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第四十一話 ワイツの無謀

 後方の嘲りにも気づかず、ライナスとギラスは互いの考えを語らう。側から見ているだけでも、老魔術師の表情が喜色に満ちていくのがわかった。

 もともと馬の合った相手だ。親しい者との対話は、精根尽きかけ気が淀んだ状態を癒してくれる。


 彼は気力が回復したかもしれないが、聞いているこちらには利益がない。私が知りたいのは信者の発生方法ではなく、効率よい殺し方なのだ。


「いずれにせよ、ムルナ村出身者はあの司祭のように強い信仰心を持つじゃろう。聖地に着けば尚更じゃ。最悪、信者ひとりひとりが不死者に匹敵すると考えてもよい」


「ああいうのが何人もいるってことか……しかも、歌まで使われたら本当にたまらん。あの"魔女"でもひとりの相殺でやっとだというに」


「だが、倒せなくはない。わしらには強力な対抗策があるからの……」


 そこまで言ってはじめて、ライナスは他者へ話を振った。呪具の暗布を用いて"切り札"の存在を指し示す。



「おう」



 呪具の動きに誘われるがまま、私たちはメイガンを振り向く。皆の注目を浴びて狂戦士は嗤った。故郷の聖泉への尊敬が全員に染み渡ったと確信し、気持ちを高揚させている。

 まさしく彼は軍の救い手となりうる存在だ。秘境伝来の剣で露払いし、私たちの進路を清めてくれる。


「そうとも、メイガンの"水"魔法が戦法の鍵となる。あれならムルナの村人にも確実に効く。だからこそ、わしは夜を徹して研究を成功させたのじゃ。脅威の力をうまく用いるには策を講じねばならぬ」


 ここからが本題だ。ライナスが床に倒れるまで実験に没頭し、成し遂げた結実。

 それは老人の帯の隙間より取り出された。先端に針のついた医療器具……注射器だ。中身の透明な液体が日の光を屈折させる。



「……というわけで血清を作った。これを受ければ、少なくともニブ・ヒムルダの兵は耐性がつく。こやつの水に触れても害されることはない」





「待てえええい!!」


 メイガンは一瞬で血相を変え、ライナスに掴みかかった。布に巻かれた注射器を奪おうとする。


「そんなもんで克服されてたまるか! 聖泉の力が打ち消されるなんざあっちゃいけねえ……"メイガン"の沽券に関わる! じじい!! どうやって開発しやがったか知らねえが、てめえごとこの世から抹消してやる!!」


「わしが夜なべして作った血清を使うなと言うのか? おぬし……少しは現実を見よ。水の効果は素晴らしいが、ひとりしか扱えぬのでは意味がなかろう。ここで協力せねば"聖女"どころか聖地にもたどり着けまい! 虚勢など捨て、皆と力を合わせよ! おぬしだけで司祭たちを討てるわけないじゃろう!?」


 正面から飛び掛かるメイガンをさっと躱し、ライナスは呪具を高く掲げ血清を取られまいとする。

 確かにこれは見事な成果だ。浴びる者に死をもたらす水を、発現者だけでなく私たちでも扱えるようにする。これでより使徒を狩りやすくなるだろう。メイガンの管理不足や私怨により命を落とすこともない。


 ただ、この事実は彼にとって都合が悪いものだった。"メイガン"は特殊な能力が売りなのだから、無効化されれば立つ瀬がない。


「ふざけんな、くそじじい! そんなもん効くわけねえ。打ったって俺の"水"浴びりゃ死ぬぜ!!」


「ふふん。案ずるな、わしに抜かりはない。すでにこの身で実験済みじゃ! 信じられぬというなら、濡らした手で触れてみればよろしい」


「ほざけ聖泉の忌敵!! 世に広められる前に潰す!!」



「……待てよ、ライナス殿」



 低く、ギラスは老魔術師の名を呼んだ。彼への観察を終了し、凄味をもって迫る。ここまでの発表に思うところがあったらしい。私の前を通過した豪傑は、茶白の毛先まで何らかの激情を纏っていた。



「あんた……左腕をどうした?」



 直球かつ意図不明な言葉は、ライナスの浮ついた心を断ち切った。老人は足を退かせ、私たちへ左半身を見せまいとする。

 流動する装備のせいで老体の全貌は伺えないが、それでもギラスは違和感を察した。わずかな立ち振る舞いの違いに気づいたのだ。


「……なぜそのようなことを聞くのじゃ、ギラス殿? 確かにわしは……術式を刻むため左手を傷つけたこともあるが、この場面で気にすることでない。それより今は兵たちに血清を……」


