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第五十六話 ワイツの伝言

 身を起こすという発想もできず……メイガンは言葉を無くし、仲間の亡骸をただ見つめる。最低限の防御も忘れ、口を開けど意味のない喘ぎを漏らすのみ。

 部下の死。命の危機から庇われたという事実が彼を硬直させる。先ほどまで死闘を繰り広げた相手が、無防備な自身に止めを刺さなかったことも、メイガンの戦意を打ち砕いた。


 今、ギラスが殺気を剥き、関心を注いでいるのは……控えに立つ暗褐色の老魔術師だけだった。



「ライナス!! そこにいたかライナス、っ……殺す!! 貴様が俺の深淵を暴いた!! 殺す……八つ裂きにする……!!」


 邪魔物を焼き消そうとした魔法も流れ、晴れた視界に仇敵の姿を見つけたギラスは、侵攻を再開する。ライナスは過去の悪夢を蘇らせた相手だ。この場の人間のなかで最も殺害優先度が高い。

 ゆえに、地に倒れたままのメイガンに構うことはなかった。まだ声の出せない彼が、注意を引くために伸ばした手にも一瞥すらしない。



「行け! 私たちに構うな、ライナス殿を連れて逃げろ! 必ず守り通すのだ!!」


 戻ってきた部下たちと傭兵に老魔術師を託し、撤退の命令を下す。ライナスは私を案じる泣き言を喚くが、無視して連れ去らせた。

 距離置けば少しは時間稼ぎになるだろう。魔法で妨害もできる。鎮圧のために新たな策を講じることも……



「逃すか、傲慢なる樹木神の祭司! くだらねえ知識欲のために、俺の心に手をかけやがって……! 貴様が欲した魔法はここにあるぞ。思う存分浴びていけ!! 己が求めた力に焼かれ、焦げゆくがいい…………テティス! ついでに貴様もだ!!」



「えええええ!? なんで僕まで狙われてるの?」


「黙らっしゃい! おぬしは死んだ方が世のためじゃ!!」


 やはりギラスは騒ぐライナスらを追跡する。私とカイザが側面を駆けても意に返さず、灼熱も遣わそうとしなかった。

 だが、急がねばならない。彼は新しく取得した力に馴染みつつある。噴火の災害から逃れた記憶は追尾の魔法として完成した。足元を爆破する、降灰と火煙を使いわけるなど応用されれば、ライナスたちは厳しい逃走を強いられることとなる。





 だからこそ、私たちはメイガンを助け起こしに走った。いつまでも呆けている時間はない。正面からでは敵わずとも、ライナスを追うことに執心する今、必ず付け入る隙はある。

 仮にそれが誇りに沿わぬ策だとしても、決して武勲とならぬ行いであっても……大義を成すためには立ち上がらねばならない。


 しかし、私が伸ばした手は強い力で弾かれた。


「っ、メイガン! 無駄だ、進むな!」


「うるせえ邪魔だ、ちくしょうが……! てめえらいい加減にしやがれ!!」


「駄目です、行ってはいけません。正面から立ち向かっても……確実に殺されます」


「黙れ! んなこと覚悟の上だ!! こんな状態で退く奴がいるかよ……こいつがいなかったら、俺は死んでいた。格下に庇われるなんざ"メイガン"の名折れだ」


 これまで立てなかったのが嘘のように飛び退き、私たちを拒絶する。予想はしていたが彼の受けた屈辱は深く、戦士の心は血を流していた。剣を拾うのも失念するほど、メイガンの顔は恥辱と苦渋にまみれ、徒手のままギラスに殴り込もうという暴挙を見せる。


「単身で攻めかかれば今度こそ死ぬぞ! 仲間に救われた命を投げ捨てるというのか? そんな無意味な行為は決して許さない。これは私からの命令だ。君たちには生きて、全員で女神の使徒を討ってもらう!」


