第六十四話 ワイツの汚染
否定の意見を求めて部下に目を向けるも、ばつが悪そうに逸らされた。表立っては言わないが、私の容姿について内心で思うところがあったのだろう。苛立ちまぎれに周囲を睨めば、各自慌てて本来の職務に専念しだす。
そのうち他隊との連絡役は、同僚の背に隠れるようにして"魔光夜の銀詠"を発現、状況を伝達する。急ぎ新たな方策を考案し動かねばならない。不死者がまだこちらに魔力を回す余裕のあるうちに。
「ちょっと! あなたたち、泥棒は悪いことだって習わなかった? ワイツとカイザはあたしが先に狙ってたの。横取りなんてさせないわ! 四肢も眼球も有効活用するの。どこの部位もあげないんだから!!」
白雪に漆黒が滲む。不死者"魔女"は私たちの人権を無視した発言とともに姿を見せた。
用途は異なるが彼女も私とカイザの肉体を狙っている。お気に入りを奪われまいと、頬と殺意を膨らませて少年たちに向かい合った。
誰も彼も間違っている。このように争っても意味がない。私の所有権は"曹灰の貴石"にあるのだ。欲しければまずニブ・ヒムルダ王家の許可を取ってもらいたい。
極寒の戦場にて白の聖者と黒き魔女が対峙した。双方とも表情だけは柔和であるが、闘気の競り合いだけで空間が罅割れたように感じる。
一触即発の気配を醸し出すなか……私は背後の連絡役に声をかけた。
「状況は後続に知らせたな? メイガンとライナス殿は……この事態を受け止められたか?」
「はい。お二方、ともに了解の返事を」
「よし……では、皆は退け。向こうと合流し、他の信者たちの進行を阻め。悪いがここから魔力の支援はなしだ。私たちは残って彼らを対処する。あちらではメイガンの指示に従って動け」
最強の信者との遭遇。それも不用意な交戦だったが、ローアという少年と信者の群れが分断されていたのは僥倖と捉えるべきだ。強者が味方にいる事実は士気を増大させる。的となる存在がいれば信心を削ぐのは至難の技。
だからこそ、ここで双方を撃破させる。少年には魔女をあてがい残りの人員で信者を討伐する。支援の絶えたメイガンたちには、一人でも多くの兵を送らねばならない。
「しかし、ワイツ王子。どうかお傍で戦わせてください! あなたをお守りしなければ……」
「聞いただろう? 私とカイザなら、少なくともすぐに殺されることはない。何よりこの配置での討伐が重要なのだ。彼を、他の信者と会わせるわけにいかない」
「ですが王子……それではあなたが……!」
「くどい! いいから行け、私に構うな!!」
部下たちも意図は理解しているはずだ。それが最善の策であり、そうせねばならない状況だと了承している。しかし、立ち去る彼らの応答には悲痛な響きがあった。
なぜそんな顔をする?
なぜ、こちらを慕うようなそぶりを見せる?
