第三十九話 テティスの欲望
ともあれ事実を確認すべしと脳内議長が決を採る。妄想法廷は終幕となり、僕は執行者として真偽を問わないといけない。ワイツ王子様たちを追っていた紫の瞳をこちらに向かせ、思いきって聞いてみる。
「メイガンさんは……もしかして、あの人のこと"ちょっといいな"って思ってたんですか?」
「そりゃあ気にもなるだろ。あそこまでの美人はそう転がってねえ。華奢な容姿のくせに剣の腕も立つ。戦い方は気に食わねぇが……あの"速さ"は感嘆に値する。ああいうのが隣に欲しいって思うくらい、戦士なら当然だろ」
「はあ……その、僕は……」
いくら綺麗でも男はちょっと……とは言えず、白く覆われた大地を眺めて気持ちを落ち着かせる。あらゆる穴への貫通経験もないのに同性を相手にするなんて難易度が高すぎる。
ここまでいっしょに行動してたのに、僕は恩人の性癖ひとつ理解してなかった。そんな兆候あったかと、過去の記憶を呼び起こす。
そういえばメイガンさんは川に落ちてワイツ王子様に助けられてから、すぐ彼に跪いて忠誠を誓ってたし、すごい魔法使うほどやる気になった。森を抜ける前に作った朝食だって、王子様にしか振る舞ってなかった。
雪のちらつくなか、メイガンさんは彼と竈を囲み……いい匂いに惹かれて集まった僕たちを、物凄い眼力で"こっちに来るな"と睨んでいた。あれはきっと二人だけの時間を楽しんでいたんだ。
「あわ……あわわわ……」
完全に裏付けされた真相に動揺を隠せない。けれど、実際の出来事と言動からして間違いない。メイガンさんは……ワイツ王子様に、なんやかんや特別な感情を持っているのだ。
「……そ、そうだ! やっぱメイガンさんの能力ってすごいですよねー。僕ずっと聞いてみたいことがあったんです。ちょうどいい機会だし、教えてください!」
「んだよ急に……」
懐中の疑問をぶちまけるかわりに、話題を急転換させる。今この場で"いや、その慕情はおかしい"や"お腰の感知器は修理が必要では?"などと言ってはいけない。前に魔術師のおじいさんが不用意な指摘をしたせいで、メイガンさんがどれほど傷ついたことか……
あんな風に塞ぎ込んだりするのはいただけない。どんな理由であれ、彼の弱気な姿は見たくないんだ。
はるばるここまで追いかけてきた僕だからわかる。メイガンさんは強いけど完璧な人じゃない。僕と同じで、ときに悩んだり挫けたりする。
それでも彼は誰より勇猛でかっこいい。仲間を連れてあの村に訪れ……剣の一振りで僕の世界を変えてくれた。戦うときはいつも楽しそうで、見れば見るほど胸がすく思いだ。
どこまでも追いかけたい。あの躍動を感じていたい。そうすれば僕も、いつかきっと……
「特殊な効果を与える"水"魔法……だからメイガンさんは、絶対に自分で出した水を料理に使わなかったんですよね? 使ったコップや水筒とかも、後始末が済むまで僕たちが触らないように管理してた。うっかり害を出さないように……僕たちを守ってくれてたんですよね」
「別に、てめえらの命が惜しくてやったんじゃねえ」
傭兵は稼がせてなんぼだからな、とそっぽを向いて吐き捨てるけど、面倒見がいいことくらいみんな知ってる。一番戦闘能力の低い僕が、今までの戦場で生き残ってこれたのがいい証拠だ。
心遣いにあふれた彼の采配のおかげで、何人もの仲間が窮地を脱せたことか。
「メイガンさんは本当にすごいなあ! そうそう! その特殊な魔法……今度、信者の女の子たちにぶっかけてください! 向こうの大陸から来た人たちを"溶解"しちゃう効果があるんでしょう!? うまいこと調整すれば、女性信者の服だけ溶かすこともできますよね? 是非ともやってください! お願いします!!」
