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第四十話 ワイツの予想

 朝、と呼ぶにはもう遅い。本来なら壮行の集いを経て出発の予定だったが、ついにかの老人まで定刻を無視し、集会の場に顔を見せなかった。軍の風紀は乱れるばかりだ。

 住人の好意からあてがわれた魔術師の部屋。私はその扉を叩き、ライナスの招集を急かす。彼は昨夜、物資を抱えて入室してから夕食の席にも訪れず、何事か作業を続けている。


「ライナス殿、いつまで閉じこもっている。皆はもう集っているぞ。壮行会を発案したのはそちらではないか。早く出てきてくれ」


「お待たせしました、ワイツ団長。家の者から鍵を借りてきました」


「そうだな……致し方ない。開けさせてもらうぞ」


 駆けつけたカイザから鍵を受け取り、一応警戒しつつ開ける。老練な魔術師である彼が、魔法の実験をしているのであれば、注意を払って接触しなくてはならない。

 高度な研究は砂埃が動く程度の刺激ですら、危険な結果を招くと聞く。自身の実験で身を破滅させる求道者は多い。



「ライ…………やはりか」



 扉を開けて目に入るのは、床に伸びる暗褐色の呪具。無造作に転がった杖に、液体の詰まった小瓶や医療器具が散乱する。荒れ果てた室内に干し薬草の香りが充満していた。

 整理の余裕もなく、ただ必要に応じて道具を掻き回した……そんな必死さが見て取れる。



 部屋の主はその中心部で倒れ伏し、微動だにしない。私の予想した通りの非常事態だ。



「ライナス様! どうされたのです!?」


「うかつに触れるな。すぐに村医を呼んでこい、魔術の心得のある者もだ。病症、または呪詛の可能性もある」


 カイザが揺り起こそうとするのを制し、他者の救援を求める。急病や魔法が原因にしろ、見識なき私たちの手に負えるものではない。呪いのたぐいなら尚更だ。


 あるいは不死者"魔女"なら対処できるか……と考えかけたとき、投げ出された老人の肢体に力が宿った。



「……ぅ、ん。ああ……心配なら無用じゃ、ワイツ王子。カイザ嬢も……」



 頭の布を押さえてライナスは呻く。大丈夫との申告を繰り返すが、半身を起こすのにも体力を削る様子だけに信憑性がない。


「痩せ我慢も大概にしろ。一刻も早く医者にかかれ、こんな有様で出発などできたものではない」


「……医者ならここにおる。医療も、魔術も担うのはわしだけじゃ……自分のことは自分でどうにかする。何も問題はない。さあ……軍議をいたそう」


「あなたという人は……」


 負荷を被った以上に多くを得たのか、気力のみは常人を超越している。梃子でも動かぬという様態には、こちらが折れるしかない。

 止むを得ず出発を見送り、カイザを見張りに残して、私は外で待つ兵たちへその旨伝達する。あの状態で話があると言っても、皆の前で声すら張れないだろう。


 以前にも無茶はやめろと命じたのにまるで懲りていない。半死人の状態でも酷使するつもりではあったが、まだ聖地への行程は続く。



 到着してからはどう朽ちようと構わないが、せめて私が極大魔法で灰燼に処されるまで、自滅は慎んでほしい。







 老魔術師の研究発表会が滞りなくできるよう観衆を選別する。真っ先に"魔女"を除外した。彼女を同席させても話の腰を折るか、遊びを強制してくるだけだ。

 支度が遅いと怒鳴り込んできたメイガンは参集させる。話が済んだら出発するつもりなので、近場に部下を連絡役として配置した。


 あとは私の手勢の中から忠誠心の厚い者のみ拝聴を許可しようとしたが、私の行く手に歴戦の傭兵が立ち塞がった。


「……ギラス」


「よう、ワイツ。昨日は悪かったな……せっかくライナス殿が話をしてくれたのに、途中で飛び出したりしちまってよ」


 まだ部屋にいるんだろ、とギラスは階段上を穏やかに見て、老人の気配を探る。


 正直彼を軍議に誘う気は無かった。自身の記憶の瑕疵に気づき、心を乱した状態のはずだ。ここは安静に待機願いたい。しかし、今の彼は威勢こそ乏しいものの、いたって平静に見えた。


