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第五話 ワイツの最善

 ニブ・ヒムルダの都は宵の始まりを迎えていた。


 いち早く出立の準備を整えた私は、わずかな手勢を連れ日の出る間を駆けてきた。街に入ってようやく速度を落とし、歩く程度に駒を進める。道中、部下たちとは広く距離を取っていたが、ここに来て固まるように動く。

 単騎でいると、住民や野盗に襲われる危険性があった。



 城下街への門を潜れば、前方に城壁がそびえ立つのがわかる。数百年前まで強固な守りを成していた障壁。王家の先祖が侵攻した際、ここを攻め落とすのに数年の時を要したという。支配者の変わった今でも、王族、貴族の要人たちを囲っている。

 ニブ・ヒムルダが隆盛を誇った時期に、野が広がるだけだった城壁周辺も街として開発された。かつては華やいだ王家膝元の都市だが、今や見る影もない。


 一望せずとも荒れ果てた建物が目に入る。眠るには早い時刻にもかかわらず街に明かりはない。人がいるかすらわからない。

 飢饉続きの農村に戦乱の嵐吹く周辺国。物流も輸入も途絶え、地方から取り立てた重税は城下街を通過して城壁内部のみに運ばれる。飢え果てた民らが貨車を襲うのはよくある話だ。


 王族らは民衆から奪うことはあっても、与えることを何もしなかった。救いが欲しくば掴み取ってこいと言わんばかりに、民らを兵として混乱続きのフェルド諸国に送った。どうせ使い捨ての命と考えていたのだろう。他国を切り取り併合できればよし、戦場で力尽き死してもよし……


 私も同じだ。国土に蠢く蛆の一匹。養殖され、王族の気の向くままに屠られる家畜。

 本来ならとうにさばかれ朽ち果てているはずなのだ。卓に饗する鳥獣のように。戦場に棄てられる敵兵のように…………私の母のように。






 障壁を抜けた先は別の世界と言っていい。


 王宮の磨かれた床に血泥を擦りつけ進む。絢爛たる宮殿では、今宵も夜会が開かれていた。

 戦場から抜け出したそのままの姿で玉座の間に急ぐ。すれ違う貴族は眉をひそめ、礼をもって迎えるはずの使用人も私を避けて歩いた。


 視線を気にすることなく城へ踏み込む。通路を曲がる刹那、回廊に設置された鏡を見た。そこにあるのは暗く陰のある顔つきの青年。

 夜会が開かれた城内において、この出で立ちは場違いにも程がある。他者を歌い笑うことが許された道化師でもここまでの冗談は自重しよう。帯剣せずとも身に纏う装備は血生臭い戦いの名残を見せつける。城壁内の優雅さも何もない。目を背けたいほどの激戦のなかを、私は歩いてきた。


たとえ死神のような印象を持たれていても、この姿は場に立つ誰よりもヒムルダの現実を表している。



 見苦しいなりでも、咎められず王宮を歩けるのは、私の持つ生来の色彩が王族と同じものだったから。事情を知っている貴族は、私を見て呟く。


 ああ、畜生の子が帰ってきたぞ……と。






 玉座の前にて平伏し陛下との謁見を待った。お休みのため翌朝参られよと側近らは言うが、私は応じなかった。いくら時がかかってもいい。謁見するまで、ここで待つつもりだった。


 令を発したとき、王はエレフェルドからの書簡を握りしめていた。混乱に乗じての参戦を抗議する内容……それはもう脅しともとれる過激な文言が書かれていたのだろう。陛下は怖気づいたように文書を握り、私に怒鳴った。


 "命令だ! エレフェルド将軍の首を持ってこい。何もかも優先して奴を討て、大至急だ!!"


