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第八十七話 ワイツの同情

 光を失った瞳。開けども囀らぬ唇……形良い風貌だけに、今の有様は無残と言うほかない。"不死の王"である少年は尊大な呼称の見る影もなく、身柄を玉座に投げ出している。


 世界を救うと豪語する聖女と、世界の王を名乗る彼。意見の合致などありえない。出会えば互いの支配圏を巡って闘争あるのみ。

 だが……いくら最高位の不死者であろうと、"神の力"を得た聖女の前に屈した。この状況は無尽蔵の魔力に撃たれ続け心神を失ったか、それとも服従を強いる術に心を汚染されたためか……



 割れたさかずきから美酒が流れ出したように、王者の覇気は蒸発し、あとには破片が悲愴な光を反照するのみ。支配欲を灯すはずの魔眼もくらい。虚ろな蒼珠には砕けてしまった玻璃細工と同じ切なさがある。



「あ……ああ……!」


「どうか落ち着いてくださいまし、ライナス様」


「そうだ。うかつに寄るな。心を鎮めてくれ……"彼"は、私たちが手を出していい相手ではない」


 ふらふらと近づきかけた老魔術師の暗布を引いて、不用意な行動を嗜める。あの姿に"誰"を重ねているか、私たちには痛いほどわかる。色彩なき身の内にて怒涛の後悔と自責が再燃していることも理解している。

 しかし、彼に手を下せるのは彼女しかいない。これは彼女にしか許されない行いだ。



 王は死ななければならない。



 それを目的に旅を続けてきた。

 この瞬間のために生きてきた。


「……無様ね、王様。"神の力"持ってたからって、聖女なんかに負けて捕まるなんて」


 馬鹿じゃないの、と不死者"魔女"は吐き捨てる。その顔に嘲りや侮蔑はない。言い表せぬほどの失望と焦燥に喘いでいる。憐れな王の姿が晒されてから、彼女の動揺は増すばかりだった。

 一刻も早く彼を解き放たねばならない。正しい在り方で殺し合いを始めなければならない。命を散らせて二人で踊る、輪舞の続きが待ち遠しい……


 しかし、聖女は殺戮の再開を良しとしなかった。双方の間に割って立ち、魔眼の視線から王を守る。黒の少女が望んだやわらかな死の魔法は"絶対防御"の光に弾かれた。


「だめですよ魔女様。殺してはいけませんわ」


「邪魔よ聖女!! どいて! どきなさいったら!! ……やっぱり駄目、粉微塵にするだけなんて無理。あなたを汚物に変えないとおさまらない……!!」


「あの……もしかして、私が王様の心を壊したと考えておられますか?」


「なによ、白々しい……しらばっくれんじゃないわよ! この人を殺していいのはあたしだけなの!! あたしだけに許された行為なの!! 誰にも邪魔なんかさせない、誰にも指一本触れさせない……触れられたく、なかったのに。それをあなたが……!!」



「いいえ、魔女様。あなたともあろうお方が何故おわかりにならないの? 私ごときが王様を倒せるはずないでしょう?」



 澄んだ鈴の声は思いがけない真実を呼び起こす。魔女からも罵声の呻きが漏れた。けれど、それはいつになく弱々しい。

 私たちは秘めたる戦略の伝達を中断し、不死者たちの聖域へ視線を投げた。


 では巡礼の始まりからお話ししましょう……そう聖女は厳かに告げる。




「新たな信仰の形に目覚めた私は、ムルナ村の皆様に洗礼を授けたあと、ムーンジアリークの首都に向かいました。かの国は革命が起こったばかりで、大変乱れておりましたが……だからこそ、女神わたしの迅速な救いが必要だと思い、介入を決意したのです」


