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第三話 ギラスの引退

 迷いなく歩を進める後ろ姿。夜の静謐な空気に、肩を過ぎた灰髪が流れる。王家を象徴する色彩だ。


 都でニブ・ヒムルダの国王らが俺たちの出陣を見送った際、貴族の奴らは王族の容姿を手放しで褒めそやしていた。その時の俺は、彼らの全力でごまを擦る様子に呆れ果てており美醜の判断などできなかったが、今だけは同意しよう。

 あれはまるで……雲を纏った月光のようだ。


 傭兵団を率い戦場に身を置くようになって久しいが、彼ほど美麗な騎士を見たことがない。精緻に整った相貌と蒼氷の瞳は、位も持たないという母親譲りか。あれはもう麗人と評しても支障はあるまい。

 エトワーレは手を振り、ランディ……彼の本名は長いのでこう呼んでいる……は視線を向けるのみで、薄幸の王子が闇に消えゆくのを見送った。


「あーあ。行っちまったなあ、ワイツ団長」


「おまえらが変なこと言うからだぞ」


 今まで会話に参加せず、無関心を決め込んでいたランディは、弄っていた帷子かたびらの綻びからやっと目を離した。ギラスのおっさんも急にあの話を切り出すなんて非常識だ、などと俺を見て言う。先に致命的な失礼を働いたおまえに言われたくない。

 もう一度礼儀を叩きこんでやろうかと拳を固めるも、気配を感じたのか素早く距離を取られた。


「追いかけて頼み込めば話くらい聞いてくれるんじゃねえか? なあ、いっしょに来いよランディ。二人で説得しようぜ」


「断る」


「なんでだよ。おまえは家が欲しくねえってのか?」


「んなもん興味ねえよ。俺は旅を続ける。一箇所に留まるつもりはない」


 もたれかかるエトワーレを片手であしらい、それにしても妙な王子だ、と呟くランディ。まったく考えが読めねえなどと、白金の髪を傾け思案する。昼間の戦闘で彼と出会ってからずっとこの調子だ。

 眼光鋭く炎を見つめ、深く考えを巡らせている様子は、俺が加入を誘った時と同じもの。懐かしい表情を見ていると、なぜだか心が過去に飛ぶ。



 ランディとエトワーレは他の仲間たちと同じく、戦いに渡り歩いた地方でたまたま拾った戦士だ。まだ年若の二人だが、初めて顔を合わせた時から有望な人傑であると直感した。他の奴らとは違う……目が離せなくなるような何かを持っている。


 傭兵としての実力は折り紙つきだ。エトワーレは自由奔放な戦術、実戦で磨かれた剣さばきを駆使して、仲間を鼓舞し勝利を招く。調子に乗りやすいところがたまに傷だが、それでも元気いっぱいに戦ってきた。

 ランディの……身に余る大剣を振り回し、敵兵を圧倒する光景などは感嘆の一言だ。遠方の雪国出身という彼は、若いながらも猛将の片鱗を見せている。戦闘の腕もさることながら、重い一撃に付加する雷の魔法。そしてなにより……


「ランディ、もっと将来のことを考えろよ。年とったあとはどうするんだ? 家とか土地の見返りなく戦うなんて、気前が良すぎるんじゃねえの?」



「先のことなんて知るかよ。俺は人生の続く限り、ずっと戦い続けるんだ……叶えるべき"使命"があるからな」



 これだ。この、堂々と言い放った思い。俺は嬉しくなって大声で笑った。

 今のは己の力を過信した発言じゃない。そう"生きる"と心に誓った、揺るぎなき信念の灯火。この思いこそが目を惹きつけてやまない。こいつはきっと命果てる最期まで、そう在り続けるのだと確信できる。


 会話を止めて俺を見る二人。

 戦乱に翻弄された俺の人生に、唯一意味があったとすれば……こいつらを一流の戦士として育て上げたことだ。


「勇ましいこと言うじゃねえかランディ。だけどな……ふつうはそんな気力、いつまでも続きやしねえ。今の俺がそうだ」


 いつか必ず英雄と讃えられるであろう若者を、世に送り出した。この事実こそが俺の宝。

 だから俺は……安心して剣を置ける。つくづく運のない人生だったが、これでよかったのだ。今まで歩いてきた道のりに何の後悔もない。


「よく聞けおまえら。俺は見ての通りの歳だ……この稼業はもう潮時だと思っている。傭兵を引退して、晴耕雨読の余生を過ごしたい」



「まあ……首領も年だしな、無理もねえ」


 人生に一つの区切りをつけると宣言したのに、ランディは少し眉根をしかめただけで、淡々と受け止めやがった。ここまで面倒を見てやったのに随分と薄情な対応だ。次にその思考を占めているのが、俺へのはなむけの言葉ならいいが。


「でもさ、ギラスのおっさん。あんたほどの人が戦闘から身を引くなんて惜しいぜ。腕に衰えを感じたからって、長年の経験がなくなるわけじゃねえ。年とって魔力も増えてんだし、魔術師に転向すればもう少し戦えるんじゃねえか?」


