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第三十五話 ワイツの祭日

「あんま食うな」


「……食え、と勧めてきたのは君の方ではないか」


 鍋の奥に木匙を差し込んだところへ警告が来た。湯気の向こうで対面するメイガンは、苦戦時さながらの険しい顔をし、最大の警戒をもって私の手の動きを見張っていた。



 ネリ―の見送りに時間を取られ、急ぎ本陣に戻ったが、まだ活動しているものは少なかった。随一の信仰心を誇る司祭をやり過ごして最後、森に信者の影はなく、兵たちは休息の時を過ごしている。

 このあと近隣の小村に立ち寄るということも、彼らに人心地つく余裕を与えたのだろう。


 傭兵率いるメイガンも先に起きていた者の一人で、竈の前に陣取り朝餉を作っていた。自分からは手を付けず、しきりと小鍋の火加減と周囲を気にしていた。部下に振る舞おうとしていたのか。彼は意外に面倒見がいい、というのは熟練の老戦士の談だ。


「別にてめえのために作ったんじゃねえ。黙ってそこに座ってろ。火に当たらせてやってるだけありがたいと思え」


「……いや、移動しよう。私がいては皆、遠慮して寄り付かなくなる」


「それでいいんだよ」


 早朝とは言ったが、出発時間から数えてそろそろ起き出してもよさそうな頃合いだ。実際、白く覆われた天幕群の端に人影がちらちら見える。誰もが料理の香りに誘われて顔を覗かせるも、私がいるせいで戦略会議かと思い、近寄ってこない。

 仲間に食事をとらせるなら退散しようかと申し出ても、今の状態を保持せよの回答が発された。


 そこにいろと言ったわりに、メイガンは私と会話をする気もないらしい。濃紺髪が動いたかと思えば鍋の火加減と街道方面の森を交互に眺めるのみ。問いかけてもろくな返事が返ってこないので、私は仕方なしに椀に移したスープを啜って時を過ごす。

 


「以前にも思ったが、君の作るものはどれも美味いな」


「……なんでそんなに舌が安いんだ。おまえ、本当に王子なのか?」


 称賛しても呆れられたが本心だ。

 これは"肉骨湯"という名の料理らしい。何が入っていて、どう作ったとの解説は一切されなかったが、十二分に美味と感じる。


 干し肉を形がなくなるまで煮込み、薬草や香辛料といっしょにいただく陣中料理。少量でも体が温まり、身体の底から活力が湧いてくる。

 これなら体内器官が弱っていても吸収される。あとでカイザにも飲ませてやろう。気力とともに、体力も回復するはずだ。





「あっ、ワイツおっはよー。メイガンも相変わらず早起きね」


「うげっ……"魔女"」


 近場で雪を踏みしめる音に振り向けば……思い描いた藤色ではなく、漆黒の少女の姿があった。いつも携えている日傘を今度は雪除けとして使っている。前に傘を手放すところを見たが、毎回どこから出しているのやら。

 不死者の襲来にメイガンは露骨に嫌な顔をし、鍋を蓋して守るように火から降ろした。


「いつも思うんだけど、なんで普通の人って睡眠しないといけないのかしらね。あたし、寝る必要ないからわからないわ。でも早めに起きてるあなたたちは優秀よ。いっしょにカードしましょう! はいほら、配って配って」


「わかった……この前と同じ遊びでいいか?」


「やめろ、ワイツ! おまえが配るな! そ、そんなもんじじいにやらせりゃいいだろ!! 年寄りは朝早いから絶対起きてる! 呼んでくるぜ!」


「ああそう。じゃあ待っててあげるから、早くね」


「……っ!」


 魔女の"待ってあげる"との言葉に、死闘を覚悟した表情で去っていくメイガン。主要な面子のなかで彼だけはまだカード遊びに参加していなかった。部下のテティスによれば、魔女に負けたら四肢切断の危機が待っていると信じ込んでいるらしい。


 一度でも遊べば誤解も解けるはずだ。もし魔女が敗者に罰を科すというのなら、負け越しのギラスはもう跡形もなくなっている。



「あれ? カイザの姿が見えないわね。まだ休んでるの? 昨日元気そうに剣振ってたんだけど」


「彼女ならさっき会った。今は街道の途中でネリ―と"話して"いる……戻ってくるまで長くかかりそうだ」


 昨夜、カイザが剣の練習してるのを見たとの報告を聞き、少し心配になる。彼女は私の言うことに対し従順すぎるきらいがある。

 今もネリーを的に見立て、鍛錬を続けている。彼女を処刑するくらいなら止めさせるほどではないが、不調を隠されては困る。あとで注意しておこう。



「へー、それっていわゆる女の子の井戸端会議ってやつね……そっちの方がおもしろそう! あたしも行ってくるわ」


「……ああ。あまり遅くならないようにな」


 私の知っている井戸端会議とは意味が違う気がするが、否定はしなかった。

 なんにせよ不死者の参戦により、これでもうネリーは骨も残るまい。彼女はもともと呼ぶつもりのなかった人員だった。幼馴染とはいえ、ヒムルダ王家"曹灰の貴石"のもとでは比べようのない瑣末な存在だ。



