第七話 ワイツの出立
「意外に集まったな」
軍団の編成表を見、素直な感想を述べる。深夜になってからようやく人員が確定した。名目は国土を占拠する宗教集団の排除。よくて三十人集まればいい方だが、無理を承知で多くの傭兵に声をかけた結果、予想以上に参加の手が上がった。都から割いた兵士も合わせると五十もいる。
本来の目的は伏せるにしろ、多くの兵が集まったのは幸いだ。これなら"女神の使徒"にとって十分脅威に映る。向こうは全力で私たちを迎え撃つだろう。それが、女神の使者が王たちに見せたという、強大な魔法だといい。私の存在を消し飛ばす、裁きの光を浴びせてほしい。
「しかし、ライナスはともかく……ネリ―までついてくるとは」
私と共に行く者は巻き添えとなる。狂信者らが全員の命を獲るかは知らないが、向こうに不死者がいるなら無傷で済むまい。ただ、同じ場にネリ―がいるのが気にかかる。
彼女は私の……幼馴染だった。
「誰か引き留める者はいなかったのか?」
「……言っても聞きませんでしたので」
頬にかかる藤色の髪を払い、カイザは不本意気にそう言った。
彼女が取りまとめた資料には、私と死出の旅路を行く者たちの名が連なっている。私自身の手勢を中心としたニブ・ヒムルダの兵士。"メイガン"という傭兵率いる荒くれどもの集団。軍の体裁を成すために参戦を求めた魔術師兼軍医のライナスと、その弟子。あと……
「ギラスとは誰だ?」
「それでしたらこの資料、最初の項目をお読みください」
「人物の簡略紹介か。便利だな」
かつての深窓の令嬢は昔と同じ優雅さで文字を指し示す。隣に立つ彼女の説明を聞きながら、私はしばらく無言で資料を捲った。
初めてカイザと会ったのも、月のある夜だった気がする。
王家に対する反逆の罪により、死刑の代わりに戦場へ送られた名家の一族。ほとんどが初戦のうちに倒れたが、彼女だけは生き残った。生きて……私の寝所に訪れ、その身と引き換えに庇護を買おうとした。
私に流れる畜生の血を後世に残すわけにはいかない。彼女の申し出を断ったが、見捨てることはできなかった。
一目見てわかったのだ。彼女は、私と近い存在であると。
月は昨夜と同じく私室を照らすも、先細い光は蝋燭の灯りに負け、ここには立ち入れない。訳注を解説し終わったカイザは私から身を離した。灯火も揺れさせない、流れるような動きだった。
「編成にご不満でも?」
「……おまえはなぜ来るのだ。死にに行くんだぞ?」
手元に書かれている……彼女の名に目を落とし、訊ねる。
兵を出す真の目的はそれだ。"死ぬかもしれない"ではなく"死ぬ"のだ。侵略者を駆逐するためでなく……蹂躙され、跡も残さず散るために往く。教主が不死者である可能性くらい、聡い彼女なら察しているだろう。真意を知る者なら、普通は同行を嫌がるはずだ。
「どこまでもお供いたします。それに……ワイツ団長には私のような者が必要かと」
「……どういうことだ?」
「団長が無事に"目的"を果たしたとしても……王への報告は誰がするのです? あなたの死を、陛下に伝える者が必要ではないでしょうか? ……そのお役目、私が担います」
確かにそれは盲点だった。死せよという命令を叶えても、その結果を王に伝えなければ意味がない。
共に往き、運よく生き残った者がいれば報告を託せる。しかし、そこまでの強者が軍団にいるか疑わしい。それなりに戦えるようになったカイザも尚更……死なずに済むとは思えなかった。
私が散れば彼女も枯れる。そんな空想を抱けるほど、カイザからは私と同じような破滅の匂いがした。穢れを重ねた汚泥の花の、爛れた芳香を感じる。
