第八十一話 ワイツの舞踏
放った情報は魔女にとって何よりも関心高く、また挑発的な内容であった。千年以上も奪取を試み続けた"不死の王"が、容易く他人の手に渡っているのだ。これほど不快な事実はない。
ならば怒るかとも思ったが、少女は無表情のまま日傘を広げ、そっぽを向くのみだった。
「軍での出撃は必要ない、魔女を連れた少数で出向く。町に動きがあればすぐ教えろ……では、カイザ。私の供をするように」
「はい。承りましたわ、ワイツ団長」
「お、お待ちください! まさか……たったの三人だけで襲撃なさるおつもりですか!? そんな、無謀だ……」
「案ずるな、策くらいはある」
まだ指揮下に加わったばかりだからか、新参兵は私の言い出した編成に動揺した。このような初々しさは目に余る。早いうちにこの軍の気風に染めないといけない。この程度にいちいち驚くようでは、この先の異常さに耐えられそうもない。
私のやり方に慣れさせるべく、まずはうたた寝するライナスを叩き起こし、"転移"の術式を書かせるよう命じるつもりであったが、その前に別箇所から静止がかかった。
「……そいつの言うとおりだぜ、ワイツ。ちょっと待ってろ」
「メイガン。君も私を止めるというのか? 心外だな……そこまで私に信頼がなかったとは」
「違えよ。俺も行くから先走るなってことだ」
意外な申し出に目を見張るも、異郷の戦士は勝手に同行を決め、支度しに去っていった。ひとまず魔女に視線で意見を問えば、いいんじゃない? とばかりに微笑まれる。
私も特に異論はない。彼がいれば急な事態に陥ってもある程度対処できる。
自身の装備を取りに行く途中、メイガンは仲間の一人に声をかけた。暗緑の髪を持つ少年……テティスだ。また良からぬことでも妄想しているのか、聖地を眺めてにやにや笑い、鼻の下も伸ばしている。
「あっ、メイガンさん!! あれ?小難しい顔してどうしたんですか。僕に何か用事?」
「……テティス。俺と来い」
進むのは簡単だった。転移の術で彼らの進行方向に飛ぶだけでいい。陣中で用意を終えた後はひたすら待った。敵方に動きがあると報じられてから、私たちは武器を手に前哨戦としゃれこむ。
老魔術師は、追加資料なく書けるのは丘一つ越える距離だけと言ったが、あの場からなら十分だ。ローアの叔父が町から離脱したところで接触を図る。逃亡者を長く走らせるつもりはない。
「……にしても、最低な作戦だな。気分悪りぃ」
「まだ反発するというのか? これが最善の策だと何度言えばわかる」
雪をかぶった大岩に隠れ、前方を見守りながらひそやかに話す。メイガンはここに来るまでにも散々怒鳴っていたが、まだ不平を言い足りないようだ。皆や魔女にまで諭され、ようやく納得したかに見えたが、実行する際でもこのざまとは。
紫の瞳は憤りを込め、雪原の彼方に向けられる。そこには……無残な姿となったカイザが打ち捨てられていた。
彼女を使って、あの男を誘き出す計画はみなまで語らぬうちにメイガンから却下された。
軍から逃げ出し、聖地への投降途中に行き倒れたと見せかける。あの男なら必ず食いつくだろう。
標的となる彼は、以前会った時に私とカイザの容姿を気に入ったと話していた。今回の策では、その旺盛な欲を利用しようと思ったが、異郷の戦士はなぜか最後まで難色を示した。
満たされぬ欲、私たちへの恨み、聖女に対する怒りと憤激がないまぜになった状況において、彼女の存在は格好のはけ口だ。方向性を得た邪な感情は、理性からの抑制など受け付けない。
そう説明すると、メイガンは嫌々ながらも理解したようではあった。
