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第七十五話 ギラスの背反

 掲げられた剣の切っ先は鋭く、天を衝くよう不動に佇む。待ちに待ったと流煙が湧く。憤怒の炎は喚声を上げた。追うまでもない、魔法で燃やすにも及ばない。相手は無防備。ただの一太刀で殺せる。

 やれ、と少年の声が指令を出す。いつものように。戦場で敵を薙ぎ払ったあの日々のように斬れ。


 目を閉じ、月光と雪灯りを浴びて立つ……薄幸の青年を。



「殺せ!!」


「駄目だ! 止せ!!」


 憤怒と鏖殺への意欲……その真逆の感情が拒絶を唱える。相反する激情は肉体の支配権を競って荒れ狂い、心を割くことで膠着状態を作り上げた。

 "場"が顕現する。かつて一度開かれた狂宴。自己を回帰した 経験は忘れ難く、魔術師の介添えもなく発現できた。同じ器に宿る二つの人格は、現実から隔離した心象世界にて向かい合う。


「殺せ! 殺せよ! そいつはおれを裏切った! ろくでもない本性を隠して、ずっとおれを騙していたんだ!」


「止めろ、それは駄目なんだ! 俺に、ワイツを殺す理由なんてねえ……!!」


「なんで!? 全部この男が悪いんだ! みんなを騙して絶対勝てない戦いに連れてきた。派手に死にたいっていう、身勝手な願いを叶えるために! おれたちは犠牲だ! 生贄だ! 祭壇の子羊に添えて焼かれる、花や果実といっしょなんだよ!」


 聖衣の少年は償いを求める。よこしまなる先導者に罰を下せと身体に命じた。しかし老練な器は頑として動かず、凍りついたように停止している。

 時の流れが外界と異なるこの場において、背反の時間は永遠と思えるほどであった。


 幼いゆえの大きな瞳で年経た自分を睨む。絶望したワイツと最初に接触したのは彼だった。そこで王子の本心を知り、最後の抵抗の支柱が折れたかに見えた。

 あのまま復讐に飲まれて意思を無くしているはず。それが、なぜこうも自我を保っていられるのか……少年にはわからない。


 老戦士"ギラス"の心は語りかける。


「今、ワイツは動揺している。これ以上ないほどに打ちひしがれている。こういう状態だったときを王家につけ込まれ、いいように扱われてきたんだ。それが正しいって信じ込まされてきた……俺たちと同じだ。あいつも犠牲者だったんだよ」


「だから何だ! 不幸な理由さえあればおれたちを女神に殺させていいとでも!? 裏切者の事情なんか知るか! 裏切った事実があれば充分、見て見ぬ振りする奴も同罪だ! 本当は斬り殺すだけじゃ満足いかない。納得いく仕返しまでは全然足りない……!」


「それは誰への復讐なんだ? おまえを騙し、捧げようとした連中は皆死んでいる! 怒りを向けるべき相手なんてこの世に存在しねえってのに!!」


「対象ならごまんといる……生きとし生ける者全員だ。あまねくすべての生命に、おれと同じ苦しみを味あわせ、殺す。"世界"だって許しはしない! 生意気に雄大ぶってる天地あめつちさえも砕ききってやる……!」


「馬鹿言え、そんなこと……」



「できる! おれにはできるんだよ……今の、不死者"聖女"を葬りさえすれば」



 ぎり、と歯噛みし……油断なく幼少の復讐鬼を睨む。ギラスが聞きかじった知識も記憶も少年はすでに修めており、正確に把握されてしまっている。

 彼の望みは子どもらしく荒唐無稽だが、実現方法は進行方向にある。以前にライナスが講義した仮説。不死者"魔女"が、その命を永遠のものとした所以……"神の力"。



 人間が生きる上で持つのは肉体、魔力、魂の三要素。魔力は肉体と魂を循環し、双方の記憶を魔法として発現する。その基本構成は"世界"自体にも言えることだと老魔術師は言った。


 ただし規模が桁違いだ。"世界の肉体"とは大地を構成する物質すべて、"魔力"は存在を開始した時点からの年月分、"魂"は古今東西の命が蓄えた経験……そして、自分たちもまた世界の肉体の一片である。ゆえに魔力の循環を受け、世界の記憶から魔法を発現できる。それが神の力を得るということ。



「そうだ。おれだって世界の一部……莫大な魔力と記憶を得て『願い』を叶える資格はある」



 ただ一度の適用しか許されなくとも効果は絶大。

 絶望した少年からの、世界に対する命令……『無に還れ』。あるいは『形定まらぬ原初の姿に戻れ』……そのような要望さえも叶えうる。


「……おまえの、憎悪は……そんなにも深いのか」


「当然だ。あんたにとっては生まれる前の記憶でも、おれにとっては昨日の出来事なんだよ」



 固く握った拳は解け、老年を主張する茶白髪も伏せられた。


「……いい。もういい、理解した」


「わかったんならどけよ。あんたは肉体を制御する歯車にでもなっていればいい」


 諦観したギラスに溜飲を下げたか、少年は前に歩み出す。早くこの"場"を片付けて表舞台に行かなければならない。今もワイツは自己の破滅を待っているのだ。



「ああ、よくわかったさ…………おまえをこのまま生かしておけないってのがな」


 光芒が場を貫く。暗幕が上がろうとしているのだ。急な変化に驚き、少年は聖衣の袖で顔を覆う。あからさまな反逆に眉をひそめるも、幼子の絶対的優位は変わらない。肉体のすべては己の制御下にあるのだ。ただ一点……心の片隅を除いては。


