第八十三話 ワイツの突撃
「……え? なんで……? メイガン、さん」
「わからねえとは言わせねえぜ。この軍のなかで、てめえは一番弱い。このまま俺たちについて来れば確実に死ぬだろう。それを俺が防いでやってんだ。ありがたく言うこと聞いて、とっとと失せろ」
下品な笑みは消え去り、テティスの表情は見苦しい泣き顔へと歪んでいく。この場で捨て置かれる事実に対し、少年は親に売られるような悲しみを表すも……これはメイガンの優しさゆえの判断だ。
ここに来る際、なぜテティスなどを同伴に誘ったのか不可解だったが、このような理由のためとは読めなかった。
「ちょっと……ちょっと待ってください!! そんなの絶対嫌です!! ぼ、僕だって戦えます。絶対あなたの役に立ちますから!」
「うるせえよ。もう喋んな、ついて来るな……てめえだって命は惜しいはずだ」
「バカなこと言わないでください! 長生きしたかったら、最初からあなたの仲間になりたいなんて言いません!! 弱いから……戦力にならないからって、そんな…………ねえ、ワイツ王子様からも何か言って! 僕だって戦える、連れていけばきっといいことがあるから……!」
「そうだ、メイガン。考え直した方がいい。こんな彼を生かしておくのは世界のためによくない。敵の前に放り出して見殺しにするか、用済みになったらしっかり処分するのが望ましい」
「ちょっ、違……なんですかそれ! そういうことを言って欲しいわけじゃないんですよ、王子様ぁ!」
こちらに泣きつこうとするテティスの手を避け、会話の輪からも距離をとる。こんな彼でも実績がないわけではない。最強の信者、ローアを倒せたのは彼が参入したおかげだったが、私は当時のことを思い返したくないので語らなかった。
仲の良かった魔女も彼の進退には興味がないらしく、再び信者たちを切り貼りする作業に戻っている。
平静を装ったメイガンは遠くの海原だけを見、視線も合わさず話す。足元を這う"肉片もどき"に関しても無視を決め込んでいる。
……何も告げずに進めばよかったのだ。品性下劣の具現ともいえるテティスを生かしておく価値はない。未練、哀れみなど抱くのも不快だ。雑魚に討たれようと、攻撃の巻き添えで死のうと構うことはない。
「ワイツ……いくらおまえでも、こいつに関して口出しすんじゃねえ。あの時、俺が"ついてこい"って言ったんだ。始末をつけられるのは俺しかいねえ」
「お願いです! 僕も連れて行ってください! メイガンさんは、僕に新しい世界をくれた恩人です。あなたのかっこいい戦いをずっと見ていたいんです! それなのに……とっても大事な勝負の瞬間を、僕だけ見られないなんてひどい……ひどいです」
「てめえの事情なんぞ知ったことか! 俺はその性癖も変態的な趣味も何一つ理解できねえ。そのうっとおしい顔だって見たくねえ! 連れて旅したという事実だけで生涯の恥だ。正直、今すぐ殺してやりたいくらいに……けど、できねえ」
異郷の戦士は少年の死を良しとしなかった。わざわざ彼の身を案じ、逃がしてやるだけの思い入れがある。
他方を向いているが、メイガンの横顔は静謐な意志を湛えていた。紫瞳に宿る真剣な光に気づいてしまえば、殺しておくべきとの助言を諦めるしかない。
「テティス……おまえは俺を、"メイガン"だと認めてくれた最初の人間だ。生きていく限り、おまえだけはその名で俺を呼ぶ。これからも……どんなことがあろうと俺を語り継いでくれる。だから、殺したくねえ……誰かに殺させたくもねえ」
"メイガン"……それは聖泉の青を受け継いだ、勇猛な戦人の名前。ここにいる彼がその名を手にするまで、多くの苦難と葛藤があった。少年に心救われた日もあったのだろう。テティスもまた、彼が完成するに要した存在なのだ。
少年を生存させる限り彼の記録は守られる。一人の男が真の狩人として覚醒し、不死者"聖女"を相手取って鮮烈に戦った。その軍記は後世に残され、いつか信奉する泉に届けられる。
たとえ……本人が生きて戻らずとも。
メイガンの意志がどれほど伝わったかはわからない。テティスはもう言葉も纏まらず、暗緑の髪を振ってぐずり続けるのみ。
