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第三十六話 ワイツの伝統

 向かったのは広場に面した住居。休息所にお使いください、と住民から提供されたものだ。普段は町長が住むという家は、現在軍の幹部たちの宿舎として用いられる。

 仲間の世話に忙しいメイガンや、カイザの精密検査が終わるまでの間、私はライナスの講義に同席し、異邦の者たちとともに祭事の進行を眺める。


 ライナスが解説の場に選んだのは二階の部屋だった。この話題をするにはうってつけだ。窓からは町の中心部がよく見える。そこに広げられた"緑の王(ゲオルグ)"再臨の催し事も、人だかり関係なく観覧できる。

 私たちはあたたかい飲み物を手に、祭事が始まるまで老魔術師の前説を傾聴する。


「女神教は人道に的を絞った言葉が多い。人の、道徳心に呼びかける教えじゃ。創始者である女神……いや、不死者"聖女"と言った方がよいな。彼女が広めたのは他者との共存共栄。簡単に言えば、皆は分かち合い、理解を尽くし、愛をもって生を全うせよと唱える」


 手に持つ茶器で指先を温めつつ、私が討つべき標的の宗教家としての面を考える。他国では女神像のない街はないというほどに、広く語られる神。遠方より大量の信者を引き連れてきたことから、優れた求心力を持つのだろう。

 そのわりには信心の個人差が激しいが……



「地方によって祈りの作法も形式も様々だが、共通していることが二つある。女神の言葉を聞き、悔いなき人生を歩め……ということじゃ」


「そんなざっくりまとめていいのか? 俺は傭兵稼業のために諸国を巡ったが、そこでの女神教はもっと複雑で難解だった。正直……司祭の唱える教えと行動について、矛盾が目に余る」


 茶の顎鬚を掻いて、ギラスは困ったように話す。仕事のため訪れた各国は、同じ女神教を掲げるにも関わらず、解釈の相違で戦争となる、暴利をむさぼる教会と人民の軋轢が反乱の原因と化す例もあった。他者との共栄よりも、争いの火種になる方が多いとぼやく。


「そうじゃろうな。伝える側の都合で、女神の御言はいくらでも歪められる。聖女が繰り返し説く、愛や理解、悔いなき人生という定義すら明示されておらん。ゆえに利用されやすいのじゃ。女神の名の下なら、悪事や略奪も正当化される。それで世が乱れようとも、聖女自ら仲裁したと言う話は聞かん……あるいは多様性を許したのかもしれぬな。どのような形であれ、"女神の愛"が広まるならそれでよいと」



「そんなことばっかよく続けられるわよね。好きでやってるにしても、人なんてすぐ死んじゃうから、導いたって意味ないのに」


「すぐ死ぬからこそ、縋りたくなるのだ。不死者の君には理解できないだろうが、私たちは"死"について別格の畏敬を抱いている。何よりも特別で……不可避の現象なのだ」



「ああ。ワイツの言ったとおりだ。しかし、お嬢ちゃんの趣味よりは、聖女の方がまだ…………いや、なんでもない! 気にしないでくれ……」


 根が正直のギラスは危うく失言しかけるも、窓の外から歓声があがったため、魔女の注意は逸らされた。

 彼女の趣味……"死体いじり"と"不死の王へのつきまとい行為"よりは、聖女の行いのほうがどう考えても有意義だが、この場で口にして殺され、大切な死の瞬間が台無しにされるのはよくない。


 



「一方、わしらの自然神信仰は"世界"そのものを崇め、慕うもの。全ての事由を従える自然の流れを読み解いて生活しておる。女神教は"人"のみを教え、導く対象として挙げておるが、自然神にそのような特性はない。この世界に生きるものはどんな運命をも受け入れ、均衡を崩さずに振る舞うことが至上と考えられておる」


「ここいらの民が、妙に切り替えが早いのはそういうことか。不幸があってもそういう運命さだめなのだと……どこか割り切った印象がある」

 

 人民は生まれ育った風土に適するよう性格が形成されるもの。この老戦士は各地を渡り歩き、様々な者と交流を深めたからこそ、特徴に気づくことができる。


 しかし、ギラスの今の呟きは、なぜか私を見ながら、しみじみとした口調で発された。




「……さて、信仰といえど祈りの対象に実体がなければ、人々は心を寄せられない。女神教は言わずと知れた"聖女"本人が御神体じゃが、わしらの場合は……ほれ見よ、広場に出て来たぞ」


 見やすい位置を魔女とギラスに譲り、私たち現地の者は隙間から覗くことにした。

 陽は差さないが正午となり、階下で始まったのは自然神の再誕を祈る祭り。都と比べれば規模は小さいが、私たちにとって見慣れた儀式が広がっている。


 はじめに黒衣の人物が登場する。植木を両手で抱え、広場の中心にある演壇に上がる。彼は垂れ下がった円錐帽を頭に、顔には古びた仮面、白い大地に引きずる法服といった出で立ちである。このように姿形を隠したものが、魔術師古来の衣装と言われている。


