第六話 ネリーの愚痴
余興で撒き散らした花びら、紙片、綺麗な布のはぎれを回収し、今夜の宴の支度をする。
昨夜使ったのは最後の花だった。冬の近づく時期だから、もう新しい花は咲かない。しばらくは模造品を使って夜会を盛り上げることになる。
広間に降らせた花吹雪は材質の違いはあっても、どれも似たような桃色をしていて、ぱっと見区別がつかない。唯一判別が容易なのは布の切れ端だった。
同じ色でもこれだけはわかる。もとは私の、お気に入りの服だったから。
「毎晩毎晩よく飽きないわね。夜会、舞踏会……あとかたづけのことも考えてほしいわ」
思わず愚痴がこぼれる。私たち魔術師は、こんな役割のために魔法を研究しているんじゃない。夜会の演出をするために神秘を求めているんじゃない。
腕に抱える籠の薄紅に視線を埋めつつ進んでいく。歩く動きに合わせて可愛らしい欠片たちが揺れる。昨日は余興の舞台で振りまかれ、大喝采を浴びていた花吹雪も……今から焼却炉行きだ。
綺麗に咲いたのに無残な結末。王族、貴族に振り回された非情な運命に憐憫を感じる。私はこうはならない。どんなに笑われ、酷い扱いを受けたって、ちゃんと最後に笑ってやる。
私には成すべきことがある。今はこうやって貴族専属の魔術師として、日々の遊興のために魔法を使ってはいるけど……必ず夢を叶えてみせる。私の実力で思いを遂げてみせる。
胸中で決意を唱え自分自身を鼓舞する。しっかり前を向いたとき、角を曲がって一人の男が進路に現れた。ここからは少し距離があり、後ろ姿しか見えない。けれど、あの希少な髪色は忘れようがない。
引き締まった体躯は他の王族とはまったく違う。最初に会ったときとは考えられないくらい、彼はずいぶんと逞しく成長した。
「……ワイツ?」
ちゃんと声をかける前に自分の姿を再認する。通路の窓を鏡代わりに、髪形など乱れがないか確かめる。
仕事中であっても身なりには気を使っている方だ。伸ばした群青色の髪にほつれはなく、金環や飾り紐を編み込んで毛先まで華やかに整えた。髪と同色の瞳は丸く澄んでいて、ほんのり色づいた頬と共に窓へ映る。今日は化粧のりがよかったことを幸運に思った。
あとは素朴な意匠の服と、腕いっぱいに抱える荷物、背に負う魔術師の杖さえなければもっと自信を持てたろう。でも今は仕事中だ。そのあたりは仕方ない。
「ねえ! ワイツ、待って!!」
「……ネリーか?」
「あなた、どうして都に……って、きゃあああ!!」
久しぶりに見たワイツの顔は、相変わらず美麗な相貌で……磨かれた床に滑って転ぶ私を、少し驚いた風に見つめていた。
お芝居の終演のように、籠から舞い散る桃色吹雪の中。私はワイツを上目で見、ごまかすようにえへへと笑う。
「散らかしてしまったな。足は無事か? あまり動かない方がいい、私も手を貸すから……」
「いいの。いいのよ、大丈夫だから」
惨状を見渡すようゆっくり歩いてきたワイツは、手を差し伸べ私を立たせてくれたあと、使用人が近くを通らないか周囲を探った。落とした籠を拾いに行くのを押し留め、私は背にある杖を取って構える。
「それ! "つむじ風"!」
ざざざ、と空気が動き風となる。ワイツと年も変わらない私にあんまり魔力はないけれど、身体を中心に気流を起こすくらいはできる。風の行く先を指定することだって。
「私は魔術師ライナスの弟子。このくらいできて当然よ」
すべての花弁を籠に収め、胸を張って誇ってみせる。私の笑みにつられて、ワイツのほとんど動かない表情筋がわずかに緩んだのを、見間違いじゃないと思いたい。
「こんな早朝でも働くものなのか? 魔術師たちは仕事熱心だな」
「兵士たちに比べたらこんなの全然たいしたことじゃないわ。それより……ワイツは前線で戦ってたわよね。いつの間に戻ってきたの? 私も、お師匠様に付いてしばらく里に下がってたからよくわからないけど……まだ戦争は続いてるんじゃないの?」