 布教の使命に勇んで歩を進めた聖女。始まりの地の住民からしても、まずは自国の首都から蹂躙すべきと考えた。


 近場から拠点を築きたのち、まだ洗礼を受けていない異教徒を虐げ、自分たちだけの聖地を敷く……そのように進めるのが自然だ。

 信者たちも本来ならニブ・ヒムルダの王城を要求することはないはず。あちらの都市から先に支配すればいい。


 けれど、聖女は使徒を引き連れて海を越えるしかなかった。道行く過程で、ある奇跡があったためだ。



 不死者の王と聖女の出会い。

 二つの脅威が衝突し、世に災禍が波及した。


「でも、私たちはこのお方のせいで首都に入れませんでしたの。ムーンジアリークはすでに不死者"王様"の支配下にありました。彼は裏から革命を操作し、一国を破滅させた後も残った派閥に闘争するよう仕向け、内乱を煽っていましたわ。国民同士が潰し合うのを見て楽しんでいたようです」


「あっそ。要するにあの人はいつも通りだったってことね」



 標的がしていた悪行について、魔女は当然の如く受け取った。国民を負の感情に染め、虐殺へ焚きつけるのが"普段通り"と認められるなど……"不死の王"とはどれほど悪辣な人物なのか。


 心なき少年を目に映しても実りはない。ただ、後方からメイガンが思わず放った一言、この狂人どもめ! という悪態に激しく同意したい。


「私は王様に新しい教えや洗礼について話し、協力を仰ぎましたが、ご賛同は得られませんでした。そればかりか彼は、布教の中止と信者たちの国外追放を求めたのです!! 皆様は……その理由をお聞きになりたい?」


 聖女は困ったように眉根を寄せ、笑った。

 思い返すのは過去の言葉。不死の王が信徒の旅路を阻害した理由……



「"今ちょうど面白くなってきたところだから邪魔をするな"……王様は、そのようにおっしゃいました」



「……あの人らしいわね。我儘で、傲慢で……どんなくだらない目的でも、叶えるためなら天地の摂理も平気で捻じ曲げてたわ」


「ええ。しかし、そのようなことを言われましても、私たちは納得できません。王様の言い分はあんまりです。要求は一方的でしたし、私の意見も聞いてもくれない……しかも、すでに信者となった皆様は生国を失うことになってしまいます……ですから、私は全力で"説得"を試みました」


 二人の不死者の"話し合い"は苛烈な平行線を辿ったという。驚くべきことに彼は、世界の支援を受ける聖女と、洗礼を交わし信仰の力を奮う信者たちを相手に一歩も退かなかった。


 尽きぬ魔撃の雨。絶対防壁を傘に、幾度も再生する聖女と信者たち。彼らとの長い交渉の末……"もう飽きた"とこぼした王は、攻撃魔法を取りやめて、別の呪詛を編纂した。



「そして、発現されたのが"霧の魔法"。進む者を靄に巻き、決して辿り着けぬ不可侵の領域を創り上げたのです。あれは、強い拒絶の念を溶かした術……ある条件に該当する者を決して通さない呪いでした」



「え……? 不可侵の……霧? じゃあ、まさか……あの人は、あなたと信者どもを通れなくする魔法をかけたっていうの?」


「はい魔女様……そのお顔ですと、そちらのおじいさんもご存じのようですね。そうです……他者への行動制限はとても難しい術。ましてや、"洗礼に携わった者"という定めに当てはまるとはいえ、世界の魔力と接続した私と、信徒の皆様を立ち入れぬようにするなんて」


 そこにきてやっと白の少女は笑みを消し、悲しげに王を振り向いた。真相に至ったライナスも、私たちへの助言も忘れ、衝撃で小刻みに震えるのみ。摺り合わされた唇の動きを呼んでも、あり得ぬ……などと呟くだけだ。


 聖女は祈るように事実を謳う。



「その代償は術師の"心"。王様は、玩具にして弄んでいた人々のために、魂を手放したのです」




「なんで、よ……? たかがそいつらのために……どうして王様がそこまでしなくちゃいけないの?」


「どうしてなのか知りたいのは私も同じですわ。いまだムーンジアリークの地に霧は晴れず、足を踏みいれても入り口に帰される……だから、私たちは泣く泣く国を出るしかありませんでした。いつか意識が戻る日が来ると信じて彼を保管していました。そして……魔女様。あなたの来訪をお待ちしていたのです!」


 ただでさえ平静を欠いていた魔女の心は、聖女の話が進むに応じて、より乱れていく。


 王を我が物とするために殺さねばと結論づけるほど彼女は狂っている。しかし、他者による蹂躙を喜ぶ気持ちは皆無だった。体の一部が使役されていると気づいただけで嘆き怒るなど、彼に対しての敬意と理想は高い。



 なら、その王が虫けらと等しい命のために、全身全霊を投げ打ったと知った今……彼女はどうなる?



