第四十二話 ワイツの歓談
その作戦が決行されるにあたり、陣中で繰り広げられた会話がこれだ。
「これは俺が以前からあたためていた秘策なんだが……聖泉の水で氷槍を作り、雨のように降らすってのはどうだ? 落下威力と合わさって凄まじい攻撃になる。まさしく最強だ。これなら信者どもを壊滅できるだろ」
「……は? おぬし、まさかその程度の活用しか思いつかなんだか? 十にも満たぬ小僧並みの発想じゃの。やはり、おぬしの故郷は戦闘術のみ発達し、勉学が軽視されておるようじゃな。一族の知能はどうなっておるのか」
「ば、馬鹿! 違えよ!! じじい、てめえ……"メイガン"がみんな脳筋だって言ってんのか!? なめてかかりやがって。そんなことはない……座学だってあったし……」
「なんでもよろしい。おぬしは策通りに"水"を発現しておればよい」
そこで部下からの報告を聞いた私は、メイガンの水を溜め続けるライナスに"魔女"の支度が整ったことを知らせた。老魔術師は容器の水位が既定の量まで到達したのを確認し、微笑んでこちらに応対する。
「首尾は上々じゃワイツ王子。あとは実行班を組織するだけ。血清を打った兵の中でも、そうじゃな……できるだけ気の太い者を選抜してほしい。この術は奇襲において抜群の効果を成すが……少々見苦しい」
信者の群れが野営に選んだのは街道沿いの荒野だった。祭日過ごした集落を抜け、全行程の半分以上を踏破した私たちだが、これといってやることは変わらない。"女神の使徒"を滅する。それも、より慎重にだ。
陽も目覚めぬ宵闇の支配地にて、私たちは影の如く疾る。精鋭からなる少数で静かに動き、野営地を眼前にして待機する。
ライナスの魔法はすでに発動されていた。彼は風向きを気にしつつ、本陣から離れた広野に術式を描き、その中心にメイガンをひとり置いた。
その場で"水"を発現するよう求めたが、異教の戦士は、この俺を儀式の生贄にする気か! と怯え、なかなか言うことを聞かず……納得するまで老魔術師と怒鳴り合っていた。
円状に広がった文言はメイガンの力を高め、ある形に収束するためのもの。策が功を奏せば、女神の使徒へ壊滅的な痛手を与えるはずだった。
何巡目かの説明後、彼はようやく術の仕組みを理解した。
仲間たちと遠く引き離された理由も。
「なあワイツ……そこにいるのか?」
「ああ。どうした、何か気になることでも……」
闇からの囁きに応じれば、別に……と素っ気なく返された。術の概要を聞いた時から、メイガンの威勢は曇り、紫の視線は揺れていた。実行を了承したものの、策に対して複雑な思いを抱くようだ。
光源が出せない以上、私たちは気配だけで違いを認識するしかない。ライナスからの説明によると、確実な成功のためには、この状態で最低二時間待つ必要があるらしい。
「信者の位置から距離があるが、できるだけ小さく話してくれ。作戦を聞いただろう? 彼らに見つかれば元も子もない」
「ちっ……そんくらいわかってる。だが、少しは俺の身にもなれ。ずっと"あの水"発現しねえといけねえんだぞ。じじいも無茶振りしやがって……俺を干からびさせる気か……」
「あの魔法に君への負担はないはずだが? 何も難しいことではない。ただ過去を思い出していればいい。君たちの崇める聖泉のことを」
魔法とは記憶でできている。過去に経験した出来事、忘れえぬ光景の具象……今も行っているメイガンの秘術は、故郷に流れる水脈を思い出すことでなされる。それだけの発現なら単純で、術者への反動もない。
確認するよう話せば、深いため息を吐かれた。あれだけ故郷の泉にこだわりながら、その活躍の場において暗い面持ちの彼。漆黒に混じりおぼろげだが、困憊した様子で額に手をやるのを感じた。
明かりさえありゃいけるのに……と、こちらへ縋るように言う。
「あと何分やりゃいい?」
「……まだ二十分も経ていない」
「くそっ!」
「ワイツ団長。兵たちは全員配置につきましたわ」
暗夜に涼やかな声が通る。そばに寄る姿は確認するまでもない。
カイザは修繕した蒼銀の鎧を纏い、身を低くして移動する。私たちと同じ目線まで伏せ、部隊が定位置についたことを報告した。
「そうか。あとは時を待つだけだな」
「カイザか!? ……おまえっ、今こっち来んな! 術が途切れるだろ!」
「静かにしてくれ。集中できないのを彼女のせいにするな」
魔法が安定しないのはメイガン本人の精神状態によるものだ。責任転嫁をたしなめると、彼は呻いて私たちから身を背けた。
落ち着こうと深呼吸が繰り返されたあと……祝詞が朗々と流れ出す。以前、彼が森での戦闘にて叫んでいた言葉だ。異郷に伝わる祈りの文句は、小さくも延々と続く。
魔法を保持する取っ掛かりとして吟じ続けるつもりなのか。"水"の発現がそうまで重労働とは知らなかった。彼が故郷へ持つのは、追憶しやすい記憶とは限らないらしい。
