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第七十七話 ギラスの散華

 こちらに戻ってきて早々、寒気に打たれて神経が慄く。まず真っ先に手首の緊張が解けた。持っていた刀剣はこぼれて落ち、ずしゃりと雪に埋まる。


 憎悪が目覚めてからはろくに感覚も拾えず、常に炎に追われていたから寒さなど知らなかった。今のこれが本来の生身だ。"あいつ"が退去し、ひとつずつとなった器と魂の感触を噛みしめる。俺は生きている。久方ぶりにそう思う。


 だが、この状況は長くもたない。先に行った幼子と同様に、俺の心も虚無へ去らないといけない。早く、死に急ぐワイツに言葉を届けなければ……



「あら、面白そうなことやってるじゃない」



 静寂を砕いたのは俺でも、ワイツでもなく、少女の笑みを含んだ囃し声。不死者"魔女"という超常なる人物だ。ゆる巻きの黒髪が妖しく揺れる。金の瞳で見られるだけでも、心臓を鷲掴みにされた気持ちになる。


 苦労も知らず、甘やかされて育った殺戮狂。そういう印象を振り撒いて近場に立つ。


「……何かと思えば君か、"魔女"。悪いが私は処罰を受ける最中なのだ。相手をする暇はない。ギラスも、もったいつけずに早く私を斬ってくれ……ここは冷える」


「よくもまあ、そんな真剣なつらでふざけたことが言えたもんだ」


 ゆっくりと開いた蒼氷の双眸。美しい青年の肖像がここにある。姿形だけはどんな絵画や彫像にも負けやしない。けれどその内部はどんなに歪み、荒れ果ててしまっているのだろうか。


 精巧に整った美貌が傾いだ。ワイツは俺の様子がさっきまでと違うのを訝しんでいる。それは魔女とて同じこと。俺がどういう現状にあるか軽く看破できるだろう。彼女はあいつを呼び覚ました要因だ。



「魔法が止んでるわよ、おじさま。そう……"あの子"はいなくなったのね。残念だわ。とってもきれいな記憶を持っていたのに」



「……あの子? 世を憎んでいた過去のあなたか?」


「そうだ。あいつは先に行かせた! 俺の一番大事な記憶と引き換えにして、憎悪も捨てさせた。ワイツ……おまえを殺させないためにな」


「なんて無茶をしたのよ! あの子は恨みを支えにして生き永らえてきた。おじさまが残ってたのだって大切にしてた記憶があったからじゃない。両方ぶつけて散らせたなら、あなたたちはおしまいよ。魂は世界へ還る……そうやって喋れるのも残り数分ってとこかしら」


 あの少年が目覚めてから、俺の周囲には常に灰か炎が発現されていた。それらの消失は完全なる彼の離別を表している。

 魔女の発言は正答だが、肯定する時間も惜しかった。俺はワイツに向き直る。こちらの心だけが去らずに居残ったのも、彼に伝えることがあったためだ。


 意志を無くし、自分自身をも見失った青年を……最後に光へと導きたかったのだ。


「なぜだ! あなたも……皆も、なぜそうまでして私を生かす!? 殺してほしいと言ったはずだ! 私の命に意味などない。従うべき存在もこの手で壊したのに……!」


「……これは俺たちが選んだ道だ。ここで消えることに悔いはない。あんたを殺さないためにはこうするしかなかった。せめて落ち着いて聞いてくれ。俺が俺であるうちに語れる……最後の言葉だ」


 震えるワイツの肩に手を置く。彼の幼馴染は教えてくれた、戦士でありながら華奢なこの身は、幼い頃から暴力と欲望をぶつけられてきたと。その躾は彼自身の意思を奪い、在り方すべてを王家の都合よく捻じ曲げた。


 思いがけず支配者を殺してしまってからは、自ら罰を求めるまで乱れきっているが、呪縛を破るには絶好の機会と言える。

 俺は込められる限りの情感を乗せて口開く。



「あんたの隠してた目的は立派とは言えないが、やってきたことは間違いなくニブ・ヒムルダのためになっている。信者の討伐はどっからどう見ても国の救世だ……俺だって助けられた。あの夜、おまえが命がけで言葉を届けてくれたから、今まで俺を保っていられた」


 違う、と反論しかけるのを揺さぶって止めさせる。本来の目論見がどうあれ、行軍は民を守ることに繋がっている。

 俺だけが一方的に捲し立てているが、議論している時間はないのだ。それに、納得がいかなくとも実感せざるを得ないはず。


「その調子じゃ他の奴らにも死を求めただろうが、ライナス殿やメイガン、カイザのお嬢さんも言うことを聞かなかっただろう? 今を生きてんのが何よりのあかしだ。この軍の中でワイツを恨んでいる奴なんかいない……! おまえは生きていていいんだよ!!」