「歩行の姿勢が以前と違う、左右の均整が取れてねえ……昨日までは確かに通常だったのに、今はあからさまに異常だ。不調を隠している……それは血清作りと関係があるんじゃないのか?」


「ち、違う……これは!」


「いいから見せろ!」


 指摘されてからの拙い取り繕いは異常を認めるのと同義だ。ギラスは漂っていたライナスの呪具を掴み、逃さないよう手繰り寄せる。自由なほうの暗布は抵抗のために振り下ろされたが、打擲程度で歴戦の猛者が退くことはない。


 狭い室内だ。ライナスに逃げ場はなく、魔法も呪具によるものが精一杯というところ。私も頑固な老人に焦れ、揉み合いに参戦する。上官を傷つけるべきでないとして、こちらに降る布の張り手はおさまった。


「ライナス殿、失礼する」


「やめよ……っ、離すのじゃ!! ……わしはなんともない! 何も隠してなどおらぬ!」


「嘘つけ! これがなんでもないって態度か!?」



 浮かぶ呪具を両手でまとめて押さえる。どさくさに紛れてメイガンが血清を奪おうとしたので、彼より先に回収する。隣ではギラスが、ライナスの装備を包装紙よろしく毟りにかかっていた。


 絡まる結び目と魔術師本人からの抵抗……悪戦苦闘の末、厳重に巻かれた布が解かれた。そこから現れるのは生身の肌。だが、白くない。生気もない。



 色が違う……壊死している。



 後方で見守るカイザが、驚愕の息を飲むのがわかった。メイガンすら不快そうに唇を引き結ぶ。


 ライナスは弁明を諦めたように目を伏せていた。もともと白子かと思うほど色彩に乏しい彼が、拭い取れぬ鈍色を腕に負っている。

 素手を握るギラスは当惑の表情を深めた。変色した腕に戦士の握力を込めても、老魔術師は反応を見せない。痛がる素振りもない。神経が死んでいるのだ。


 どうやらニブ・ヒムルダの民は、メイガンの水を浴びても"女神の使徒"たちと違う容態を引き起こすらしい。

 触れるだけで溶解する彼らと違い、私たちは感覚を奪われて黒ずみ、心臓が静かに止まるまで苦しむこととなる。



「……ライナス殿、これは……」


「すまぬ、ワイツ王子。皆の動揺を招くかと思い、言い出せなんだ。だが、違うのじゃ……わしの開発した血清は安全。きちんと効果があるからこそ、侵食は途中で止まっておる。おかげで薬剤の適量も判明したわい。なに……これしきの代償で兵を強化できるのなら軽いものじゃろ」


「黙れ!! あんたは、なんて馬鹿なことをしたんだ……!!」


 ライナスの主張をギラスは真っ向から否定した。老人は緩慢にかぶりを振り、怒声に怯まず戦士を諭す。



「ギラス殿……皆の衆も、なぜそんな目でわしを見る? 冷静になって考えてみよ。わしは魔術師で、なにより爺じゃ。前線に立って武器振るうでなし……腕一本失ったとて戦力に変動はないじゃろ? それに……わしはちゃんとやり遂げた。再び限界という壁を超えてみせた……"世界オヴィリシアの鉢"を破ったのじゃ!」



「そういうことじゃねえ!! 俺はライナス殿を疑ってるわけじゃない。そういう……自分の命を省みない行動が許せねえというんだ」


 掴んだ腕を揺すぶって、ギラスは叱る。呪具が代わりを努めるとはいえ、片腕の機能が失われたことに動揺を感じぬはずはない。ライナスは強がっているが、たった一人で助けも求めず、未知の症状と戦うのがどれほど悲痛な経験であったか……


 そういうことは事前に相談してほしかった。彼は優秀な魔術師なのだ、失うなど考えられない。実験台が必要なら、いくらでも私の部下や集落の人間を調達したというのに。



「下手すりゃ死ぬところだったんだぞ! 心配するのも当然だろ、俺たちは仲間だろうが……!!」


「……すまぬ」


 本当にすまぬ、と声を震わせ……ライナスは深く目を閉じた。勢いあったこれまでと転じて、口調は哀切を帯びる。次に語るのは、作成した血清の効能について。すでにニブ・ヒムルダ正規兵の全員分ある薬剤は、メイガンの水への耐性を与え、恐るべき浸食から守護してくれる。