沈黙を肯定ととらえたのか、カイザは満足したように部屋を歩く。物入れに置いた水差しに触れ、こちらを向いて首を傾げた。藤花の髪が淡く揺蕩う。
「……一杯、いただいてもよろしいですか?」
「ただの水だ」
「あなたが魔法で出したものなら」
よくわかったなと私は返し、味は保証しないと言い添える。人を呼ぶのも水場まで行くのも億劫だった。魔法で水を出す程度なら、魔術師でなくとも皆ができる。
魔法とは記憶なのだ。生きていれば勝手に積み重なる。この場合の水魔法では飲み慣れた水が具現化するも、水質は育ってきた環境によって異なる……少なくとも私の発現した水は、人に出せるようなものでないと自覚している。
カイザは気にせず器を満たした。水差しの残りもわずかだ。どうせなら飲みきってしまえと、私も杯を差し出す。
口に含んだ液体は、どことなく鉄の味がした。
出立当日は雲ひとつない快晴だった。陽気にぬくもった空気は、凍てつく冬が近づくことを忘れさせる。
今から死への行進が始まるというのになんたる皮肉か。それともこれは、国王陛下の気持ちを反映しているのかもしれない。王族にとって厄介者の私が、ついに死ぬのだから。
ヒムルダ正規兵はとっくに集合場所の城壁前門に到着し並んでいる。遅れているのは傭兵ら、他国からの雇い入れの者たちだ。彼らの生国に時刻を守るという文化はなかったのだろうか。
集結を待つ間、私は正門前に立ち、空と城壁を見上げて過ごす。視界の端にネリ―と、彼女に付き添われ魔術師のライナスがゆるゆると歩を進めるのを見た。ネリ―が何事か言いたいそぶりを見せるも、私は大きく手を振る老戦士に注意を奪われ、反応を返せなかった。
ほとんどは茶だが、側頭のみ白という混じり髪。髭面の豪傑の顔は覚えている。とある傭兵団の長だった男だ。
以前の戦場で彼の仲間たちと共に炎を囲った。見知った相手だからこそ、親しげに言葉を交わしたが、名を思い出すには至らなかった。どのみち覚える必要もない。
彼は集合場所へと去り、まだ来ていない参戦者はメイガンたち傭兵一行のみとなった。目の前を行き交う者もいない。私は時間を持て余し、城壁の凹凸を一段ずつ視線でなぞる。
貴族と民の世界を隔てる古き障壁は、暴動が起きるたびに見張りを増し、守りが弱い箇所はすぐさま手厚い補修を受けた。今も、私の立っている場所から数歩隔てたところに、人夫が石を積み上げるための足場が組まれている。
その上部は陽気に凪ぐ風を受け、ゆらゆらと振動している。出しっ放しの工具が擦り合わされて音を立てる。
「やあ。陛下から聞いたぞ、今から出発だってね?」
私に話しかけてきたのは、長い灰髪を一つに結わえた若者。ニブ・ヒムルダの第五王子……私のすぐ下の弟だった。口に薄笑いを浮かべ、両隣に美姫を従えている。
わざわざ城から歩いてきたのは出兵への激励を届けるためではない。これが、私の見納めになると王たちから聞いたのだろう。
「どんな気分だい? 今度の相手は強敵みたいじゃないか。何せ……不死者かもしれないって言われてるんだからな。ついにおまえも帰って来れないのかも……どうなんだ? 死にたくないよなぁ?」
「べつに。いつもと変わりない」
帰ってきた返事が期待と違ったのか、弟は不機嫌そうに私の胸を小突き……すぐに手を引っ込めた。
甲冑の硬度を想定に入れなかったため、指を痛めたようだ。彼は舌打ちし、手を振りながら大声を発する。