しかし、説得力を持たせるためカイザの顔に二、三個青痣を作ろうとしたところ、彼は剣を抜いてまで反対した。藤色の長髪を切り裂こうとしても同様に反意を主張した。
現在の姿は妥協案を重ねた結果だ。損壊した装備を身に付ける、狩猟した獣の血を塗りつける程度の偽装しか施されていない。
「おまえ……本当に最低だ。まさか、本気で殴ろうとするなんてよ……」
「君にそのようなことを言われる日が来るとは思わなかった。仮にも行き倒れたという設定なのだ。同情を買うのに、傷ぐらいなければ不自然だろう? 彼女の方も受け入れるつもりであったのに……」
中途半端に小綺麗なままでは警戒される。囮の用を成さねば献身の意味がない。そう苦言を呈してもメイガンは、絶対おまえ頭おかしい……と呟くのみで自身の行動を反省することはなかった。
あいにく最低限の衣装しか用意してやれなかった。策の成功はすべてカイザの演技力にかかっている。
その身で哀れさを醸し出し、標的のあの男を己の近くに寄せなければならない。彼が手に持つであろう……例の杖を奪い取れる範囲にまで。
地響きは予測通りこちらに向かい、荷物を抱えた一隊が姿を現した。今度も空から来る敵はいない。男の信仰心の低さから見るに護衛の同行は必須だったが、"玉"の力を実感した後なら何の気兼ねなく出奔できる。
連れている仲間たちも、恐らくは彼と同類だ。聖女本人からあのようなことを言われた以上、近くに狂信者を置く気も失せる。
先頭を走る者が淑女の存在に気づいた。後続に大声で伝え、一行の指導者に判断を仰ぐ。以前見た時と同じく、ローアの叔父は馬車に乗っているようだった。窓が開閉したのち、軋みをたてて扉が蹴り開けられる。
彼はまず上体を覗かせ、しきりに周囲を見渡した。後生大事に握りしめるのは……赤い輝きが宿る杖。
「……?」
「……!!」
声は届かない。時折、強い語尾や音だけが寒冷な大気を震わす。
男は淑女との邂逅を思い出し、状況を判断しあぐねているようだ。あの日の出来事は印象深く、忘れるのも難しい。甥が死に、不死者"魔女"に凄まじい恐怖を与えられた。けれど、まだ生きているという余裕が、彼の足を先に進める。
助けを乞うカイザを目指して、あと一歩。
もう一歩で、男の破滅が確定する。彼は艶やかな藤の領域に踏み入る、毒花は棘を振り翳す……
「殺してやる!! 貴様らのせいで、ローアは……!!」
「……っ!」
足りない。あと数歩あれば必殺の間合いだった。
男は欲を優先せず、暴行や尋問にも思い至らず……抹殺の道を選んだ。叫んだ怒りは亡き甥を偲ぶもの。大音量ゆえにこちらまで届く。
真っ先に生じた思いがそれとは読めなかった。魔力の暴雨がカイザを襲う。
けれど、私とメイガンが次に見たものは……砕け散った彼女ではなく、男からこぼれ落ちる紅玉の煌めきだった。
「な、に……?」
雪に埋められた白銀を掴んで一瞬。鈍色の世界に閃光が疾る。腕ごと断たれた力の源。迸る悲鳴。のたうつ身体……彼女に比べれば何もかもが遅い。遅過ぎる。
「そんな、馬鹿な……っ、あああああああ!! うあああああ!!」
手にした愛剣を指揮棒に絶叫が奏でられる。最初の高潮から目が慣れれば、千々に散る鮮血と銀の流線が極上の調和を見せる。右に左に、後ろに前に……逃れられぬ死の旋律が降り注ぐ。
威力は低くとも、"速さ"に関してカイザを凌ぐ者はいない。それでも普段はここまでの閃きを成せなかった。雷光と見紛う剣尖は瞬きの間に位置を変え、角度を変えて敵を穿つ。
「まじか……まじかよ……退いたと思ったら、もうあんなところに……」