「てめえの事情なんざ知ったことか! 俺には矜持がある、果たすべき志がある……! 恥を濯ぐには行くしかねえ……あいつを殺るしかねえんだよ……!!」



「ならばわたくしにも矜持があります! 命を懸けて遂げるべき任務がございます! それは、あなたをこの場で死なせないことです!!」



 抵抗が止まった。カイザは半ば抱きつくようにしてメイガンを押さえつける。叫んだ決意に意表を突かれたか、彼の四肢は力むのをやめ、濃紺の髪は動揺に震えた。


 自らの行いに指針を抱き、誇り高く生きようと誓う者は、同様の他者に敬意を払う。昔、私がカイザに教えた戦人いくさびとの思考だ。古き泉の民もまた彼女の意志を対等に扱う。その心を跳ね除けても行くのなら、取るべき方法はただ一つ……


「主義がぶつかれば"闘争"でしか解決はありませんわ。その覚悟も、用意も……私にはできております」


「カイザ、おまえ……そうまでして俺を……」






 私はカイザに現状の維持を指示する。ここはもう任せてもいいだろう。改めて年長者たちの攻防に目をやると、隊列は私の予想とは違った方向に走っていた。



 屈強な兵士に抱えられたライナス。総員は駆け足で殺戮者から距離を取ろうと図る。しかし、相手は天災なのだ。発現する脅威は小規模となったが、理性を無くしたわりに知恵が働く。


 ギラスにとって地の爆砕はもう慣れたようで、追跡する足すべてが高い駆動力を有していた。ライナスは杖を用い遠距離魔法で壁を出す、地を凍りつけるなど妨害するも、灰や噴煙で地面が霞み、起点がうまく定まらない。


 篭絡もせず、悠長な魔法を……と思った矢先、ひときわ派手な爆発が闇夜を切り裂いた。


 兵たちの足は乱れ、何が起こったのかと幾人もが後方を返り見た。それが囮だと気づけた者は遠間にいる私か、魔法に長けた者だけか。



「……! いかん、戻れ!! 逆の方向へ走るのじゃ!! ああ……ギラス殿!」


「死にさらせライナス! 朽ちた身を冥府に叩き込んでやろう!!」


 爆発は大噴火の発現。先の火砕流ほどではないものの、凄まじい爆風を受けた身は疾走を成した。追尾する溶岩を黒煙に変えれば姿も隠せる。そうしてギラスは隊の前方に現れた。

 広範囲に振り飛ばした熱と火煙は、兵の守りを散らせ、列を掻き回した。ただし、ライナスただ一人を狙った渾身の斬撃は、厚い氷壁で受け止められる。


 魔力量ならライナスが上。優位といえばその一点だけだが、味方と自身を守る魔法は間違いなく一流だ。氷の壁はそのまま氷柱として射出され、発現した灼熱ともギラスを押し返した。口では盾の魔法を詠唱し続け、漂う帯布は自動で"魔光夜の銀詠"に術式を描く。


 杖のぎょくを覗いた先に、"黒い茨"の芽が発現する。ギラスの足元に絡みつき、地にはりつけさせ無力化を試みる。しかしその拮抗状態は、老戦士が氷壁を腕力でぶち破って仕舞いとなった。



 走る数を減らして遁走が始まる。此度は決死の逃避行。ライナスを背負い走る兵も、周囲を守る傭兵も……豪炎がその背に伸びるまであとわずかと悟っていた。

 なお、テティスは急襲の時点で列から振り落とされている。





 追う方角が真逆となり、ライナスはこちらに災害を呼び込む。


「くそが……見下げ果てたぞおっさん!! それでも"柊の枝"の首領だったのか!? これが戦場で勇を奮ったつわもののすることかよ……! ガキみてえに衝動だけで暴れまわりやがって、みっともねえったらありゃしねえ!!」


 声届く距離になったことでメイガンが怒鳴り始めた。攻め入ることはできないものの、鬱屈した思いを叫ばずにはいられなかった。多大な失望と悔悟を含んだ声音も、復讐に憑かれた本人へ響かない。けれど、私の脳裏に引っかかる欠片があった。



「てめえだって……てめえだって、誇りを持った戦士だった! 覚えてねえのか"ひいらぎの"!! 今の醜態を"あの若造ども"に見せてやりてえよ!! てめえが誇りだと謳った二人組によ……!」



