第三十七話 ワイツの取引
慌てたように声を張ったライナスだが、ギラスの足音が遠のくにつれ、威勢は失われていく。同情の目だけは最後まで変わらなかったが、それで扉ばかり見つめても詮無いこと。やがて彼は魔女へ、話があると呼びかけてから私に一礼し、二人揃って去っていった。
広場ではまだ人々が舞踊を続けており、軽やかな笛の音は止むことを知らない。この時期に私の軍隊が訪れ、参加人員が増えたことも、祭りの盛況の一因となっている。
人混みに身を投じるつもりはないが、私も屋外に向かうとする。大切な用事を思い出した。
ここから先、安寧の時はない。私たちは何をも踏み越え、聖地に行かなければならない。今はその準備を進める時期。しかし、ギラスは混乱から脱するに時がかかりそうだ。
幼少期の喪失という……人生の一部を失っていたことすら、今自覚したばかり。彼の動揺が任務の支障に繋がらなければいいのだが……
あえて出発を急くか。過去に目を向けても意味はない。誰が何を悩もうが気に病むことではない。
私の軍にいる限り、行き着く先は"死"以外ないのだ。
目的の姿は、案外すぐ近くにあった。
「カイザ」
階段下りて右を向けば、暖炉の前にたおやかな藤が誇り咲く。同じ建物内にて村医者を呼び、診察を受けていたのだ。診断結果を問えば、異常なしとの返事が来る。私から見ても負傷前の状態と大差ない。
これなら前線復帰が可能だろう。では、次の支度に取り掛からなければ。
「おまえの装備だが……修理するより買い替えた方がいいのではないか?」
私の提案に、カイザは細眉をわずかに上げた。気に留めるようなことでもない、ささやかな動きだったが、彼女にとっては驚愕の部類に入る反応だ。まさか盲点だったとは言わせない。
部屋の一角に広げられた、魔女の攻撃から彼女を守った蒼銀の鎧を見やって告げる。あの激しい衝撃を受けた装甲は背の部分がめくれ、胸当てに皹も入っていた。
修復せねば使い物にならないうえ、戦いにおいて枷になりかねない。だが、ここでは直している時間も、技術者もいない。
「集落の代表からこの地に武器、防具類の備蓄があると聞いている。祭りのため集った商人も多少は扱っているはずだ。彼らと取引し手ごろなものを選べ。対価のことは気にするな。私がどうにかする」
「ですが、ワイツ団長。私は、これが……」
「ここからはより激戦になるのだ。聖地に近づくにつれ、信心が増すのは必然。信者は一層手強くなる。身をもって知っただろうが……"魔女"はこちらを気に掛けるような性格ではない。せめて致命傷は免れるよう、もっと硬度のある装備を整えろ」
「でも、あの……」
普段は聡明かつ、兵に対する指揮力もある彼女だが、今はどういうわけか迷いがある。意見をきっぱりと言い切れず、視線は惑っていた。状況から見ても、新しいものを見繕う以外に手段はないが、彼女は渋っているようだ。
この様子を見かねたのか、戸口から新たな人物が近づく。
「おい待てよ、ワイツ」
「……メイガンか。悪いが後にしてくれ」
傭兵たちの兄貴分は、鋭利な紫の目線をこちらに合わせ、私の言動が悪いとばかりに止めにかかった。
君には関係のない話だと主張するも、メイガンは退かず、天衝く濃紺髪を不機嫌に振って反論した。
「命令を推し通すんじゃねえ。"速さ"が売りのこいつに、慣れない装備をつけさせてどうする。ここにあるもんや後衛兵の予備にだって、現状以上の装備なんかありゃしねえよ。無理に新しいの使わせたって、足が鈍くなるだけだ。カイザのほうも……不満あるならはっきり言え」
途中から乱入したわりに、彼は会話の主題をしっかり理解していた。私たちが既に話し合った内容から、死線を渡り歩いた戦士の案が重ねられる。
「その鎧だって修繕すりゃまだ余裕で使える。わざわざ持ち味を殺すようなこと提案すんな。もっと慎重に考えろ……こいつを死なせたくないってんなら、なおさらな」
「直すにしても、この村に技量ある鍛冶屋がいるとは思えない。農具の修繕とはわけが違うのだぞ」
わかってる、とメイガンは粗野に言い放って出口へと向かう。扉に手にかけ、少し開けただけでも祭日の賑わいが室内に入り込んだ。