滂沱の涙と鼻水で汚れる顔を、横から光が照らした。ふいに発現したのは……転移の魔法。
「! ……門が!!」
カイザが作戦を伝言し、本陣は決戦の準備が整ったようだ。最小規模で発現していた"転移の門"が新たに光を灯す。
地面を染める雪より酷薄。冷徹に浮かぶ白は円環となって闇を囲う。以前と発色が異なるのは、転移場所が更新されたということ。
この漆黒を潜れば、最後の戦いが始まる。
……少年との別れが近づく。
「っ、いやだ! お願いですっ、僕も連れて行ってよメイガンさん! ねえっ、魔女さんも何か言ってよ!! 僕がいなかったら寂しいでしょ!? 絶対いっしょにいたほうがいいって……!」
「いいえ。さようなら、テティス。あなたはあたしの遊び相手としてよくやってくれたわ。おかげで楽しく進んで来れたのは本当……でも、もういらない。お遊びはおしまいなの。残念だけど、ここでお別れね」
「そんなっ! おいてかないでよ魔女さん!! 僕、まだ君のことを一度も殺してない……!! 無責任なのはそっちじゃないか。ここまで昂らせておいて、寸止めなんて耐えられないよ!」
「あはっ、若いわね。でも真面目に頼んだって誰も殺らせてくれないわよ。あたしも、"今の"テティスに殺されてやる気なんかないわ。けど……どうしてもあたしを殺したいんなら待っててあげてもいいわ。あたしは不死者だから……時間だけはたっぷりあるの」
泣き疲れた面を上げさせ、魔女は朗らかな笑みを贈った。
少年は若く、まだ発展途上である。そんな彼の素質を見込み、彼女は大成の可能性を示唆した。その仕草はまるで将来の約束を交わしているようだ。
テティスにも進むべき未来はある。ここで得た記憶を糧に、未知の展望を切り拓いて行くだろう。一心に彼女を想い続け、腕を磨き、技を極めれば……その槍は不死者の心臓に届きうる。
それまでに、どれほどの犠牲者が嬲られ殺されるのか、想像するだけで虫唾が走った。
「でも、僕は今じゃないとやだ……イくときはいっしょじゃないといやだ!!」
「しつけえよ、テティス! この変態野郎が!!」
なおも縋りつく少年に対し兄貴分はしびれを切らして拳を見舞う。これが彼への餞、一番強い打撃で少年の意識を完全に飛ばしておく。
殴るのもこれが最後だ。彼ららしい別れの挨拶で、奇妙な縁を締めくくった。
「はーい! これでもう後腐れは無くなったわね。ほらほら、"みんな"も町に戻るわよ。這ってないでしっかり走って! 新しい姿が恥ずかしいんなら、聖女に会って元に戻してって願うといいわ。もうとっくにわかってるはずよ。あの子を信じて頼み込めば、どんなお願い事も聞いてもらえるって」
聞くや否や門へ雪崩れ込む異形のものども。変貌させられた身体を必死で動かし、聖女を目掛け走る。彼らの中で女神を疑う者はない。心の底から信じて、救いを求めている。命あることを呪う身になって初めて真の信仰を手にしたのだ。
新しい呼吸法を習得し発声する。狂いかけた心で祈り出す。知る限りの聖句を諳んじ、賛美歌を途切れ途切れに歌う……そのような拙い所作でも女神の力は微笑んだ。
洗礼は作用する。無意識に発現した不可視の力は、主に同胞を押しのけるため行使された。
私たちも豪快に突撃といこう。少年が目覚める頃には、すべての運命が決している。
目指すは町の最深部。大聖堂の残骸にて、聖なる少女を磔にしよう。
美しい春の日。清純な加護が降り、花と蝶とが憩う聖地は、今日も陽光浴び輝く。人々は慎ましくも祈りを胸に、充足して生活している。幸福な笑い声と鐘の音鳴る白昼、女神の使徒たちの足元に人肉が湧いた。
「あ……あ……なに、あれ? あ……! いやっ! いやああああああああ!!」
「うわああ!! 来るなっ、来るな来るなぁ!! ……そんな、これは聖ムルナの御仁たち……!! 大司教様の、顔が……そこに……!!」
「ごぼっ、どげえええ!! どおぜえええ!! 聖女、聖女さばたたすけてなおじで!」
「……信じます信じます信じます女神女神様あなたを信じますだからだから治癒治癒治癒をくだください信じます女神様信じる今度こそ本当に信じますから治癒治癒を治癒……」