「少しは気持ちが落ち着いたのか? あの時はひどく混乱していたようだが」


「平気だ。あんなもん酒飲んで一眠りすりゃ治る」


「そういうものなのか? だが、それで記憶の欠けが埋まるわけでなし……あなたは気にならないというのか?」


「心配すんな。ガキのころの思い出がなかったくらいで何も変わるもんじゃねえ。よく考えなくったってわかるだろ……五十過ぎの俺にそんなもん必要ねえ。ただ……」



 声が、聞こえるんだ。


 そう……ギラスは遠い瞳で囁いた。追憶の限りを自覚した時から、繰り返し鳴る子供の声。

 こればかりは他者が手にできぬ領域だ。悪化も止められず、原因の見極めもできない。彼はまた問題ないと私に告げ、幻聴を捨て置くよう階段に足をかける。


 ギラスの歩いたあとを、窓から差し込んだ陽光が照らす。その軌跡に光の粒が舞った。手で掬い集めると……じゃり、とざらついた音がする。


 無意識に魔法で発現したのだろうか。



 火山灰だ。







「魔女殿以外は全員集まったようじゃな」


 小部屋にてライナスは成果を語る。窓はカイザによって開け放たれており、気温は外と変わりない。転がった道具類に触れられない以上、せめて換気をと考えたのだ。

 ギラスは顔をしかめ、弱りきった老人を苦々しく見つめていた。


「まずは、敵についてわかっていることをまとめたい。わしらのこれまでの戦闘、待機した兵たちの偵察結果……ここで接触した"冒険者マルハナ"たちからも有力な情報を得た」


「部下からの報告なら当然知っている。南方へ向かって使節団を派遣しているのも……付近の旅人から裏付けが取れたことがそれほど重要か?」


「疑問はもっともじゃ、ワイツ王子。しかし、判明したのはより深部の内容……皆は覚えておらぬか?森で出会った、若く高潔な司祭の言葉を」


 ライナスの呼びかけに、全員があの脅威を思い出した。忘れたくても忘れようがない。

 まさしく彼は敬虔な信徒であった。他の信者とは桁違いの信仰心と力を持ち、私たちの前に君臨して理路整然と女神の祈りを説いてみせた。

 彼が発する断罪の閃光を受けられなかったのが悔やまれてならない。



「わかったのは奴らの来歴についてじゃ。かの司祭は国で戦乱が起こり、人心が荒んだことを嘆いておった。そんな時に"聖女"と出会い、救われたとな。ここに遣わされたのも彼女の言葉を広めんがためじゃ……聖ムルナの一員として、と」



「待て、ライナス殿。"ムルナ"とは何なのだ?」



「地名じゃよ、王子。北部にある小国……ムーンジアリークの辺境に"ムルナ"という名の村があるのじゃ」


 司祭が口にした固有名詞は、彼の出身地を示すものだった。

 ムーンジアリークはニブ・ヒムルダとは海を挟んだ隣国にあたる。王家同士の交流はあったが、数年前に革命を経て王族は処刑。以降、民たちが政党を結成し、権力を奪い合う乱世と化している。


 国の体裁もなっておらず、他所へ攻め入る余裕もない。このような情勢もまた、ニブ・ヒムルダ王家がエレフェルドへの出兵を決意した理由の一つだ。



「位置と信者の容姿から見て、神の力を持った聖女が最初に訪れた場所と考えられる。これがまた、冒険者たちから評判の悪い農村での……」


「あれか……俺も噂には聞いたことあるぜ。戦場での死体漁り、敗残兵狩りで生計を立てる集落。村ぐるみで旅人や行商人を襲い、隠蔽工作するからタチが悪いんだよ」


 私が地図の点としか知らない場所も、ギラスは補給箇所として考え、情報を集めていたらしい。

 傭兵団も近寄らないような村だが、不死者"聖女"は訪れた。



「彼女が心優しい不死者であるのは、女神教の歴史からして証明されておる。悪意ある村人にも良心を教え、信者へと変えてみせた。己に心酔させ、司祭のように強力な聖者を作り上げたのじゃ」


「聖女が大した宗教家だってのは本当らしいな。だが村人が改心しようにも、ニブ・ヒムルダへの蛮行を続けるなら止めさせないといけねえ」



 年長二人の会話について……馬鹿じゃねえの、と声が零れた。入室してずっと無言を保っていたメイガンからだ。

 壁を背に腕を組んで、彼らの甘さを非難する。無用な衝突を避けたか、聞こえないような小声であるも、言わずにいれなかった思い……



 人は堕ちやすく救い難い、と生来の人斬りは云う。

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