もしかしたら彼か、彼の仲間たちが鍛冶の技術を持っているとも考えたが、そういった素振りや話は聞いていない。求めるものは外にあるらしいが、正直見込みは薄い。こんな寒村で腕のいい甲冑師がいるものだろうか。
「君には、何か考えがあるのか?」
「ああ。こういうときは"冒険者"を探すんだよ」
急に聞きなじみのない言葉がぶつけられた。彼が自身の料理を解説しないのと同じように、今回も言動に対する説明はない。
気になったので、彼の探索に同行する。カイザからもまた、ともに外出したいという気配が伝わってきた。
「メイガンさん」
連れができてもメイガンは待たず、先に半身を扉に潜らせた。付き従う前にこればかりは言いたいと、カイザが彼を呼び止める。
「お優しい心遣い、感謝いたします……本当に、どうもありがとうございました」
深々と下げられる頭。麗しき藤花の髪が動きに沿って流れる。その様子に異郷の傭兵は口を半開きにすれど、声は漏らさなかった。
まだ見ていたいと早く退きたいという、相反する感情が一瞬だけ拮抗するも、彼はどれも振り切るようにして踵を返す。扉を乱雑に閉める音が、家の小間使いの肩を跳ねさせた。
「そこまでこの装備が気に入っていたとはな……だが、本当にいいのか?」
もう私は、蒼銀の甲冑を直して使うという案に反対はしない。メイガンの意見も一理ある。
ただカイザのほっとしたような面持ちに……新品はいらないのかと再度確認する。
「あれは私のお下がりだぞ」
広場での舞踊は終了を迎えていた。人々は自宅に帰るか、周囲に展開された屋台を巡り歩くかの二択をとる。本日は雪が積もったものの、朝から現状に至るまで新たな降雪は見られていない。
白くなった背景は、周囲の店の華やかさを強調する。メイガンは日用品や装身具の売られている屋台群を通過し、料理や菓子類の売り場に足を向けた。
目的地の目星もつかない私たちは、その背に続くしかない。しかし、こんなところに職人がいるものかと、彼への不信は深まるばかりだった。
そんなメイガンが初めて明確な反応を示したのは、果物の砂糖漬けの店を見た時だ。大勢が順番待ちのため並んでおり、この区画で最も人気があるらしい。
見つけてからは歩みが早まり、私たちは人込みをかき分けて赴く。戦いなどとはまるで関係のない商売に見えるがどこに確信を持ったのか。彼は品物に目もくれず、店の裏手を覗き込んだ。
「おい」
「ん?」
不躾に声をかけたのは、木箱に座って煙管を吹かすひとりの老人。ライナスほどではないが、枯葉色の前髪を幾筋散らせた横顔は、年季が入った旅人といった渋味がある。
商人でも戦士でもない。流浪の生き様を誇るさすらい人は、メイガンの殺気じみた威圧を煙と共に流し、口から煙管を離して向かい合う。
「なんだ、俺に用か?」
「よう"冒険者"。ちょうどいいところにいた」
「彼がそうだというのか? しかし、このような老齢とは……君の知り合いなのか?」
「んなわけねえだろ」
一目でわかったわりに双方は親しい仲でも何でもない。それでも互いの性質を存じているような、奇妙なつながりが見て取れた。
"冒険者"という単語の響きから荒事を成す者たちかと想像したが、この老人に務まるとは思えない。あるいは強力な魔術師の可能性もあるが、必需品の杖すら見当たらなかった。
「その瞳……おまえ、"傭兵"だな? 珍しいな、そっちから寄ってくるとは」
「うっせ。てめえに用事があるのはこいつの方だ。防具の修理ができる奴はいるか? どうせあと何人か近くにいるんだろ?」
まあなと年長者は答え、メイガンはこれで役目が済んだかとばかりに後ろへ下がる。この集落にいる冒険者は彼だけではないということか。
私は老人の薄茶の目に問われるまま、とある軍隊を率いる身であることと任務の内容を表層のみ伝え、鎧の修繕を丁寧に依頼した。計測の目安になればと思い、カイザも呼んで引き合わせる。
「……話は分かった。連れに腕のいい鎧師がいる、すぐに取り掛かろう。その女騎士だけでなく、部隊全体で補修が必要なものがあれば言ってくれ。あんたからの依頼なら協力は惜しまない」
