第四話 ギラスの後任
「おーい! あんたもこっちに来いよ!」
すっかり出来上がったエトワーレが、突然闇の中に呼び掛けた。酔いがまわった俺の視野には朧気にしか映らないが、どうやらそこに人影があるらしい。めちゃくちゃに腕を振って招こうとする。
やたらと絡んでくるランディを押しのけて、向こうにいるのが誰か見定める。注意が逸れたことに対し隣の若者は不満をぶちまけるが、もう構ってやる愛想は尽きた。こいつはさっきからニブ・ヒムルダ王政の非難ばかり喚いてくる。酒が入る前は静かだったのにどうしてこうなった。
目を凝らした先に蒼銀が瞬いた。人影の纏う甲冑が光を撥ねたのだ。
「ほう……おまえら、あいつを戦場で見たのか」
見覚えのある細身の騎士は、昼間ヒムルダ騎士団の先鋒を勇壮に駆けていた。その戦いぶりはこいつら二人の関心を惹きつけたらしい。ここで武勇を語っていけと声高に叫ぶ。
「見てたぜ昼間の戦闘! あんな鋭い一撃ができるなんてたいしたもんだ」
「おいこら聞いてんのか!? おまえだおまえ、逃げんじゃねえぞ!! 早くこっち来て酒に付き合え!」
何も知らないこいつらの言動に笑みが抑えられない。俺はにやけたまま動向を見守る。
彼方の人物はどうやら夜間の鍛錬を終え、自分の天幕に戻る途中らしい。
炎も遠く冷え切った空気に、吐く息と汗の蒸気が揺らめく。そうして取り去った兜の下は……
「……!」
「なっ!?」
藤色の長い髪。青く燐光を放つ鎧に流れる様子は、藤花の乱れ咲くような艶やかさがある。気づいてしまえば視線の誘引が止まらない。
細い腰、華奢な四肢に……ささやかに丸みを帯びた胸当て。切れ長で涼やかな双眸は、衝撃で言葉も失くした若造どもを容赦なく暴き立てた。
「……まじかよ」
これにはさすがのランディも素面に戻った。いや、虚脱状態と言った方が近いか。隣のエトワーレが興奮のあまりばしばし背を叩くのにも微動だにしない。声をかけた若者は衝動の最高潮に至り、橙の頭を振って叫ぶ。
「おまえ!! お、女!?」
「ぶはっはっは!! おまえら、揃いも揃ってなんたる間抜け面だ!」
はなから同席する気は無かったらしく、細身の騎士は一瞥だけを寄越して去った。衝撃の事実から冷めやらぬこいつらを思うさま笑った後、責めるような視線に応えてやる。
「おっさんは知ってたのかよ! なんで教えてくれなかった! いったいなんでまた、女が戦場にいるんだ」
「軍団代表者の集まりでは有名でな、よく名前が挙がるんだよ。あれはカイザっていう、貴族の令嬢だった女だ。ヒムルダ屈指の名家の出身だが、身内が重大な罪を犯したせいで、一族もろとも戦場へ送られたんだと。回りくどい死刑宣告だ。生き残りはもう彼女だけだろうな」
「そんな境遇で戦地に……いやっ、でも! あの女すげえ強かったぜ!? 剣の動きだって見切れねえ……あの一突き、まるで閃光だった」
「相当特訓を積んだんだろう。毎晩ワイツ殿の天幕に通って……色々と教えを受けているからな」
俺は偶然、その光景を見かけたことがあった。
夜営した泉のそばで稽古をする二人。麗しい外見を持つ彼らが、月の下で剣を手に舞う姿は神々しく、この世のものとも思えなかった。
そうして鍛錬が終了し、汗を拭ったあと……彼らは一つの天幕に入っていった。
俺としては情緒を込めて語ったつもりだが、エトワーレは顔から同情の思いを消し去った。こいつは哀れでいじらしい女に弱いという性質がある。彼女がワイツ王子の庇護を受けていると知り、自分の対象外だと判断したのだろう。
「ワイツ団長も澄ました顔して抜け目がねえな! まあ、可哀想だから助けてやってんだろうけど……おい、どうしたランディ。いつまでそっち向いてんだ。もうあの女いねえぞ」