「私のことはいいんだ。戦争は和平に向け一時終結となったので戻ってきた。……ちょうどよかった。ライナス殿は息災か? 彼宛てに手紙をしたためた。あとで渡してくれ。もっとも具合が悪くなければの話だが」
「……う、うん。お師匠様は私がつきっきりでお世話してるから心配ないわ。近頃はとても元気よ」
意図せず笑みが引き攣ってしまう。元気だ、というのは嘘じゃない。むしろ元気が良すぎるというのが問題だった。
師匠のライナスは気難しく癇癪持ちで、よく私に鬱憤をぶつけてくる。若い頃は希望に満ち溢れ、魔法に対する情熱は類を見ないと言われていたのに……現在は研究も放り投げ、苛立たしさを私に当たり散らす。
手紙を受け取り懐にしまうと、ワイツは満足したように次の用事に向かおうとする。私はその隣を歩きながら、会話を続けた。
ちょうどよかったのはこちらも同じだ。私もずっと……彼に会いたかった。
「手紙、ちゃんと渡しておくわ。ねえ、ワイツ。あなたはしばらく都にいるの? 二人っきりで話したいことがあるのよ。夜にあなたのお部屋……行っていい?」
「だめだ。準備で忙しい。私は、明日にでも都を出ることになっている」
「え? それってまた……王家からの"命令"なの?」
「ああ。そうだ」
「ダメよ! これ以上聞いちゃダメ! できないものは無理って言ってよ!! そこまでして従う必要なんてないわ。だって、王家からの命令は終わりがないもの。きっと……あなたが死ぬまで続くのよ!?」
立ち止まって言葉を投げかける。またワイツの悪癖が出た。王家の命令に盲目的に従って、どんな無理難題も叶えようとする。
彼は昔からそうだった。幼い時から見守ってきたが、自暴自棄な振る舞いは止まらない。陛下の命令のせいで彼の命が危険に晒されるのを、何度悲痛な思いで見つめてきたか……
「以前にも言ったはずだ。この身は彼らのために存在している。役目を果たしているからこそ、生かされているのだ。それを妨げる権利や理由も、君にはない」
「ワイツ……!」
思い留まらせなければ。近年の命令は危険度を増している、こんなことを続けたら、近いうちにワイツの生命は絶たれてしまう。
追いすがろうとしたが、この話題には触れられたくないという拒絶の思いを感じ、私は動けなくなってしまう。
遠のいていく彼の背中に、長年の思い出が重なる。過去に偶然見てしまった理不尽な折檻を受ける姿、虐待の日々をじっと耐えている光景……不遇な境遇はどれも、彼の家族が強いたものだった。
「ワイツ……あなた、もっと怒ってもいいのよ。あなたは……もっと王族を恨んでもいい。呪ってもいいの」
「ネリー! ネリー!! さっきからどこに行っておった、この役立たず!」
「はい! ごめんなさいお師匠様、ネリーです。今戻りました!!」
広間の片付けも済み、魔術師の研究室に戻ってきた私を、年老いた師匠は怒鳴り声で出迎えた。
御年80を過ぎた師匠……魔術師ライナスは頭に着けた暗褐色の巻き布を振って私を睨む。
着ているのも幾つかの帯からなるまじない衣装。四方に垂れた帯革は、彼が身じろぐたびにのたうち回った。皺だらけの顔を除いて露出はなく、小さな卓の前で胡座をかいている。
「客人が来ておるのに外出とはいい度胸じゃな、この阿婆擦れが! どうしようもない淫売め! また男でも釣っておったのか!?」
「も、申し訳ありませんお師匠様!! ああごめんなさいねお客さん。すぐにお茶をお出ししますから」
「あー構わんでくれ、お嬢さん。俺はさほど大事な賓客でもない。ただの傭兵くずれだ」
師匠と向かい合うのは見慣れない男性。老年とも言えるが体つきに柔さはない。長年武を磨き、戦場を駆けた者の潔さを感じる。茶を主とした髪だけれど、側面のみ白が混じっていた。
傭兵というからには遠くの国から来た人なのだろう。肌も瞳の色もニブ・ヒムルダには見かけない容姿だ。
「ここにいるのだって老後の住まい探しだ。門番の仕事でもないかと思い、知り合いのつてを頼った次第。追い返されぬだけで十分ありがたい」