 ……王は忘れているだろうが、そういう命令だったのだ。





「何故謁見をいた!? この無礼者が! 貴様ごときにそんな権限があるとでもいうのか!?」


「……至急、とのことでしたので」


 側仕えらが慌ただしく駆け回った気配ののち、やっと王が現れた。夜着に打掛けを羽織っただけの姿である。肩に波打つ灰色の髪は、ヒムルダ王家を表す"曹灰の貴石"の証。その艶めきには細やかな手入れが見受けられる。晩酌でもしていたのか、同色の顎鬚には葡萄酒の滴が垂れていた。


 陛下は私に汚い犬を見るような目を向け、非礼を責めた。これが私に対する王族かぞくの……いつもの表情だ。彼らが私を見るときの顔はみんな同じ。




 王は側近を大声で呼びつけることで苛立ちをぶつけた。何か用事があって軍を呼び寄せたのは真実だ。私に何事か命令したいのも。


 慌てて駆け寄ってきた側近は、私の目前の床に地図を広げた。ニブ・ヒムルダを中心に据えた絵画。改めて形状を見れば、この国は本当に"ペン先(ニブ)"に似ている。

 西を向いた万年筆。周囲は海に囲まれた半島だ。持ち手部分は支配にないが、フェルド諸国の切り開き方によっては、それらしい国境を描くことも可能だろう。


「先日、北部の岸から使者が来た。"女神の使徒"と名乗る狂信者の集団の遣いだ」


 王の言葉に合わせ、側近の指が地図上部を指し示す。王城のあるヒムルダの都は、"ペン先(ニブ)"で言うとインクを溜める貫通孔に位置する。その北方の角から、王の言う狂信者の群れが海を渡って訪れた。


「北の大陸からこの国に流れ着き、布教と称して今も国土に居座っておる。使者はここが女神教の聖地であるとほざき、改宗と教主の入城を求めた。まったくふざけた要求だ!! 思い返しても腹立たしい……貴様は信者らを殲滅しろ! 奴らが同じ国土にいるなど耐えられん」


「彼らは……他国からの兵士でなく、ただの暴徒なのですか? 鎮圧する程度なら、私はともかく全軍を引き返す必要もなかったのでは」


「口答えをするな!! 卑しい雌犬の子め、生かしてやっている恩も忘れおったか? 貴様は我が命令を聞いておればよいのだ! ただ信者を根絶やしにするのでは気が収まらん……元を断つために、奴らの教主をも討ってこい!」


「……では、すぐに支度を。明日にでも部隊を整えます。兵の選抜はいつも通り私が……」



「恐れながら申し上げます!!」



 発言を遮り、王の側近が叫んだ。常時張り付けていた機嫌取りの笑みはなく、顔面には恐怖だけがある。地図に伸ばした手は小刻みに震えていた。


「どうか……此度の命令はお止めください。あの使者は外から"城壁を乗り越えて"訪れたのです。陛下もご覧になったでしょう!? 見た目にそぐわぬほどの魔力量と、まさに奇跡としか称せぬほどの魔法。その力を与えた教主とやらはきっと……"不死者"に相違ありません!!」


「不死者だと? 馬鹿らしい。世迷言を申すな!! 使者が来たのも、城内の誰かが手引したに決まっておる。女神の御業とやらも幻覚だ! 詐欺師の奇術にすぎん」


「いいえ!! うかつに攻めたて、刺激を与えてはいけません。あれはまぎれもなく不死者の一派。不死者"聖女"の遣いだったのです!!」


 錯乱したように腕を振り、女神の使徒に対する脅威を説く彼。使者とやらは彼らの前で神秘の術を見せつけたらしい。一部の貴族は信じ、防衛のため国境から軍を呼び戻したが……王が女神を信じることはなかった。


「……不死者」


 無意識に復唱した単語。それは、世界を滅ぼしうる厄災たちの呼称だ。生きた年数が魔力となるこの世界において、上限をはるかに越え生存する……不滅の魂を持つ者たち。

 彼らの名は伝わっていないが、現在まで七人いることが確認されている。


 "不死の王"、"魔女"、"思想家"、"道化師"、"学者"、"騎士"……そして、"聖女"。


 その発生は数百年間前から始まり、今もなお世界のどこかに存在している。寿命で倒れることはなく、殺されてもいつか復活する。それゆえに、常識では計り知れないほどの魔力を有し、強大な魔法を紡ぐという。



