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第七十一話 ワイツの確立

 稽古の時とは違った疲労が全身を支配する。泥濘に浸ったような粘りのある鈍痛。最奥に残った熱は容赦なく体内にて荒ぶった。

 すでに体力は尽き、呻く気力すら捻じ伏せられ、ただ揺すられるに任せる。寝台が最大の軋みをあげ、人語とも思えぬ唸りが背後に生じた。



 私を甚振った最後の相手が去り、堅牢な扉が開かれる。入れ違いとなる形で私の母が入室した。

 一指も動けぬ私に服を投げつけ、着替えを急かす。


「……母様、なぜ……ですか? この行為は、いったい……?」


「これは私の"お手伝い"をしてると思いなさい。喜んでいいわ、公爵様があんたを気に入ったのよ。ここに通えば、あの方々が私たちの援助と、陛下に近づく力添えをしてくれるの。ワイツだって、私が権威ある座につくのは嬉しいでしょう? ほら、さっさと支度して。帰るわよ」


「あの人、たちは……なんで私を……このように、扱うのですか?」


 丁寧にお相手するよう母に言いつけられ、通された部屋には豪奢な寝台と複数の大人たちがいた。そこから始まった"宴"というものは……大まかに言えば、私を痛めつけ悦を得るという内容だった。

 行動の真の目的などわからない。体の上で繰り広げられる、生かすでも殺すでもない行為は、理解の範疇を超えていた。



「うふふ。そんなの決まっているわ、ワイツ。あんたは私に似て"美しい"からよ。私だって昔からこうやって生きてきたの。この身一つでここまで登りつめたのよ」


「……"美しい"?」


「そうよ。これは凡人には与えられない特別な力なの。所詮、男なんて肉欲に屈するしかない獣よ。身分なんて関係なくみんな同じ……あの陛下だってそうだったんだから。調教してやれば忠実な奴隷になってくれたわ!」


 黄金期を思い出したか、母はけたたましく笑い、あと少しだわ! と期待に胸を膨らませる。私を使った交渉は予想以上の効果を生んだようだ。子に受け継がれた自身の美しさを賛辞してやまない。



 明確な答えではないが……私も事態への考察ができた。母には遂げるべき本懐があり、実現には彼女の持つ"美しさ"が鍵となる。

 その美が私にも与えられているのなら、私も母と同じ責務を担わなければならない。それを使って皆と行為を致すのも自然な流れである。



「ワイツ、もちろんあんたにも協力してもらうわ。この宴に興味を持った貴族たちは大勢いるもの、おかげで味方が増えたわぁ。嫁になれない、大貴族と縁も結べないあんたにしては上出来よ。明日も明後日も、毎晩ここに通ってもらうからね」


「……はい、母様」


 不快ではあったが忌避感は皆無。この世に生を受けた者は誰であれ天命を持っており、私の場合は母を助け、皆を悦ばせることなのだ。ならばもう疑問はない。これだけわかれば生き方を確立できる。


 生み出された理由は母を助けるため。"美しい"彼女が、いつか大願を果たすまで従い、守る。

 この時の私にとって……母は世界そのものだった。






 今日もまた母を剣で守り、体で贖う。彼女が願いを叶えた兆しはない。

 王に近づく口添えを得たにもかかわらず、生活に変わりはなく……私たち親子は後宮の外れで打ち捨てられている。


 母はより多くの施しを求めるよう、貴族の面々に私を差し出す回数が増えていった。供給が余剰となれば価値は薄まるもの。珍しげに触れていた彼らも食傷気味となったのか、私に求める行為は過激を極めていく。



 多少、剣ができるとわかってから……大人たちは面白がって罪人を呼び寄せ、私に殺させ始めた。美しい容姿の少年が残虐に人を殺すさまは背徳かつ倒錯的であり、その差異に彼らは熱狂するという。



