第八十二話 ワイツの悪寒
止める間もなかった。
右腕の切断、肩へ繰り出された数撃の刺突、うち一太刀は頸を裂いた。カイザの瞬剣を余さず受けたローアの叔父は、最初の犠牲者として倒れ、折り重なる死体たちの最下層に埋まる。
瞬速を発現したとはいえ、曲がりなりにも相手は聖女の洗礼経た信者。カイザは彼らの攻撃こそ躱せるも、落ちた紅玉にまで気を遣ることはできない。援護に駆け付けた私とメイガンも同様だった。
"原材料"が何か知らなくとも、あれが大いなる力を秘めていることは周知されている。不可避の一突きを受け、雪上に転ばされた敵の一人は"赤き輝き"に手を伸ばし……
そして、少女の可憐な足に踏み潰される。
死闘の場に舞い降りた不死者"魔女"は、信者の代わりに至宝を拾う。元来の魂から切り離され、道具に成り果てた"彼"を……少女は慈愛と憐憫の思いで見つめ、唇を寄せた。
「かわいそうに……"王様"。あの時、あたしに殺されていれば、こんな目にも遭わなかったのに」
殺されても文句は言えぬ隙を払って、私はその一瞬を見届ける。彼女が玉に触れた時点で結果は定まっていた。私も手にできればと……わずかなりに期待はしていたが、やはり叶わない。
赤薔薇の花弁が散るように、"不死の王"による魔力の塊体は華々しく砕けた。持ち主に使役され、その思いを叶える存在ならば、この結末は必然。
魔女が"彼"に対し願うことは……ただ一つしかない。
後に残るは腕の残骸をぶら下げた信者のみ。
「もう止め……たす……たすけ、て……いのち、だけは……」
「ふーん。命だけでいいのね? わかったわ!」
ひらめいた! との快活な言葉が弾けた。私は残り少なくなった敵をカイザとメイガンに任せることにし、演台の外れに赴く。
そこでは明るくはしゃぐ少年少女の姿が目を引いた。実年齢はともかく、精神は二人とも若く幼稚である。ゆえに舞会にも興味はなく、催しに添え置かれた菓子を啄むよう、信者の切り落としを拾っている。
「テティス! 早くそこの左足と手首持ってきて! ねえ早くったら!」
「ええ……魔女さん待ってよ! そんなに急かさないで! ……これ、見かけよりずっと重いんだって……」
「ほら、さっさとしなさい。男の子でしょ!?」
「君たちは……さっきから何をしているんだ?」
紅玉を消滅させた後、魔女は肉片の収集を始めだした。息のあるなしも関係なく、掴んでは後方に投げ飛ばしていく。テティスが持ってきた足を茂みの陰に集めさせ、残りの部位や臓物の運搬も、少年に手伝わせていた。
左手首だけは自身の欠けたそこに当てがい、魔力糸で縫合する。
「いいからいいから。あたしね、素敵なことを思いついたの。あとから見せてあげるから、ワイツはそこでじっとしてなさいよ」
「? ……そうか」
問いを投げても魔女は説明せず、行動を止めない。できたら呼ぶからあっち向いてて、と言われたので、とりあえず従っておく。子どもの残酷な遊びは意図がよく理解できない。
一方、成人男女の殺戮はというと、神速を発現したカイザが攻め手の中心となり、メイガンは補助するよう、側に控えて立ち回っていた。
私と舞っていた時とは戦法が異なる。カイザは神がかった俊敏さではあるものの、まだうまく制御ができないのか、急所への刺突ができていなかった。
元々威力の低い剣だ。だから私は彼女に、即死を狙わず四肢を切りとばすよう指示した。切り花よろしく手折られる腕や足。そして、怯んだ隙にとどめ刺すのが私たちの戦闘だった。
「っ、ぎゃあああああ……腕があああああ!!」
「うあ、ああ……俺の、足……あんなところに……」
今、相手を務めるメイガンには殺意がない。カイザと背中合わせの形であるが、敵に引導を渡すのも後回しに、彼女の舞ばかり見つめていた。
時折、合わせた剣と剣で水を受け渡している。凄まじい速度に運ばれる聖泉の雫。かすり傷でも強酸の効果は発現する。人肉は泡沫のように儚い。
「はーい注目! 二人とも戦ってないで、こっち見なさーい!!」
「うっせえ、魔女! 人がまじめに戦闘してんのに邪魔すんじゃねえ!!」
「とは言うが、今カイザが斬った敵で最後だぞ。援軍も来る様子はない。戦いは終了だ」
確かめるようメイガンが首を巡らせば、斬り伏せられた数人が折り重なって倒れる光景を目にする。息はある者も多数いるが、全員闘志は失せている。腱または足そのものを絶たれているのだ。文字通り立ち上がることも二度とできまい。
脅威がなくなったのを確認し、麗しき藤花は刃をしまう。
「やっと集まったからお披露目といくわ。じゃあ、テティス。"みんな"をこっちに連れてきて!」
「わかったよ魔女さん!」
