第四十七話 ワイツの変容
戦いの場にあるまじき笑い声。場違いなそれを振り向けば、風にそよぐ柳の如き、陰気な緑が駆けていく。
余所見をしているさなか、信者が私に切りかかってきたが、顔を削ぐ斬撃を見舞うに留めた。引けた腰の敵にはこの程度で十分だ。
メイガンの水を使った大魔法が"失敗"してから、離れた場所にいた信者の別隊が帰還し、私たちは息を潜めつつ撤退した。十分に距離をおき、拠点からの増援を待つ間。たまに飛び出そうとするメイガンを取り押さえつつ観察していたが……信者たちの様子に、当初の判断が揺らぐ。
展開するのは仲間の残骸に仰け反り、叫ぶ醜態。溶解し、汚物となって転がる死体も、彼らにとって親しき家族や友人であったものだ。霧に触れさせるだけで全身爛れていたのを、メイガンが更に深傷を上書きした。残された汚物に比べれば、腐肉すら高級品に見える。
女神教では死者の弔いに花を供えると聞く。信者たちが手法を知らぬはずがない。しかし、彼らは遠間から嘆くのみ。死を悼みたくとも変貌の悍ましさに圧され、触れることすらできないのだ。
「……これなら、私たちだけでも討ち果たせそうだったな」
「だからさっきからそう言ってるじゃねえか! 今更にもほどがあるぞ!! わかったら行かせろ。胸糞悪い殺しを清めねえといけねえ」
小さな呟きから間髪入れず、メイガンは怒鳴る。彼が看破したとおり敵の信仰心は落ちていた。あの場で下手人として名乗り出、信者の意表をつくべしとの意見……今なら正しかったと思える。
だが、様子見は不可欠だった。うかつに飛び出し、死者の二の舞になりたくないのだ。
別に急がずとも結果は同じだ。信者の未来は死あるのみ。
戻れそうな者たちでのみ打って出ると決めた直後、彼方より地響きが伝わる。朝の日差しのなかに砂煙が立つのを見た。馬列の先頭を率いるは茶髭の豪傑、ギラスだ。
援軍を要請した部下はどれほど深刻に伝令したのか、加勢の兵はみな決死の覚悟を顔に宿していた。力量の落ちた相手にはやりすぎの気はあるが、これならふいにした時間も取り戻せそうだ。
連れていた部下たちを非戦闘区域に押しやり、軍勢はニブ・ヒムルダ正規兵から傭兵中心の構成となる。陣形を整え、突撃の号令を下すと、真っ先に飛び出た若者の姿があった。
メイガンの手下のひとり、テティスという名の少年だ。
今までなかった殺意に満ちて、緑髪の若武者は得物の槍を振るう。まだ技も拙く、狙いの目測もおぼつかないが、勢いと手数の多さで乗り切っている。あのメイガンに憧れはしていたが、功名を立てることに対して執着しているようには見えなかった。
怯んだ信者への急襲とはいえ、平常心を取り戻されると強敵になる。だが、テティスに微塵も恐れはない。それどころか、あの言動は……
「あはははは!! あははは!! 楽しいなあ!」
まだ幼いと称せる笑顔を向け、信者の横顔を槍の穂で殴り飛ばす。噴出する血と歯がゆるく軌道を描いて落ち、その後を追って上体が倒れる。
少年は起き上がろうという信者を足で踏みつけ抑え、穿通の餌食にした。
血飛沫浴びる間も笑顔を保つ。敵の目から光が消えゆくのを、陶酔の表情で眺める。ひとしきり楽しんだのち、慌てたように槍を抜いた。より理想の相手を見つけたのだ。彼がかねてから追い求めていた通り、それは女性の信者であった。
「ひっ! いやあ、いやっ……来ないで!! ああ女神様!! どうか、お助けを……!!」
「待って! 逃げないで、僕と気持ちいいことしようよ!」
神言も忘れ、恐怖に溺れた足ではまともに走れまい。案の定、彼女は逃げる背をテティスの長い得物に刺され、蛙の潰れるような悲鳴をあげた。
「つーかまーえた!! ははははっ! 下の膜はどうだか知らないけど、胸板を貫かれたことはないよね!? やった! 君のはじめてを貰っちゃった!!」
まだ死にはしないものの、女信者は痛みで膝をついた。テティスはおっと、と力加減し、低くなった姿勢でも貫通状態を維持。女性を貫く槍を前後に抽送し、背面座位だ! などとほざいてみせる。
激しく揺さぶられた信者は血泡を吹き、眼球も白く上向いた。やがて呻き声も止み、命果てる。結果的にテティスは、彼女にとって"最後の男"となった。
「すっごい! 魔女さんが教えてくれたとおりだ! 生きるって愉しい、相手が死んでくれるなんて嬉しい……これ、最高に気持ちいいなぁ……」
