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第五十九話 聖女の希求

 美しい町であった。


 陽は燦々と温もりを降らし、白色の家屋を光明で満たした。真新しく整えた町並みに染みや翳りは一つもない。白煉瓦は広囲に敷き詰められ、町全体を清浄な気で覆う。白壁は寄せて返す波音を撥ねた。海が近い。


 舗装された通路は傍らに花壇を添え、噴水囲む広場を抜け大聖堂へと至る。日輪が天頂に座すと同時にカラン、カランと黄金の鐘が鳴った。高らかな響音に驚いて花壇の蝶たちが一斉に飛び立つも、潮の香りを含んだ風は変わらず穏やかに花弁を揺らす。


 正午を知らせる合図に聖衣の人々は彼方を仰ぎ、一礼と祈りの言葉を口にする。喜びの日が永劫続くよう。女神の恩寵が世界に波及するよう……



 ここは聖地。どこまでも美しく、どこまでも輝く理想の楽園。尽きぬ幸福をと信者は祈り、望んだこの場に極寒の冬など一欠片も舞い込まない。

 自らを信じる者のため、女神は霧氷を押しのけ"春"を発現した。世界の魔力を宿した彼女だからこそ、四季の条理すら捻じ伏せられる。



 外部は今でも冷気が漂い荒寥の風が吹く。その色彩なき世界を女神の使徒は否定した。もとある港町の風景を塗り潰し、求めぬ季節をも排撃して、彼らは新たな郷里を組み上げたのだ。


 自然神は去った。女神が降り立ち、変革したこの場所に……ニブ・ヒムルダの民が崇める"緑の王(ゲオルグ)"の気配はない。








 町区画の大半を占める大聖堂だが出入りできる者は限られている。人々は階位ごとに住む場所を分けられており、聖堂から離れて暮らす者は入信の日が浅く、信心が乏しいとされ、徳を積む修業を課されている。


 聖堂内に住まうは指導者たち。信者にニブ・ヒムルダへの布教を促し、活動全体の指揮をとる。女神の直近たる彼らは居住区の者とは一線を画し、彼女からの厚い信頼と祝福を受ける。町の信者は彼らを総じて"聖ムルナ"と呼び慕っていた。



「どういうことだ! なぜ誰も異教徒どもを止められん……あれだけの聖者を宣教に送ったんだぞ!?」


 報告を受け取った男性は、紙面を一瞥するや否や、差し出した端女(はしため)ごと床に叩きつけた。腕振るう労力を惜しんだため、怒りの発散はすべて不可視の力によって為される。


 不快の要因は自分たちの意に染まぬ軍勢の存在。同族であることを理由に、憤りのまま下女を打ち据え、頭部を圧迫する。

 怒りを残らず注げば、そのうち女の頭蓋は破裂する。状況を察した歓談相手は、よせやいと言って男を嗜めた。ただし女を憐れんだのではなく、単純に床が汚れるのを厭ったためである。



「落ち着けよ。もうここの王族どもは恭順を示した、わざわざ二回も聖者を送る羽目になったが、あの城を明け渡すことを了承したんだ。俺たちへの脅威はないに等しい」


「そんなの当然だ! 言われるまでもねえ。あの力を見せつけりゃ誰だって俺たちに従う。そうして信者バカどもを増やし、ここまで来たんだ……俺が許せねえのは、それでも歯向う連中が存在してるってことだ糞が!! あいつら、たかが不死者一人を味方につけたくらいで調子乗りやがって……!!」


 男の癇癪声は酒気充満する部屋を震わせた。机上の盃や喰い散らかした大皿料理を蹴り落とす音も、盛大なれど聖堂外部に届くことはない。聖ムルナたちの居住区は権丈な白壁に守られている。



「まぁ、あの"魔女"が味方増やしてこようと、別にどうということはねえ。俺たちにはまだあれがついている。この地に"彼"がいる限り俺たち……聖ムルナ、とやらに敗北はないんだ。にしても、どこに居たっておまえの短気な性分は変わんねえな。ええ? 大司祭様?」


「言ってろ! ……ああ駄目だ、むかついて仕方ねえ。おまえ、厨房行くんならついでに女呼んでこいよ。もう二、三人ぶち犯さねえと収まんねえ」


「誰が行くかよ、めんどくせえ……おい。そこの女、聞いてたろ? 寝てねえでさっさと仲間でも連れて来い。早くしろ…………って、こいつ死んでるじゃねえか」



 人々を導く作法について女神は語らなかった。望む者に洗礼を施し、力を与え……あとは本人の望むよう任せた。

 故に信者は自身の思う"教化活動"を自由な方法で表現した。その殆どは言語に拠らず、純粋な力として掲げられ、従わぬ異端者に降り注いだ。


 女神が最初に福音を授けた地。小国ムーンジアリークが辺境、ムルナ村は冒険者や旅人たちの間で"盗賊砦"との蔑称で名高い。彼女が神の力を初めて分け与えたのは、罪悪によって糧を得る村民たちだった。