「王様は、その魔法が自己の破滅と引き換えであることを知っても、一秒の迷いもなく実行しました。自我が消える最期の瞬間まで笑っておりました。お考えを理解できるとしたら……魔女様、あなたしかいません」


「知らないっ! わかるわけないじゃないそんなの……!! だって、王様……あたしにそういうの、してくれたことない……」



「では呼びかけてください。千年にわたって死闘を繰り広げてきたあなたでしたら、王様の深層に声が届くかもしれません。彼が本当にあなたを宿敵と思っているのなら。憎悪や復讐心、強い激情をあなたに抱いているのなら……自ら科した呪縛を解いてでも、あなたの命を絶とうとするのではありませんか?」



 それならどんなによかったことか。魔女が現れたと同時に反応を見せるのなら、彼女の心は救われた。けれども、王は魔女の存在に無関心を貫いている。好意や憎悪、殺意……魔女と同等なほどの、強い感情の表れはない。

 嫌でも頭によぎってしまう。千年あまりも激闘を続けてきて、至ったのは非業なる事実のみ。



 王は魔女に、何の思いも持ち合わせていない。



 自覚した瞬間……彼女の"星"は砕かれた。


「ねえ……魔女様、お願いします。どうか王様を目覚めさせてください。私は世界の人々全員に洗礼を授けたいのです。なのに、祝福を贈る場所に隙間があってはいけませんわ。幸せにできない方がいるなんて許されないこと。ですから、どうか彼を起こして。霧の魔法を解かせてくださいな」


「そんな……! 違う、こんなのは嘘よ……ねえ! だって……だって、王様!! お願い、聞いてよ!」


 あくまで聖女は純心ゆえに頼んでいる。生きとし生けるものの中で、魔女ほど不死の王と関わりのある者はない。二人の間には誰にも侵せぬ繋がりがある。それが目覚めの鍵になると信じていたのに……


 両者の様子を見守っていた聖女だが、緑柱石の瞳に諦めが広がっていく。



「王様……なんで? あたしが来たのよ。あなたを殺すために、旅をしてきたの……どうでもいい事なんかじゃないはずよ。ねえ、いつも通り笑って。馬鹿な女だと嘲笑って……!! あたし、ずっとずっとあなたを手に入れたかった。いつかあなたが振り向いてくれると信じたから、ここまで生きてこれたのに」


 黒の少女から鳴るは悲痛な声。

 しかし、王は目覚めない。何の兆しも現わさない。



「ねえ王様っ! あたしがここにいるのよ!! だから起きて……いつものようにあたしを罰して! あたしを殺して……!!」



 聖女も静かに視界から退いた。もはや二人を隔てるものはない。けれども聖堂の様子は変わりなく、魔女一人の思いだけが天に昇っていく。

 どのような言葉をかけても、仮にこの状態で殺してみせたとしても、答え合わせが遅れるだけ。彼に思いは届かない。


 魂に襲い来るのは途方もない絶望……私にも経験がある。だが同情を寄せるといった生易しい感情など吐けたものではない。



 真相は彼女から脅威を剥ぐ。千年をかける妄執が崩れていく。自身の心、行いのすべてを否定され……あとに残るは無力に泣きじゃくる一人の少女。

 慟哭の果てに大きく息吸い。胸を掻き毟り、血を吐くような思いで……




 あたしを見てよ、と魔女は叫んだ。






「……残念ですわ、魔女様」


 聖女は悲しそうに瞑目した。

 ゆるゆると首を振って、残酷なる真実を吐く。


 

「王様にとって、あなたは特別な存在だと思ってましたのに」

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