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第六十三話 ワイツの潜伏

 暗澹とした思いで手綱を握り、出発直前の軍勢を馬上から見渡す。皆、臨時の補給で装備を取捨選択し、休憩を経て気力体力ともに充実した状況ではあるが、ただ一人……私だけ気分が優れない。

 再び生じた目眩に負けじと上体を張る。進路が歪んで見えるのは、展開している転移の術式のためか。それとも私の視野だけか。


「あの魔法、少し強すぎたのではないか? いまだ朦朧とする……意識がはっきりしない。落馬でもしたらどうしてくれる」


「ワイツ王子や。わしは魔術師として戦っているが軍医も兼ねておる。魔法の処方は適切じゃった。それでも不調なのは、あなたさまの体がまだ休みを欲しているからじゃ。今はわりと顔色もいいが……まったく、仮眠前の状態で進軍していたらと思うとぞっとするわい」


「そうか、もういい。あちら側の襲撃が終わったのなら行くぞ。ライナス殿、術の発動を」


 うけたまったと丁寧に礼をし、老魔術師は雪原に立つ。私を眠らせたことについて抗議しても、軍医の判断であったと主張されれば従わざるを得ない。

 もしも過労で死にでもしたら無様と言うほかない。私は一瞬で消除されたいのだ。そのような呪撃を求め、遥々ここまで来たのに落馬死で生を終えるなど滑稽過ぎる。


 一時的な休息は私に負荷の蓄積を気づかせた。わずかの間のみ発散しても、肉体は貪欲に多くを強請る。

 今回、あまり動かずにいよう。この状況における回復手段はそれしか思いつかない。こちらは専門的な知識を持たないのだ。身体のことについて言われればどうしようもない。



 魔女の"銀詠"はずっと発現して警戒を続けており、騎士軍との会見後からはより広い範囲を探索し、部下たちに交代で監視させていた。


 信者出現の速報を聞いたのは起きてすぐのことだ。彼方では今も空が荒れ、吹雪が止まないという。それは本当に信者だったのかと念を押して尋ねたが、敵は吹雪を撥ね退け、滑空し進んで来たそうなので間違いない。


 頃よしと見て陣をたたみ、ライナスに術式を描かせた。進行を短縮する転移の魔法……今度は軍全員を飛ばす。

 到着後は隊を点在させ悪天候に紛れて潜伏、信者が通過したところを奇襲する。計画に必要な武器も立ち回り方も、私が眠っている間に行き渡っていた。






 再度浴びる猛吹雪の洗礼に辟易としながら状況を問う。兵は少人数ずつ信者の帰路に配置した。作戦のかなめとなるメイガンを中心に、各員は連携し役割を果たす。敵の姿が報じられれば戦闘開始だ。


「今のところ空に変化はありませんわ。吹雪の流れも正常、ただ……時々風に乗って悲鳴が聞こえるとか。騎士軍の待機場所がある方向からです」


「最初の目撃から時間も経っている、信者は彼らに尋問をしていたのかもしれないな。めぼしい情報を引き出したので殲滅しているのだろう。わかっているとは思うが、あの騎士軍が信者たちに消耗を与えることはない。敵は万全の状態で現れる。総員、気を引き締めるように」


「ええ……伝達は完了しましたわ、ワイツ団長」


 同じ方面に待機中のカイザは、銀詠に躍る文字を報告し、発信させる。

 命令を下そうにも兵たちは分散しており声など届くはずもない。吹雪は視界を白に塗り固め、あらゆる身振りや合図を阻む。一番近くに配置した者の影も見えないくらいだ。こんな場合の伝令手段は魔力の光幕に限られる。



 他国では別の名称で呼ばれるらしいが、ここ近隣では"魔光夜の銀詠"と表現される光の幕。魔術師が術式を表示させる以外にも、他者が発現したものと接続し、書かれた内容を伝達することもできる。


