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第八十八話 ワイツの特別

「うるさいうるさいうるさいっ!! 黙りなさいよ! もうあたしに話しかけないで!!」


「そういうわけにはいきません。私はあなたを救いたいのです」


 ゆる巻きの黒髪を鷲掴み、頭を抱えて絶望に耐える魔女。鈴のような優しい声が近寄るのを察知し、たまらず飛びかかった。

 差し伸べる手に救いを求めたのではない。悲しみゆえに胸を借りるつもりもない。もはや彼女は仇の臓腑を浴びても、安らぎを得られないだろう。


 完全なる当てつけだ。聖女を千切ったとしても意味はない。本当の元凶は"不死の王"にある。

 自ら心を投げ捨てる暴挙。自滅に走った目的、魔女に思いをかけない理由も……すべてを秘めた心はとうに亡い。


「ですから魔女様、私といっしょに祈りましょう? ともに目覚めの方法を見つけるのです。今の王様でしたら、あなたから逃げずに、ずっとこちらにおられます。信じて祈り続ければ、いつかきっと思いが届きますわ」



「いつまでもふざけたこと言わないでよ! "すべての人を救う"? "世界のみんなを愛する"ですって? そんなの誰も救えてないわ! 誰一人愛してないのといっしょじゃない!!」



 愛とは究極の差別化。万遍に与えるのは不可能。救われぬ誰かがいなければ救済の自覚はできない。愛する存在はただの一つでなければならない。それが特別というもの……誰にも、神であっても譲れぬ"星"だ。

 心に輝く色は違えど、私たちは皆その答えに至った。



「特別じゃないとダメなの! 唯一無二の思いでないと意味がない……!!」



 そのように魔女は叫び大鎌に挑む。純白の尖撃を掻い潜って懐へ迫り、四肢をもぎ取ろうとする。魔女の動きは型もなく幼子のように自由だ。華奢なその手で一掴みするだけでいい。無邪気な掌で捕まえた肉塊は灰となる。

 手刀には万雷の魔法が宿り、動くさまは紫電に尾を引いて視界を灼いた。鎌の柄で受け止める攻防に稲妻が散る。



 標的を追う金の瞳は極彩色の呪いを注ぎ、最後に少女の亡骸を添えて、惨劇の絵画を描かんとする。けれど聖女に攻撃が通じる様子はない。

 出し惜しみなく紡がれる魔撃は聖堂を錦で彩るが、彼女の世界からだは白しか許さない。


「何をお怒りになっているの? そうやって王様を殺めたとしても、また同じことの繰り返しではないですか。血と命を交わす手法では思いも通じませんわ。どうか無為な輪廻を断ち切って。爛れた絆は無意味だと証明されたばかりでしょう?」


「年下の分際で偉そうに……! たくさんのゴミどもに支持されてるからって、いい気になってんじゃないわよ! 王様と比べたら、あなたの言ってる女神なんかままごとに過ぎないわ。真実、神がいるとしたら間違いなく彼よ。"あの国"に生まれた者は皆そう信じてた!」


「でもあなたは彼を殺しました」


「殺すしかなかった!」


「なぜです?」




「"あの人が淋しそうだったからよ"!!」



 大振りに放った一撃とともに、極大の主張が空間を抉った。大気も切り裂き、真空に還すほどの威力。遠間の私たちも呼気を詰まらせ純白の骨床に膝をついた。


 叫ばれたのは憐憫。同じだ……それは私が以前に吐露した本心。玉座にある彼女の獲物も、同種の哀切を持っていた。




 死の呪いを存分に含んだ魔法には、さすがの聖女も笑みを消し、後方へ迅速に退しりぞく。大鎌を回転させ盾とし、追い迫る余波を祓った。


 今の攻撃には熱望のすべてがあった。熟成された殺意は祝福の地を砕き、冥界を拓く。

 標的には避けられたけども、渾身の魔撃は"絶対防御"を割って聖堂に皹入らせ、"無限再生"の魔法すらも汚染した。数秒を経ても回復の兆候はない。

 呪詛の深さから見て……間違いない。この感情が魔女の核だ。



「あの人は倦んでいた。世界を統一して、伝統も文明も言語も全部塗り替えて、命じれば喜んで死ぬほどの、忠心の民たちに崇められて……心の底からつまらなそうだったわ。この場にいることすら苦しい、そういう顔をしていた……」


 だから殺したの。そう言った可憐な頬に一筋の光が走る。


 かつての情景を知るのは世界で彼女だけだ。只人はもちろん、他の不死者にも立ち入れぬ聖域。想像も共感も不可能だが、私は気づく。思い浮かぶ事実はこれ以外ない。


 遥か過去、"王"は世界でただ一人の不死者であった。



「あの人は死ねない。いくらでも蘇る。だったらあたしも永遠になって、王様を滅ぼす厄災になるわ……あの日、彼の胸へやいばを突き立てた時に見た……幸福な笑顔と巡り会うために」