 今日一番の罵声と悪態をつきながら、大司祭を務める男は下女の死体を片付けるべく手伝いを呼ぶ。通りかかった同郷者は、またかという呆れと理由の悲惨さに顔をしかめた。


「叔父さん、えっと今は"大司祭様"か……気をつけないと使用人がいなくなっちゃうよ。元の住民もそんなに多くないんだから」


「黙れや! ローア、とっととこいつを処分しろ。こんなもん側にあっちゃ酒が不味くなる。それとも、村長んとこのぼっちゃんは怖くて死体なんか触れねえってか?」


「まさか。叔父さんたちのおかげで死体漁りは慣れっこだよ。今片付けるから、どいてどいて」


 招かれた少年……ローアは叔父である男を押しのけ、下女の死体に手をかざす。口ずさんだのは弔いの聖句だった。二人が見守るなか彼女の横たわる場所に金の光湧く。



 経緯を傍観していた男はひゅうと口笛吹き、感心の意を示した。彼にとって初めて見る魔法だが、相当量の魔力が注がれていることなど容易にわかる。発現した現象も希少かつ絶大な効果をもたらすもの。


 光の流れに合わせ、死体が浮き上がったように見えた。飛んでいく、という印象は正しい。実際に死体は飛散しているのだ。四肢の先から光によって微細に分解され、粒子と溶け落ちる。

 最後に髪の一筋まで灼いて、下女の痕跡は処分された。



「流石だな、ローア。おまえは本当に"よく聖女を見て"いる。まさしく女神の懐刀だ。そんじょそこらの聖者よりよっぽど頼りになる。そういや、前からそうだったな……」


 飲み仲間の激昂。元住民である奴隷の死。珍しい分解の魔法も、男にとっては酒のつまみに丁度良い刺激だった。酔いにほぐされ、やわくなった口先は思考をただ漏れにする。


「俺たちの幸福は……ムルナ村に聖女が一夜の宿を求めたことから始まったなぁ。めぼしい男どもはみんなあの小娘を夜這いしに行ったっけ。それがまさかの不死者ときたもんだ、いやはや驚いた」


 あんときゃ殺されるかと思ったぜ、と男たちは過去の危機を笑い飛ばす。ローアからの冷たい視線もものともせず、当時の怯えようをからかった。


 不死者……この世に存在する至高の七人。そんな相手に狼藉を働けば万死あるのみ。しかし、聖女は優しかった。村人を許して、悪事によってでしか生きられぬ彼らを救うと言った。この言葉通り、彼女はムルナの住民に力を与え、間違いなく全員を"幸せ"にした……多数の異教徒の犠牲を伴って。



「多くの者が彼女の話に耳を傾けた。まあ広まったせいで国からは追い出されたが、ねえもんはここから奪えばいい。力を見せつけりゃ、入信希望者は後を絶たずだ。奴らを狂信的な"聖者"にして、従わねえ奴にけしかければいい……だが、そいつらの中でも、おまえさんほどの信仰心を持つ者はいねえ。まったく、これも若さってもんかねえ」


「……当然ですよ」


 "信仰心"。その一点に関して他者の付随を受けぬことを、ローアは強く認めた。酔いどれ男からの本気ともとれぬ言動にも胸張って答える。



「だって、本当の意味で彼女を愛しているのは、僕だけなんですから」






 用事が済んだのでこれで……と、退出しかける少年を喚声が追った。怒りを忘れ、大人しくなったと思いきや、ずっと何事か考察していたようだった。

 鬱陶し気に振り返った甥へ、男は自身の考えを叩きつける。


「待った!! そうだ、ちょうどよかった。ローア、俺といっしょに異教徒どもを殺しに行かないか? 相手は例の王子率いる軍勢だ。おまえだったら不死者"魔女"だって葬り去れる!!」