「申し訳ございません。お邪魔でしたら、私は向こうへ参りますが……」
「いや、おまえはここにいていい。メイガンも……何事か唱えてないで、こちらに寄れ。時が満ちるまで話をしよう」
「……なんだよ」
「要は記憶を途切れさせなければいいのだろう? ならば、私たちに君の故郷のことを語ってくれ。差し障りない範囲でいい。泉での日々を私たちに話していれば、ずっと回想していられるはずだ」
「そりゃあ……まあ、確かに……」
同意を得たので、最小限の音で済むよう三人で集まる。冬の地面に半ば這いつくばった状態で、各自過ごしやすい体勢をとる。
長居の準備が整ってからメイガンは我に返り、俺から郷の場所を聞き出すつもりなのか!? と警戒したが、誰もそんなもの興味ない。
メイガンの魔法はまさしく脅威だ。世に仇なす彼らを根絶させたいと思う者も多かろう。だが、そんなことをしても私に益はない。
かの秘境に侵攻するなど、文字通り兵を溝に捨てるようなものだ。
総括すると、メイガンは大した語り手だった。はじめは渋っていたが、カイザの熱心な懇願に負け、言の葉を紡ぎ出した。
先祖の勇ましい冒険譚。その目的は強敵を求め狩猟する慣習にある。外界にて勇者を屠り、その証を泉に投じる儀式は、メイガンたちにとって人生を懸けた大願と言えた。成功者は永劫に讃えられ、敗者も悲劇として憐憫の祈りを捧げられる。
すべては聖泉のために。清い流れは彼らの血脈。そこにて何人もの戦士が旅立ち、華々しく生きた。
「……俺も、その流れの末端だ。いつか聖列に武勇を連ねてやる」
特にお気に入りだという……初代"メイガン"の叙事詩を語り終え、結びに自らの希望を重ねる。
興が乗った彼は、まるで少年に戻ったようにはしゃぎ、広大な未来に胸を膨らませた。もし夜空に少しでも光があれば、その目が輝いているのが見えるだろう。
カイザに時間を尋ねれば、ちょうど目標時刻との返事がくる。私たちが付き合ってやったおかげで、メイガンは一度も切らすことなく、魔法を持続できた。
視界の端が薄白んだ。遠方、山脈の切れ目に一筋だけ光射す。
少しの光源だけでもわかる。この場は、"濃霧"で満ちていた。
幕内からの騒音が次の行動を促す。歓談の時は仕舞いとなった。私たちは天幕を警戒し、最良の結果を待つ。
彼方から悲鳴のなりそこないがくぐもって聞こえる。ごぼごぼと、水中で気泡が湧き立つに似た叫び……
身体の不調を訴えんと、ひとりの信者が天幕から這い出た。不可思議な現象から助けを求め、伸ばした手。張ろうとした声もすべて、白色に呑まれた。
途端、露出した部位が弾ける。肌は捲れ上がって溶け……二度と形を成すことはない。
大地を覆う霧。天幕群を中心に流れる靄は、粒子の形で発現した"メイガンの水"である。
就寝所への浸透が一番の懸念だった。区切られた場所に霧を染み込ませるのは時間がかかる。ライナスの術式によって、溜めていた雫は気体と転じた。普段扱う何十倍の範囲にて作用する。
ギラスやメイガンの手下、血清の効かぬ異民族を遠ざけたのもこれが理由だ。あの薬剤は開発者たるライナスと同じ、ニブ・ヒムルダの民にしか耐性を与えない。彼らを同行させれば、目の前の信者と同じ道をたどる。
「ごばっ! ……っごががが、っがが!!」
「……いやっ!! たすぁあああああ!! ひぐ、うわおおおああああ!!」
先に喉を潰そうという提案は正しかった。どのような状態であれ、生きていれば呼吸を必要とする。空間に染み入った少量を吸わせ、体内から先に崩壊させる。自分の血肉で塞がった器官に聖句や歌などを吐く余裕はない。
敵の姿が見えれば、彼らは信仰を説く。女神の力に守られて、こちらの攻撃は通じ難くなる。どれほど耐久できるかは心次第。
それなら、私たちは闇に身を潜めよう。時間をかけて罠を張り、彼らが死に絶えるのを待つのだ。
「……凄まじいな」
「ええ、団長。それで……私たちはどうします? 何かすべきことはありましょうか?」
「あいにくだが、思いつきそうにない」
雲が割れ、陽は隙間から光芒を伸ばす。実体の伴わない色や光だけでも、信者は致命傷を受け、斃れていく。
教えを伝えるため自身を強化することも、殉教の未来が待つとはいえ聖歌を諳んずるのも叶わない。今起こっている現象が何なのか感知すらできないのだ。
清浄なる真冬の朝は、信者たちの阿鼻叫喚と肉塊ののたうつ音で彩られた。吹き出す血霞が艶やかな華を添える。
合いの手とばかりに観衆の一人が地に膝をついた。共に出撃したヒムルダの兵士だ。反撃を受けたわけではない。己の感覚を狭め、周囲が放つ刺激から正気を守っている。
「メイガン。君の方から指示はあるか?」
手を出さずとも殲滅は進んでいく。何かしようにも次手が浮かばない。私は術の立役者へ意見を求めた。
「……違う」
彼は瞠目して首を振る。
「俺のしたい戦いは、こんなのじゃない」