軍のつまはじき者らの行き着く先は、いつも私の指揮下だった。同じ掃き溜めに生きる者だからといって慣れ合う気も、情を移した覚えもない。彼らも私も王家の消耗品だ。
処分されるなら女神の手で。だからこそ死地に身体を置く。私はカイザを後ろに庇い、時間をかけて後退した。今から始まるのは不死者と女神の代行との死闘だ。激化した頃に駆け込むのもいいかもしれない。うまくいけば跡形もなく散れる。
そんな予兆も感じられなかったのか、場にふざけた拍手が鳴った。拍子外れに手を叩くのは年配の男。少年の叔父だという彼は、馬車からこの一幕を笑い、囃し立てる。
「これはこれはお優しいことで、まさか自分を犠牲に仲間を助けようなんてよ。頂かれる覚悟があるのは上等だが、殺されないからって余裕ぶっこいてんじゃねえぞ! 世の中には"死んだほうがまし"ってことがいくらでもあるんだからなぁ!」
「叔父さーん。危ないから馬車に閉じこもっててよ。念のために"それ"持ってきたからって安全とは限らないんだから」
「そうよ。殺される順番くらい守りなさい! あせらなくても後でそっち行くから、おとなしく待ってて」
「うるせえ! 俺の番なんて永久に来ねえよ!!」
ローアは振り返らずに注意した。馬車を引かせてやってきたことといい、あの年長者が聖者の足を引っ張っているのは一目瞭然だ。しかし、ローアは不満こそ言うものの逆らう様子はなく、魔女を討って私たちを叔父に引き渡すつもりでいる。
ろくに信仰を持たない男だが、そこまで少年が融通を効かせるなら何かあるのかもしれない。戦いのどさくさに紛れて殺しに行こうかとも思ったが、ここは様子見といこう。
「ほら、殺れよローア。さっさとその小娘を消せ! いつも言ってる"聖女への愛"とやらを不死者に見せつけてやれ!」
「相変わらず人使いが荒いんだから!」
ついに少年は呆れ返って肩をすくめる。困った親戚に対しての平和的なぼやきだったが、この発言は戦闘開始の合図となった。
思えば、私たちは魔女の実力について詳しくない。ほとんどの戦いにおいては魔力を提供するのみに留め、"黒茨"や聖泉の"水"、"怨嗟の豪炎"を発現させた。
彼女独自の魔法は身体強化、骸の使役といった、死体を扱う不死者としての技能。見た目に派手な大規模魔法は"不死の王"に討たれた際、会得したものと聞いている……だが、どれも核心を突いていない。
千年培った狂気と妄執の表現が、その程度の事象で収まるわけがない。彼女の本来の能力はより凄惨かつ破滅的であるはず。
眼前から黒が消えた。次に聖者の白色も。瞬きのため数え漏れたかもしれないが……ざっと見て六つの方面、それぞれ異なる角度に光がちらついた。先ほど消滅した兵が残した色と同一だ。
「見えましたか、団長?」
「ああ。大体は……しかし見失った」
「今は右です」
このような観測は、俊敏さを武器に立ち回るカイザの方が得手だ。瞼閉じる間に途切れる動線を二人で補い合い、高次元の戦闘を見守る。
目の前では少年少女の追跡劇が捉え難い速度で行われていた。少年……ローアが使っているのは当初と変わらず範囲内の物体を光塵と化す魔法。それが不死者にも有効であることは、今の接触で証明されている。
ローアの勝利条件は魔女の肉体が滅びるまで自分の陣地に触れされること。そのために彼女を追い、進路にも不可視の力を伸ばして絡め捕ろうとする。
時折見える色のついた魔法は魔女の牽制だ。相手が寄り過ぎとみた場合、適当な魔撃を放って距離を置かせる。
洗練された振る舞いと魔光の煌びやかさから、まるで舞踊のようだと想起した。
楽しげな笑い声。わあ凄い、上手いじゃないという反応が応酬の合間に聞こえる。そうは言っているが圧されているのは魔女の方だ。
どの色の閃光を発現しようと少年に届かない。魔法は触れる前に分散するか、力によって逸らされる。これでは何曲踊ろうと決着はつかない。
「埒が明かないわね」
少し休憩、と言わんばかりに、魔女は攻撃を止めて両手を組んで背伸びする。その肢体は無傷だが、喪服じみたドレスの裾。短く波打った黒髪などに欠けがある。少年の領域に触れ、消し飛ばされたのだ。
「だったら諦めたら? 何度やったって同じさ、君は僕を殺せない。近づきもできないんだから」
「冗談! それならやり方を変えるまでよ。せっかくの機会だし……あなたの心から殺してあげる!」
丸く、明るい金眼が艶めきを増した。魔女は悪戯っぽく微笑んでローアに正対する。