 魔女が去り、周囲に他者の目はない。私は鍋の蓋を開け、手持ちの水筒をスープで満たす。さほど大きい鍋でなく、カイザの分を確保してからはわずかしか残らなかった。捨てるには惜しいので思うさま飲み干す。


 天からは粉砂糖をまぶすように白銀が降る。口にした香辛料のせいか寒さは感じない。

 風もなく静かに舞う姿を見上げて堪能したあと、目線を戻すと……空鍋を手にし、憤怒の形相となったメイガンがいた。


 強い語調で状況の説明を求める彼に、"魔女がやった。私はどうすることもできなかった"と虚偽を述べておく。






 先に集落へ飛ばした伝令によると、ニブ・ヒムルダ正規兵を主とする別隊は無事に到着しており、私たちとの合流を待っているそうだ。町の代表者にも事情を話してあり、支援のための物資等を準備して待機中とのこと。


 信者も町を攻略するより、私たちとの対話を優先したのだろう。くだんの心優しき司祭の考えそうなことだ。町人ならいつでも懐柔できる。武器を手に聖地へ攻め込もうという、こちらから救いたいと思うのは自然な流れ。あいにく私は、その救いの御手を受け取り損ねてしまったが……



 移動の支度が整ったのは、定刻を大幅に過ぎてからのことだった。不死者"魔女"が参戦してからというもの、もはや時刻を守ろうという気風は抜け落ちつつある。遅れてやってきた魔女とカイザは、向こうで何をしていたとの質問に対し、"女の子同士の秘密"などと言って笑い、答えなかった。


 森林を抜け、盆地に足を踏み入れてすぐ、こちらへ向かう数騎の兵を見つけた。遠目でも非常にわかりやすい正規兵の甲冑……私の手勢の者たちだった。

 彼らを道案内にし、白で埋め尽くされた平原を行く。代わり映えのない景色にて、羊飼いよろしく傭兵たちを導いていく。途中、部下が騎乗を勧めるも私は辞退し、代わりにカイザを乗せて先に行かせた。


 向こうに着いたら飲めと、彼女に懐中で温めていた水筒を押しやる。






「なんかここおしゃれな町じゃない? どこもかしこも飾り付けてあるわね!」


「ほほっ! 魔女殿。これは祭日を祝っておるのじゃ」


 先だってはしゃぐ少女の姿に、老魔術師は微笑む。町は入り口の門から三色の組紐で飾られ、細さと色を変え町の中心に向かって結ばれている。降り積もる雪も見越して、白い背景でも塗りつぶされぬ赤や黄を配色している。


 ところどころの結び目に常緑樹の枝葉を吊るしているのも、ニブ・ヒムルダ伝統の飾りだ。家戸の前にはもみの苗が置かれ、住民たちから思い思いの装飾を施されて、人目を引いている。


「ちょうどその時期だったな。しかし、この規模から察するに……兵たちも飾りつけに手を貸したな」


「よいではないか、ワイツ王子や。わしらを待つ間、戦いもなく手持ち無沙汰だったのじゃろう。それに、このような催しも"女神の使徒"に立ち向かおうという気概を生み出す。偉大なる"緑の王(ゲオルグ)"がもたらした美しい大地を、異教徒から死守しようとの思いへと繋がる。見よ……皆の顔は英気に満ちておるぞ」


 ライナスは上機嫌に呪具を漂わせ、暗布で飾りを撫でつつ話す。とくに私は兵たちに苦言を呈したいわけではない。彼らは玉砕の運命から逃げ出さず、待っていてくれたのだ。文句のつけようがない。


 町への手伝いで、兵たちが住人の信頼を勝ち取っているのも有意義だ。不作と戦乱の相次いだ近年、王家への反発も大きいさなか、町の者は私たちのために物資を分けてくれるという。休息所の提供もまた有難い申し出だ。しばらくは逗留し、情報収集と戦法を話し合いたい。



「ねえ、おじいちゃん。前から気になってたんだけど、"緑の王(ゲオルグ)"って結局なんなの?」



 樅の苗をつつくのを止め、魔女はゆる巻きの黒髪を傾け、尋ねた。不死者という永遠の存在でありながら、魔女は博識とは程遠い。執着の対象である"不死の王"以外に、あまり関心を示さない。


 そういう彼女から自然神について質疑が発されたことを喜んで、老魔術師は話すべき知識を取りまとめにかかる。

 これには、近くを歩いていたギラスからも反応があった。



「そうだ。ライナス殿があんだけ讃えるもんだから、俺も興味が湧いてきた。自然神信仰は世界でもあまり聞かねえな。本当に、ニブ・ヒムルダやフェルド諸国独特の風習だ」


「そうじゃな。よい機会じゃ、どれ……場所を変えよう。ちょうどこのあと祭事が始まる。観覧しながら解説しようか」

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