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第六十六話 ワイツの杞憂

 強敵のはずだった。彼は不死者と互角に争う実力があり、彼女の呪撃さえ無効化するほど、強靭な魂を宿していた。

 これまで出会った中で、最も信心を持った司祭と認識していたが……このあっけなさはなんだろう。



 殲滅の術を操り、私に虚無をもたらすはずのローアは、完全に死して転がっている。原因となったのはテティスの淫猥話。最大の隙を生じさせたのも魔女の愚にもつかぬ忠告だった。女神を信じるだけで得られる力だからか、その没収も拍子抜けするほど容易い。


「聖女も名前によらず罪つくりな人なんだね。まあ、かわいい子らしいから仕方ないか」


「そうそう。なんて危険な女なのかしら」


 少年たちは今も語らい、聖女の魔性さについて頷いている。こちらにも話を振ろうとするのをカイザに相手させ、私は未だ乱れた心と向き合った。




 自身を慕う者を使役し、都合よく扱う。聖女がローアに対して行ったのがそれだ。彼は自発的に行動していたが、彼女がいつか自分を愛してくれると信じたゆえのこと。

 否定しきれぬ不確定な未来だったからこそ、ローアは並々ならぬ信心と多量の魔力を得られた……魔女に望みを絶たれるまでは。



 啜り泣きが聞こえた気がして少年の首を探す。もちろんそれは幻聴、黒杭のような木々を雪風が通り抜ける音だ。ローアはいたいけな死に顔を晒すのみ。

 だから私が気に病むことはない。胸の震えも不吉な予感も杞憂に過ぎない。


 けれど……もしもと思ってしまう。

 心の支柱を失えば、私も彼と同じになると。



 あえて顔を上げ寒気を浴び、無理矢理でも思考の切り替えを図る。迷うまでもない。こんなものは動揺の理由にならない。ニブ・ヒムルダ王家"曹灰の貴石"が在る限り、私の進む意志は決して折れやしない。


 体調不良だから、眠りの魔法が尾を引いている、呪言の余波を受けたから……あと、テティスへの生理的嫌悪という、精神不調の原因はいくらでもあるのだ。





 熱意に大差あれど、壮絶な死闘やくだらない会話にも平等に終わりがくる。今回そのきっかけとして割り込んできたのは騒音、地響きと人の喚声とも言う……そして、ここに来るということは向こうの敵が片付けた証である。勝鬨を携えて、兵たちは私のもとへ駆けてきた。


 先頭に見えたのは鮮やかな濃紺髪の戦士、メイガン。激流と例えられるとおりの疾走で来訪した。最後に強敵と遭遇したと連絡したためか、気合を入れて撲滅に迫りくる。



 戦闘熱心なのは感心だが、あいにく敵は息絶えたばかり。現在の問題といえば、会話を通じて興奮したテティスが、カイザを襲い始めたことくらいだ。


 少年の槍術はまだまだ発展途上であり、正直カイザの足元の蟻にも及ばないだろう。しかし、彼は攻撃を加えられるたびに、ありがとうございます! と礼を言うため、彼女を非常に困惑させている。


「……団長。感謝の言葉とはこのような時にも言うものなのでしょうか?」


「私に聞くんじゃない」



「おいワイツ、そこにいやがったか! 敵はどこだ? カイザは無事か……って、何してんだテティスてめええええ!!」


「あっ、メイガンさん……待って! ちょっと待って、違うんです!! 今僕たちいいところなんで……ぐふっ!!」


 メイガンは速度そのままの威力でテティスに蹴りを叩き込んだ。少年は二、三度地面を弾んだのち木に衝突。上から降ってきた雪に埋まる。暗い緑も白に沈み、景色は無彩に立ち返った。


 ずっとそうしていればいい。彼がいなくなれば世界も多少は清らかになる。




「それにしても、よく不死者なしで対処できたな。そちらの信者は群れで滞空していたんだろう? 本当に一人も逃さず全滅できたのか?」


「寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ。俺たちが何度場数を踏んだと思ってやがる……まあ、あれだ。基本的にはてめえが言い出した策で攻めた。吹雪が伏兵を隠したし、戦いを舐め腐ってろくに足元も見ねえ信者どもだったから、奇襲は楽だったぜ」