 大聖堂の更に深層、そこへ至るには幾重もの制約を必要とする。

 信心、忠誠、欲望……彼女の前に立つには、心を動かす感情も聖別しなければならない。会う理由、交わす言葉、求める行動、その一つを違えただけで世界が歪む。



 彼女は優しかった。人々の他愛ない笑顔のため、気前よく奇跡を振る舞うほどに。たとえその方策が常軌を逸していたとしても、彼女の意思が世を覆い尽くせば支障ない。




「もうすぐ……もうすぐ、なのです」



 円形の空間に高所から彩色硝子の光が差し込む。清楚な色彩は床部にて舞い、陽の角度、時の経過で模様を変えた。そんな大聖堂の中央に一人の少女が跪く。目を閉じ、一心に祈り耽る。


 今はまだ夢の過程にあるとしても、それは遠からず成就し未来となる。そう……不死者"聖女"は希求していた。



「もうすぐ私の言葉が世界に届きます。だから、どうか貴方も…………!」







「聖女様!」


 声をかけられ、少女は身じろいだ。長い金の巻き毛が揺れる。

 ゆっくりと背後を見る緑柱石エメラルドの瞳も、鈴の鳴るような声が応じ自身の名を紡ぐのも……彼女の行う仕草すべてが少年、ローアの心の琴線を爪弾いた。



「こんにちは、ローア。外はいいお天気のようですが、少しでも寒がっている人はいませんか? 皆様の過ごしやすいよう気温を調整していますが、ここから感じられるものには限りがありまして……」


「大丈夫。みんなこの魔法を喜んでますよ。いつもありがとうございます、聖女様。あなたのおかげで誰も凍えずに冬を越すことができます」


「まあ嬉しい。こんな魔法でも皆様のお役に立てるなんて。また要望があれば何でも言ってくださいね……あら、ふふっ。ローア、今日は一段と勇ましい御姿ですわね」


 普段と違う装いを指摘し、聖女は興味深げに少年を見つめた。彼女にとってローアはムルナ村にて信者を募り始めた時からの親しい間柄。

 姿形が不変の聖女と違い、彼の身体は精良に育ち、心も熱く滾らせてきた。


 少年の身を飾るのは聖女の御心と同じ無垢色の聖衣。首に掛ける帯は最高たる階位の証。袖も裾もゆとりあり動くに不向きだが、洗礼受けし信者には差し障りない。

 重要なのは聖者が此処に在りと主張すること。救い主の存在を見つけられなければ、人々は縋る手すら伸ばせないのだ。



「ふふふっ、とっても素敵ですわ。その凛々しいお姿……まるで"騎士"様を思い出します」



「本当ですか!? それって聖女様と同じ不死者の御方ですよね? この僕が……高潔なる"不死の騎士団"。その勇士みたいだなんて、光栄です! お言葉に恥じぬよう、今回の宣教も必ず成功させてみせます!!」


「ええ。頼りにしていますよ、ローア。あなたでしたら安心して任せられます。どうか私の言葉を、より多くの人に届けてくださいね」


 至近に寄せられた激励と極上の微笑に対しローアの動悸は跳ね、激情を抑えるために返答は数秒遅延し、それも微かな声量となった。聖女は優雅に一礼して元の祈りの座に戻る。

 少年はその始終を瞳に焼き付け、祈るよう呟く。



「……これが終わったら、あなたは僕の愛を受け止めてくれるのでしょうか?」






「もちろんです。"女神わたし"は皆様の愛に応えるためにあるのですから。そして、"女神わたし"からの愛もまた、万人に向け注がれましょう」



 返事は期待していなかった。もとより声も、思いも届かぬ距離だったが……聖女の声は淀みなく響く。


 ローアは唇を引き結んだ。思慕する相手からの玉音だが、彼が聞きたいのはそのような内容ではない。欲しいのは皆と同質の愛などではない。

 それでも、この役目が果たされればと……一縷の希望を胸に、少年は旅立った。








 足音も離れ、空間は再び静寂を取り戻した。祈り続けていた聖女だが、何かを思い出して立ち上がり、前方に歩き始めた。


 高窓からの自然光も届かぬ箇所。本来なら立ち入った者を迎えるための椅子が置かれている。しかし今は来訪者に背を向けた形でそこにあった。信者が聖女のためにと神殿に設えたものだが……彼女は他者にその位置を譲っていた。



 鈴の転がるような音色で、聖女は彼方の人物に語りかける。



「もうすぐ人々はここに集います。女神わたしからの洗礼を受けに参られます……それなのに貴方はまだ答えてくださらないの? どうして、そこまでかたくななのですか?」



 待てども返答はない。けれども彼女は諦めずその人物のそばに寄り、澄んだ信念を持って対峙する。


 困ったように微笑んで、小首を傾げて問う。




「それとも、私たちは貴方に試されているのでしょうか…………ねえ、"王様"?」

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