"門"消失の光にまぎれて、私たち三人は中央広場の陰に潜み、兵たちの合流場所へ進む。魔女すらも身を低くし、見つからないよう移動した。
町の者たちが"彼ら"を見た時の驚きは激しく、悲鳴は万雷として轟いた。うららかな昼下がりは終焉を迎え、地獄が侵略を開始する。
悪夢にて人の形をした敵が出ては恐怖も冷める。"突然"、"何の説明もされず"、"異形のものどもに襲いかかられる"のが、人を発狂させる定石というもの。こんなことをされては間違いなく心は怯む。思考は静止し、祈る正気も失う。
しかも、肉片をよく見れば、知り合いの顔が付いているのに気がつく。それは"聖ムルナ"と呼ばれ、信者の尊敬を集めた司教たちのものであった。
絶叫と魔法の衝突音は私たちの姿をよく隠した。魔女の遠見で知った道順を駆け、裏路地に自軍の姿を認める。
ここまで味方を率いたカイザが、私を見て軽く微笑み頷いた。隣には大柄な兵におぶわれたライナスがいる。こちらは待望の決戦にも関わらず浮かない顔だ。
指揮官は交代され、私は改めて進撃の音頭を取る。その前に……魔女は皆と異なる方角へ進み出た。
少女は一旦私たちと別れて行動する。決して外せない予定があるのだ。すでに意中の相手が心臓をくつろげ、彼女の刃を待っている。
「では、これからの動きは前に話した通りだ。不死者"魔女"よ、後ほど生きて会おう。私も……君の、一刻も早い悲願の達成を祈っている」
「ええ、そうねワイツ。先に行って"王様"を殺してくるわ……だから、ちゃんと来るのよ。あまりあたしを待たせないでちょうだい」
「善処する」
会話は短く。別離は簡潔に。それぞれ激しい戦闘の目前にあっても、これが永遠の訣別とならぬことは確信していた。
私は"生きる"と心に決めて、堂々と今を生き抜いている。だから、戦っている。志を遂げるまでは決して死なない、殺されない。
すべてはニブ・ヒムルダ王家"曹灰の貴石"のために……私の"星"から光を絞り出す日を、実現させるために。
大聖堂へ走る私たちに、背を向けてもわかるほどの爆発、放光が響き渡る。数人がつんのめって体勢を崩し、一時進軍が乱れた。
「……どうやら、"歌いきった"ようじゃな……」
「わかるのか、ライナス殿?」
戦闘意欲は著しく低いが、それでも老魔術師の叡智は推察をはじき出す。信者にけしかけた"肉蚯蚓たち"はよほど敬虔な使徒となったらしい。例の"聖歌"を最期まで奏でて殉教、または町の者がそうするまで追い詰めたのだ。
どちらも信奉するのは同じ女神。信心あるゆえに、悍ましき者らに立ち塞がって聖女を守る者。彼女を強く信じるがゆえ救いを希い、御前へと向かう者……
祈りと祈りは殺戮を生み、勝手に衝突して聖地を穢していく。私たちが手を下すまでもないとは拍子抜けだ。
「王子、あちらではいったい何が行われているのですか?」
「知らない方が諸君らのためだ」
正直に答えると士気が下がるうえ、私も彼らの醜態を思い出してしまう。見ただけで正気を削る容姿……しかし、騒ぎを起こすには最適の相手だった。おかげで進む道には人影一つない。
私たちはついに大聖堂の戸口に達する。調査した限り、最も人通りのない箇所、信者からも存在を忘れられた扉の前に立つ。
内部の敵も町中央に出向いているといい。そろそろ魔女も目的を達する頃だろうか。なんにせよ、私たちはここから忍び込んで奥へと、
「ようこそ皆様」
鈴の鳴るような声。聞き馴染みがなく、短い発音であったが……頭の中で清らかに反響する。
「……っ!」
「んな……! ここでかよ!?」
誰もが動きを止めていた。誰も、彼女に斬りかからなかった。出会う者はすべて敵だと知っている。"この少女"こそが散らすべき命であると、理解していたはずなのに。
いまだ響く信者の喚声。地獄の如き苦悶への噎び……けして遠くない。聞こえぬわけがない。しかし、彼女は至福の微笑みで扉を開き、私たちを出迎える。
人の絶叫や阿鼻叫喚も花や蝶にとってはそよ風と同じ。生者なき血塗られた戦場でも、陽はあたたかく死骸を照らすように……不死者"聖女"はそこに在る。