「謙遜はよしなされギラス殿。あの戦況はおぬしら傭兵団のおかげでもっていたようなものじゃ。"柊の枝"がこの地に立ち寄ってくれなんだら、ニブ・ヒムルダなぞとうに滅んでおったわい」
異国から来た傭兵の男は、ギラスという名前らしい。エレフェルドとの戦争にてライナス師匠と面識を得、戦いが一段落してから会いに来たのだ。
私はにこやかに一礼し、お茶の準備に取りかかる。水場までの道に散らかった小物類をかき分け進む。狭い室内なので、お茶の葉を掬う間も師匠たちの会話が聞こえてきた。
「にしても、まったくおかしな出兵理由よ。自国を顧みずして何が他国の併合じゃ。飢えた民兵でいくら攻めようと、エレフェルドに返り討ちされるは必至。負けでもすれば、我らは晴れてフェルド諸国の一員じゃ。新たな国名はきっと"ニブフェルド"。ぷぷっ! フェルドを併合しようとしてフェルドにされるなど傑作じゃ!!」
「……ははは。まあ、なんというか元気そうだなライナス殿。とても戦場で倒れたご老体には見えない。向こうじゃ詠唱の発声も難しいと聞いていたが」
「一線から身を引いたおぬしになら打ち明けられるかもしれぬな。ここだけの話……わしはこんな馬鹿げた戦など、まともにする気がなかったのだ」
湯を注ぐ手を止め、二人の話に聞き入る。今のライナス師匠の言葉は重大な失言だ。聞く者によっては反逆の疑いを持たれてもおかしくない。
私は茶器を置き、落ち着くよう深呼吸する。この研究所に近づく者は限られており、周囲に人気はない。話をしている相手もヒムルダの事情に疎く、密告の心配は少ない。疑り深い陛下のことだ。王家が謀反の疑いをかけ、歴史ある名門一族を戦場送りにしたことは記憶に新しい。
この発言が知られでもしたら、私たちは都から追放だ。
「それは……何ゆえ?」
「退屈だったからじゃよ。この歳になれば、やる気など微塵も湧いて来ぬ……魔法だとて、とうに熱意は失せた。いくら研鑽し、理論を積もうと……発現など夢のまた夢。魔力が満ちるまで、わしの身体がもつわけなかろう。一度でも無意味だと思ってしまえば、魔術師など続けられたものではない。もう何もする気になれぬのだ」
「……その気持ちには覚えがある。俺は……まだ、あなたほどじゃないが、戦士をやるには辛い歳でね。だから傭兵団も若い衆に任せた。田舎にでも家を持ち、静かに暮らすと決めたんだ」
「何を言う。ギラス殿は、まだ引退には早いと思えますぞ」
話題を変えるべく、急いで卓のところに戻る。ギラスさんへの世間話用に二、三質問を考えてからカップを並べる。
「お待たせしました。どうぞ」
「遅いわあっ!」
「きゃあっ!!」
今のどこに不作法があったのか。師匠は帯布の下に握っていた杖で、私の額を打った。
魔術師の必需品である杖には宝玉が嵌め込まれている。鋭利に削られた石は皮膚を容易く切り裂いた。額を抑える手に、あたたかいものが滲んでいく。
「ライナス殿! 彼女はあなたの弟子のはずだ! 何もそこまでしなくとも……」
「邪魔せんでもらいたいギラス殿。弟子の躾は師の勤め。それにな……ネリーに同情は不要じゃ。こうでもせねば、こやつの腐った性根は治らん」
ギラスさんは私を師匠から庇うように引き寄せ、傷口に布巾を当てた。手慣れたように止血をする。
倒れた衝撃で、ワイツから預かった手紙が落ちた。お客が帰宅したあとに渡そうと思っていたものだ。宛先に自身の名が書かれているのを見、師匠は動かず杖を使って手繰り寄せた。
「ふん……ワイツ王子からの書面か。これは、ほう…………ギラス殿、仕事を探しておいでだったな。だがこの任務を果たせば、家どころか老後の生活も賄えよう」
傷を押さえる手が強張った。師匠の発言は、住処を求めるギラスさんにとって魅力的なもの。ワイツは手紙に何と書いたのか。それに、この……胸騒ぎは何だろう。
「明日、ワイツ王子が我が国に巣食う"女神の使徒"を討つため出兵する。おぬしも共に行かぬか?」