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第八十五話 ワイツの宣言

 地表で繰り広げられる阿鼻叫喚はともかく……天から大聖堂までを切り取って見れば、雲の合間から降る差光は美しく、この町が神の祝福を受けていることは疑いようもない。

 不死者"聖女"が発現した結界は光の更紗となって町を覆い、冬季の寒波、雪を孕んだ海風から護り、あたたかな春を密封していた。



女神わたしの声が聞こえますか?」



 時を知らせる鐘の代わりに鈴音のような声が鳴る。町中に響いた少女の声は、信者たちにとって神の啓示と同じ。化物の掃討途中ながらも傾聴の姿勢をとる。

 突然湧いた"異形のものども"も強引な通過を止め、期待の瞳で天空を仰いだ。


 聖女は町の生き残り全員に告ぐ。


「敬虔なる信者の皆様。今も、女神わたしを信じてくれていますか? 洗礼を浴び、心に生まれた聖気は今も輝いていますか?」


「もちろんです女神様! だからどうか、我々をお救いください!!」


「聖女様お慈悲を私に……ああ、お助けを……!」



聖女ぜいじょざばああああ!!」


「ごめんなざい聖女様っ! どどどうかお、おれをお助けぐださい! 今度がらちゃんとっ、ちゃんと本当にじんじるからあああ!」


 平等に洗礼受け、幸福を祈られる者同士の争い。来るなと殺し合い、通せと殺し合う皆の心は、聖女に助けを求める内容でようやく一つとなった。


 彼女は優しい。どんな願いでも叶えてくれる。だからこそ、ムルナ村の住民は取り入って利用した。信じると嘯き、手にした力で遊び呆け、思うさま他者を蹂躙した。しかし、このようなしっぺ返しを食らうとは予想できなかったか。


 聖女の声はやわらかく、皆を安心させるよう朗々響く。姿は見えず、天から声が降りるのみだが、人々は彼女の慈愛を信じた。予想より時間はかかったが、彼女は自分たちを決して見捨てはしない。今も救いの手を伸ばしてくれる。



「では、大聖堂へお入りください。私は祭壇の間で皆様の到着をお待ちしております。迷いがあるなら払いましょう、痛みはすべて癒しましょう……そのあと、皆様に大事なお話があるのです」



 歓声が上がる。皆は我先にと女神棲む家へ駆け出した。混乱に怯え、家屋に隠れていた者も喜び勇んで走る。聖堂の扉は開け放たれており、呼びかけずとも進路を示してくれる。

 歪な姿の信徒が後から迫り来るのを見、慌てて出口を閉めようとする者もいたが、戸板は頑として動かなかった。



 目指すままに……心求めるままに、信者は女神に縋り付く。

 だが、彼らは知らない。彼女の"心優しさ"の意味を。その思いの深淵さを……




「まずは心を落ち着けて。大丈夫です、女神わたしはここに在ります。いつ、如何なる時も皆様を見守っております。不安が収まるまでずっとそばにいていいのですよ。扉も閉めておきました。外からはもう何も恐ろしいものは訪れません」


「ありがとうございます!! ああ、女神様に心からの感謝を」


「よかった……! 守って頂けるのね」


 祭壇に高々と掲げられる女神像、聖なる印章を背に少女は笑う。光舞う広間には人々がひしめき、喜色に染まった顔は着色硝子の華やかさにも勝る。


 悪夢から逃げ延びた。皆は絶対的な守護を得たと小躍し、隣人と抱き合い、命ある歓喜を噛み締める。



「傷を負った方、どうかお身体を楽にして。目を閉じ、自分の形を強く思うのです。心を開いて、女神わたしの光を受け止めてください……ええ、そうです。深く息を吸って……」


 どのような姿形であっても、聖女は命を等しく扱い、奥の間へ通した。芋虫にも劣る"彼ら"へ手を伸ばし、光で優しく包みこむ。


「うあ、おお……」


「俺の、体だ……! うはははは! やった、元に戻ったぞ!!」


 この世で彼女ほどの治癒術の使い手はない。不要な部位は光粒と溶かし、元の肉の容量も度外視して、人の形へと再構築する。他者との結びつきを解かれ……肉体は命の数だけ佇むのみ。