「それは助かるが……正直、手持ちが心もとない。私たちはいつ果てるやもしれない任務があるのだ。後払いの約束はできない。彼女の装備だけ直してくれ」
「金なんていらねえ。お二人の美麗な姿だけで十分だ」
はあ!? と、メイガンの怒号が後方より発される。私たちを庇うよう冒険者との間に割って入り、激しい敵意を剥いた。よほど度胸があるのか、荒ぶる異郷の傭兵に対しても、老人は涼しい顔で手にした煙管を弄んでいた。
「おいてめえ、この下種が! そんな年のくせに色ボケやがって!! 喧嘩売りてえなら仲間全員ここに呼べよ、叩き斬ってやる!!」
「はっはっは。変な妄想してんじゃねえよ。まあ、"メイガン"なんだからそのくらい元気がねえとな。俺が言いたいのは、その御姿を形に残したいってことさ」
冒険者は憤るメイガンを笑い、ゆっくり立ち上がって私とカイザに正対する。
「あんたたちの"魔照片"撮らせてくんねえ?」
戦いの場に身を置いて長いせいか、私は言葉の意味を思い出すのに数秒を要した。"魔照片"とは現実を映し取った画像のことだ。人の手で書かれた絵画でなく、見た光景そのままを紙に残す魔法。
図鑑や新聞に載せられることが多いが、この術は高度な術式知識が必要とされ、求められる魔力も計り知れない。ライナスですら扱えないと聞いている。しかし、目の前の老人は私たちを希少な魔法の被写体にしたいという。
「あの図画は君たちの魔法によるものだったのか」
「そうとも。だが、全員ができるもんじゃねえ。これは熟練の"冒険者"にしか許されない秘術だ」
立ち位置の指示を受けながら感心の意を伝える。老人は冒険者組織の中でも上位の階級を有すらしい。"魔照片"撮影技術も最高の部類に入ると自負している。
こちらから特にすべきことはないと教えられ、言われるがままカイザと並んで立ち、術の開始を待つ。たったこれだけで部隊全員の補給を賄えるのなら安い話だ。邪魔だからどいてろと言われ、憮然としたメイガンの隣、老人は私たちの前に手をかざし光の幕を喚び出す……"魔光夜の銀詠"だ。
凍風になびく揺らめきは紅色。術式を組み立てているのだろうか、皺ばった指が紋章を描くかのように忙しなく動く。そうして準備が整い、発動の一瞬……低く詠唱が轟いた。
「"女王蜂に蜜を"」
声と同時に、光が駆け抜ける。
「本当にこんなことが対価になるのか?」
「ああ、もちろん。十分すぎるほどだ。じゃあ、今言った場所に荷物を届けてくれ。俺は仲間を連れてくる」
入り用なものは予備を含め伝えた。あとで老魔術師のための資材を頼むかもしれないと言っても、二つ返事で了承される。手厚い助力に対し、思うさま感謝の言葉を贈った。
特にカイザは、自身の甲冑がさらに強化できるとも聞き、冒険者の手を取って謝辞を述べる。紹介者としてメイガンにも礼を言ったが、彼は目を逸らすだけでまともに取り合わなかった。
「親切なお方ですね。そういえば、あなたのお名前はなんとおっしゃるの?」
「やめとけ、こいつに名前聞いたって意味ねーよ。どいつもこいつも同じ通称でしか呼ばせねえ」
「"同じ通称"とは……?」
「は? おまえらそんなことも知らねえのか? こういう場所に入り浸らねえからか……舌が安いくせに、変なとこだけ育ちがいいな」
無償に等しい対価に関わらず、大恩を与えてくれたのだ。彼の名を聞きたいと思うのは元令嬢として当然の対応。それが無意味という理由があるようだが、相変わらずメイガンからの説明はない。
「へえ。あんたたち、もしかして"冒険者"に会うのは初めてだったのか?」
「まあそうだ」
「そいつを連れ歩いてんなら知ってるだろ? 同じ郷を出た傭兵たちが皆"メイガン"と名乗るように、元締めである"女王蜂"に認可をもらった冒険者は、同一の名前を冠して自由に旅するのさ。この世界にいりゃ、絶対一度や二度は見聞きしててもおかしくないんだが……いいぜ、教えてやるよ」
熟達の旅人は、微小な角度で面を伏せた。しじまに凪ぐ眼は何をも見透かすよう。
あえて指摘も問いもされなかったが、彼がことのほか親切だったのは、私がニブ・ヒムルダの王族であることを看破していたからかもしれない。
「俺は"マルハナ"だ。以後、お見知りおきを」