 灰髪が俯く。しんしんと粉雪を受け止める姿は清らかだ。清廉な見かけのとおり、彼に罪などない。罰など受ける謂れもない。


 ワイツは押し黙っているも理解を深めている。生存の意味を識りつつある。誰もワイツを殺さなかったのは、彼への信頼があったからこそだ。兵たちは前線に立つ王子を慕い、尊敬の念を抱いている。その思いを汲み取ってほしい。


 彼の戦いに心が伴えば、この旅はまさしく英雄の偉業となる。

 あの二人と同じく、ワイツも暗夜を照らす"星"となれる。



「"死ぬため"っていう誤った使命を捨てろ、ワイツ。王家なんかじゃない、お前を慕う者たちのためにも……自分が信じたいもの、自分が決めた思いに従って生きてくれ!!」




「……あなたが言いたいことはわかった。私が率いてきた者たちの思いも把握した」



 告げた思いの果てに……ワイツは顔を上げる。口調に淀みなく、瞳もまっすぐに俺を射貫く。


 伝わった。心を変えられた。崇めていた虚構の秘石でなく、自身を慕う人々の存在に気づいた。思われる喜びと、そのあたたかさに。ならば俺の役目はもう……



「だが、それがどうしたというのだ……! あなたや皆にとって私が価値多き命であっても、大局から見れば矮小かつ些細なもの。他者からの敬意や尊崇など何の助けになるか……信じ難いなら例を見せよう」


「な、に……?」



「不死者"魔女"よ……私を殺してくれ」


「いいわよ」



 回していた大輪の傘がぴたりと止まる。やっと相手にされて嬉しいのか、少女は愛らしく笑い寄ってきた。俺の、来るなとの絶叫も意に介さず。


 心折れる経験を経ても周囲の支えさえあれば再び立ち上がれる。理性ある者同士では、どんな姿をしていても分かり合える可能性はある。

 だが、彼女は無理だ。理で諭し、情に訴えても無意味。不死者は災害と同じ。いかなる意志を持っていても、無慈悲に飲み込んで焼き尽くしてしまう。



「じゃあ、ワイツ。最後にひとつだけ教えて。あなた、ずっと前から死にたい死にたいってしつこかったけど、絶対に自死を選ばなかった。何かと理由をつけて他人に殺されようと望んできたわね。それも……とっても強力な魔法を欲しがってた」


 青年の薄い胸に指を滑らせて魔女は問う。彼女はワイツの目的を知っていたのか。いや、二人には何かしらの取り決めがあったのかもしれない。


 この場に彼女さえいなければワイツの心を改められた。せめて少しでも再考を促そうと、殺される直前に彼を庇うことも考えたが、あの不死者が手を止めるとは思えない。また、希薄になりつつある俺の魂では、ろくに肉体も動かせない。


「ねえ、なんで? 別に他殺でも自殺でも結果はいっしょじゃない。ひとりで木っ端微塵になろうと思えば、いくらでもやり方はあったはずよ。どうしてさっさと実行しなかったの? 立場や身分からの理由は意味ないわ。見栄や建前じゃなく、ワイツ自身の本心を言って」


「それは……」


 魔女はワイツの断ち位置を確認し、殺す手順を定めてから、気になっていた事柄を自供させる。


 どう返そうと彼は死ぬ。誕生しかけた光は一度も瞬かず、消える。生きていれば明星となれたものを。哀しい心のまま最期を迎えるなど……



「……淋しい、から」




 無念のあまり目を閉じた俺に響く、一声。何かが違う。これはおかしい……


 はじめて知った、ワイツの行動の根源となる感情。だが、違う。殺意を向けられず逝くことに淋しさを感じ、身を滅ぼす魔法が強力なほど喜ぶなど……それは常人の感性ではない。



「……そう。わかったわ」


「……っ、魔女! やめてくれ! ワイツを殺すな! ……まだ間に合う。その心は光に変えられる。彼だって皆を導く星になれる! だから……!」


「邪魔しないでちょーだい。うるさいわよ、おじさま。ねえ、ワイツ。本当に死んでいいの? あたし……あなたを殺したくなくなったんだけど」


「な……?」


 急な心変わりに俺もワイツも絶句する。今のは冗談、との発言を期待する彼だが……俺にはわかる。魔女は本気でそう思っている。


 少女がワイツに向ける表情。あれはかつて"俺の過去"に見せたのと同じだ。

 彼女は、なぜかあいつには同情的だった……



「生きるか死ぬか答えを出す前に、関連するすべての事象を知らないといけない。材料の足りない料理は美味しくないものね。ワイツに、あともうひとつだけ教えてあげる。あなた、すっごく気になってたわよね? あの"宝玉"はなんなのかって」