「今宵の獲物はこれだ」


「女性、ですか……」


 連れられて来たのは館の牢獄。本日の観客は一人だった。秘密主義の参加者のようで、全身に黒い布を纏わせている。

 節くれだった指で示したのは……頭に袋を被せられた美姫。鎖で戒められた裸体が悶える。くぐもった吐息は、心の恐慌をありありと語っていた。



 私は短剣を手にしたのち、観覧者を振り返った。切り開いて殺せという指示は今までの趣向にしては大人しい。

 いつもなら獲物を散々喚かせ、多種多様な手段で害し、絶望する様子を楽しむはずだ。問いを含んだ視線で見ても、彼は黙したまま実行を促した。



 稀有な客もいるものだ、と思うのみに留める。なんにせよ満足いくよう済ませないといけない。

 これは母のため。"美しい"、彼女を守り続けるため……





 はらわたを最後まで引きずり出しても感嘆の声は上がらない。はじめての客は体に収まった器官の長さに意外な顔をするものだが、男の表情は窺い知れなかった。

 たまに卒倒する貴族もいたが、そういう輩は目覚めたのち、仲間に囃し立てられる未来が待っている。


 今日の客にそんな兆候はなかった。ただ静かに検分し、息絶えた姿を目に焼き付けている。



「……終わったようだな」


「はい。お望み通りに解体いたしました」


 よろしい、と男は呟き……私の背を押して死体に近づかせた。二人して床に溢れた臓物を踏み、共に生なき肉を見下ろす。次の指示を待つも、それが下される気配はなく……



「"醜い"と思わんか? この女は自らの肉体美を誇っていた。幾人を色香で惑わし、己の意のままに操ってきた。誰しもが血眼になって柔肌にしゃぶりついたが……つまるところ、ただの汚物だ。欲望からなる幻想は解かれた。これこそ真実の姿に他ならない」


「そう、ですね……」


 血に濡れた自身の手と足元の残骸を見て頷く。四肢から順番に切り裂き、各部位を整然と並べても醜い。

 男が言うには、この残骸は性悪な女であったらしい。汚れた心を表すように体も穢れ、どす黒い液体を垂れ流している。



「ふん……貴様も、余に同意するか。くくく……はははは! これを醜いと言ったな! ならば見るがいい!!」


 彼は私の腕を捕え、決して逃さぬよう固定した。動機はわからない。そんなことをしなくとも、私は客人に抵抗するなと言いつけられている。



 そうして死体の頭に手を伸ばし……袋に入った顔面を露わにする。

 赤に湿った布の下は、







「そんな! "母様"っ……!!」



 苦悶の表情で息絶えた女……私の母。艶めく美姫の名残もなく、蒼氷色の瞳は二度と潤わない。私が守るはずの世界は、私の手で崩壊を遂げた。


「はははは! そうだ、これは貴様の母親だ。先ほど認めたな? 此奴は醜いと、醜悪であると! その通りだ、何と汚らしいのだろう!!」


 すぐさま駆け寄って正体を確かめなければならない。控えの間に走って、そこで待つはずの母を探したい……あるいは脱力するに任せて、この場に蹲りたい。

 しかし、男は私の自由を一切認めなかった。


「気分はどうだ? 此奴はおまえの生きる理由だったはず……自ら母を殺した感想は如何に? いずれにせよ、この館の者は皆死んでもらう。反逆の一派は粛清あるのみ」


「ちがう……! こんなことは間違っている!! 私は……私は、母様を守るために生きていた!! 剣を学んで、宴の皆を満足させてきたのも、すべて美しい母様のためだった! "美しい"、母様の……」


「"美しい"? この汚物のどこが美麗だというのだ!? 生きていたときも腐ったような女だったのだぞ。方々に腐臭を放って蛆や蠅やらを惹きつけていた!! 豚の餌にも劣る……救いようなき糞便の塊が奴だ!」


 声音は深い怨讐を抱き、母であった物体の根底まで拒絶する。怒りは彼女と私と、男自身にも向けられていた。


 倒壊した私の世界は一つの問いに収束する。

 彼は誰だ? その爛れた感情の要因は……?