「……い、いや。なんだよ! こっち見んな!! なんでもねえよ馬鹿!」
このように狼狽えるランディは珍しい。あからさまに不審な態度。赤く染まった顔を見とがめて、エトワーレは目を輝かせた。
「さてはおまえ……あの女が気になるんだな」
「よせよ! おまっ……人のこと言えるのかよ!? おまえこそいい加減、戦場ごとに女つくるのやめろよ! 稼いだ金、残らずむしられてるって気づかねえのか!?」
「いいじゃねえか! 俺は不憫な女ほどほっとけねえんだよ!」
二人のじゃれ合いに遠慮なく笑っていたが、背後より近づく気配を感じ、陽気な気分が萎んでいく。
威嚇の意を込めて振り向けば、ぎらついた紫眼と目が合った。
「……はっ! うるせえから誰かと思えば、しがない傭兵団の若造どもか。相変わらず雇い主に尻尾振って小遣い稼ぎしやがって。今も報酬おねだりの算段か?」
「どこの野犬かと思ったが、おまえか……"メイガン"」
つんと立った濃紺の短髪。年の頃はランディとエトワーレより少し上か。やや猫背気味にこちらを覗き込む男は、俺たちと同じくニブ・ヒムルダに雇われた傭兵だった。
戦死者から剥ぎ取ったのだろう、不揃いで粗野な装備の仲間を連れて、俺たちを囲む。
「ちっ……嫌な奴らに会ったぜ」
男への威圧を続けつつ、俺は杯の残りをあおる。旅慣れた俺たちだからこそ、こいつの危険性がわかる。
"メイガン"とは、世界を流れ歩く旅人の名称。勝手にそう名乗る輩は別として、本物はすべからく血に飢えた狂戦士だ。味方陣営だとしても戦場で顔を合わせたくなかった。
「こんな深夜に挨拶なんて珍しいな。なんだよ……俺たちと戦る気か?」
「ああ。大いに戦ろうじゃないか。俺たちはおまえらに仕事後の楽しみを邪魔され、腹が立っててよ」
「なにが"お楽しみ"だ! 近くの農村を襲おうなんて規律違反だ。そんなの盗賊といっしょじゃねえか!!」
ちょうど夕方、"柊の枝"は奴らと諍いがあったばかりだ。近場に集落があると聞いたメイガンらは武器を手に侵攻し、村に資材を運んでいた仲間たちと出くわした。
そのとき軽装だった奴らは、無意味な衝突こそ避けたものの、怒りを持ったまま夜を越したくないらしい。
「あれは正当な報酬だ! 今日の戦いも俺たちのおかげで勝ったんだから、この国の連中は働きに報いるべきだろう?」
そうだそうだ、と耳障りな声が湧く。十人ばかしの野太い音色は、俺たちの気分をひどく害した。
「食い物と女の物色中に追い回しやがって!」
「この落とし前はつけてもらうぜ!!」
「そうだ……"柊の枝"だかなんだか知らねえが、全員でかかって来いよ。一人残らずへし折ってやる」
メイガンが仲間に合図すると同時に、ランディとエトワーレは立ち上がり、これからの戦いに身構えた。俺は座ったまま周囲を睥睨する。敵は十一人。どれもまだ若造ばかりだ。
「皆に知らせる必要なんてねえ。ギラス首領、俺たちが行っていいか?」
「ランディ。もう俺に許可なんぞ求めなくていい。後任のおまえが自由に決めろ」
「……そうかよ」
声の響きも残さずに、二人の精鋭は左右に駆けた。メイガンの手下どもはあいつらを追う前に手近なこちらへ剣を振りかざす。
俺はさして慌てずに、座ったまま目の前にある火箸を手に取った。
「"噴煙"――灰は火を潰し、天地を闇と化す」
箸に灯った火も吹き消すよう詠唱し、敵全体を流煙で巻く。
これは魔法。まだ年若く、魔力も乏しい奴らには扱えまい。唱えたとおりに火は消え、残らず煙に転化した。周囲は闇で満ちる。
もともと明かりのない真夜中だ。光源を失くし噴煙で呼吸もままならない。こんな状態で動けるのは、あらかじめ備えていた二人だけだ。