「おまえみてえな奴を聖地に行かせるわけにいかねえ。世界を炎に飲ませてなるものか! ワイツだって……絶対に殺させやしない!!」


「……今のあんたに何ができる? おれの小指の端すら残っていない、偽りの残像ふぜいが……!!」


「なら教えてやるよ! その残像が今までしぶとくこびりついていた理由をな!!」


 心象世界が組み変わる。幻想の庭では想うだけ、望むだけで景色が流転する。過去に上映された灼熱の地獄と違い、今回発現したのは静寂かつささやかな灯火だった。これは他の誰でもない……傭兵ギラス独自の記憶だ。



「おまえだけがこの場所を支配できるなんて了見の狭いこと言うんじゃねえ"俺自身"よぉ! 肉体や知識だってくれてやる。だが、俺が本当に成し遂げた戦果だけは……あの"星"だけは譲れねえ!!」


 自身が偽りでもいい。心神喪失後に偶然生まれた副産物だったとしても……戦い、生き抜いた結実は決して揺らがない。

 


 豪語を許すも、少年はいつでも幕を引き裂いて無明とできた。魂の大部分を制圧した彼にはそれだけの権限がある。しかし、あえて暴挙を止める理由はなかった。これはギラスの魂を代償とした興行。奪われまいと大事に秘めていた記憶を、自ら手放す行為である。


 馬鹿なことを、とほくそ笑む。幼い心でも理解できる。これは自壊に他ならない。

 彼を彼たらしめた最後の砦を失えば、ギラスは肉体から根絶される。存在は塵芥も残さず抹消され、二度と外界に浮上できない。


 自分を犠牲にしてまで見せたかったものとは何か。だが、どうあがいても無駄。無意味。怨讐は不滅だ。



 少なくとも、かの"光"を見る直前まで……少年はそう思っていた。






 そんなに過去の話じゃない。旅に誘われる前、エレフェルドでの戦いが終わった日に、野営地の一角で過ごした……曇天の夜の出来事だ。






 人の往来は絶え、夜は兵たちの眠りを誘う。けれど、直前までメイガンたちとの諍いがあったせいで軽く興奮気味であり、俺たちの目は冴えていた。雲に覆われても月は明るく、鈍い白銀を大地に降らす。夜目に慣れた今なら程よい照明だ。


 そんな空を眺めるべく、橙色の髪が傾いた。何かを探すようでもある。いつも騒がしい唇は震えて、同じ言葉を小さく何度も唱えていた。


 "ひとつ星(エトワーレ)"……と。それはこいつの名でもあった。



「そんなことも知ってるとか、見かけによらず博学だな……ギラスのおっさん」


 意外そうに呟いたもう一人の若者……ランディは、静かなままの相方には触れず、俺に話を向ける。

 やんちゃばかりしでかす二人組だが、互いの領分は弁えている。特に今、瞳いっぱいに涙を溜め、零すまいと上向く仲間はそっとしておくのが一番だ。


「当然だろ。傭兵団を率いる以上、剣の振り方以外のことも知らなくちゃいけねえ。雇い主や貴族連中との付き合いもあるしな。仕事にありつくためには風流ぶった会話も必要なのさ」


 素直に感心するランディは珍しく、俺はいい気になって講釈を続けた。"エトワーレ"の言葉の意味も、いつか読み漁った本に書いてあったもの。どんな知識も取り入れて損はない。昔から深く考えるのは苦手だが、ものを知ることは好きだった。


 仲間を減らさないための戦略、敗走時に生き残る方法、戦場となる地理調査での観点……そういった知識を教えるのも至福の時間だ。こいつらは目を輝かせ、海綿か何かのように吸収していく。


「ランディも、これからは武術だけじゃなくて、そういった勉学も取り入れるんだな。もっと本読めよ、本」


「貴族相手に話すことなんてねえよ。余計なおせっかいだぜ、おっさん。第一、俺が"ひいらぎの枝"の頭を張るのも決まったわけじゃねえ。何より……俺の戦う理由は、皆と違う」


 それはなんだ? と聞いてもランディは思い詰めた表情をとるのみ。近ごろは見なくなったが、出会った当初のこいつは常にそうやって構えていた。

 冷静ともとれるがどこか陰のある気風。そんな彼を、展望終わったエトワーレは面白くなさそうに眺める。


 言ってどうなるもんじゃねえ、とそっぽを向いているが、なんだかんだ俺たちに信頼は置いている。横から発される追及の念を感じ入り、重苦しく口を開いた。


 俺もはじめて聞く、ランディが使命を抱いた理由。それは……



「……贖罪だ」

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