「嬉しそうで何よりですわ。皆様の笑顔と幸福こそが私の幸せ。この祈りも、教えも、すべては皆様が"悔いなき人生"を歩くための信義なのです」


 少女は一度黙し、説話を聞く姿勢が整ったのを確認する。そして……ふいに頭上を仰ぎ見た。

 円錐に展開する聖堂内部。採光は色水晶を通過し、多彩な煌めきを落とす。見上げるばかりの光は夜空に浮かぶ"星たち"にも似ていた。


 それらを懐かしそうに眺めてから、薄紅の唇は聖話を紡ぐ。



「私が生まれて間もない頃、世界に光はありませんでした」


 これは例え話ではなく、本当にそう思ったのだと聖女は回想する。彼女が永遠となる前……今から七百年以上も昔の話だ。


「信じる寄る辺なき混沌。闇の滴る世界を、私はずっと一人で歩いて育ちました。けれど、幼いながらも信じていました。世界はきっと美しい、この場所にもっと光さえあれば、あたたかく幸せな日を迎えられるのだと確信しておりました……私の産まれた死体遺棄場では、日中あまり陽が射しませんでしたから」


 美しい声は歌うように極暗の過去を囀った。清らかな少女の面差しに、嘘を言った気配はない。



「この世にもっと光を注ぎたい。"幸せ"という名の、あたたかな気持ちを広く伝えたい。暗闇に生きる人たちを救い出したい……そう思った私は、まず神になることを決めたのです」



「え……聖女、様?」


「"不死者"になったのも時間の制約を受けないため。永劫の生をもって祈り続け、どうやって皆様を救うかを考え続けてきました。夢を抱いてから幾星霜、私の言葉は女神教と呼ばれ、世界中から信仰を集めるに至ります。ですが今もまだ、理想の過程……」


 けれども……ある日啓示を得たのです、と頬を薔薇色に染め、聖女は語った。

 顔を引き攣らせる信者たちの存在など、緑柱石の瞳には映っていない。


「……あるお導きがあって、私は再び"世界の魔力"と接続できました。膨大な力を継いだ時、思ったのです。私が幸福にできるのは精々目の前にいる方だけ。もたらす幸せも、本当に欲しい形なのかわかりません。ですが、"世界の皆様自身に幸福を叶える力があれば"より理想に近づけられるのではないかと……」


「だ、だからこそ……女神様は私たちに洗礼をお与えくださったのですね! 貴女の教えを唱えるたび、身から溢れるこの魔力は……本当に素晴らしい」


「ええ。"洗礼"は女神わたしとの契約です。生き抜いた年月の数だけ魔力が蓄積されるのでは、至福を得るのに十分ではありませんわ。ですから"信仰心を対価に力を得られる"よう世界に嘆願いたしました。私の教えを信じ、清く正しく生きるのならば、必ず幸福を叶えることができるように致しました」


 真白の聖衣は純心を象徴する。夢見る少女は腕を広げ、この地に集った聖徒たちを抱きしめるよう呼びかけた。

 万物を退けるほど彼女の思いは清い。人心をも灼き滅ぼす光輝が、華奢な身の内にある。



「皆様。私の愛しい信徒の皆様……動乱の王国、ムーンジアリークから、古くはムルナの小村から……遥々海を越えて、私に付き従ってくれました。"洗礼"の契約が一番身に馴染んでいらっしゃるのはあなた方だけ。ですから……どうか教えてください。皆様は幸福なのですか? 心から満ち足りていると、言って頂けますか?」


「……もちろんです女神様!!」


「私たちはこの命をあなたへの信仰に捧げます!」


「これまでのように教えに従い、正しく生きることを誓います!!」


 若干の間を置いたが、信者たちから再度の喝采が沸く。場は祝いの聖句で満ちていく。



 これらは女神への信仰からなる反応ともとれる。不安と怯えで彼女に依存しているようにも見える。

 ……間もなく声がかかると思い、私は静かに席を立った。


 彼らの心を満たすものは何か。

 これから切り裂いて確かめる。


 


「ありがとう! ありがとうございます。そう言ってくださるのなら大丈夫ですね……では、ニブ・ヒムルダの皆様方! 今のご意見をお聞きになりましたか?」



「……ああ、聞いていたとも。こちらの面々には初めてお目にかかるな、聖地の使徒諸君」


 熱狂を隔てた壁は覗き穴ごと光と溶けた。私は前に進み出、集会の主催者に黙礼したのち、聖女の祭壇から一段下がった隣に立つ。


 女神本人に控えの間へ案内されてからは、聖堂内外の様子見しつつ、決戦の相手たちが揃うのを待った。呼びかけといい、信者たちの反応といい……町の生き残りは全員収容されたようだ。皆、顔を強張らせ不可解の表情をとる。



