支援構成だが、ライナスはもはや他者の手を必要としない。


 彼は太古の戦法を貫き通す、たった一人で完結した魔法使いである。



「我が自然神せかいよ! "緑の王(ゲオルグ)"よ!! 落葉の眠りを解いて御覧じろ。我らは白亜の軛を砕く者。真の春を熱望する者なり……"覆え。残らず緑草に埋めよ。一切合切、万象のままに"」


 両の腕、使役する呪具を総稼働し、同時に異なる魔法を発現する。その集中は人の限界を越え、脳裡が焼き切れるほどの負荷が襲うも、ライナスは喜んで死線に挑んだ。

 これが自身の集大成となる闘い。長くに渡り黙殺された叡智と魔滅の祈りが不死者に届く。通用する。それは、彼の人生を肯定する戦果に相違ない。


 迫る白鎌に生命の危機は其処此処にある。走馬灯は原初の動機を想起させた。過度なまでに知識を求め、誰よりも何よりも智慧を重ねたのは……忌むべき自身を必要とされたかったから。



「死するなら、我が身を誇って参ろうぞ。黒茨をたきぎに……友の待つ地へ!」



 失ってわかる。本当に欲したのは、大多数に求められることではなく……たった一人からの親愛であった。

 いつか命が還る場所。"世界の魂"ではきっと"彼"の心に会える。


 それだけを信じ、ライナスは杖振るう。

 この場で少しでも長く生き残り、己の奮戦を土産話とするために。

 




「っ、ワイツ!」


「……ああ!」


 白刃を掻い潜り、隙あらば聖女に傷を刻む。ワイツ手持ちの"水"はとうに尽き、支流たる彼と剣を打ち合わせて補充する。

 意味を成さぬと悟ったためか、彼女は守護の魔法を解き、治癒だけを身につけ舞う。


 防御を割らずとも、回復遅延だけでも十分有利な効能だった。聖女は無限に再生するゆえに不死者。水を纏い戦うという……ワイツらが選んだ手法は間違っていない。

 魔女も進言していた。聖女を殺すには、彼女の細胞をすべて擂り潰すしかないと。治癒を上回るほどの被害を与え、彼女を成す一片すら抹消できれば勝機はあるのだろう。


 しかしそれは、常人には不可能とも言われている。



 それがどうした、とメイガンは思う。現在も死と隣り合わせ。いくら祈り、青を喚び、勇ましく戦ったとしても勝ち目はない。


「さすがに精も根も尽きるか、聖泉の狩人? 君ならわかっているはずだ。私たちは、聖女の"優しさ"によって生かされているに過ぎない」


「ぬかせ! だからって俺のやることは変わらねえ……! 俺は"メイガン"だ!! 今なら堂々と言える。最期までこの在り方を誇り、果てるまでだ」


「……そうか」


 すれ違う一瞬でも軽口を叩き合う。互いが愉しげに笑っていることも、彼らは見ずとも気づいていた。


 蓄積する擦傷、刻むより刻まれる痛手の方が遥かに多い。今も、伸縮する一閃を躱しきれず、背を撫ぜ斬られる。



「もう剣を置いて!! どうしてわかっていただけないの? 女神わたしじゃなく、こんな愚かな判断に縋るなんて。皆様は死にたいのですか!? それとも意趣返し? 救済すべき者に殺戮を強いるという……」


