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第八十話 ワイツの観測

 急速に耄碌しつつあるライナスをなだめすかし、自身の腕でなく杖を持たせればやっと術式を書き出した。魔法の観測場所は丘に一つだけ立てた天幕の陰。汐風に波打つ幕の上に"魔光夜の銀詠"が重なる。


 老魔術師による発現場所の指示も詠唱も必要最低限のみ。しかもやや投げやりな発声だったが、欲しい魔法は叶えられた。魔女の視界は皆に共有される。



 不死者の魔力を借り、金色に開いた光の幕は目まぐるしく画を変えた。映される景色は魔女本人の興味と好奇心の向かうまま、次から次へと流れていく。

 書記を務める私の部下は、移り変わる視点と極彩色の春めく町に翻弄され、地図に印をつけることもままならない。


「本当に卑怯くせえ。人より長く生きられるってだけで、ここまで世界から優遇されるなんてよ……ろくに鍛錬もしねえくせに強大な力持ちやがって。まじめに戦ってる奴に悪いと思わねえのか?」


「なによ、ひがんじゃって。女々しいわね。これなんて別に大したことじゃないわ。この魔眼、"未来視"もできないし"鑑定"機能だってひとつも付いてないの。性能としては中の下程度ね。こんなのを羨むなんて、本当に普通の人って不便でかわいそう」


 メイガンは反論を怒鳴ることはせず、舌打ちのみして会話を絶った。不平不満や羨望など持ち込むだけ無駄というもの。彼らはこの世で七人だけ存在を許された厄災、"不死者"なのだから。


 その力は常人と一線を画すことはわかるが……私に言わせればメイガンも随分な反則技を持っている。彼が水魔法として発現するのは、なぜか触れるだけで死ぬほどの猛毒だ。そんな傭兵が隣にいては真剣に戦うのも馬鹿らしくなる。


「今あたしがつけてるのは、こうやって遠くを見るのに長けた魔眼。まったく、見た景色全部焦がしたり、石化する能力でもあれば進むのがもっと楽だったのに」


「しかしそれは、"不死の王"から剥ぎ取ったものだと聞いていたが……意外だな、彼はその程度の魔眼しか持たなかったのか?」



「ううん。あの人、能力をケチってるだけよ。やろうと思えばいろんな部位に特殊な技能をつけられる。昔の肉体なんか能力積みすぎて、ほとんどの攻撃が通じなくて苦労したわー。でも、近年はそんなに盛らなくなったの。なんでかって言うと"死体を悪用する奴"がいるからですって……誰のことかしらね? そんな不届き者、見つけたらただじゃおかないわ」



 架空の誰かに憤りつつも、魔女は私たちに正しい"王の死体の悪用法"を見せつける。開いた口が塞がらないといった態度のメイガンに、もう何も言うなと首を振ってみせた。狂女くるいめに意中の相手のことを語らせるのは時間の投棄だ。


 視界の映像は迅速に流れたと思えば道沿いの花壇で停滞している。遠くが見えることはよくわかったから、花の上を飛び交う蝶たちから視線を外し、次の区画に移って欲しい。





 では魔女様、これを……と、カイザが差し出したのは望遠鏡。ライナスの手で術式が書かれているそれを、魔女は前方を向いたまま受け取り、聖なる大地を覗き込んだ。

 不死者の"王"が囚われている場所。荘厳なる大聖堂。そこでの戦いは熾烈かつ鮮やかなものとなるだろう。清く純麗な教会であるほど、撒き散った血はよく映える。


 町内部の立地は記録し終わり、次は決戦の礼拝堂を俯瞰する。どうせなら首謀者である不死者"聖女"の顔でも拝んでやろうと、彼女のいそうな空間を目掛け、金の眼光が白壁を探る。


「まあ……簡易じゃが、その望遠鏡に術を施した……とりあえず透過できるのは壁二枚までじゃ。それ以上は……知らん」


「ライナス殿、説明が雑だ。それが技量の限界か? まさか手を抜いたわけではあるまいな」


「それだけで充分よ。あの子のいそうなところなんて予想がつくもの。どうせ、窓のある広くて日当たりのいい場所で祈ってんでしょ。基本はそこから動かないはず」


 知己からの意見に該当するのは聖堂奥に展開する円錐の建物。両側に塔を従えて、垂直に天を指して構える。拡大された画像によると、そちらの堂舎だけ硝子窓が張り巡らされており、いずれの方角からも採光できる意匠となっていた。



 視点の映像が濁った。透視が始まったのだ。古馴染みの顔をこうまでして見るのは新鮮らしく、魔女は素直に焦点を合わせていく。

 皆が固唾を飲んで求めるのは、ニブ・ヒムルダに望まぬ救世を押し付けた元凶の姿。まともに赴かず、卑劣で一方的な出会いとなるが、向こうとて文句を言えた立場ではあるまい。