 ただし効果は一ヵ月。打ち続ければ延長も可能だろうが……メイガンはそれ以上を認めなかった。

 事が終われば製法を破棄しろ。でなければ殺すと脅し、ライナスは了承した。



「それで十分だ。私はあなたを信じる」



 耐性が一月続けば申し分ない。私の心はいつだって迅速な終焉を求めている。今もまた、出撃を急かすための行動を起こす。


 私は抱えていた暗布を離し、軍服の袖を下ろした。空っぽになった注射器を床に投げれば、全員が意味を理解して身構える。

 こちらを向く表情はどれも焦りに染まっていた。


「ワイツ! あんた、いつの間に……」


「悪いが、出発を遅らせるわけにいかない。いつ信者が襲ってくるかも知れないのだ。血清についても……こうしたほうが手っ取り早い」


 そう言い放ち、片手で服を探る。取り出したのは綿紗ガーゼに包んだ小瓶だ。ライナスを助け起こす前に部屋からくすねていたもの。蓋を弾き、中身を傾ける。



「……では、試してみようか」


 ライナスは瓶のあるべき場所を素早く見返し、私を止めようと暴れた。まだ負傷に慣れない身体は、ギラスまで巻き込んで歩行を阻害する。


「いかん! それはわしが保管していた"水"の標体じゃ!! 薄めたとはいえ劇物……早すぎますぞ!! まだ耐性は現れぬはず……!」



「そうですワイツ団長! 自ら被検せずとも、わたくしの身体でお試しください!」


「っ、だめだ!! 近づくな、跳ねて当たったらどうする!」


 私のあとに続こうとしたカイザは、メイガンに止められた。彼女はよく私の真似をしたがる。けれど、今は少し待っていてほしい。あいにくこの場に血清は一つしかない。


 それに……この行動は考えがあってのことだ。


「お放しになって、メイガンさん……!」


「大人しくしてろ……おまえを、死なせたくねえんだ」




「王子、どうかおやめくだされ。あなたはこの軍を率いる指揮官ですぞ!! 御身に何かあれば……わしは死んでも死にきれない」


「その自傷を厭わぬ気風がいけないというのだ。先に無謀を働いたあなたに、私を止める資格はない。それに……私の血筋は誰もが知っていよう。上層階級に流れを持つヒムルダ王族と、国に浸透した民草の血。両方併せ持つ私に効けば、兵たちが不安に思うことはない」



 それ以上の反応を聞かず、私は瓶の傾斜を増やした。水が手の甲を滑っていく。


 一同は私の手を凝視し、変色の兆しを探った。しかし変化はない。水の効果なく、ただ濡れただけなのを確信し、小部屋に安堵のため息が生じた。ライナスだけは不思議そうに首をひねる。




「王子! ワイツ王子!!」


 突如、部屋に感極まった声が走る。そろそろかと予測はしていたので驚きはない。一階に配置した私の部下が、進言すべく駆け込んだのだ。


 換気のために扉は開け放っていた。年長者二人が乱闘する音も、彼らの関心を掻き立てたろう。様子見に階段を上れば、今の光景を目にする。

 もったいぶって顔を向けると、部下たちは膝をつきこうべを垂れた。



「なんだ騒々しい。許可なく立ち入るとは何事か」


「恐れながら……皆様のお話を耳にしてしまいました。罰はいかようにも受けます……しかし、ワイツ王子のお心遣い。我らのために身を張る御姿……胸に刻みました! その血清とやらも、即刻全員に接種させます!」


「貴殿はまさしく祖国の勇士! 我ら一同、どこへなりとも付き従います!!」


「わかった。下がれ、皆に伝達せよ」


「はっ!」


 部下が去ると同時に、ライナスは私の手を必死に清めはじめた。今の暴挙を嘆き、安静にさせようと寝所へ連れて行こうとする。周りの者にも手を貸すよう頼んだ。

 こちらを案ずる姿に独善的なものはない。今度こそ彼に反省を促せられた。これに懲りて、身勝手な行動を根絶させてほしい。


 このように、ライナスの態度を改めさせることと、兵たちへすみやかに血清を打たせるというのが私の目的だった。



 なお……今しがた使った小道具は、空瓶こそ部屋で拾ったものだが、中身は私が隠れて魔法で出した水である。

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