熱意を込めて進言した僕に、メイガンさんはやや引き攣った口元で答える。心なしか常につんと逆立ってる濃紺髪が、さらに反りを増したように見えた。
「……いや、人体は溶けてなくなる。服だけ残る」
「なんだよそれ! 全然役に立たないじゃないですか!! 使えないなあ、もう…………あっ、ごめんなさい。嘘です嘘!! メイガンさん、やめて! 殴らないで……うぎゃあああああ!!」
魔術師のライナスおじいさんやメイガンさんも素晴らしい能力を持っている。実に羨ましい。僕は最大の賛辞の言葉で褒め称えてるのに、みんな素直に受け取ってくれない。
「……いい考えだと思ったのにな」
どっちの案を実行しても必ず楽しめる。僕だけじゃなく、仲間の兄貴たちも大喜びだ。でも、メイガンさんは気難しく……なかなか出会った日のような"激しい宴"を開いてくれない。
殴られた衝撃で雪の上を転がった僕は、痛みと寒さで参ってしまった。どこにも寄り道せず帰り、宿となる建物に駆け込むや否や、暖炉の前を陣取る。
「あら、テティスじゃない。ちょうどよかったわ、すぐ来なさい!! カードやるわよ! 早く来れないんなら、その役に立たない足斬り飛ばすわ!」
「あははは! "魔女"さんったら冗談きついなあ!」
ごめんごめんと笑ってごまかし、愛くるしい不死者のふくれっ面を堪能する。冷え切った体がまともに動けるようになるまで時を浪費せざるを得ない。いくらかわいい女の子から声をかけられても、すぐには対応できないんだ。
そんな彼女のもとへ歩けるようになったのは、不死者ゆえの膨大な魔力で具象化した刃物が室内を所狭しと埋め尽くしてからだ。切っ先はどれもこっちを指し、まるで本当に僕の足を斬り飛ばすみたいだった。
「彼は……これをまだ冗談だと受け取っているのか」
「そのようですね」
こういう建物の中でカードするのは初めてのことだ。すでにワイツ王子様とカイザさんが卓を囲っていて、札の一山を眺めている。何の遊びをするかは決まってない状態とみた。
「おい魔女! テティスが来りゃ面子はもう十分だろ!? お、俺は抜けさせてもらうぜ! 飯の仕込みをする!」
遊びが始まらないのはメイガンさんが渋っているからだ。何度か参加する機会があったのに、彼は負けたら罰則があると信じ込んでいる。そのせいで今も遊びの輪に加わろうとしない。こんなかわいい子の誘いに応じないなんてもったいないことだ。
「だめよ! またなんか言い訳して情けないんだから! あなた一回も参加したことないじゃない! 協調性ってものがないの?」
「うるせえ! 俺は悲願を果たさなきゃならねえ……こんなことで死ぬわけにいかねえんだよ!! それに、台所には捌かなきゃいけねえ魚たちが……!」
「まったくもう! いい加減にしないとその首から下を美少女に改造して、仲間たちに輪姦させるわよ!!」
言うことを聞かないメイガンさんに焦れ、魔女さんはとんでもない暴言を放つ。不死者という……世界にも稀な存在である彼女は性転換の魔法すら扱えるようだ。その対象となった彼は、ひっ……と息を飲み、身を庇うよう距離を置いた。
「……おまっ! このアマ……! じょ、冗談でも……言っていいことと、そうでないことくらいわかんねえのか糞がああ!!」
「あら、あたしは嘘なんか言わないわよ。あなたひとりの人体改造工事なんてわけないもの。すぐやってあげる」
「本当にふざけんな不死者! なんでよりによって俺なんだよ!? 弄るならワイツみたいな女男をやれよ!!」
メイガンさんの驚愕はワイツ王子様に飛び火した。とばっちりを食らったのに関わらず、彼は変わらず冷静で静かな余韻を崩さない。魔女さんはそんな麗人の相貌を見、すぐ首を振った。
「やーよ。ワイツ改造したって、今とほとんど変わらないじゃない。全然おもしろくないわ!」