 かくして居場所の予想は的中した。

 清廉な巡礼所に注ぐのは白麗の陽光だけではない。よこしまなる敵意もすり抜けて、集う。そうして、まず曝露されたのは……金色。



「あ、れが……"聖女"?」



 金糸たなびかせた少女の横顔がある。祭壇の前に跪き、瞳を閉じて祈り耽る。


 直接会ったわけでもないのに、まばたきもできぬほど意識を吸い、心を惹きつける風貌。彼女こそが不死者"聖女"、只人とは決定的に異なる清輝を纏う。ただそこにあるだけで邪念を浄化し、殺意を根底から拭い去る……聖なる乙女。

 女神の使徒を恨み、高い敵愾心を保っていた部下も、すべての挙動を止めて魅入っていた。


 ここで彼女を見ておいて正解だった。攻め入った時に初見であれば、果たしてまともに剣を向けられたか妖しい。



「っ……もういい! もうわかったから次の場所映せ!! 聖女がどんななりしてるかなんざ関係ねえ……あれは、俺が叩き斬る獲物なんだ……!」


「お待ちください。誰か入室して参りました。でも……あの方、確か前にもお会いしましたわ」


 皆が再び心に害意を取り戻したのと同じくして、映像に動きがあった。祈るばかりの少女が立ち上がり、緑柱石ベリルの瞳開いて背後向く。魔女も来訪者が気になったので、画面はやや退いて映された。入ってきたのは年配の男……私も見覚えがある。


 あれは、以前に遭遇したローアの叔父だ。



 甥と違い、彼は持参してきた"魔力の塊体"による守護のおかげで、魔女の攻撃をすべて回避し生還できた。しかし、体は無事でも魂の歪みまでは防げない。あの時感じた途方も無い恐怖は肉体にも影響したようだ。やつれた身を這うよう動かし、顔を伏せたまま聖女に近づいていく。


 男が何事か進言する前に聖女が口を開いた。私は一歩銀詠に寄り、花弁の如き唇を凝視する。




「……"思っていたよりもお早いおかえりですね"」


 あちらに順応して言葉を紡ぐ。私の急な、脈絡のない呟きにこの場の一同は面食らうも、すぐに意図は知れ渡った。カイザも同じ映像を確認して頷く。


「っ、おいワイツ! おまえ、向こうが何話してるかわかるのか!?」


「どうかお静かになさって、メイガンさん。ワイツ団長を集中させてくださいまし」


 淑女が窘めれば全員が空気を読んで黙る。魔女ですら私を気遣い、人物の顔がよく見える位置を調整してくれた。



 一句も見逃すまいと集中し、銀詠にて開く二人の唇を読む。この術は幼少期に母から伝授されたものだ。


 彼女はもともと間諜として国王の閨に送り込まれた寵姫。慢心し、国王と後ろ盾の貴族双方に捨てられてからは自身を守らせるため、私に同じ役目を課した。その役割は無意味なものだったが、技術だけは重宝している。


 教えを伝える聖職者だからか、聖女の物言いははっきりとしていて読みやすい。今も会話の内容を読み取りつつ、皆には要約して伝えてやる。



「布教はどうでしたか? 私の洗礼を受けたいという方はどちら? でも、あなたはお一人で戻られたようですけど」


「こんな状況で……よくも悠長なことを、聖女っ……様!! なにが布教だ……なにが洗礼だ! こいつを見ても、あんたは平気で祈ってられるのか!?」


 取るべき礼も敬意も忘れ、年配の男は聖女の怠惰を責める。あんたのせいで酷い目に遭った、と自身の愚策を棚に上げて喚き、持ち込んだものを露わにする。

 布に包まれた球体の、怒れる彼が聖女に見せたかったもの、それは……



 最強の信者であった甥、ローアの生首である。



「ローア! ああそんな……ひどい。なんてことなの……」


「あんたが悪いんだ! あんたがさっさと出て、異教徒をどうにかしねえからローアは死んだ! このまま黙ってるわけにいかねえでしょう、ねえ!? 早く仇を討ってくれねえと俺たち、幸福じゃいられねえんです!!」


「そんなっ……ねえ、どうして? 教えてください! なぜ……彼はこのようなことになったのですか!?」


「見りゃわかるだろ! 例の王子率いる一行に殺されたんだよ!! なあ聖女様、泣いてるだけじゃ俺の甥っ子も報われねえ。早くあの連中を見つけ出して殲滅しちゃってくださいよう。ちっ……聞いてんのか? ええ?」