「あれ、あたしが触ってた木よ! やっぱりおしゃれな飾りつけだったものね。すごい、みんなから褒められてる!」


「そうかそうか。魔女殿は霊木を当ててみせたか……あれこそが"緑の王(ゲオルグ)"を表すものじゃ。家の戸口で飾られた樅の苗。わしらは"世界オヴィリシアの鉢"と呼んでおる。集落のなかで、最も良い装飾を凝らしたものを選出し、あのように讃えるのじゃ」


 初めて"緑の王(ゲオルグ)"の神体を目にし、ギラスは感心の声を漏らした。魔女もまた、自身の触れた苗が褒めそやされるのを見、この後の展開に興味津々といったところ。窓に頬を張り付けつつ、金の視線を注ぐ。

 黒衣の男は選ばれし苗を高々と掲げ、観衆の注目と称賛を一身に集めたあと……



 高台から勢いつけ、投げ捨てた。



「ああやってから苗がうまく育てば、その年は豊かな実りに恵まれるという」


「わりとおもしろい習慣ね」


 祭りは最盛況を迎えた。砕かれた鉢と苗がうやうやしく撤去されてからは、伝統衣裳を着た若者たちが演台の周囲を回り、黒衣の男の指揮で踊り始める。群衆もそれに倣い、それぞれ相手を見つけて舞い始める。


 見たところ、私の連れてきたニブ・ヒムルダ正規兵が人気のようだ。村娘に手を引かれ、ひっきりなしに相手を求められる。慣れずに立ち止まっているのはメイガンたち傭兵か。遠目からでも異郷出身者だと一目瞭然だ。誘われても、おぼつかない動きを繰り返すのみ。




「なんつうか……意外だったな。自然神って言うからには、いわゆる樹木信仰だとは予想していた。植樹か、てっきり種まきから始まると思ったんだが……しかし、鉢から出したいからって投げなくてもいいじゃねえか。もっと違うやり方はなかったのか?」


「ない」


 質問主と目も合わせず、老魔術師は言い切った。他の手段は伝統として残っていないと、にべも言わさぬ口調で述べる。


「あくまでこれは言い伝えじゃ。理由は諸説あるが、儀式での行為と言葉の由来は、正確にはわかっておらん。あいにく長い歴史のなかで失われてしまったのじゃ」




「……ふーん。"世界オヴィリシア"ねぇ……」


「魔女、なにか腑に落ちない点でも?」


 先ほどから大人しくしていた少女が不思議そうに呟いた。自らの黒髪を指に巻き付け、離すのを繰り返している。

 魔女が気になっているのは、ライナスの解説にあった"世界の鉢"という言葉について……


「あなたたちよくその言葉知ってるわね。だってそれ旧言語よ?」


「……"旧言語"、とな?」


 博学を自称するライナスも持たない知識だったのか、身を乗り出すようにして聞き返す。

 老齢の魔術師ですら知らないのだ。目を合わせたギラスも、私と同様に首を傾げる。



「え? 旧言語知らないの? ……そっか、これが世代の違いってやつね。これはね、今の共通語じゃない単語よ。あたしの"王様"が世界言語を統一する前に使ってた言葉のこと」



「私たちは、はじめから同じ言葉を介していたのではないのか?」


「そんなわけないじゃない! 今の言葉は"王様"が世界統一してから広めたものよ」


 当たり前のように話されたが、本当なら世界史が塗り替えられるほどの証言だ。これにはライナスも根掘り葉掘り質問すると思ったが、老人は暗い表情で少女の声を追うのみだった。



「"世界オヴィリシア"って単語は昔もあったわ。でも、同じなのは発音だけね。あたしたちの時代では、その言葉……"壁"って意味なのよ」



 器を脱ぎ捨て続け、齢千年を越えた不死者"魔女"。この少女が生きた時代は、私たちの世界と連なっている。こんなところにも、悠久なる自然の流れを感じられるとは。

 不死者の中に残っているのは、本来なら忘却されるはずの知見。いつかライナスが語った仮説を紐解けば、"世界の魂"に還らなかった叡智と言うべきか。


 ライナスにとってこの話は、見識を深める意欲よりも別の……覚悟というものを与えたらしい。

 全身覆う呪具より昏い、決意の色が瞳に浮かんだ。



「壁……壁か。そうよな……わしも、またひとつ"オヴィリシア"を破らねばならぬのかもしれぬ」





「色々と謂れがあるもんだな。まあ、故郷というべき場所もねえ俺には、縁のない話だが」


 外部から響く笛の音。笑い声。楽し気な音と対照的な囁きが、ギラスからこぼれる。伝統、風土信仰について話を進めるうちに感傷的になったらしい。


「あなたは……自分の生まれた場所を知らないということか?」


「ああ。両親もとより血の繋がった一族もいねえ」


 傭兵が己の過去を語るのは珍しいことだが……私たちや、魔女にすらあるという故郷との繋がりを羨しいと感じたのか。



「ガキのころ、山道で行き倒れてるのを通りかかった行商人に拾われ、育てられた。成長してからは身一つでできる護衛の仕事を始めて……そのうち仲間も集まり傭兵団の形を取った。それが今の"ひいらぎの枝"だ」