 言葉を受け、私の心にある光景が蘇った。

 幼少期に刻まれた破壊の記憶と同じく、"ギラス"が生きた年月にも忘れえぬ至福の瞬間があったはず。白紙のまま積み上げた思いは、憤怒に飲まれようと無に帰すことはない。


 これが正解なのかはわからない。ただ、あの夜……彼らを見守る老戦士の瞳は、穏やかな光に凪いでいた。





 剣は持たず、装備は急所覆う以外を外す。聡いカイザは私の行動を読み警告を発したが、場の収拾のためには賭けに出るしかない。

 これは伝言だ。心の深層へ呼びかけて、自我を思い出させなければならない。今の彼がずっと封じ込めていた他人格なら、私たちが知る"ギラス"も表に出れないだけで、必ず何処かにいる。

 


 過去、ひとりの少年があの灼熱から逃げ延びた。だから"彼"は私たちと出会えた。その奇跡を今から再現しよう。



 激しく猛進するギラスの背後、火焔からも照らされぬ死角より接近する。彼の動きを予知し、駆け抜けた軌道に生じる魔法も避け、飛び越えて走った。魔法の特性は理解した。常時彼を追う、赤と黒の奔流は確かに驚異だが、決してギラス本人に到達することはない。


 老戦士の周囲に安息の地はなく。行動、太刀筋の後に炎熱は発現する。けれども、彼に触れられる位置こそが唯一の避難場所だ。


「いかん! ワイツ王子!!」


 こちらを視認したライナスは不用意に危険を叫ぶ。付近に潜み、隠密に接近しようというのに、存在を強調させるのは愚行だ。追跡者は新手の到来を察し、剣を背後に向けて振り下ろす。



 ただ、私はそれら言動も想定済みであった。


 剣の一閃後の魔法も掻い潜り、ついに私はギラスの懐へ潜り込んだ。世界でただ一ヶ所。ここなら彼の魔法は現れない。

 急ぎ伝え、思い出させよう。彼は世界の復讐者などではない。仁義を尊ぶ一介の老戦士、かの傭兵団"柊の枝"の首領であったことを……



「聞け! ギラ……がっ! …………ぐ」


 呼気もろとも言葉は潰された。魔法は襲ってこなかったが、屈強な腕が私の喉を掴む。こちらの抵抗にも一切動じることなく、片手だけで締め上げ、握る圧を強めていく。

 他方からライナスの悲痛な叫びが聞こえた。一思いに殺さないのは、私を餌に老魔術師を引き寄せるためか。


「ニブ・ヒムルダの第四王子……おのれ、貴様も邪魔立てするか!! やいばも携えずかかってくるとは舐めた真似を。死して自然神に還りてえのなら、その髪色と同じく焼却しよう! 灰は、灰に……!!」


「……違う……今の、あなたは……"あなた"じゃ、ない……」


 ああ? と睨み、私の顔に剣を突きつける。わずかな動きでも、後から溶岩が発現し真紅にしたたった。口答えしたのが意外だったか、ギラスの集中はすべてこちらを向く。

 朧げな思考を叱咤して意識を保つ。切れ切れでも言葉を吐く。確率の低い賭けだが、ここまで来れば乗らざる得ない。


 思い、出せ……と"ギラス"の魂へ呼びかける。



「あなたの仲間たち……あなたの、"誇り"…………ランディと、エトワーレのことを……」



 視界が暗転する前に見たのは、刮目する茶の瞳。苦し気に慄く声は私のものではない。

 次に落下の衝撃が身を襲う。同様に落とされた剣の硬質な音。最後のあがきに灼熱が湧き立つのも、その陰から近づく暗褐色があることも、朦朧とした私にはよく知覚できない。



 ギラスは夜空を仰いでいた。


 今宵は曇天だ。そのうえ魔法で出した灰や黒煙やらで、光など一粒も見当たるまい。けれども、彼は確かに知っていた。視線の果てには星がある。地表がどう騒ごうとこれだけは変わらない。


 そんな展望の時間は、ライナスが至近から"眠りの魔法"をかけるまで続いた。




 心が暗夜に飲まれても失わない。

 あの白金と、だいだい色の輝きを……

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