 私にはわかる。誰からも気を向けられないのは淋しい。思いをかけられぬまま逝くのは哀しい。他者に求めている感情はすれ違い、誤解されたまま心は流れ去る。

 魔女はそれらの気持ちを汲み取って……私を生へ、王には死へと導いた。




 原始の思いを胸に、魔女は聖堂を駆けた。聖女が鎌を構え直す合間に接近する。絶対防御も生来の治癒も間に合わなかった。魔女は指をうら若き乙女の眼窩に埋め、呪いを纏ったまま脳漿を掻き壊す。


 きゃあっ……と、小さくも致命的な悲鳴が漏れた。


「何度でも墜としてあげる! あたしの手で、何度だって泥濘に這いつくばらせて、土の味を思い出させてあげる!! 世界で一番優しい魂を、犯し抜いて穢し尽くしてあげる……あたし、ずっと続けるわ。いつか……王様があたしだけのものになるまで!!」


 文節ごとに痛撃を区切って与え、全身全霊の激情を見舞う。ほとばしる言葉は敵にでなく、彼方に鎮座する廃人を目掛け、叫ばれていた。



「だから……もう一度笑って、王様。あたしを見て……あなたの王国、最後の民を……」



 声と、聖女から引き抜かれた手のしぐさは切なげなもの。頭を壊されればやはり思考は静止するのか、聖なる少女はゆっくりと沈み、飛び散った赤はなだらかに血痕を描いた。


 舞台は彼女の白骨で構成されているからか、よく血が似合う。しかし、下手人の魔女は自身の作品に目もくれず、不死の王の反応だけを待っている。


 今もなお、涙の幕張った魔眼には、当時の劇画が映し出されているのだろうか。




「でも、ほら……ねえ魔女様。もうわかったでしょう? 私は無意味と言いました。その歪んだ心では何を思おうと響きませんわ。いくら訴えても、今のままでは永劫彼へ届きません。王様は目覚めない……けれど、まだ道は残されております」


 待てども無音。無反応を徹する王を眺め、再び魔女の動きが止まる。胸の前で握られた手の、糸引く紅は光輝と転じて聖女に還り、頭蓋を再構築した。


 ひょっこりと起き上がり、体を傾けて笑む姿は猟奇的なまでに愛らしい。


「どうか私を信じて。洗礼を受けてください、魔女様。私もあなたのために祈りましょう……必ず、王様もあなたも救ってみせます」


「ああ……王様……」




 黒白の少女たちの衝突は熾烈で、姿を追うことすら命がけだった。見境なく放たれる呪いは、世界を道連れにするほどの勢いを保ち、私たちに襲い来る。

 聖女が操る縦横無尽の白鎌も、常識を超越しているがこちらへ危害を加えない以上、まだ人道的だった。


「ワイツ団長、魔女様が……」


「そうじゃ。覇気が薄い、聖女めに気圧されておる。このままではわしらも危うい」


「わかっている」


 味方側の少女は迷っている。殺戮の手がいつもより鈍い。聖女が提示した事実を経て、殺意に澄み切った魔女の心に邪念が生じた。

 ここで不死の王を殺さず真意を問いかけたい。それには彼の目覚めが必要だ。けれど、幾度呼びかけても瞳に輝きは戻らず、意思の表れは皆無だった。


 聖女の福音は毒となって魔女の"星"を侵す。今はまだ抵抗を続けているが、いつか彼女は諦める。そのような予感がする。

 どうあっても王が自身を見てくれないと悟り、すべてを投げ出して聖女に縋る。その慈母のようなかいなへ堕ちる。それまでの己を間違いだったと懺悔させられ、心の虚に洗礼を流し込まれる……



 そのような事態は断じて見たくない。彼女が変えられるのは嫌だと……強く思う。傍観者にしかなれない私たちだが、この先の展開を変えたいと、心の底から願っていた。


 何より……私には、魔女に伝えるべき言葉ができた。

 王と同質の本心を持つ、私だからこそ出せた"答え"……生きて、この場にある以上、私には伝達の義務がある。



「おい、ワイツ」


 声の鳴る方面、異郷の傭兵へと向き直る。

 注意を引いたわりにメイガンは要件を話さず、しじまに凪いだ紫瞳を伏せるのみ。けれど……見ろ、と言われた気がして、私と同じくカイザも、ライナスも彼の視線を追った。



「……ああ」



 そこでの現象を見届け、各々は異なる感嘆を発して、新たな事実を受け入れる。私は結果を吟味し、これからの対応を再考した。


「それでも殺すには至らないだろう……私たちに勝利はない。この場に立つのでやっとのうえ、巻き添えで死ぬのも時間の問題だ」


 回避できない破滅を告げれば神妙に頷かれる。不死者同士の戦闘を目にし、自分の非力さ、矮小さなどは、嫌でも飲み込ませられた。


 それでも……万に一つも勝機がなくとも、退くことは考えられない。今も奮戦する彼女が泣き喚くのはいい。嘆き怒り、容赦なく殺意を振り撒く光景も許容できる。

 しかし、心折れて諦め……己の何もかもを悔い改める姿を、絶対に見たくなかった。


 ゆえに武器を構え、呼吸を揃えてその瞬間ときを待つ。



 いつからか私たちは、"魔女"の在り方に自身の願いを重ねていた。

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