「ぐ……っ、うるせえ! 全っ然違えよ!! 死にたいからてめえに立ち向かうのと……戦って殺されるのは全然違う!!」


 痛みに喘ぎ、勢いの弱まった斬撃をワイツとカイザが補完し、一方的な死闘は続く。

 攻めかかりながらも、ワイツは深蒼の瞳をメイガンに向けた。その目に自戒が宿るのを見、聖泉の民は愉快に嗤う。



「そこには結末がある……勝つか負けるか、"メイガン"の人生にそれ以外の決着はねえ……! 仮にてめえを殺せなかったとしても……聖泉には、俺自身を捧げよう!!」



 思い残すことはない。己が泉の勇士として生き、不死者と戦った事実は世界に残る。

 証は消えない。猛き清流……彼の覚悟と生き様は、相対する"永遠の魂"の記憶をも浸食した。


 踏み出す一歩は帰郷への凱旋。今なら胸を張って故郷の門を潜れる。

 いつか帰る。伝聞でも、骨の欠片だけでもいい。


 "伝書鳩"ならすでに飛ばせた。




「皆様は……皆様は、そんな……」


 聖地に生じた混沌の渦の中で、聖女はたじろぐ。願いとは裏腹に四者の殺意は高鳴るばかりだった。猛攻は苛烈を極める。呼応して、彼女の舞踊も激しくならざるを得ない。


 失礼、と淑女は囁いた。同時に不死者の首肉が削がれる。迷いにつけ込んだ攻撃だが、カイザの剣は完全に意識の範疇外を奔った。

 迅い。確かに豪速だった……だが、それだけだ。幾百、幾千の閃光を浴びても、聖女が死ぬことはない。


 けれど、カイザは微笑んだ。この剣はあくまで気を逸らすためだと割り切っている。

 言葉を用いずともわかる。いつ何時でも彼と繋がっているのだ。その証拠に、失血で動きが鈍った聖女の顔を、ワイツが割りにかかる……


 望んだ場所に剣尖が来る。導線を予期し、真実をこの手で刺し貫く。とうに彼らは一心同体。死をもってすら二人を分かつことはできない。



「ワイツ団長……この期に及んで、勝手な発言をお許しください! ですが、伝えたいのです!! まだ口が利けるうちに……」


「わかっている!! 私も同じだ! ……同じ思いなんだ、カイザ!!」



 標的が沈むとともに男女は見つめ合う。それは永遠とも思える一瞬、すべての心は通じた。カイザは自己が……細胞の末端まで歓喜するのを感じた。

 揺らぎなき"正解"が胸の中にある。これ以上の発声、語彙すらも過飾だった。



 "愛"は実在する。



 それは最大級の存在肯定。この場において剣振るうしか表現の方法はないが、一糸乱れぬ完全無疵の連携は、互いが抱く思慕の情を確約していた。


「団長!! わたくしは、とても……とても、幸せにございます!」


「ああ……これほど満ち足りた日を、かつて迎えたことがない」


 知らず知らずのうちにワイツは笑っていた。思い人とともに臨む、死と肉薄した血霞のひとときを……心から美しいと実感する。


 夥しい血に塗れ、もはや視界すら瞭然ではない。落陽の茜か、血溜まりかわからぬほどの死地に立つも、これが絶景であると確信する。今も、自己を修復し終わり、起き上がる聖女の……治癒の光の美麗さといったら!



「どうして……? 死に瀕しておりますのに、私に勝てるわけありませんのに……でも、皆様は……」



 不可解に悩む聖女。祈りも言葉も届かず、よろめきながらも己に挑む定命の者らに、はじめて救済とは別の選択がよぎった。



「……皆様。とっても、幸せそう」






 四者が原始に求めたもの……"承認"。


 その存在を、矜持を、本心を、生命を、世界に認めてもらうこと。



 過ぎし日のいつか、彼らに寄り添い、側で微笑み、差し伸ばされた手があれば、運命は変わっていたかもしれない。

 ……だが遅い。もう遅い。闇夜のなか生きてきた彼らを"ある少女"だけが肯定した。いびつでも満たされた心は狂気に染まり……これより先、永劫変わらない。


 幸福を得ることなど簡単だ。

 "人"を辞めてしまえばいい。





 暗く、虚ろな魔女の視野では……不死者"聖女"を囲って、無謀な剣戟が繰り広げられている。開いたままの金眼は、ただただ現実だけを反射した。ともに旅した者たちが徐々に傷つき、血を散らせる光景を。


 喧騒の外れに横臥する同じ年嵩の少年少女。今はどのような感情も示せぬまま、四つの破滅と一つの迷いを眺め、祈りの順番を待っている。


 彼らが終われば、女神はこちらに微笑むだろう。

 それほど時はかからない。彼女は異なる"幸福"の形に気づきつつある。



 けれど……それより先に、空虚な彼らを見守る視線があった。




 広間の入り口から覗き込む、小柄な影。


 やっと整った息を再び乱し、変わり果てた少女に駆け寄る。

 急に走った勢いで頭から帽子が落ち、陰気な緑髪があらわとなるも……テティスは気にも留めなかった。

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