 "宝玉"とは何のことだ? 俺は知らない、けれどもワイツは激しく反応した。声なき叫びをあげるほどの関心……その様子を見て魔女は満足したように頷いて、教えてあげると甘く囁く。


 どうせ聖地につけばわかること。溜息交じりにそう言って、俺たちに見せた笑みには、どこか痛々しさがあった。

 


「あれね……"王様"の肉片だったの」



「……君の、王。そうか……あのぎょくは不死の王が産み出した、"魔力の塊体"」


「何とでも呼ぶがいいわ。不死者が特別なのは魂だけじゃない、器だって力を帯びる。"世界の肉体"の切れ端であるみんなが魔力を持ってるのと、規模は小さいけど同じよ。不死者の、魔力を込めた状態で切り離した血肉には力が宿るの。ほら、こんな風に……」


 会話は俺を置き去りにして、妄執の渦を形作る。この場で二人だけにしかわからない狂気を語る。理解できないのは話題が条理を超越しているからか、それとも……俺が半ば霧散しかけているからか。



 雪除けに使っていた傘を捨て、魔女は己の左手首を引きちぎる。初対面の時もこの少女は自分の腕をむしっていた。しかし、今度は振り回すことをせず、雪の上へ落ちるに任せる。


 仄暗くも月と雪明かりの下、白原に転がったのは……血のように鮮やかな紅玉。



 ワイツは跪く。単に魔女の前で膝を折って、紅に手を伸ばす動作であるが、俺の目には旅の始まりの光景と重なって見えた。ここから再び彼の旅は開始され……俺は終わる。

 

「ギラス。私は生きていいのだったな?」


「ああ」


「私は、自分の決めた思いに従ってもいいのだな?」


「……ああ」


「そうか……ありがとう」



 立ち上がり、振り返ったワイツは……笑っていた。

 とても、とても美しい笑みだった。



 普段の憂い顔が氷雪の如き美麗さなら、この微笑みは春風が吹いたよう。彼の心は救済された。次からこそ自分の意思で生きられるだろう。しかし、その在り方は……



「私を認めてくれてありがとう、ギラス。あなたは私を導いてくれた……私の星は、やはり"曹灰の貴石"だ。私は改めてそう選んだ。だがしかし、ただ彼らに従って開示を待つのではなく、この手で見つけて加工するものだと気づくことができた」



 狂っている。いつから、どうしてなどという追及は愚問。彼は魂の根幹から俺たちと違うつくりになっている。今になって思い知る。


 例えば愛は目に見えない。感じ方も、表現の仕方も抽象的だ。けれど俺たちはどうにか表して他者に伝えようとする。それらを美しい言葉で飾る。

 花、光、星……きれいな光景、あるいは宝玉の輝きに重ねて。



「あなたが最後に教えてくれたように……遂げるべき任を持って生きることは素晴らしい。私は早計だった。どうして弟を刺して斬り開いただけで"貴石"が見られると思っていたのだろう。これが終わったら私は、都に帰り彼らを割ろう。美しく削ろう。ありとあらゆる研磨を試そう。私はずっと、彼らの断面から撥ねる光が見たかったのだ」


 ワイツの心はこの上ないほど純粋にできていたのだろう。一度そうだと讃えられた表現を頑なに信じ、それ以外を事実として受け付けない。

 莫大な自身への憎しみから発現する極大魔法。血肉が宝玉と転じたものの輝き……そのように目に見える光でないと、彼は納得できないのだ。


 今まで自身の感性が揺らぎ、迷いが生じていたが……もう遅い。俺から肯定の言葉を贈られ、魔女に"宝玉"現物の提示を受けた。

 彼の認識は定まってしまった。どうあっても覆せない。



「君にも礼を言う、魔女よ」


「お礼なんていらないわ……ワイツ。あなたね、私の王様に似ているの。ほんの……ほんのちょっとだけど」





 見抜けなかった。ワイツは光などではない、むしろ真逆の存在だ。彼は変えられない。闇はどのような色にも染まらないのだから。


 そして、俺に残された時間は尽きた。魂は散華の時を迎える。この世にひとつでも多くの光を導いてから逝きたかったのに、俺は最期に恐ろしいものを残した気がしてならない。




 ああ、ワイツ……どうか、おまえを殺しておけばよかったと、後悔させないでくれ。

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