 生前の神々しさが嘘のようにどす黒く、絶望と哀哭だけを刻んだ表情の少年。聖女は死の穢れも気にせず、ローアの一部をしっかと抱いて涙をこぼす。


 やがて感極まったか、一際大きく口を動かした。



「ローア! ああ、どうしてなの……どうして私を信じてくれなかったの!?」



 最大の思いを込めて表された言葉だったが、意味が通じない。一瞬、読み取り損ねたかと思うも間違いではないようだ。男からも不可解を詰る言葉が吐かれている。

 聖女に悲しみはあっても怒りはない。ローアの首を抱き泣いてはいるが、それは少年本人のあやまちを諭すようであった。



「……聖女、様。あんた何を言ってるんです? ローアが死んだってのになんで怒らねえ!? あんた、そいつと仲良かったんだから復讐くらいしろっての! あの連中を消してくれよ!」


「なぜそのようなことを言うのです? 私の教えを求める人たちを、どうして私が滅ぼさねばならないのですか?」


 男は唇を震わせるも、うまく読み取れない。いや、もう彼の言葉を伝える必要はないだろう。集中するべきは聖女の言い分だ。うまくいけば彼女の目的が明らかとなる。


「あなた方も、ローアも……すでに私の洗礼を受けました。すなわち、"世界の魔力"を戴いた私と繋がっているのです。この状態であればいくらでも魔力を行使できましょう……私を信じ、祈り続けさえすれば良かったのです」


 ですが、あなた方はまだ信心が足りないご様子……と清楚な少女は憂う。



「本当に女神わたしを信じているのなら、どのような脅威、弾圧、迫害にも屈せず、教えを説き続けることが可能ではないですか? 信じるほど、民衆を導くほど、あなた方には力が与えられるのです。それなのに心折れて、斃れたということはつまり……"女神わたしを信じきれなかった"からに相違ありません」



「あ、んたは……ローアが死んだのも、こいつの自業自得だって言いたいのか……?」


「だってそうとしか考えられないんですもの。でも、これでまたひとつ学んだでしょう? 信仰を失くした先にある未来を……」


 愕然とする男の前にローアの首が差し出される。少女の片手で掲げられた肉塊は、光の粒子となって散り、消滅を始めた。


「あなた方は私の言葉を伝える特使です。みんな、あの村で私と出会い、洗礼を受けて"幸福"となりました。その喜びを世界中の人々に教えてください。まずはこの地を目指す方々から救ってあげるのです。それがあなた方の役目。いつか、すべての人へ私の教えを伝えるために……」




「"では……行って。あなたならきっと大丈夫だと、私は信じています"……」


 映像の中の男がよろめき去っていくのを見て、読唇を小休止する。集中が続いたせいで、戦いとは別種の疲労が私の脳髄を占めていた。聖女はまだ言い募るも会話らしいものはあれ以上ない。

 やがて彼女は祈りの姿勢に戻り、魔女も遠見を止めて銀詠の発現を解いた。


「あの男、逃げる気だぜ」


「ええ。態度は横柄ですが小心なお方でしたから……身に危険が迫る前に、町を出ると思います」



「あたし……行かなきゃ。ちょっとあいつを殺してくるわ」



 冷ややかに言い放って踵を返す。魔女は、早く攻め入るべきとの意見を転じ、せっかくやってきた聖地からも背を向けた。

 誰しもが少女の我が儘に抗議するも、私はその理由に共感できる。惑う周囲を置きざりにし、決して混じり合えぬ孤高の狂気と向き合った。



「君もあれが欲しいのか? あの男が持っていた"宝玉"……いや、"王"そのものを」


「……欲しいとかじゃないわ。あれはあたしのものなの。あの人の一片だって逃がしてやらない……で? なによ、ワイツ。あたしは止まらないわ。今も行きたいときに行く。走りたいときに、あたしは走るの」



「わかっている……私も行こう。手伝いがあれば手早く済ませられるはずだ。あと……皆も力を貸してくれたら嬉しい。哨戒のついでとして、彼を血祭りにあげてこよう」


「あら、物分かりがいいわね。やっとあたしのノリに追いついたってことかしら」


「ある意味そうかもしれないが……なに、私も君と同じものが見たくなっただけだ」


 生きると決めた私の心は、残り少なくなった戦いの機会を惜しんでいる。どうせ目指すなら完全な勝利を叶えたいところ。あの男の討伐も無駄な行為ではない。

 私は、次の戦いで得られる報酬に期待を込め、彼女に微笑みかけて言う。



「映像の最後、聖女は男に、あなたの仕業かと問いかけていた。彼が持っていたあのぎょく、魔力の塊体は……"不死の王"の右腕からできていたらしい」

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