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第七十九話 ワイツの到達

 行き着く先には"春"があった。私たちはあたたかい陽光が注ぎ、人々の憩う季節へ足を踏み入れる。

 これは比喩でも何でもない。確かに今の世は冬、時期至れば緑芽吹く春が到来するだろう。ただ現状の景色を見れば、こう表現せざるを得ない。


「あちら側は春のようだ。例年より随分早いな」


「な……んと、いうことだ……これは、いったい……どうして……?」


 驚愕という反応を見せるのは弟の軍にいた兵士だ。追従に加わったばかりの彼は初々しいばかり。"女神の使徒"の脅威に慣れきった私たちは、この程度の展望で今更動じることはない。

 信者の本拠地。不死者"聖女"が君臨する地ならば、元の見る影もないほど祝福され、彼らの理想に染め上げるくらいは想定できる。


 予想できなかった彼は数歩先走ってから、がくりと膝を折って沈んだ。その気持ちの幾分かは理解してやれる。なにせ、目の前で展開するのは、酷烈かつ威迫ある極大規模の魔法……



 清らかな白壁の町並み。大聖堂を奥地に、整然と配置された住屋は、日光と海原からの照り返しを蓄え、荘厳に輝く。以前の侘しい港町の面影など一片もない。何より、それらを囲む光塵の垂れ幕が天から降りている。


 幕の内部は花弁舞う春。あれは魔女と初めて出会った時と同様、絶対守護の光壁だろう。あの時は少女ひとりを守っていた魔法だが、聖女は同じ術で町全体を覆い、中の季節すら弄ってみせた。

 やはり"神の力"と呼ばれるだけはある。世界と直結して得た魔力は、世界を改変するに足る。案内された場所からでは、その凄まじい技量を窺い知れた。



「君の進言通り、こちらは非常に見晴らしのいい丘だな。敵に悟られず町を一望できる。ここにきて君のような地理に明るい者と出会えるとは思いもしなかった。これも自然神"緑の王(ゲオルグ)"の計らいだろうか」


「そんな! ワイツ、王子……町ひとつをここまで、四季まで変えてみせる敵に……俺たちだけでどう立ち向かえと!? 失礼ですが……王子は正気ですか? 本当に女神を倒せると思っているのですか……!?」


「もちろんだ。信じられないようなので言っておくが、私は正気そのもの。事実、これまで幾多の信者を葬ってきた。交戦は厳しく、越えられぬ魔力の差はあったが……それでも私はまだ生きている」


 絶望に喘ぐ兵士の肩を叩き、前方を直視させる。彼とともに、新たに参戦した者たちも戸惑ってはいるが、古参兵は誰一人敵陣から目を背けないことに気づきつつある。


 彼らは皆、自分の身しか考えぬ王家に嫌気がさし、民を守るという騎士の本分に従った者たちだ。その身分を保障し、道と手段を示してやれば、いくらでも私の思惑通りに動く。

 今もまた盤上の駒を進めるように、彼らの迷いを除いてやる。


「心を折る必要はない。私たちは君より先に多くの困難を乗り越えてきた。不安が解消するまで攻略の手法を開示しよう。有効な武器と立ち回り方も教えよう。私の指揮下にある限り、これ以上皆を欠けさせない」


「し、しかし王子! あなたは……恐ろしくはないのですか? あんなにも巨大な敵と剣を交えるなど……」



「ああ、恐ろしいとも。だが、自分の死についてではない。ここで私たちが引き下がった後、ニブ・ヒムルダは女神の使徒に蹂躙される。滅亡は必至だ。女神の魔法がくにを焼き尽くすさまなど、想像するだに恐ろしい」



 そう、あのように……と、変わり果てた漁師町を指さす。異邦の使徒たちは"自然に"、"あるがまま"を気風とするこの国において、これほどの壊変、再建築を強行した。施工のためにどれだけの民が酷使されたことか。現在もなお、信者のために如何様な虐げを受けているか……


 多くを語らずとも、言葉に含みを持たせただけで、彼は非道なる真実に思い至る。春めく聖地を見つめる目に、恐怖とは違う色がよぎった。



「私たちは死なずにこの地まで進軍できた。敵の術も掻い潜り、弱点を見極め、戦闘経験も蓄積した。この手は不死者の心臓に届く。ここまでわかっていて下を向く必要がどこにある? 恐れなどで真意を隠さなくていい。激情を解き放つのだ。生きて、進むことができる限り……私たちは勝利しつつある」



 不安に彷徨う瞳は抗戦に傾き、その視線は私に集まる。少し前の私ならこれらの思いを受け流し、無為に扱っていた。けれど、今は違う。彼らにも信じる"星"があることを知っている。導きをちらつかせれば、容易く彼らを操作できる。


 迷いある心をこちら側に引き込むのは簡単だ。

 信じろと言って、笑いかけてやるだけでいい。この上なく優雅に、尊大に。それだけで針路は確定する。



 兵士は立ち上がった。地を踏みしめる所作に恐れはない。すべては怒りに転化した。


「ちくしょう……おのれ、女神の使徒め! よくも俺の故郷を! 俺の育った町を……!! ああ、父さん。母さん……どうか、無事で……」



 憤怒の唸りは敵意を補強する。土地勘ある彼はこの町で生まれ育ったという。郷里を奪われた怒りは伝播し、正義の名の下に皆の心は一つとなる。


 彼は役に立った。聖地……女神の本陣を目の当たりにし、歴戦の兵士も怯懦を感じていただろうが、これで惑いも振り払えよう。追加の兵たちも、これから意欲を持って信者殲滅に勤しんでくれる。