「メイガン、今のは見えたか? 斬り飛ばした掌を、地面に落ちるまで四つに裂いていた」
「いや……あれは五つだ。見間違えんな」
「本当か? 指を勘定に入れたのではないか?」
いくら時をかけて見ても、残像をかろうじて追える程度から進展しない。ともに観戦するメイガンと視認率を競いつつ、高次元の剣を瞳に焼き付ける。
これはカイザだけの力で成せるものではない。今の彼女には不死者"魔女"からなる"魔力の塊体"を持たせている。
私の目の前でちぎった肉片は、持ち主によって赤い石に変えられていた。作り方を見せることが目的だったにも関わらず、魔女はできた塊を私に押し付けた。真の意味で魔力を貸し与えてくれたのだ。
少女曰く、二百年ほどの魔力が譲渡され……今はカイザの手にある。
あの神速の剣は魔力の増幅によるもの。これは、ある種の魔法である。
術式や詠唱を伴わない魔法は、本人の記憶や経験の発現となる。元となる出来事には察しがついていた。私とともに観覧した……魔女とローア、豪然たる少年少女の舞踏だ。
「なあ、ワイツ。俺に教えろ…………カイザは、おまえの何なんだよ?」
高揚は鳴りを潜め、メイガンは静かな口調となって尋ねる。
彼ならとうに理解していたろう。凄まじい速さではあるが、彼女の剣筋は私のものと完全に一致している。
紫色の、諦観を込めた眼差しは……私に真理を問う。
「カイザは私だ。私のすべてだ」
彼女の思いは私の思い。これより先は、私に伺いを立てる必要はない。導き出す回答はすべて"正解"だ。
「貴族階級から放逐され、戦場で殺されるのを待つだけだったカイザの、"知りたい"という意志に応えた。心血を注いで、知り得る限りを与えた。私の教えによって完成した彼女は……もはや私だと言っていい」
カイザは、求めて止まなかった正答を手にした。どれほど身を飾り、知恵を身につけ、位を高めても……どうせ虚構を纏っただけ。本当の真実は、彼女が今……実践している。
人は心臓を貫くと死ぬ、それだけは未来永劫変わりない。
慎ましくもカイザは笑っている。胸を張って咲き誇る藤花。彼女の行く手に裏切りや嘘はない。これからも、真理はその手で引き摺り出される。
告白を受けてメイガンは……ずりぃ、と一言羨んだ。それは、ギラスやライナスら年長者の技巧、魔女の魔眼に羨望を抱いていた時よりも、深い思いが込められていた。
「あいつが……絶対に笑わない女だったらよかったのに。見ちまったらもう、抑えられねえ」
ゆるく、かぶりを振って……見納めとばかりに、再び淑女の舞踊に視線を合わせる。
あるいは思いを振り切ったようでもある。テティスとの掛け合いを盗み聞いてしまった時から、彼が誰をどのように思っているのか知ってしまった。
とは言っても、ネリー去った今、この軍には女性が二人しかいないので推量は簡単であったが。
「あの舞を、今度は俺の故郷で見てみたい。聖泉のほとりで。大輪の、月の下でさ……きっと綺麗だ」
切なげに呟くメイガンの横を抜け、大岩の影から姿を晒す。こうなっては隠れる意味もない。
私は彼の前で剣を抜いてみせ、前方を指し示す。
「今ここで、ともに踊るというのも悪くないだろう?」
「……違いねえ」
彼女はやれないが、思い出を得ることは自由だ。この出来事も……彼が故郷に持ち帰る、貴重な記憶となる。
そこにて何をどう聖泉に語ろうと目を瞑ろう。道を同じくしても、彼の旅路は彼だけのものだ。
私たちは同時に地を蹴って舞踊場へ駆けた。
急ぎ彼女に声をかけ、相手役を申し出なければならない。淑女を一人で舞わせるのは礼に欠ける。