 かつて率いていた傭兵団の名を聞き、私とライナスは彼らの勇ましい働きを思い出す。

 エレフェルドとの戦いに追従した軍で、"柊の枝"の武名が響かぬ者はいない。兵の士気も総じて低く、勝利すれど実入りのない戦闘。それでも彼らは賑やいでいた。なかでも際立つのは二色の光、白金と橙……ギラスの部下だった若い衆、ランディとエトワーレ。


 懐かしむように若者の名を提示すれば、ギラスは心底穏やかに微笑んだ。



「首領の跡目も信頼できる奴に譲った、心残りはねえ。苦労もあったが、本当に楽しかった。家族って……呼べるようなのはあいつらくらいだな」






 彼らの働きを知らない魔女は、ふぅんと生返事し髪をいじっていたが……ふと疑問を感じて、淡い色の唇を開く。


「"柊"って、あのちくちく葉っぱの? おじさまったら、なんでそんな名前にしたの?」


「別に変というわけではないぞ、魔女殿。だが、まあ……戦闘集団の名前に、植物の字が入るのは珍しくもある」


 あいにく由来に心当たりはない、とライナスは軽く手を上げた。降参の意を表し、ギラスに回答を求めたのだ。

 これは初めて問われた項目なのか、ギラスは暫し言葉を探す。



「なんでって……いや、育ての親から聞いた話だが……拾われた時、なぜだか俺は"柊の枝"を後生大事に握りしめていたらしい。葉の刺に引っ掻かれて、顔も腕も傷だらけにして……それでも離そうとしなかったんだと。なんつうか、俺にとっては執着の象徴なのかもな。いつか根を張って、穏やかに過ごせる場所を求めて……ってな」


 野太いが切なさを含んだ声により、彼の望みを再認する。行軍の理由を尋ねられたときも、同様のことを話していた。

 "あたたかい家"が欲しいという祈りは、こんな箇所にも込められていた。








「……ちょっと待たれよ、ギラス殿」


 何かに気づき、ライナスは声を上げた。



「おぬし……行商人に拾われる前はどうしていたのじゃ?」



「……そういえばそうだな。あなたは行商人に出会ったとき、枝を握りしめ、山道を歩けるような年齢だったのだろう? ならば、それ以前のことも覚えているのではないか」


「何言ってんだワイツ。それより前のことなんてないに決まってるだろ」



 "ない?" 


 私含む全員が同じことを聞き返した。ないことはないだろう。誰だって子ども時代はあるはず。あの魔女ですら目を丸くして、老戦士の戸惑う様子を眺めている。

 

 ギラスは追及の視線に耐え切れず、椅子から立ち上がって弁解した。



「なんだよ……急になんだよ、あんたら? ライナス殿も…………んな何十年も前のこと、覚えてるわけねえだろ。歳とりゃ記憶だって曖昧になる。ガキのころの記憶なんて、"生きてりゃ勝手に消える"ものじゃないのか?」



「いや……それはどういう意味での消失だ? 確かに過去は、記憶から細部が抜け落ちることはあるが、完全に喪失することはない」


「わしは八十を過ぎたが、わらべだったころくらい覚えておるぞ。記憶力に個人差はあるが、幼少期は誰しもが通る道。まったく覚えておらんのはあり得ぬ」


「ちっちゃい時の事でしょ? あたしも覚えてるわよ。もう千年近く前のことだけど」



 立て続けに反論され、ギラスは頭に手をやって呻く。まさか……"思い出せない"とでもいうのか?


 本来、深く考えずともわかるはずだ。唐突に人生が始まるということはない。何もないところから存在が始まることはない。しかし、この様子では自覚すらできていないようだった。


「……悪い。もう外させてくれ、頭痛がしてきた」


 ギラスは逃走するように部屋からの脱出を試みる。その屈強な背を、ライナスの声が追った。言葉だけでなく、椅子をも倒す勢いで追尾する。



「ギラス殿!! おぬし……朝目覚めたとき、枕元に灰が降り積もっていたことはあるか? 魔法で発現した噴煙や溶岩が制御できないと感じたことは!? おぬしが術式なしで使う"火山の魔法"……それはいったいいつの、どの山での記憶なのか……答えられるのか!?」


「やめてくれ! そんなこと知らねえ!! あの魔法だって……"いつの間にかできるようになった"だけだ!」



 老魔術師が魔法での現象を例示するたびに、茶白の髪はひくりと震えた。心当たりはあるのだ。

 乱雑に扉が閉められ、ライナスは詰問の手を退かざる得なかった。彼の呪具も力なく床に落ち、動きを止める。博識ゆえに思い至った事情へ、動揺を隠せていない。


 言葉を無くした部屋に、祭囃子が虚しく響く。私は老戦士の去っていった方向を見やり、ともに魔女の札遊びに付き合わされた日を回想した。

 あの時も彼は負け続けていた。札を順番に取り合って、同じ数字の組を捨てていく。最後に鬼札が残ったら負けの……世界でもよく知られた遊びだったのだが、ギラスはやったことはもちろん聞いたこともなかったという。

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