「この僕に向かってその態度はなんだ!? 泣き喚いて容赦を求めるなら、陛下に出兵を考え直すよう進言するつもりだったのに! ……いいのか? 今ならまだ間に合うぞ。地に伏して頼めば聞いてやる! それとも、本当に不死者を討つ気か? 勝ち目など万に一つもないのに」
「なん……」
いつもなら諦めて引き上げるはずの弟は、去りかける私の髪を掴み、無理やり目を合わせてきた。
背丈はそう変わりない。弟と言っても数日の差だ。
「……離せ」
「その澄ました顔が気に食わないんだよ。もとより聞いてやるつもりなんかなかったが、僕を無視しようとするのは愚かだ! ほら、畜生らしく靴でも舐めろよ。主人に対してそれらしい態度をとったらどうなんだ」
「……それは"命令"か?」
「ああそうだ、命令だ! さあ、温情がほしくば早く……」
私はため息をつき、弟の手が離れたのを確認してから身を屈ませる。退きかけた右の足首を掴み、靴紐の横を履き口まで舐め上げた。彼は出不精のせいか、あまり砂の味はしない。
両側の女たちからの悲鳴と、弟の息を呑む声が頭上を流れる。
「ひっ……! うあああっ! おまえっ、何をする!? 汚らわしい……それでも、おまえはヒムルダ王家の者か!?」
「……っ! ……舐めろと命令したのはそちらだろう?」
暴れる弟の足に蹴られ、もういいのかと身を離す。人の舌は革靴の清掃に向かないという私の忠告も聞き入れず、彼は脅えた様子で後ずさる。
「私を王家の者だと聞いたな? もちろん違う。……私はヒムルダの狗。王家に飼われている畜生だ。おまえたちの命令を実行するためだけに生きている。悪いが今は陛下の令が優先だ」
「なんだ……なんなんだおまえは!! それが人に靴を舐めさせられた者の態度か!?」
「うふふっ、馬鹿ね兄様。そんなことも知らなかったの?」
次に訪れたのは、私の何番目かの妹だった。美しい雲のような髪が日傘の下にある。自由奔放な身軽さで、侍従も連れずにやってきた。
彼女は弟の連れた貴族の女性たちに、黙って去れと圧を飛ばし、私の前にずいと立つ。
「ワイツは私たちの命令をなんでも聞いてくれるのよ。お父様たちは、彼が小さい時からそういうふうに躾けたの」
「……だが、これでも灰髪を受け継いだヒムルダ王家の一員だ。今の姿を誰かに広められれば恥ではないか! "曹灰の貴石"の名が穢れる!!」
「本当に馬鹿ね、兄様。ワイツを私たちと同等に認識してることがもう侮辱よ。飼い慣らされ、心折られた男なんて家族でもなんでもないわ。ねえ……兄様。誰か目障りな人はいないの? 奪ってやりたい女は? いるんだったら、ワイツに命令すれば? 何だって叶えてくれるわよ」
「どんな命令でも従うだと……? そんな馬鹿なことがあるかよ。じゃあワイツ、"命令"だ。あいつら殺せ」
「わかった」
球を投げ、犬に拾って来いという手軽さで……弟はさっきまで侍らせていた美姫を指さす。彼女たちは妹の目くばせにより、王城へ去りゆく途中だった。
妹の甲高い叫びに耳を貸さず、私は近場にある城壁補修の足場を蹴って、高台を大きく傾がせた。城石整形用の工具箱がひっくり返り、鑿や金槌が投げ出される。
彼女たちが……落ちてきた工具に背や腕など貫かれるのを見てから、私はそっと移動する。その後に降ってくる足場と、仮置きしていた岩石の量から測ると……美姫たちの一部がこちらに降りかかってしまう。
そんなことをしている間に、メイガンら最後の戦士が到着したようだ。城門前で私を呼ぶ声がする。
とうに出立の時間だ。今から、人生最後の戦地に向かう。
全身を朱に染めた弟たちが、私を指さし見苦しく騒ぐも、これ以上構ってやる暇はない。
私は集団自決の支度で忙しいのだ。