「私はニブ・ヒムルダ王家、第四王子のワイツという者……国王の命令により、君たちを殲滅しに赴いた。まずは聖女に、私のために人々を集めてくれたことへの感謝を伝える。そして、この国で洗礼を広めたいという思いはわかった。一大信教を率いる教主へ敬意は払おう……しかし、あなたの信者たちの粗暴は目に余る」



 荘厳なる聖堂は祈りや聖歌と同じく、私の抹殺宣言もよく届けてくれた。声の余韻がよく反響するとともに、皆は忘れかけた恐怖を思い出す。一度は救われると思っただけに次の絶望はより深い。

 守護神であるはずの少女は、私の話に微笑んで頷いているだけだ。


「彼らが信じているのは"あなたの教え"ではない。"あなたが贈った力"の方だ。強大な魔力を嵩にかけて、このような侵略を行ってきた。港町の占領、二度にわたる王家への恐喝……先ほどこちらから助け出した村民によると、君たちは彼らを奴婢の如く扱っていたらしいな」


 信者の一部から小さく叫びが漏れた。悲鳴をあげた者は、そのあとに女神の顔色を伺う。

 住民への非道行為は彼女に隠れてのことか。やましい思いを抱えてでも、彼らは悪事をやめられなかった。"盗賊砦"ムルナ村の人々にとっては他者を虐げるのもまた日常なのだ。


 しかし、聖女は微笑みを絶やさない。


「新たな教えの流布も……私の国の王権、伝統を塗り替えてでも進めるべき急務とは到底思えない。はっきり言わせてもらおう。あなたの"洗礼"ごときでは、私たちは幸福になれそうもない」


「でも、それはわかりませんわ。あなた方はまだ教えの一端に触れたのみ。心を開いて、私たちと語り合えば相互理解も可能です! そのために大勢を集めたのですから!!」


「え……め、女神様! それはいったいどういうことですか!?」



「さあ、いよいよ出番ですわ。この方々の心を変えられるのは皆様しかいないのです! ですから、どうぞ語り合って。皆様が洗礼を受け、心に感じ、幸福となった思いを伝えてください!! 皆様の言葉で、お力で……ニブ・ヒムルダの人民も私たちのお仲間となっていただきましょう!」



「そっ、そんなことできるもんか!」


「ひいっ……女神様っ! 私たちを守ってくださらないの!?」



「大丈夫です。だって、皆様は女神わたしを信じてくださるのでしょう? この方々と最後まで向かい合っていただけるよう、建物には私と同質の特性を付加しておきました。扉、窓はもちろん、柱の一本に至るまで"絶対守護"と"無限再生"の魔法を施してあります。結論が出るまでの間、この聖堂のなかでご歓談ください」



「よろしい……では確かめさせてもらおうか。私たちに少しでも改宗の可能性があると信じるなら、その教義を語ってくれ。ただし、私たちはそちらで言うところの"異教徒"。文明なき未開の地に住まうゆえ、野蛮で粗野な"戦闘"という手法で問わせてもらう。どうか……容易く死なないでもらいたい」


 返事は絶叫となって空間を木霊した。慌てて元来た道を引き返す信者たち。逃げ出さんと窓を割ろうとした者もいたが、聖堂は少女が告げたように一切の破壊を受け付けなかった。

 彼らに逃げ場はない。


 光壁で護られし聖地でも、私たちの所業を知らぬ者はいない。同行する"彼女"の脅威を怖れぬ者はいない。





「場所を変えましたか。いいでしょう……私にも、心してお迎えすべきお客様がおりますもの」



 私は部下と傭兵たちに信者の追撃を命じた。集団は鬨の声をあげて信者を追い込む。向こうへの相手はこれで十分だ。

 閑散となった広間にて、最後の敵と向かい合う。この場に残ったのは四人。皆、万感の思いを込め、聖女の亡骸を求めて殺意を膨らます。



 聖なる少女が笑みを深めた一瞬、場に消えない影が滲んだ。




「随分と久しぶりね……"聖女"。本当にそれ、ずーっと前から言ってたわね。人を幸せにしたいって、世界を救いたいって……でも、なんで?」


 出現した不死者"魔女"は、蠱惑的な笑みを振り撒き、肩をすくめて問いかける。



「こんな世界のどこに救う価値があるっていうの?」

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