 私の言葉も銀詠に張った魔力糸に運ばれ、全体が知るものとなった。吹雪のどこかで魔女も魔力を提供し続けているのだろう。物見の担当からひっきりなしに現場の報告が流れてくる。



「ワイツ王子、ライナス殿から緊急の連絡が! 北方から何か来ます!!」


「"何か"とはなんだ? はっきり言え、ライナス殿はどう報じている」


「それが……遠見の魔法でもうまく焦点が合わず、姿を見通せないとのことです!」


 カイザと場所を変え、兵の出した銀詠の前に立つ。この機に近づく輩は"女神の使徒"以外にない。先に渡った集団と距離を開けているのが謎だが、基本的に彼らは戦略について無知であった。


「こんな時に増援か。人数は? まさか挟み撃ちを仕掛けるつもり……」


「ワイツ団長?」


 言葉を断ったのは思案を諦めたからでなく、一面に舞う無慈悲な白の中に、死の授け手が見えたからだ。

 "彼女"の登場にはいつも意外さが伴うもの。今度も漆黒の傘を片手に、雪原へ湧いて出た。もう疑問も何もない。不死者"魔女"とはそういう存在なのだ。



「二人よ。よく見えないけど、あれ馬車ね。御者と、乗客がひとりいるわ。それにしても珍しいわね……いまさら普通に来る信者なんて」



 北の方角に金瞳を光らせて、少女は玩具の到来を楽しそうに待つ。これからやってくる信者の集団よりもこちらに興味を引かれたらしい。

 移動してきたとはいえ、彼女は軍に魔力を供給し続けている。ライナスが銀詠で魔女の失踪を騒ぎ立てるも、状況と居場所を返信すればおとなしくなった。


「どうします、団長?」


「決まっているだろう。こんな時に来られては邪魔だ。早々に排除する。馬車を用いるのは空を飛べるだけの力を持たないということ。そんな相手に全軍を向けるまでもない」


 私たちは少人数だが不死者の支援を受けている。この手勢だけで打って出ると述べ、馬車のもとへ走る。

 殺害手段は打ち合わせ通りに。予行演習だと思ってかかれと部下に告げておく。同時に魔女へ、別に君が殺ってもいいんだぞとも語りかけたが、彼女は笑うだけで答えなかった。





 姿をちらつかせばすぐに誘導された。おびき寄せたのは冬の林。葉の代わりに氷雪を茂らせる木々は、黒く大地に突き刺さって、馬車の進行を阻害する。私が巨木の影から姿を現せば、御者はするりと馬車から降りた。

 まずは彼から仕留めることにする。


 敵意がないことを示すよう、軽く手を挙げて歩み寄る。布教が目的の信者なら、少しでも聞く耳があると思わせればすぐに攻撃しない。正対する彼も敵愾心のなさを確信したのか、挨拶を返そうと顔覆う帽子、首当てを取る。



「っ!!」


 確かに敵意は私にない。あるのは馬車の両側に潜む兵士のみ。御者が衣服に手をかけた瞬間を狙って、氷槍と氷の矢が放たれた。


 注意をこちらに集めたのち、潜伏する兵が遠距離より攻める。無防備に立ち尽くしたままでは絶対に避けられない。不可視の力が働き、深手を得なかったとしても、かすり傷だけで死を招くだろう。刃とやじりに使った氷は"メイガンの水"からできていた。



 これが今回考案した武器と作戦だ。何も知らずに飛ぶ信者を弓矢で射落とす。あらかじめ発現させた"水"は瓶に詰められ、扱える者全員の手に渡っている。あとは自前の魔力で凍らせるなり用いればいい。