「ぎゃっ!」
「なっ……このっ!」
「違う! 俺は敵じゃな……ぐわあああ!!」
闇の中で悲鳴が連鎖する。エトワーレの仕業だ。
己を夜に溶け込ませ、立ち尽くす敵に殴打を食らわす。一撃で気絶する奴はまだ運がいい。意識あれば混乱に陥り、味方同士で斬り合う羽目になる。
頃合いになれば、発光の魔法で目眩ましをするつもりだったが……それより先に雷が見えた。
少し距離を置いた場所でランディとメイガンが打ち合っている。昼間では気にならなかったが、帯電するランディの剣が、振るわれるたびに稲妻を散らすのだ。
数合で仕留められると思っていたが、向こうも大した手練れのようだ。やはり"メイガン"と名乗るだけはある。
ランディの攻撃は重く、付随する雷撃で見た目以上の威力をもたらすが、その分速さでは劣る。剣の軌道が強調されては不利だ。俺は彼らの立つ角度を測って、空中に閃光を撃つ。
「うおっ、まぶしっ」
「おいおい、エトワーレ。目ぇ閉じてんなら平気だろ」
「明るいのはわかるんだよ!」
魔法の輝きは一瞬のみ。落ちて消える前に薪まで誘導し、火として再び燃え盛らせる。明るくなれば、周囲の散らかりようも一目瞭然だ。急所を殴られ昏倒した、あるいは失血で倒れる男たち。半数は同士討ちの結果か。やらかした当人は剣すら抜いていない。
ひとりだけ……まだ少年ともとれる手下は最初の魔法で腰を抜かしたらしく、隅の方で震えていた。
最後まで戦っているのは兄貴分たるメイガンだけだ。意外なことに奴は眩んだ目でも戦闘を継続していた。ランディが俺に背を向けているときに魔法を放ったから、あいつは正面から閃光を見たはずなのだが。
それでも押されているのは奴の方だ。戦いは佳境に入った。あと数手でランディの白星は確定する。そう、思ったとき……
メイガンは剣を捨てた。地を蹴って、ランディに接近する。
ちょうど、下方から剣を走らせていた最中の出来事だ。行動の意外さと狂った距離感に、ランディの顔が戸惑いに歪んだ。
間合いを詰め、伸ばしたメイガンの手は彼の手首を掴んだ。大剣を奪おうとしているのか? しかし、この局面でなぜ……?
不可解なもみ合いは、ランディが力任せに剣ごと奴を薙ぎ払って幕となった。あの大剣に刃など残っていないが、鉄塊による打撃を受けて無事な者はいない。メイガンは地面に転がった。
ランディは奴の胸を踏み剣の切っ先を喉に沿わせる。動けないながらも、そこは憤怒で震えていた。
「なぜだ! なぜ、おまえは死なない!?」
「はあ? 何寝ぼけたこと言ってやがる。俺がおまえごときに殺されるわけあるか」
怒りと悔しさで叫んだ言葉も意味のわからぬものだった。ランディは白金の髪を振って困惑を断ち切り、メイガンの胸を圧迫したまま剣を動かす。切っ先は今度、奴の下腹部を指し示した。
「ここを"不能"にされたくなかったら、手下を連れて俺の視界から消えろ」
「……くそっ!」
足をどけられ、よろよろと身を起こすメイガン。ようやく動けるようになった仲間も互いを支えながら夜の闇に消えていった。
「本当に嫌な連中だぜ。ああいう奴らのせいで、いつも戦中の女たちが泣きをみるんだ!」
「まったくだ。あいつらは奪うしか能のない馬鹿ばっかりだ。略奪なんて胸糞悪い……くっそ、なんか肌がかさかさする。虱でも移されたか?」
何事もなかったかのように、先ほどと同じ炎を囲む。ほぼメイガン来襲前の状態を取り戻したが、感情まではそうもいかなかった。エトワーレは苛立ちを隠せず、奴らが去っていった方向ばかり見ている。ランディもランディで、なぜか手首を掻き毟っている。メイガンの接触を受けた箇所だった。