「どうせ信者のはったりに決まっておる。不死者の名を出し奇術を見せれば、要求が通るとでも思っているのだろう。だが、こればかりは……たとえ本物からの言葉だろうと許せん。我ら"曹灰の貴石"を愚弄した罪は償ってもらう! ワイツよ、これは命令だ……不死者"聖女"を殺せ。真偽などどうでもよい。女神教の信者どもを教主ごと潰せ」


「……御意に」


 仮に"聖女"が本物で、決して死なぬ不死者の殺害という……矛盾に溢れた命令であっても、私にはこの返事しか残されていない。

 言葉はすべて吐き尽くした。清々した様子で王は玉座から立ち上がった。私は跪いて退出を見送る。



「ええい、いつまで喚いておる!」



 またしても側近が泣き言を叫んだが、王は意に介さない。

 叱責の大声は去りかける私の耳にも届いた。



「不死者を騙るなら死あるのみ。もし本物でも……ワイツが勝手にやったと言い張ればよい。別にあれが死んだとしても惜しむことはない。むしろ僥倖だ。ワイツは我が王家最大の汚点。ちゃんと死ぬよう何度も戦場に送ったが今日こんにちまで運良く生き残った。殺してくれるなら、それが不死者でもありがたい」



 王の発言に対し、私の中で動く感情はない。生まれた瞬間からおそらく投げかけられたであろう言葉だ。すでに……この心に、世界の条理として刻まれている。


 ……わかっている。今まで回りくどいことを繰り返してきたが、これが王の真意。



 父は私に死んで欲しいのだ。









 自室にて微睡みつつ最期の時を思う。蝋燭を持ち出さずとも、開け放った窓から月光が差し込み、床を照らす。行動に支障はない。

 ふいに……喉の渇きを思い出し、寝台から立ち上がって水差しを手にする。どうせ今夜は眠らない。窓辺に腰かけて、静かに更けゆく夜を見守る。

 杯に水を注いでいる途中に気づく。命あるがゆえの感情も、まもなく終焉を迎えるということを……


 それは別にいい。戦場に送られた時から覚悟はできている。むしろ、今まで生きていることに対しての申し訳なさが心にある。本来私は、もっと早期に死ぬべきだったのだ。


 王の命令は絶対だ。ヒムルダ王家の一族、"曹灰の貴石"はどんなことがあっても守らねばならない 

 彼らと同じ血の一筋が通っていようと、特有の灰色の髪を受け継ごうと、似通った顔立ちであろうと……彼らは私とは違う。決定的な何かが私にはない。



 私はただの宝の番犬。畜生なら畜生らしく役目を果たす。それが、私の生きている理由だ。



 次で最後にしよう。王の命令どおりに女神教の信者を滅ぼす。一人残らず根絶やしにする。教主として立つという不死者"聖女"が本物でも偽物でもどちらでもいい。全員を滅ぼし……私も死ぬ。それが王の望む最善の形。ただ……


「ただ……ひとつだけ、願わくば……」

 

 醜い死だけは嫌だった。戦地で幾度も見た、兵たちが倒れゆく光景。屍たちが血と臓腑を振りこぼして大地に横たわる。私は、その一員にはなりたくない。彼らと同じ場所で肉片を並べたくはない。

 死ぬのは一瞬がいい。一粒の血滴も、灰髪一本も残さず消え去りたい。

 ただでさえ醜悪で穢れた私が、死ぬ時も無様な姿を晒して地を汚す……これ以上耐えがたいことはない。


 

 "聖女"が本物であればいい。不死者の扱う魔法なら、私を滅ぼし余りある。



 夜空は晴れていた。大きく月が浮かび、星が点々と闇に漂う。

 手にした杯に天上からの光が映り込む。私はそれを一気にあおぎ、光の粒を飲み込んだ。


「……向かうなら大勢がいい」


 まとが大きければ……降り注ぐ魔法もまた、極大なものとなるだろう。

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