けたたましい笑い声は止まない。成長期とは言うが、一夜にして気弱な少年が殺人鬼に変貌したのはどうしたことか。前に言葉を交わしたときはこうではなかったのだが……
まあ、考察しても詮無き事。彼個人の欲望など、私に下された命令の前では小さなことだ。しかし、死体を使った下品な行為は御免被る。他の兵士は殲滅戦に勤しんでいるというのに、不謹慎極まりない。
このままだと確実に兵の士気が下がる。百舌の早贄えのようになった女性から、丁寧に服を取り除く光景などはもう見るに耐えない。私は彼を窘めるべく歩く。
「彼は気でも触れたのか?」
「本質は変わっておりませんわ。ただ……少し大胆になられただけかと」
短い道中にて、確認がてらカイザにも問う。私よりもテティスと交流のあった彼女は、この変わりようを欲求が極端化したものと受け取っていた。
見目良い女を手に入れたい。当初は犯すことが目的だったろうが、自らのを挿すより槍を突き入れて壊し、貞操を包括した生命そのものを奪いたいとまで発展した。そちらの方がより強い刺激と快楽を得られると、あの"魔女"によって刷り込まれたのだ。
「わーカイザさーん!! 来てくれたんだー!!」
私たちの接近に気づいたテティスは、出会えたことに喜び勇んで突貫してきた。もちろん槍を構え、殺意を伴い走りくる。狙いは女騎士のカイザ。麗しい彼女が殺害対象に挙がるのは必然。だが、このように自軍にまで襲いかかるとは重症だ。
どうします? とカイザが視線で尋ねてきたので、構わん、殺れと即答する。手に余る狂人は魔女だけで十分だ。
しかし、彼女が剣を一閃するより早く、濃紺の激流が割り込んだ。大水が避難者を飲み込むように、流れる動作で蹴りを喰らわす。テティスは二、三人の敵を巻き添えにして吹き飛び、地に転がった。
「てめえっ! どさくさにまぎれて味方殺そうとしてんじゃねえ!!」
突如現れた少年の兄貴分……メイガンは、容赦ない攻撃を浴びせたのち無体を叱る。遠くで溌剌と戦っているように見えたが、わりと素早くも動けるらしい。今のをまともに受けて、けろりと戻ってくる手下も手下だ。
「メイガン、部下の管理がなってないぞ」
「俺の責任だってのか!? ふざけんなよワイツ。知るかそんなもん……こいつがどうしようもない下種野郎なのは、俺と関わりねえことだ」
「どうか怒らないでください。私は気にしておりませんわ」
なぜか怒り心頭のメイガンへ、カイザは淑やかに返答した。彼女にとっては気に留めるようなことではない。襲いかかられれば殺せばいい話なのだ。
「ごめんなさいメイガンさん! だって美人だったから、つい…………あっ、大丈夫ですよ。心配しなくても、ワイツ王子様はあなたのためにとっておきますね」
「はあ? 何言ってんだてめえ。本当に意味がわからねえ!! もういい! 殺す!! こんな変態がそばにいたなんざ"メイガン"の恥だ。間違っても語り継がれるわけにいかねえ」
「ええええええ!? そんな横暴な!」
「ふーん。じゃ、今度からはあなたがあたしの遊び相手やってくれる?」
姿より先に言葉が訪れ、次いで近くの敵が爆ぜた。土砂降りの肉片越しに日傘が見える。
声の主、不死者"魔女"は、傘を軽く払って血を落としながら進みくる。混戦のさなか普通に歩いてきたらしい。彼女の道程には、邪魔な敵を排除したときの証が点々と続いていた。
「うげっ……不死者め」
「魔女さん! ねえ、もう一回僕としよ! 今ならもっとうまく貫通できるよ! だから僕と戦ろうよ。先っちょだけでいいからさあ!」
やはりテティスの変容は魔女が関わっていた。メイガンは手出しするのも嫌になったのか、他所へ戦いに行った。私たちも同様に敵を皆殺すべく去る。これまでと比べれば温すぎるが、これでも戦いの最中なのだ。
捨て置いた少年少女たちの会話が背を叩くも、私たち大人には仕事というものがある。長く関わってはいられない。
「うっさいわね、テティス。一回戦り合ったくらいで宿敵面しないでちょうだい。うっかり殺さないよう、あたしがどれだけ気を遣ってあげたと思ってるの!?」
「でも、魔女さんだって後半は痛がってたよ! 僕の槍に貫かれて感じてたじゃないか!」
「馬鹿ね。あんなの演技に決まってるじゃない。あなたが怖がってひんひん泣くから、仕方なくやってあげたのよ」