 矢に振りかけただけでも極寒のなかで射れば勝手に氷結する。ライナスの風魔法で操作すれば必中だ。溶解の効果に怯み、信心が薄れたところを囲って殺せばいい。


 まずは目の前の信者が試みの成功例となるはず……だった。



「ちょっと、いきなりとかびっくりだよ」


「なに……!?」


 攻撃されたにもかかわらず、御者は順調に防寒具を取り去る。必要ないと言わんばかりに捨てられたそれは金の粒子となって消えた。彼の体を貫かんと迫った矢や槍も同様である。


 驚愕する私に、今度は信者の方から近づいた。帽子の下は他のムルナ村出身者と同じく金の髪を有するが、彼はまだ幼い。この軍最年少のテティスとそう変わりない。

 指揮官を害させてなるかと、部下が飛び出し少年に斬りかかったが……少年に触れることもなく、全身を光の粒に変えられ、散った。



 それは私が願ってやまない"理想的な死"そのものだった。



「うん。やっぱりこれならきれいに片付けられるね。聖女様のいる世界をあんたたちの穢らわしい血なんかで汚すわけにいかないから」



 外套も脱ぎ、光輝溢れる聖衣を露わにする。首にかけた帯が風に揺蕩う。若いながらも威風携え、清廉なる出で立ちの少年は……これまで出会った使徒の誰より神々しい。

 見せつけたのは人を粒子にまで分解し、光の泡と変える魔法。それを自動で為すのにどれほど魔力がいることか……



 他の信者とは格が違う。彼こそ真の"女神の使徒"。彼女の寵愛受けし聖者なら、一指触れずとも魔は滅する。仇なす邪悪に神罰が降るのは当然の摂理なのだ。



 かつてない強力な相手にも、兵たちは果敢に剣向け対峙する。カイザも私の隣に立ち死角を守った。皆は自然と私の周囲を固める配置となる。

 ふいに馬車から鈍い音がし、怖れと警戒心がそちらに集まる。蹴り開けたのだろう、足と半身だけ扉から出る形で、年長の男性が辺りを見やった。


「叔父さん、この人たちが例の異教徒?」


「ああそうだ! とりあえず攻撃してきたんだから間違いねえ。さっさと皆殺しにしろ、ローア! 俺たちに楯つこうっていう、身の程知らずの野郎どもなんざ……」


 少年は男を振り向き確認する。あの馬車は仲間を連れてくるためのものだったか。

 年長者の方は言動からしてさほど信仰心はない。ローアという名の、輝ける少年を護衛にして、酒瓶を片手に攻撃を促す。


 にやけた赤ら顔は虐殺の光景を待ち構えていたが、私と目が合ってから嘲笑は消えた。



「おいおいおい! なんだあいつら……まさか敵にこれほどの美人がいるとはな! はははは! こりゃ傑作だ!! おいローア、あの藤色と灰髪の二人は殺さず残しておけ! 持ち帰って俺の情婦いろにする!」


「はぁ……叔父さんってば本当に好色なんだから……でもまあ、あの人たちで満足してくれるんなら、しばらく奴隷が死ななくて済むね」




 自軍から憤怒の唸りと、武器を構え直す音が聞こえた。私はもう言葉もない。あろうことか男は私とカイザを所望した。悍ましい行為に用いるため、ここで殺さず連れ帰るという。

 殺そう、と強く思った。欲しい魔法が眼前にあるのに、たかが容姿のせいで得られない。身体のことについて言われても私にはどうしようもないが、これほど口惜しさと怒りを覚えたのは初めてだ。


 なぜ皆はわからない! 見かけなど無意味だ。魂が押し込められただけの肉袋に何の価値がある。特に私ほど穢れを溜めた存在はない。同意を唱えた聖者もろとも抹殺しよう。醜怪で忌むべき狗を、せめて光と浄化せずして何が聖人か。


 激憤を行動で示す前に、一つだけ確認しておく。



「カイザ、私は女顔だったのか?」


「ワイツ団長……大変申し上げにくいのですが、わたくしたちはそれらしい装いをして並べば、姉妹と言っても通じます」


「馬鹿な……!」

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