「そうだな……こればかりはエトワーレの言うとおりだ。いいんじゃないか? あんたの魔法なら、ここの魔術師より使い物になりそうだ」


 引退を表明したのは、老いで戦いについていけないからだと思ったのか、エトワーレとランディは俺の戦い方の変更を提案した。


「魔術師か……」


 確かに、そんな選択もある。

 この世界では心身に積んだ記憶や経験を魔法として具象化できる。見て感じて覚えた光景を、持ち前の魔力を使って再現するのだ。ゆえに、この世界を生きる者は誰でも魔法を使える。

 魔力もまた平等に得られる仕組みだ。生き重ねた年数は、そのまま魔力の量となり日々加算されていく。要は、身を削るような毎日を長く生き抜いた者こそが、強力な魔術師となれるのだ。


 エトワーレが進言した通り、俺は五十を過ぎるまで戦場を駆けずり回った。健闘の思い出はそれなりにある。老成である高位の魔術師ほどではないが、この歳なら幾分か魔法が使えるかもしれない。だが……


「そんな付け焼き刃な技術が戦争の役に立つか? 戦士がいきなり魔術師になっても、動きに慣れなくて足でまといになるだけだ。治癒術だってからしきだし、それこそ専業でやってきた連中よりはるかに劣る」


 若い二人はそういうものかと素直に頷いた。生半可な技では戦場で通用しないと知っているから、追及もしない。

 しかし、今のこれは技術面での不利を論じただけだ。本当に戦う理由と使命を追う者なら、己がどんな状態であっても戦地へ赴くだろう。若い連中に笑われたくないという虚栄心が、本当の思いを隠す。



 実のところ俺は……もう疲れたのだ。戦う気力は尽きた。これ以上燃やす闘志もない。

 "家"が欲しい。それはもう、ひたすらに、狂おしく、焦がれるほどに……"安らげる住処"が欲しい。



「そうなのかよ。俺、将来はそうしようって考えてたのに……やっぱり魔術師やるのは甘くないってことか。でも、ランディだったら心配ねえな」


 エトワーレは相方に屈託なく笑いかけ、信頼の証とばかりに肩を叩く。


「俺とそんな歳も違わねえのに雷撃が使えるなんてさ! その魔法さえありゃ、剣なんか振らなくたって戦場で重宝されるぜ」


「そうだ。ランディはもう戦いで魔法を使ってるじゃねえか。今のうちから撃ち続けてりゃ、年々効果範囲も、威力だって増していく。老境に入っても魔術師として十分やっていけるぜ」


「俺が? ……冗談じゃねえ。じじいになっても、絶対に魔術師になんてならねえ! 俺は生涯戦士をやる!」


 激しく首を振って魔術師への道を拒否するランディ。出会った時から彼には"雷撃"という強力な魔法が扱えた。本人としては、それのみで戦うのは嫌らしい。刃が劣化し、ただの鉄塊と化した大剣でも、その魔法があるから使っていられるというのに。

 それとも、この戦い方もまた、彼の言う"使命"を成すために必要なことなのだろうか。


「やっぱり俺の考えは正しかった。その頑ななまでに強靭な魂……おまえこそ俺の後釜に相応しい。なあランディ。これから……俺の代わりに"柊の枝"を率いてはくれないか。俺はおまえを……息子みたいなものだと思っているんだ」


 真摯な思いを込めて、若者に言葉を贈る。今度こそは彼の意表を突けたのか、口を開けて固まるエトワーレと同じく、ランディも目を見開き俺を注視する。


「……やめてくれ。そんな弱気なこと言うな。おっさんらしくない」


 沈黙の後、ランディは静かに呟いた。



「それに、親父ならもういる」





「辞退はできねえぞ。俺はもう首領の座を降りる。あとのことはおまえに任せたからな! 他の連中もランディなら異論はないはずだ」


「ああ! 俺だってランディがかしらなら文句ないぜ。今まで以上に楽しくやれそうだ」


 陽気な声で相方の出世を祝うエトワーレ。橙の髪は炎の色を受け、更に明るさを増す。ランディにも彩りを分け与えるが如く、腕を引き寄せ肩を組みたがった。


「なんだよ! こんな奴ら押し付けられるなんて聞いてねえよ。こんなことなら、つるまずに一人で旅すりゃよかった!」


「まあ、そう言うなって。おまえなら皆を安住の地まで率いてくれそうだ。頼んだぞ」


「じゃあ。ギラスのおっさんの幸せな余生を願って乾杯だ!!」


 エトワーレは上機嫌に俺の酒瓶を掻っ攫い、断りなく栓を開けた。あれは引退関係なくひとりで飲むつもりだったものだ。ワイツ王子に振る舞おうとしたのをこいつは覚えていたようだ。

 俺の止める手も虚しく、瓶の中身は二人の杯に並々と注がれた。

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