 では、決戦だ。





「……だったら早く攻め込めばいいじゃない! いつまで作戦会議してるのよ。そんなの力押しでいいでしょ、建物も住民もいっしょくたに粉砕してやるわ!」


「魔女。向こうで大人しくテティスと遊んでいてくれ。出向くのは情報を集めてからだ。侵攻はそんなに単純ではない。第一、力押しでは絶対に君の方が押し負けるではないか」


「なによー! 今までずっといっしょにいたくせに、あたしの実力も信じられないの!? あたしがいれば大聖堂まで簡単に突破できるわ。だからさっと行ってさっと聖女殺ってきましょうよ! ねえったら!」


「魔女様。わたくしも遊びにお付き合いいたしますから、いっしょに外へ参りましょう」


 幹部集めた卓をぐるぐる走り回り、少女は喚く。早く目的地に行きたい気持ちはわかるが、ここまで堪え性がないとは見抜けなかった。そして、テティスは肝心な時に彼女の抑えとならない。


「うっせーんだよ魔女! てめえ、何が"さっと聖女殺ってくる"だ。戦いを舐め腐るのもいい加減にしろ! 自分から作戦の一つも考えられねえくせに、意味わかんねえことばっか言ってんじゃねえよ!」


「やめろ、メイガン。これでも彼女は最高の協力者だ。魔力の提供を受けられなければ、私たちの行軍など数日で終わっていた。恩に報いて少しは敬意を表さないか」


「前からそこが気に食わねえ。なんでこんなガキが不死者で、やたらと魔力持ってて強いんだよ。おかしいだろ!」


「仕方ないだろう。今の聖女と同じく、"神の力"を手にして不死を願ったのだから……彼女は世界に選ばれたのだ。私たちはその決定を受け入れるほかない」


「……ふん。"世界"ってやつは人を見る目がねぇな」



 魔女はやっと構われたので黙ったが、会話の内容が気に入らなかったようでむくれてみせる。見た目はともかく、その力は役に立っていると主張したが、それってあたしの魔力を当てにしてるだけじゃないの、と本人から正確な指摘を受けた。


 適当にはぐらかすも真実を突かれたので歯切れが悪くなる。これに関してはカイザも助け舟を出せない。

 魔女が自発的に行う魔法はいちいち大規模で制御不可。ここまで旅をしてきて少しは仲間意識も芽生えただろうが、基本的に彼女はこちらの被害など歯牙にもかけない。


 所詮、魔女にとって私たちは都合のいい足兼暇つぶし相手。自分の悲願達成のためには躊躇なく皆を滅ぼすだろう。


「なによもう! あたしだってどうやって"王様"を殺しに行くか考えてるもん! ここから大聖堂への道だって、さっき見て来たから知ってるもの。あたしが先導するからワイツたちはその後ろを走って来ればいいわ。あの人をぶっ殺してくる間、聖女と信者どもの相手よろしくね」


「ふざけんなちくしょう、なんだその作戦はよ! 俺たちを囮に使ってんじゃねえか!! しかも、女神と信者全員を足止めしろだと? できるかよそんなこと」


「あらそう? あたし、そのためにあなたたちと来たんだけど」


「はあ!?」



「待て! 待ってくれ、魔女。君は……"さっき町を見て来た"と言わなかったか? 一度聖地に訪れたのは知っているが、その物言いでは本当に今しがた見たようにも聞こえる」


「そうですわ、魔女様……けれど、あなたはずっとこちらにいらしたはず」


「え? なに不思議がってるのよ。魔眼持ってんだから普通に遠見すればわかることじゃない。この場所からなら町全部見えるし、おじいちゃんがそういう術式書いてくれれば、大聖堂の中だって覗けるわ」


 さも当然のように話されたが、目を凝らせば区画すべて見えるなど、常人では決して到達できない感覚だ。行軍途中にも敵の警戒、遠方を観測するために魔眼の能力を使ったが、活用法は私が思っているより多岐にわたる。


 協力の意欲が失せないうちにと、暗褐色の老爺に目を向ける。魔法の話題が出たにもかかわらず、率先して意見を述べないのは気にかかった。思えば彼は、会議が始まってから一言も発していない。


「ライナス殿、聞いたか? すぐに"魔光夜の銀詠"を張ってくれ。以前同様、魔女の視界を映し出して…………ライナス殿?」



「ん……あ? ……今、何か言ったかの? ワイツ王子……」


「いや……」


 覇気を失い、四肢を支える呪具の布も力なく床を這うのみ。彼は卓越した技量を持つ老魔術師だが、今は歳以上に萎びて見えた。


 気を遣りたくないとばかりに、メイガンは濃紺の尖髪を振った。カイザも心配からか美眉をひそめる。気力を失くした原因はわかるが、私たちにはどうすることもできない。"ギラス"はもう二度と還って来ないのだから。



 冷えるわけでもないのにしきりと左手を擦る。黒ずみ、腐蝕した方の腕を、時折懐かしむように強く握りしめる。

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