元気よく返事したテティスは隠れていた茂みから出てくる。得物の槍で足元をつつき、何かを追い立てるようにして進む。
そうして現れたのは、先ほどまでの敵……の変異体。
「な……っ!」
「て、てめえ……! ふ……ざけるなよ、ちくしょう……!! このアマ……信者使って、そんなもんこしらえたっていうのか!?」
視認した瞬間、肌が総毛立つ。数秒経ても悪寒は止まない。魔女の"服作り"の技術は、死体の接合において遺憾無く発揮された。皮膚を断ち、腸を詰め直し、筋をつないでこしらえた……異形のものども。呻き声を上げて、こちらへ這い寄る。
死体を操る遊びよりもなお悍ましい。本来あるべき位置になどまるで配慮せず、でたらめに肉と肉を繋ぎ、多肢多節の意匠に変貌させている。まさに生命を愚弄する所業である。
カイザの採った戦法の都合で息のある敵は多数いた。魔女の気まぐれにより、彼らは命を助けられているが、これでは下手に殺されるより惨い。
「ワイツ団長、いかがなされました? そちらに、何が……?」
「……っ、来るなカイザ! 止まれ、おまえは見てはいけない……!」
「そうだ! うしろ向いてじっとしてろ!!」
一目見ただけで正気を削る風貌の彼ら。印象が強すぎて一生記憶に刻まれかねない。今も……縦に裂かれた信者が右半身と左半身に別れてなお生存しており、それぞれ尺取虫の要領でこちらに進んでくる。
私は素早く退いて口元を押さえ、溢れ出んとする悲鳴を耐えた。
メイガンなどは、胴体のみに四対の足が付いた信者に纏わりつかれている。蜘蛛じみた容姿の"それ"は割と素早く動けるらしく、硬直した身で避けても追ってくる。
不気味さに動けず……ついに直接擦り寄られた彼は、恐慌のあまり加減なく蹴りつけ、自身も数歩逃げ出した。そこで崩れ落ち、盛大に嘔吐する。
「ねえ! みんなの姿を町の人たちにも見せてあげましょうよ!! 出ていった時とまるっきり違うもの。きっとびっくりするわ」
「いい考えだね! 他の人もこうやってどんどん面白くしていこうよ!」
「テ、ティス……てめえ、なんで普通にしてんだ? そんな奴ら見て……どうして、平気でいられる!?」
青白い顔で震えるメイガン。誇りある戦士の彼は、切られる側の人間にも最低限の敬意は払う。自身の水魔法が呼んだ惨憺たる光景にも拒絶を示すほどだ。
だからこそ手下の態度に疑問湧く。心底理解できないと、らしくなく呻いた。
「え? こんなの全然平気ですって。僕はあなたを見習って守備範囲を広げたんです。今の僕は、人がどんな姿をしてても性的な目で見られます! 男も女も老いも若きも、平等に興奮できるんです! だから、みんなのことも大事に大事に殺してあげられるよ。穴がなければ作ればいいんだから!」
「あはははっ! あはっ! おっかしい……あなたって本当に人間が大好きなのね。博愛主義者って、きっとテティスみたいな人のことを言うのよ」
やはり狂人か。彼女の手ほどきを受けたテティスも、順調に人でなしへの道を進んでいる。悪い事ほど世に広まりやすい、その極端な例が彼ら少年少女だ。
慣れてきたわけではないが、いつまでも呆然としているわけにいかない。私は無理矢理にでも思考を未来に飛ばす。今ある判断力のすべてを目的達成のために総動員する。
「……聖地に攻め入る策としては、有効だ。幾千幾万の兵を差し向けても、"彼ら"をけしかけるほどの動揺は誘えまい……カイザ! おまえは転移の術で陣に戻り、計画を伝えろ。陽動員は必要なくなった。奇襲予定地点には兵ではなく、この者たちを放つ。自軍は全員で侵攻順路を走れ。送り届けたのち、私たちもそこへ行く」
「……はい。かしこまりました。ご武運を、ワイツ団長」
迷いはあるが雪踏む足音は規則的で、やがて途絶えた。空間を繋ぐ魔法は来た当初から広げたままだ。実際の彼らを見たわけではないが、私たちの具合から脅威のほどは伝わったろう。本陣は侵攻の用意に勤しむはずだ。
「じ、準備ができたら……向こうから合図が来る。次に開く"転移の門"が繋ぐのは……町の中心部だ。彼らを解き放った混乱に乗じて、軍を大聖堂に差し向ける……魔女、君から先に願いを果たせ。迅速に"不死の王"を殺害。そののちに合流し……ともに聖女を討ち取ろう」
「それじゃ、僕は魔女さんといっしょに行くよ。君がずっと気になってる王様って人を見てみたいんだ。あと、かわいいって噂の聖女さんのことも……あははっ! 楽しみだなぁ」
「待て」
少年に否を唱えたのはメイガンだ。異形のものどもの衝撃から立ち直ったのか、傭兵率いる若頭の顔を取り戻し……低く告げる。
「てめえはここに残れ……テティス」