「あなたは……」



「陛下! 全員を捕縛いたしました。ですので、どうか王宮へお戻りを。逆賊どもは収監ののち、処刑日を定めます……」


「ならぬ! 即刻、この場で首を刎ねよ!! 余はそのために来たのだ、諸悪の根源とその徒党の滅亡を見届けんがために……! 後日などと悠長なことを申すな!! 彼奴らの生が絶えるまで余の陰鬱は晴れぬのだぞ!?」


 急に駆け込み、男の前に跪いた兵士。ここにきてやっと、外部から怒声と断末魔が鳴っていることに気づく。

 男は号令を告げるべく兵に正対し、本来の威厳ある姿を見せた。



「"陛下"……? では、あなたは……私の……」



 取り去った黒衣の後に現れたのは灰色の長髪。かの色彩の意味は知っている。周りに私と揃いの髪が見えぬ理由も。


 それは王族の証だからだ。母はずっと彼に近づくことを夢見ていた。かつて自身を愛した男、私の父……ニブ・ヒムルダの国王に。


 けれど、見解の断片を述べたとき、怜悧な相貌は一瞬で激した。



「黙れええ!! 貴様など断じて我が一族ではない! ニブ・ヒムルダが王家"曹灰の貴石"は神からこの地に下賜された宝玉なるぞ!! その余が汚物と交わったとでもぬかすか無礼者! 薄汚い雌犬から排泄された畜生めが!」



 掴んだ私の腕を引いて床に転がす。汚いものをできるだけ遠ざけるような所作。倒れた私は母だった肉の、ぬめる赤と黒に塗れてえずく。

 彼女を亡くした今、彼の憎悪は私一人に注がれていた。


 父が私に言った、卑しい畜生との蔑称……まるで反論できない。美しいと思っていた母の中身は、今まで殺してきた者と寸分違わず、穢れで満ちていた。



 あんな者から生まれた私も汚れている。



 誕生してしまった事への謝意だけで死ねそうだった。絶望に打ちのめされ立ち上がることもできない。これは夢だ、嘘だと否定するのも不可能。私がこの手で証明した真実なのだから。


 外見上の美など何の守りにならない。本当に尊いものは目の前にいるような人物のことだ。人の形をした秘石。至高の宝玉、ニブ・ヒムルダの"曹灰の貴石"。彼らは私と絶対的に異なる。その証拠に、国王は狗を見る如くの視線で、私を威圧している。



「母殺しの原罪で砕けた心に告ぐ。ワイツよ……我ら崇高なる"曹灰の貴石"の命令のみに従い、その卑しい心身の一片たるまで捧げるのなら……じき不要となる日まで、貴様を生かしておいてやろう」


 死の代わりに賜った言葉。"曹灰の貴石"の命令に従うこと……それは私の新たな大役であり、首を繋ぐ鎖となった。

 逆らえるわけがない、拒むことなどできない。"本当に美しいもの"の前では、私のような畜生は動けず、ただただ服従するしかない。


「では、最初の"命令"だ……館の連中の首を落とし、床に並べよ。下賤な者に相応しい報いを与えるのだ」


「御意に……」






 頼るよすがを探すよう……記憶から"彼ら"の声を引き出して反芻する。あの日から私は駆けた。"曹灰の貴石"、ニブ・ヒムルダ王家の命令を実行し続けた。


 最後の命令が発されたとき、ついにこの日が来たかと悟り、己を消去せんと地平の果てまでやってきた。今まで何度も死ぬ機会は存在したのに、不幸にも私はまだ生きている。


 唯一信じた"美しいもの"を喪った今も、生存を続けている。


 これから誰に従えばいい?

 誰の願いを叶えればいい?

 誰に縋って生きればいい?



 空虚な私は光を求む。終末まで不変に存在し、永遠とわに信じていられる輝きを……



 私の"星"は、どこにあるのだろう。

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