 ローア相手には無効だった作戦も、他の信者程度には効果覿面だという。魔力の供給も途切れ、後ろ盾なしで戦うことになった彼らだが、すぐに隊列を再編し事態に適応した。



 なかでもライナスの集中は凄まじかったという。頼みの綱の不死者がいなくとも、自身の魔力だけで悪天候に干渉し、敵に氷結したやじりを送り届けた。


 齢重ねた魔術師といえど、大自然への介入は雪風の一端を操作するのでやっとだ。それを幾箇所、ほぼ同時に行い命中させるなど尋常でない。支援魔法を重ねたとはいえ、メイガンはじめ弓兵の技術の高さも伺える。


「……あのじじい、本当にすげえよ。前から器用だと思ってけどよ、あそこまでやる魔術師なんざ見たことなかった。にしても、先の戦場じゃ重宝されてるようには見えなかったが……ニブ・ヒムルダの魔法職にとっちゃあれで普通なのか?」


「彼は今どこにいる? ここに来たのは精鋭だけのようだが、残りは?」


「ああ、生きてる。まだ向こうにいるぜ。戦闘が終わったら終わったらで、今度はギラスの後始末だ。あいつ、作戦も指示も理解できねえくせに、単身で隙なく立ち回りやがる。ご丁寧に白煙まで纏って、俺たちが射落した信者を轢き殺して行ったさ」


 あの様子だとまだ理性は残っているはず……と、メイガンは見解を述べる。彼曰く、ぽっと出の人格がああも戦場で動けるのはありえないことらしい。


 語り口にはそこはかとなく敬意が滲む。窮地に怯まず立つ熟達たちの姿に対し思うところがあったのだろう。メイガンはもう幼い意地や反発心で、他者の強さを素直に受け取れなかった過去と決別している。


 自軍が待つ方向なのか、そっと彼方を見る紫瞳には深き渇仰が湛えてあった。



「そういうワイツはなんだ? あの魔女が本気出したから勝てたんだろ。どんなもんだ、不死者の実力ってのは」


「確かに……魔女は、まさに不死者と言うべき凄惨な能力を持っていた。この身をもって経験済みだ。以前、カイザが魔法の巻き添えで死にかけただろう? 私も攻撃の余波を受けた。彼女のときと違い、肉体ではなく精神の方でだが」


「はあ!? いやっ、でもおまえ……傷は見当たらねえし、正気だろ? どういうことだよ、もうちょっと詳しく話せよ!!」


「すまないが無理だ。あまり思い出したくない」



 詰め寄って尋問しかけるのを躱し、兵たちの下へと歩き出す。それでもメイガンは追いすがって戦いの報告と、いっしょに魔女の攻撃を受けたカイザの具合を話すよう求めた。


 彼には悪いが、私はもうローアの死に関しては語りたくない。かの輝ける少年の最期にはテティスの振る舞いが深く関わっている。実際、彼が魔女を追ってこちらに来なければ、不死者ですら勝機を見いだせなかったろう。


 戦いの功労者であるが、あの言動、触れてしまった思想には辟易する。かの理念で言えば、テティスを覚えていることは記憶の領域から犯されているようなもの。早く存在そのものを忘れ去ってしまいたい。





「……うっ。ああ……」


 誰ともつかぬ呻き声に、精鋭たちは殺気立つも冷静に、己の得物を馬車に向けた。

 完全に失念していた。こちらはこうも忘却に成功するのに、本当に不要な事項が消し去れないとは世知辛い。



 馬車に乗る中年の男はローアの出撃の要因にして彼の叔父。私とカイザを欲しがったことから今回の諍いが始まった。

 男は魔女が呪いを放った際、私とともに被害を受けていた。けれど、今の彼は後遺症もなく正常に見える。自衛ができたこちらと違い、重態に陥ったようだったが……




「うぁ、なんだこりゃ……おい、ローア! ちゃんと俺を守れって言ったろ!? 何があったよ……さっさと返事しやがれ!!」


「彼なら、そこと……そこに転がっている」


 再びローア? と、名を呼んだ声は震えていた。年長者の態度が変貌するさまを見て、魔女はくすくす笑う。

 少年の部位がある二ヶ所を指し示せば、男は悲哀だけを表情に宿し、変わり果てた甥の姿に見入った。

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