「魔女の言うとおりだ、メイガン。早く観念して札を配れ。第一そのくらいで騒ぐな。周りへの迷惑だ」
「ワイツ団長。これは騒ぐようなことではないのですか?」
「ああ。そうだカイザ。まったく動じることではない」
それくらいのことじゃねーよ! と僕の恩人は声を大にして訴えた。ああ、メイガンさんが困っている。この場で魔女さんを止めるような味方はいないのかと、僕たちを見る目には懇願が宿っていた。
「で? メイガンはどうするの。カードやる? それとも美少女になるの?」
「……カードやります」
不条理な二択を強いられて、哀れメイガンさんは渋々紙片を配り始めた。ここまで意気消沈した彼を今まで見たことがない。部下として、仲間として……僕は恩人を助けなければと思い、知恵を絞る
「メイガンさんが、女の子になったとしたら……」
それは、普段なら絶対に想像しない事柄だ。僕は彼を尊敬し崇拝することはあっても、女体化した場合の性的な対象と見たことはない。しかも首から下ってことは、顔はそのままだし。
僕の前をたくましくも震えた腕が往復し、小さな札の山が積み上がった頃……様々な事象を考察し、結論が導き出された。僕は勢いのまま椅子から立ち上がり、周囲に言い放つ。
「……いける!」
瞬間、時が止まった。
「大丈夫ですよメイガンさん! あなたが女の子になっても需要はあります!! わりと童顔だし、髪伸ばしたら余裕です! 絶対人気出ますから、もっと自信持ってください! なんでしたら僕が責任持って最後まで面倒みま……」
言い切る前に体が宙を舞った。殴られたのだ。それも、かつてないほどの強さで……
鼓膜を叩くのはメイガンさんの叫び。気合いの声はよく聞くけど、今のはどこか悲鳴じみた響きがあった。まるで僕に対して恐怖を持つかのようだ。おかしいな、僕は彼を元気づけたかっただけなのに。
衝撃が大きすぎて、痛みが襲ってくる前に全ての感覚が閉じていく。床に倒れ……目の前が真っ暗になる刹那、思った。
そうか、これが照れ隠しと言うやつか……!
「ふぅ……」
昏倒から目覚めたって僕に寄り添う人はなかった。みんな夕方の祭りを見に出かけたのか、宿場には知ってる顔が誰もいない。
なら僕も、と出陣しかけたけどやめる。ちょうど今は訓練の時間帯だった。日課としている体力の練成をしなくちゃいけない。僕は自分の得物である槍を肩に負い、村はずれの林に立った。
そして、あっというまに休憩時間を取る。槍などをしごくのにたくさん体力を使ってしまったんだ。興奮を収めるよう一息つき、近場の木に寄りかかって休む。
回復してる最中、雪をかぶった茂みが騒いだ。獣かと確認するまでもない……人だ。それも、よく見知った茶白髪……
「あっ、ギラスおじさん!」
元気よく声をかけると熟練の老戦士は緩慢にこちらを認識した。かつて名だたる傭兵団を率いた彼は、僕なんかを脅威として数えない。恐れも警戒もなく、暗い声で返答する。
「……今の声はおまえか?」
「えっ、なんのこと?」
「いや……さっきからガキの声が聞こえるんだ。祭りの歓声かと思ったが、静かな場所に来ても頭ん中で喚きやがる……なんでもねえよ、おまえは気にすんな」
なんでもなくはない。この様子は確実に何かあったのだ。彼は憔悴した表情を切り替えるようかぶりを振り、僕の槍に目を落とした。
「槍術の鍛錬か。前におまえの戦ってるとこ見たが、まるでなってねえ……構えも自己流か? あんな不安定なんじゃ、すぐに突き崩されるぞ。もっと腰使え、腰」
「いろんな意味でそうしたいのは山々なんだけど……」
「メイガンのやつ、手下はいいようにこき使って終わりか。育てるってことを知らねえのな」
訝しむようひとりごち、僕たち傭兵団のあり方を批評する。彼の言った通り、メイガンさんは一度も僕を鍛えるということをしない。