何をする気か。その振る舞いにどんな意味があるのか。私は無性に知りたくなって、かの不死者を一心に見入り……
「ワイツ団長!!」
「……っ! ぁ……カイ、ザ? 何を……!?」
急に腕を引かれて、陶酔の光景を失う。代わりに現れたのは藤色の淑女。カイザは怯えたように、私を自身へ引き寄せた。
頭ごと抱きこまれては何も見えやしない。強く密着し合った状態にて大きく名前を叫ばれた。
その必死さはまるで、私を奪われまいと足掻くようであった。
「そういえばあなた、ずいぶんきれいな瞳をしているじゃない。いいわ、こっちを向いて……もっと、あたしによく見せて」
おいで、と猫なで声がした。心融かす幻想から覚めれば、あとに残るのはただただ恐怖でしかない。蒼銀の甲冑をきつく抱きしめ返し……畏怖をもってその瞬間に臨む。
「"可愛がってあげる"」
愛らしくも悍ましい"聲"が、周囲を汚染した。残響だけで身体は弛緩し、手足が震える。体勢すら保てなくなり……私はカイザに抱えられるまま、ずるずると地面に沈んだ。
「ぅ、あ…………わ、たしは……? それはだれだ? だれの……ことを言って、いる……!?」
「団長! 確りなさってください!!」
「ちがう……! わたしは……"彼"、ではない……!!」
思考が錯綜する。聞こえたのは黄泉への呼び声。無差別に魂を招き、それでいてただ一人の賓客しか求めない、少女の我執からなる魔法。
その声音で気を惹きたかったんだろう。その仕草で魅了したかったのだろう。"不死の王"を狩るため費やした年月は無駄なく魔女の力となった。殺意を最上の呪詛へと昇華させるに至ったのだ。
これが不死者"魔女"の持つ元来の能力。世界を侵し、汚染するほどの呪い。
今のをまともに浴びていれば心が死んでいた……私たちを盗られたくないとは言ったが、肉体が無事なら精神はどうなってもいいというのか?
錯乱しかける自身を御し、魂の手綱を握る。なんとか己の形を取り戻したが、次来られれば耐えきれない。
「ワイツ団長っ!! ……あっ!」
「……もういい。醒めた。状況はどうなっている?」
頬を張ろうとしたカイザの手を受け止める。私を正気に還すための実力行使は阻止し、冷静であることと……ほとんどの感覚が麻痺し、身の回りすらうまく認識できない現状を伝えた。
女性であったためか、カイザに今の呪いは響かなかった。年長の男にも効果はあったようで、馬車の内部にて泡を吹いて卒倒、痙攣しているらしい。
威力は凄まじいうえ広範囲を無力化する。発動条件は推察できないが、本気の殺意を向けられれば魂から先に死ぬほかない。
けれど、今回対象となった聖者には……
「効いた様子はありません」
「……ふうん、やるじゃない。私の"誘い"を跳ね除けるなんて。そこまであなたの信仰心は強いってわけ? いったい聖女に何をされたらそうなるのよ」
「信仰? そんなもので力を得たのかって? ……ダメだなあ。何にもわかってない。この胸にあるのは、ありふれた思いなんかじゃない! 凡百の愚者と同じような祈りじゃないんだ!!」
信じれば信じるだけ力を引き出せる"女神の使徒"。なかでもローアの思いは他の信者より深く、濃い。
彼の心は不死者"聖女"への慕情で占められていた。はじめから他者が立ち入る余地はなく、突き崩すことも叶わない。その烈度……魔女が寄せた好意を打ち破るほど。
「教えてあげるよ。この力の名は"愛"……僕が聖女様を思う気持ちそのものだ!!」
「それは違うよ!!」
場に割り込んだ苔色の髪。若い少年の喚き声。絶対不落の敵に否定をぶつけるとは命知らずな……
視認できないのでカイザに報告を求めても、信じ難いことなのか、動揺に満ちた声で呟かれる。
「え……? テティス、さん?」
「あらテティスじゃない。どうしたの?」
「だって魔女さん。急にいなくなっちゃうから心配で……それよりっ、そこの君!! 僕、さっきから見てたけど、言うことやること間違ってるよ! 殺意を向ける対象はこっちじゃないだろ!? お門違いにもほどがあるよ!!」
口伝された会話の内容も、幼い戦士の挙動も理解できない。なにより不自然極まりないのは、あの魔法を備えなく見たのに、"生存を続けている"ことだ。
「そんなに聖女のことが好きなんだったら、どうして彼女の方を殺そうとしないのさ!?」
"聲"が効かないということは、テティスもまた特異な心を持っている証拠。この少年は既に汚濁した身であった。
言動が狂気を帯びるのも無理はない。彼に、人の殺し方を教えたのは"魔女"なのだから。