「……やっぱり俺、あいつら全滅させねえと気が済まねえ。ひとっ走り殺ってくる」
「おい……落ち着けよ、エトワーレ」
「向こうにまだ仲間がいるかもしれねえ。多勢に無勢だ。嬲り殺しにされたいのか!?」
立ち上がって追撃を求めるエトワーレ。黄赤の髪を俯けて、収まらぬ憤激を叫ぶ。
「だって……あいつら生かしておけば、また農村で狼藉を働く! 俺はそういうのが本当に嫌なんだ。死ぬより辛い目に合うのはいつも女たち……あんなやつらにいいようにされるために着飾っているわけじゃねえのに」
「あのメイガンをやったって、そういう行いがなくなるわけじゃねえぞ」
「わかってるさ、ギラスのおっさん。あんな行為は世界からなくならない…………俺だって、そうやって生まれたクチさ」
俺はランディと顔を見合わせ深く息をついた。エトワーレは戦場で虐げられる女子供を見るたびに、普段の愛嬌ある顔を一転させ、陵辱者への怒りを露わにする。この様子から、彼の生い立ちについてはある程度察せられる。
戦乱のさなか。戦いの興奮冷めやらぬ兵士たちが農村に殺到し、手ごろな女を力づくで…………彼はそうして誕生した。
「母さんはそれでも俺を育ててくれたよ。何にも恩を返せないまま、流行り病で逝っちまったけどな。俺にできるのは、メイガンみたいなのを目の前の村から追い出して、泣いている女たちに金を渡すことくらいだ……俺からむしっていくのもいい。それだけ強く生きてくれるなら上等だ」
母親のことを思い浮かべたのか、エトワーレは闇から顔を背け、ゆっくりと座る。炎を見つめる彼の顔は切なげなものだった。
「俺に家があればなあ……傷ついた女たちを奴隷商から匿い、守ってやれる。あたたかい宿を得るのに、身体を代償にしなくていいってことを教えてやれるのに…………やっぱり俺、変なこと言ってるか? どうせ自己満足だってわかってる。でも続けたいんだ。なんていうか、その……生まれてきた"罪滅ぼし"ってやつ?」
「ああ、俺だって"使命"を抱えた身だ。おまえの気持ちは理解できる」
若者たちは声の明るさも落として神妙に話す。その沈痛な気持ちはわかる。彼らのように土地を追われた者が集まり、傭兵団"柊の枝"が結成された。根の張れる場所を求め、世界を巡っている。
「いい母親を持ったな。おまえがここまで立派な男になれたのも、その優しさのおかげだ」
「いいや……無駄に食い扶持を減らすから、他の家族からの母さんへの風当たりは酷かった。早死にしたのも無理が祟ったからだ。幸せになれなかったのは俺のせい。本当は恨まれてても文句は言えねえ」
気弱に首を振るエトワーレ。彼は望まれず生まれたというが、それでも愛を受け育ってきた。そして、母への情が募るたびに、自分自身の存在を呪ってしまう。彼はこれまで何度も女を襲う獣を止めてはきたが……本当に止めたかったのは、自分の母親を襲った男なのだ。
ランディもこの話を聞いて思うところがあったのか、しゅんと顔を伏せている。二人とも、仲間の誰よりも強く、勇敢なのに……今だけは幼く見えた。
「それは違うぜ、エトワーレ。おまえの心は正しいし、やってることも"罪滅ぼし"なんかじゃねえ。おまえがいたから救われた女たちが大勢いる。これはもう、立派な"恩返し"だ」
俺はそっと火を消して夜空を仰ぐ。ランディとエトワーレは俺の動きを真似て、曇天の夜を見上げた。今は見えなくとも、必ずそこにある光を感じてくれるだろうか。
まだ小さな星粒の彼らに、将来強く輝いてくれるよう、祈りを込めて語る。
「それにな……もしおまえの母親が恨みを持ってたなら、まず絶対おまえに"ひとつ星"なんて名前はつけないぜ」