盗賊あがりの兄貴たちは、もともと腕力はあったからいい。メイガンさんの指図を受けるだけで、戦いを通して洗練されていく。でも僕には無理だ。体だって貧弱だし、鍛える方法も知らない。
「ギラスさん……僕に、戦い方を教えてくれませんか。みんながんばってるのに、僕だけ何もできないのは嫌なんです。僕だって……強くなりたいんです」
「……槍は専門じゃねえが、型くらいならな」
色良い返事に手放しで喜ぶ。僕の嬉しさが伝わったのか、ギラスさんの顔もほんのちょっとだけ笑みをつくった。
「……あとはこれを念頭におき、練習を続けろ。おまえは真面目だしやる気もある。集中次第じゃ早く身に付くだろう。戦場での立ち回りだが、これはどんだけ説明しても実戦には劣る。まずは戦意を失った信者でも相手に、無理しない程度でやってみたらいい」
突く、払う、殴る、薙ぐ……ギラスさんは槍の基本的な動作を繰り返し講じてくれた。まだぎこちなさはあるけど、自分のものにできれば必ず力になると言い添える。
「ありがとうギラスさん! 僕、毎日練習するよ!」
「ってか、なんでテティスはメイガンを慕うんだ? 住んでた村を滅ぼされたんだろ? 仇討ちしたい風でなし……奴隷身分だったのを奴のおかげで解放されたとかか? 自由に生きれるようになったのはいいにしろ、なんでまた強くなりたいと思うんだ?」
並んで村へ帰る途中、ギラスさんは意外な質問をした。てっきりもう知っているかと思っていたから、僕は目を丸くして答える。
「え? だって、強くなきゃ女の子を手籠めにできないじゃないですか」
「……おい」
急に立ち止まった彼を振り向けば、耐えようのない威圧が降り注ぐ。
「ひっ……! え? なに……ギラスさん?」
「貴様、まさかそのために……"女を襲いたい"から力を求めてんのか!?」
「は、はい! そうで……ぐぎゃああああ!!」
厚い拳が胸を叩き、そのまま吹き飛ばされると思いきや、服を掴まれ引き寄せられる。渋面に凄まれただけで、僕の心は限界だ。メイガンさんの叱責なんか目じゃない。甘えも侮りもない、全身全霊の敵意が体を突き抜ける。
「なんで!? 女の子を欲しいって思っちゃダメなの? ギラスさんも傭兵ならそういうことをしてきたんじゃないの!? だから僕は強くなりたいんだ。力さえあれば、たくさんの女の子を手に入れられるでしょ?」
「黙れ!! 貴様の心はどれだけ捻じ曲がってんだ! この、醜怪な……下衆の極みが!!」
「だって、みんなそうじゃん! 口には出してないけど、本当はいろんな美人を侍らせて好きなだけいいことしたいんでしょ! でも、僕にはそんなことできないんだ! 村で生きてたって恋人なんてできない。一人や二人じゃ満足なんてできない! その点、メイガンさんはすごかったよ!!」
完全に体を持ち上げられ、足をばたつかせながら叫ぶ。言い訳という名の自白が止まらない。けれどこれは、紛うことなき真実なんだ。
あの人との出会いと、あの人がした行為は僕に希望をくれた。彼のような強い人になりたい! なぜなら……
「あの村で、僕が二年間口もきけずに片思いしてた子と……たったの三十秒で合体できたんだから!!」
触れるのも穢らわしいとばかりに、ギラスさんは僕を地面に投げ捨てる。氷雪の冷気が肌を切った。情け容赦ない衝激に打たれ、今度こそしばらく起き上がれそうにない。
「これ以上喋るな、虫唾が走る!!」
ギラスさんは村のみんなと同じことをしている。僕を拒絶し、理解できないと見下している。今のだってまるで、みにくい芋虫を踏み潰すような行為だ。
もしも体が自由なら……全身を支配する痛みがなければ、歩き去っていく彼に問いかけたい。
なんで? 僕たちの人生はたったの一回しかないんだよ?
どうして欲望に正直に生きたらいけないの?